恋は落つもの満つるもの

藤咲 沙久

落として、落ちた。


「これは日帰りで遊びに行った港町の写真。こっちは大学の裏で見つけた猫の親子。超可愛くない? あ、この子は従姉妹の路華みちかちゃんね。すっごい和風美人でしょ」

 次の講義が始まるまでの時間に、写真フォルダに溜まった新コレクションを美和みわちゃんに見せる。このやり取りはすっかりあたし達の定番だ。脈略がなくて面白い、と美和ちゃんはいつも笑って付き合ってくれるから、あたしもますます撮るのが楽しくなった。

 素晴らしきかな、文明の利器スマートフォン。昔は携帯電話にカメラ機能自体がなかったなんて信じられない。

「へぇ可愛い。同い年?」

「路華ちゃんどう見ても子供! あたしは大学生ですぅ!」

 童顔に低身長、加えて好みはカジュアル系。美和ちゃんはそんなあたしをすぐからかってくる。ちょっと頬を膨らませてみたけど、あたしも思わず笑ってしまった。本気で言ってないって知ってるもの。

ともえの写真だけで日帰り旅行気分だわ。撮るのも好きなんだし、いっそデジカメ買えば?」

「スマホだから気軽に撮れるんだよぉ。いつでも持ってるし、印刷にも耐えうる画素数だし」

「でも枚数多すぎて逆に印刷しないっていうな」

「ほんとそれ!」

 顔を見合わせて吹き出す。もはやこれは電子アルバム、200も300もある写真を刷らなくったっていい。便利。

 さて次は……と画面をスライドさせると、あたしの好きなコミックスが表示される。この間出た最新巻が嬉しくて撮ったやつだ。見覚えがあったのか、美和ちゃんも「あぁ」と声を出す。

「これ、巴が好きなやつ。スマホにつけてるのもグッズなんだっけ?」

「『花とミチル』! これは主人公の美智瑠みちるが連載初期に使ってた宝刀、その名も江楠狩葉えくすかりば

「ファンにしかわからない系って付けやすくていいなー」

「タイトル超少女漫画なのに意外とハードアクションありありで、かと思ったら垣間見えるさりげない恋愛要素! 絶妙な匙加減で男女共にファンも多いんだから。美和ちゃんにもオススメ、っていうか原作もDVDもいつでも貸す!」

「早口、早口。おーけぃ落ち着け、話は全然聞くけど貸さなくていいわ」

 美和ちゃんは好きなものについて語るのを楽しく聞いてくれる。でも別に同じものにハマる気は毛頭ないらしくて、テンションが上がってる様子を眺めるのが好きなんだとか。

 ……もしかしたら本当に子供扱いされてるのかも。たまにそんな風にも思ったりする。

「今ならアニメ原画展が開催中なのにぃ。なんならあたし、明日行くよ? 一緒に来てもいいよ?」

 試しにそう誘ってみたものの、にこりと笑顔を返された。これは無言の拒否。そんな表情も綺麗だから大人っぽ美人は羨ましい。

「だよねぇ。じゃあ会場の写真撮ってきたら、また一緒に見てくれる?」

「それは歓迎。でも巴は見た目が小学生なんだから。あんまりカメラに気取られてぼんやり歩いて、誘拐されないようにね」

 子供扱い! と声を上げたタイミングでチャイムが鳴った。あたしの抗議はアッサリとかき消されてしまった。




***




 午前の講義と昼食を終えて、電車で一駅先へ。足取りはとても軽い。この路地を抜ければ待ちに待った原画展だ。

「OK, search. 『花とミチル』原画展、今日の終了時刻は?」

 ぴこん。

〈本日の終了時刻は十六時三十分、最終入場は十六時です〉

 気分がいいからか、音声検索の音まで軽快に感じる。時計を見れば十四時ジャスト。これなら全部回って物販まで制覇できそうだ。

 あと少しで大通り、会場は広い歩道と道路を挟んですぐ目の前のはず。だんだんと小路の終わりが近づいてくると、同時にその細い隙間から原画展の看板が見えてきた。

「あっ、美智瑠の等身大パネル!」

 赤い刀身、和洋折衷の衣装、空を写した髪色。この距離でも間違えるわけがない、大好きなキャラクターなのだから。早く写真に納めたい気持ちが逸って、カメラを起動しながら小路を飛び出した。

「ひゃ! あ、……っととと、ぁうっ」

 ドサッ! カシャッカツンッカララ……派手な音が鳴る。一瞬、何が起こったのかわからなかった。お尻が痛い。あ、これはあたし、尻餅をついている。スカートじゃなくて良かった。左右を確認しなかったから何かに……誰かにぶつかったのか。

