ボクの朝のルーティン

一帆

第1話



 じりじりじりっ………


 控えめにけれどしつこく目覚ましの音がする。ボクは大きく伸びをすると、枕元にあるスマホを手に取る。スマホに手を伸ばしたせいで、枕もとにあった『銀河鉄道の夜』が滑り落ちていく。ボクは、寝ぼけた頭で無料のコミュニケーションアプリを起動する。そして、君に言葉を送る。


 『ああ、りんどうの花が咲いている。もうすっかり秋だねえ』*


 既読はつかない。ボクは肌寒くなりはじめた朝にふるっと震える。近くにあるガウンをひっかけて、珈琲を入れに台所へいく。寝ぼけているから、朝は珈琲豆はひかない。冷凍庫から珈琲粉を取り出す。今日は、花巻の小さな自家焙煎珈琲豆の店のもの。ネットで見つけた時ボクは嬉しくなって、即決で取り寄せた。花巻には君との想い出がある。二人、子どものようにはしゃいで泊ったSLホテル。夜、牧場の天体観測ドームで見た、アルビレオ。確かに青宝玉サファイア黄玉トパーズのようだと、君の嬉しそうな顔を思いだして、ボクは小さく笑った。


 しゅんしゅん……しゅん……


 口の細い薬缶やかんが微か震えながら音を立てる。ボクは、ガスの火をとめて、薬缶を手に持った。用意しておいた珈琲フィルターにそっとお湯をそそぐ。それから、ゆっくりと十数えてから、渦を描くようにお湯を注ぎ、珈琲を淹れる。ふわっと部屋中に珈琲の香りが漂う。


 「ボクはこの瞬間が好きなんだ。君は、インスタントコーヒーでも一緒だって言ったけどね」


 ボクはスマホを見る。既読はつかない。


 星のような形をした紫色の竜胆りんどうの花がテーブルの上で恥ずかしそうに揺れている。昨日、帰りがけ花屋さんの店先で見つけた。君が好きだった花。カムパネルラが銀河鉄道の線路のへりに見つけた花。さっき、スマホに入れた言葉は、その時のカムパネルラの台詞だ。


 「君のために買ったんだよ」


 ボクはスマホを見る。既読はつかない。


 当たり前だ。ボクが送った相手は、眠り続けているのだから。

 でも……、とボクは思う。ボクがスマホに打った言葉は電波になり、空間を飛んでいく。それは、きっと、病院にいる君のところにも届いているに違いない。だから、君に取り付けられているたくさんの機械にボクの言葉だった電波が入り込んで、何らかの拍子にボクの言葉が彼の心に届くんじゃないかって、ファンタジー作家も顔負けの妄想を膨らませてみる。


 「今時の小学生でも妄想しないことくらいわかっているよ」

 

 ボクはスマホを見る。既読はつかない。


 珈琲を胃に入れると、身体がやっと目を覚ます。ボクは、テーブルの上にある苹果りんごを手に取る。かりっとかじると果汁が口の中に広がる。


 「苹果と珈琲、やっぱり合うとボクは思う。君は信じなかったけれど、ちゃんとレシピだってネットにのっているよ」


 ボクはスマホを見る。既読はつかない。


 そりゃ、ボクだって、君がボクの言葉を受け取るのは銀河鉄道に乗れる確率よりも低いことくらい知っている。でも、銀河のお祭りにカンパネルラと一緒に行けなかったジョバンニのように、ボクは君のところには行けない。眠り続ける君の目の前で君の家族を悲しませることはできないから。……だから、せめて言葉だけでも届いてほしいと願うのは、神様だって許してくれるはずだ。


 毎朝、君の好きな『銀河鉄道の夜』の言葉をスマホに打ち込む。誰が見ても傷つかないように、ボクの想いをカモフラージュさせて。






 ◇


  じりじりじりっ………


 目覚ましの音がする。ボクは大きく伸びをすると、枕元にあるスマホを手に取り、文字を打つ。


『ボクもあんな大きな闇の中だってこわくない』*


 いつものように既読はつかない。


 「今日は、君が好きなコナを淹れよう」


 ボクは冷凍庫から珈琲粉を取り出す。ハワイに行って南十字星サザンクロスを見ようねと約束したのに、その約束はまだ果たされていない。いつものように珈琲をゆっくりと淹れる。


 ボクはスマホを見る。既読はつか……。


 


 いつものボクの朝がひっくり返る。


 ボクの言葉の隣にの小さな文字が目に飛び込んでくる。ボクは手にしていた珈琲を零してしまった。手が震える。スマホをじっと見つめる。。


『おはよう』


 ―― えっ???


