決まらぬエピローグ

新巻へもん

人生の岐路

「この私が一手及ばぬとは……ぐはあっ」

 鴉の羽よりも黒いローブをまとい赤い杖を携えた大神官ジャーゴンは盛大に血をまき散らしながら地面に倒れ伏した。虫の息のジャーゴンは顔だけをあげる。

「ふふ。これで勝ったと思うなよ。第2第3の……」

 そこまで言うと口から大量の血を吐いてジャーゴンは頭を地面にゆだねる。


 私は油断なくジャーゴンの様子を観察しながら、手に握った聖剣を地面に突き立て、それにすがって体を支えた。大きく息を吐き出す。目の前でジャーゴンの体から黒い霧のようなものが滲みだし、空中に漂ったかと思うとゆらゆらと消えた。2・3度痙攣したジャーゴンの体は動かなくなる。


 やれやれ。これで邪神を復活させようというジャーゴンの野望を阻止することができたわけだ。周囲の仲間たちが私に駆け寄り喜びを爆発させた。肩を強く叩く奴、髪の毛をぐしゃぐしゃにかき回す奴、腹パンをして来る奴。幾多の困難を共に超えてきたかけがえのない連中だった。


 大騒ぎをする私たちの頭上に眩い光が溢れ、温かいもので包んでいく。光が強まって消えると夢見るような目つきをした幼女がふわりと浮かんでいた。

「勇者カオル。よくぞジャーゴンの野望を阻止してくださいました。これで束の間とはいえ、この世界に平和がもたらされるでしょう」


 光の精霊アルーシェ。この世界の安寧を保つべく俺を召喚した張本人だった。背中の羽がゆっくりと羽ばたくと光の粒子が舞う。雪のように舞うそれが焼けただれた地面に落ちると小さな緑が芽吹く。辺りに漂っていた瘴気がゆっくりと薄れていった。


 アルーシェが手を天にかざす。途端に真っ白な何もない空間に私とアルーシェだけが浮かんでいた。

「仲間はどうしたっ?!」

「ご心配には及びません。ここは狭間の世界です」


 アルーシェが右手の手のひらを外に向ける。そこにぼんやりとした映像が浮かび上がった。私の大切な仲間たちがきょろきょろとしていた。くぐもった声も聞こえる。

「カオルが消えたぞ」

「アルーシェ様も」

「役目を果たし、元の世界に戻ったのか?」


 アルーシェは頭を下げる。

「勇者カオル。あなたにはいくら感謝してもしたりません。この先の2つの未来をお示しします。お好きな方を選んでください。一つは仲間たちと共にあちらの世界シェリーフェンに留まること。あなたは救世の勇者として皆の尊敬を集め栄えある生活を送ることができます」


 アルーシェは左手で虚空を示す。またぼんやりとした風景がが写った。私の住んでいるボロアパートだ。

「あなたを元の世界に戻すこともできます。あまり大したことはして差し上げられませんが……」


 私はシェリーフェンに呼び出される前の惨めな生活を思い出す。残業続きの日々、理不尽な上司とクソ客の対応、引きかえに得られる生きていくのがやっとの給料。書いても読まれない趣味の小説。私は比較検討するまでもないと思う。そう告げようとする私にアルーシェが微笑んだ。


「あちらに戻ったあなたはこの世界での体験を物語として発表します。リアリティに富んだストーリーは評判を呼び、多くの読者を獲得するでしょう。すぐに書籍化もされます」

「書籍化……」


「たちまち重版がかかり、ベストセラーとなります」

「ベストセラー……」

「アニメ化もされ、あなたの作品の読者でもあり、大ファンという声優と結ばれることになります」


 シェリーフェンは七色の声を持つという実力派声優の名を挙げる。私が以前から憧れていた人だった。私の心の中の天秤の右には仲間たちが乗っており、つい先ほどまではそちらに傾いていた。しかし、天秤の左に多数の読者、特に彼女が乗って均衡を取り戻してしまう。


 ***


「ヒロ。なにこれ?」

 下読みをしていた彼女のミキが俺のPCから振り返る。

「最後が決まらなくてさ。主人公は元々素人小説家なんだ。その性として多くの読者がつくというのは限りなく魅力的だと思う。読者と仲間を天秤にかけてどっちをとるのが自然か分かんなくなって」


「ふーん。まあ、確かに難しい選択ではあるよね。あ、そうそう。誤字と衍字があるから。温かいじゃなくて暖かいね。風景がが写ったでが重なってる」

「あ。恥ずかしいなあ。何度も見直したのに。ありがとう」

「どういたしまして」


 うーんと伸びをしたミキは立ち上がるとベッドに座る俺の横に並んだ。そっと体をもたせかけてくる。

「もし、ヒロがさ。この主人公だったらどうする?」

「悩むまでもない。こっちの世界に帰って来るさ」


「どうして? 艱難辛苦を共にした仲間がいるんだよ」

「この主人公と俺は根本的な違いがある。俺には素晴らしい読者がいるから」

 俺は首を横に向けて、ミキの髪の毛にキスをする。ミキは体をまっすぐにすると頬を緩める。


「くさいセリフ」

「えー。そりゃひどくないか」

「気持ちは嬉しいけどね」

 唇を尖らせる俺にミキは再び体を寄せると唇を重ねてきた。

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