 ──それならぼんやりしている場合じゃない。

「ご……っごめんなさい! 大丈夫ですか?!」

 慌てて謝るけど、目の前にはデニムの両足。どうやら相手は転ばずにすんだらしく、顔を上げるとポカンとした表情の男性が立っていた。

 下から見上げても背が高い。この顔立ちは流行りの塩顔と呼ぶんだろうか、とても爽やかな雰囲気だった。

「それ、俺が言う台詞じゃないか」

 まだ驚いた様子で塩顔さんが言う。掠れ気味の低音だった。

「余所見してたのはあたしだから……」

「転けたのも君だけどな」

 いつまでも座り込んでてはいけないと立ち上がったら、また塩顔さんがきょとんとした。ハッとする。彼はあたしに向かって、右手を差し出してくれていた。

(き、気遣いを無下にしてしまった……!)

 こんなことがスマートに出来ちゃう男の人なんて周りにいないから、余計に気づかなかった。行き場をなくしただろう手をどうフォローすればいいのか。何が女の子として正しいのか。こんな時、きっと美和ちゃんなら上手に収めるのに。

 あたしが口をパクパクさせるしか出来ないのを見て、よほど可笑しかったのか、塩顔さんがクスリと笑った。やっぱり爽やかだった。

 そのまま屈んで右手を地面へ。目で追うと、あたしのスマホを掴んでいた。そうだ、スマホ!

「これ君の?」

「あっあっ、あたしのです! 画面は無事? ストラップも?」

 受け取って念入りに確認する。手帳型カバーのお陰か本体に傷はないし、刀も折れてない。よかった、今壊れてしまっては原画を楽しむ気持ちになれないところだった。

「美智瑠、好きなんだ」

「え……知ってるんですか! あたし、あたし超好きで。今も行こうとしてて、その、原画展!」

 思いがけない名前を出されて高揚してしまう。このストラップでわかるなんて、同じくらい長いファンだ。嬉しさでパッと頬が紅潮したのが自分でもわかった。

「俺もこの間行ったけど、世界観の再現がすごかったよ。撮影可能ブースもあるから楽しんできな」

「わあ……! はい、ありがとうございますっ」

「じゃあ俺はこれで。前見て歩きなよ、お嬢ちゃん」

 クスクスと笑いながら塩顔さんは歩き出す。今度はあたしがきょとんとしてから、さっきとは違う意味で顔が熱くなった。

「あ……あたしは大学生ですぅ!!」




***




 原画展は、すごく、よかった。

 ファン心理を深く理解した細かな演出の数々。古参から新規まで誰も置いてきぼりにしない優しさに満ちた空間。撮影パネルもグッズも全部、最高の中の最高だった。

 ベッドに寝転がって、フォルダに大量追加された写真を順番に眺めていく。幸せな余韻だ。今日はいい一日だった。

「あれ? なにこの変な写真……あっ」

 動きながら撮ったみたいな一枚に、スライドさせてた指が止まる。かなりブレていて写っているものは判然としない。だけど、ぼんやり見えるこの色味。半分画面から切れた人の顔。

 あの時の彼だ。起動していたカメラが、ぶつかった反動で知らないうちに撮影していたらしかった。

(……思い出したら、ドキドキしてきたや。変なの)

 あたしがこうやって、両手でしっかり持たないと落としそうになるスマホ。彼の大きな手のひらは易々と掴んでいた。指も、長かったように思う。男の人の手。

 優しくて親切で、でも少しだけ失礼な、声の掠れた塩顔さん。爽やかに笑う人。

「OK, search. あの人は誰?」

 ぴこん。

〈まだその情報はありません。誰を彼氏として登録しますか〉

「OK, search. 彼の名前は?」

 ぴこん。

〈まだその情報はありません。誰を彼氏として登録しますか〉

「OK, search. また会える?」

 ぴこん。

〈聞き取れなかったため、操作を終了します〉

 あんまりにもバカみたいな自分の行動にため息をついた。何してるんだろう。でも知りたい。初めて『花とミチル』を読んだ時みたいに、胸が高鳴って仕方ないんだ。

 数分にも満たないわずかな時間。ほんの少し交わした言葉。たったそれだけで、まるで心が拐われてしまったみたいだった。

「OK, searchぃ……」

 教えてよ、文明の利器。

 この気持ちは恋なのかを。

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恋は落つもの満つるもの 藤咲 沙久 @saku_fujisaki

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