恋は落つもの満つるもの
藤咲 沙久
落として、落ちた。
「これは日帰りで遊びに行った港町の写真。こっちは大学の裏で見つけた猫の親子。超可愛くない? あ、この子は従姉妹の
次の講義が始まるまでの時間に、写真フォルダに溜まった新コレクションを
素晴らしきかな、
「へぇ可愛い。同い年?」
「路華ちゃんどう見ても子供! あたしは大学生ですぅ!」
童顔に低身長、加えて好みはカジュアル系。美和ちゃんはそんなあたしをすぐからかってくる。ちょっと頬を膨らませてみたけど、あたしも思わず笑ってしまった。本気で言ってないって知ってるもの。
「
「スマホだから気軽に撮れるんだよぉ。いつでも持ってるし、印刷にも耐えうる画素数だし」
「でも枚数多すぎて逆に印刷しないっていうな」
「ほんとそれ!」
顔を見合わせて吹き出す。もはやこれは電子アルバム、200も300もある写真を刷らなくったっていい。便利。
さて次は……と画面をスライドさせると、あたしの好きなコミックスが表示される。この間出た最新巻が嬉しくて撮ったやつだ。見覚えがあったのか、美和ちゃんも「あぁ」と声を出す。
「これ、巴が好きなやつ。スマホにつけてるのもグッズなんだっけ?」
「『花とミチル』! これは主人公の
「ファンにしかわからない系って付けやすくていいなー」
「タイトル超少女漫画なのに意外とハードアクションありありで、かと思ったら垣間見えるさりげない恋愛要素! 絶妙な匙加減で男女共にファンも多いんだから。美和ちゃんにもオススメ、っていうか原作もDVDもいつでも貸す!」
「早口、早口。おーけぃ落ち着け、話は全然聞くけど貸さなくていいわ」
美和ちゃんは好きなものについて語るのを楽しく聞いてくれる。でも別に同じものにハマる気は毛頭ないらしくて、テンションが上がってる様子を眺めるのが好きなんだとか。
……もしかしたら本当に子供扱いされてるのかも。たまにそんな風にも思ったりする。
「今ならアニメ原画展が開催中なのにぃ。なんならあたし、明日行くよ? 一緒に来てもいいよ?」
試しにそう誘ってみたものの、にこりと笑顔を返された。これは無言の拒否。そんな表情も綺麗だから大人っぽ美人は羨ましい。
「だよねぇ。じゃあ会場の写真撮ってきたら、また一緒に見てくれる?」
「それは歓迎。でも巴は見た目が小学生なんだから。あんまりカメラに気取られてぼんやり歩いて、誘拐されないようにね」
子供扱い! と声を上げたタイミングでチャイムが鳴った。あたしの抗議はアッサリとかき消されてしまった。
***
午前の講義と昼食を終えて、電車で一駅先へ。足取りはとても軽い。この路地を抜ければ待ちに待った原画展だ。
「OK, search. 『花とミチル』原画展、今日の終了時刻は?」
ぴこん。
〈本日の終了時刻は十六時三十分、最終入場は十六時です〉
気分がいいからか、音声検索の音まで軽快に感じる。時計を見れば十四時ジャスト。これなら全部回って物販まで制覇できそうだ。
あと少しで大通り、会場は広い歩道と道路を挟んですぐ目の前のはず。だんだんと小路の終わりが近づいてくると、同時にその細い隙間から原画展の看板が見えてきた。
「あっ、美智瑠の等身大パネル!」
赤い刀身、和洋折衷の衣装、空を写した髪色。この距離でも間違えるわけがない、大好きなキャラクターなのだから。早く写真に納めたい気持ちが逸って、カメラを起動しながら小路を飛び出した。
「ひゃ! あ、……っととと、ぁうっ」
ドサッ! カシャッカツンッカララ……派手な音が鳴る。一瞬、何が起こったのかわからなかった。お尻が痛い。あ、これはあたし、尻餅をついている。スカートじゃなくて良かった。左右を確認しなかったから何かに……誰かにぶつかったのか。
──それならぼんやりしている場合じゃない。
「ご……っごめんなさい! 大丈夫ですか?!」
慌てて謝るけど、目の前にはデニムの両足。どうやら相手は転ばずにすんだらしく、顔を上げるとポカンとした表情の男性が立っていた。
下から見上げても背が高い。この顔立ちは流行りの塩顔と呼ぶんだろうか、とても爽やかな雰囲気だった。
「それ、俺が言う台詞じゃないか」
まだ驚いた様子で塩顔さんが言う。掠れ気味の低音だった。
「余所見してたのはあたしだから……」
「転けたのも君だけどな」
いつまでも座り込んでてはいけないと立ち上がったら、また塩顔さんがきょとんとした。ハッとする。彼はあたしに向かって、右手を差し出してくれていた。
(き、気遣いを無下にしてしまった……!)