 向こうから言葉が届く。まさかという気持ちと、もしかしたらという気持ちがまぜこぜになって交錯する。ボクは震える手で、スマホに入力する。


『おはよう』


 返事は来ない代わりに、ピロピロっとスマホの着信音がなる。今、使っているコミュニケーションアプリには通話機能もついていた。文章を書くより直接話したいと思ったんだろう。ボクの心臓は耳のそばでバクバクとなりはじめる。


『もしもし』


 通話先の声は、すこしバリトンがきいた声。

いつも聞いていた君の声に似ているけれど、微かに違う。なんていうかな。君にしては落ち着きすぎてる? ちょっとだけ老けてる? 期待と疑惑がマーブルのように混ざってボクの中で渦巻く。

 

 ボクは、スマホから零れる音を聞き漏らさまいと息をひそめる。


『ジャンニ君でまちがっていないかい?』


 その人は遠慮がちに、でも確信をもって、ボクを呼ぶ。ボクは、がっくりと肩を落した。期待していた君ではないことが決定的に分かったから……。

 

『……は……ぃ』


 ボクは口の中の水分をすべて持っていかれたようなかすれ声しか出せなかった。


『そう。よかった。弟がいつも世話になっていたね』


 ―― どうりで似ていると思ったよ。君のお兄さんだったんだ。


 老けたと思ったのはある意味正解だったんじゃないかと、関係ないことを考える。でも、次のお兄さんの言葉でボクの心はさらに打ちのめされた。


裕紀ゆうきから君への伝言がある』

『……そ……ぅ』

『石炭袋のむこうで待っている』


 でも、ボクは、泣くわけにはいかないから、スマホを持っていない手をきつくきつく握りしめる。うっすら血がにじんでいるけど、痛みは感じなかった。


『明日、裕紀の好きな竜胆りんどうを持って、病室に来て欲しい』

『……で……も……』

『父さんと母さんには話してある。さくらも納得している。多分、もう……』


 さくらと言うのは君の大切なお嫁さん。長い髪がとても綺麗で、優しい目をした可愛い人。ボクがどうやっても手に入れられない椅子をあっさりと手にした人……。


『だから、ジャンニ君、君にも……』

『お断りします』


 ボクは、自分が思っている以上のしっかりとした声がでた。よかった。まだ、ボクの中の平常心は残っている。ボクは、今度は自分の腕に爪を立てる。


 ―― 震える声、震えるな!!


『ゆ、裕紀先輩は、ご家族思いのとてもいい先輩でした。とても尊敬していました。でも、ボクが理由はありません。……ボクには、さっきの伝言だけで十分です』

『しかし、それでは……』

『もう、十分なことをしていただきました。ありがとうございます。失礼します』


 ボクは半ば一方的に通話を終了した。そうでもしないと、泣き叫んでしまいそうだったから。






 一人ベッドで泣いていると、握りしめていたスマホがキラキラと金剛石こんごうせきのように光りだした。そして、ボクが知っている優しい君の声が耳に届く。


 『ちゃんと、ジャンニの言葉は届いていたよ』

 『竜胆をジャンニと見てみたかった』

 『ジャンニ、君はみんなのさいわいを探しに行く決心がついたんだよ。だから石炭袋の闇も怖くなくなったんだね。だから、僕は石炭袋の向こう側で君を待っている。ずっと一緒にいるよ。僕の大事な大事な……』


                         おしまい




*宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』より引用しました。


『銀河鉄道の夜』へのオマージュの気持ちをこめて。一帆





 


 

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ボクの朝のルーティン 一帆 @kazuho21

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