こんなことがスマートに出来ちゃう男の人なんて周りにいないから、余計に気づかなかった。行き場をなくしただろう手をどうフォローすればいいのか。何が女の子として正しいのか。こんな時、きっと美和ちゃんなら上手に収めるのに。
あたしが口をパクパクさせるしか出来ないのを見て、よほど可笑しかったのか、塩顔さんがクスリと笑った。やっぱり爽やかだった。
そのまま屈んで右手を地面へ。目で追うと、あたしのスマホを掴んでいた。そうだ、スマホ!
「これ君の?」
「あっあっ、あたしのです! 画面は無事? ストラップも?」
受け取って念入りに確認する。手帳型カバーのお陰か本体に傷はないし、刀も折れてない。よかった、今壊れてしまっては原画を楽しむ気持ちになれないところだった。
「美智瑠、好きなんだ」
「え……知ってるんですか! あたし、あたし超好きで。今も行こうとしてて、その、原画展!」
思いがけない名前を出されて高揚してしまう。このストラップでわかるなんて、同じくらい長いファンだ。嬉しさでパッと頬が紅潮したのが自分でもわかった。
「俺もこの間行ったけど、世界観の再現がすごかったよ。撮影可能ブースもあるから楽しんできな」
「わあ……! はい、ありがとうございますっ」
「じゃあ俺はこれで。前見て歩きなよ、お嬢ちゃん」
クスクスと笑いながら塩顔さんは歩き出す。今度はあたしがきょとんとしてから、さっきとは違う意味で顔が熱くなった。
「あ……あたしは大学生ですぅ!!」
***
原画展は、すごく、よかった。
ファン心理を深く理解した細かな演出の数々。古参から新規まで誰も置いてきぼりにしない優しさに満ちた空間。撮影パネルもグッズも全部、最高の中の最高だった。
ベッドに寝転がって、フォルダに大量追加された写真を順番に眺めていく。幸せな余韻だ。今日はいい一日だった。
「あれ? なにこの変な写真……あっ」
動きながら撮ったみたいな一枚に、スライドさせてた指が止まる。かなりブレていて写っているものは判然としない。だけど、ぼんやり見えるこの色味。半分画面から切れた人の顔。
あの時の彼だ。起動していたカメラが、ぶつかった反動で知らないうちに撮影していたらしかった。
(……思い出したら、ドキドキしてきたや。変なの)
あたしがこうやって、両手でしっかり持たないと落としそうになるスマホ。彼の大きな手のひらは易々と掴んでいた。指も、長かったように思う。男の人の手。
優しくて親切で、でも少しだけ失礼な、声の掠れた塩顔さん。爽やかに笑う人。
「OK, search. あの人は誰?」
ぴこん。
〈まだその情報はありません。誰を彼氏として登録しますか〉
「OK, search. 彼の名前は?」
ぴこん。
〈まだその情報はありません。誰を彼氏として登録しますか〉
「OK, search. また会える?」
ぴこん。
〈聞き取れなかったため、操作を終了します〉
あんまりにもバカみたいな自分の行動にため息をついた。何してるんだろう。でも知りたい。初めて『花とミチル』を読んだ時みたいに、胸が高鳴って仕方ないんだ。
数分にも満たないわずかな時間。ほんの少し交わした言葉。たったそれだけで、まるで心が拐われてしまったみたいだった。
「OK, searchぃ……」
教えてよ、文明の利器。
この気持ちは恋なのかを。
恋は落つもの満つるもの 藤咲 沙久 @saku_fujisaki
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