そうして今日も目が覚める
Planet_Rana
★そうして今日も目が覚める
ばくつく心臓の音で目覚めた6時。起床を予定していた時刻にはあと1時間早いが起きてしまったものは仕方がない。目覚まし時計を止めて身体を起こすと朝日が昇り始めて空を赤らめている。カーテンの裾から零れた赤色がやけに鮮やかに思えた。古くなった寝間着替わりの丸襟シャツとカーゴパンツをそのままに誰もいない台所へと立つ。一人きりで暮らしている月3万のワンルームはロフト付きとはいえ物を買いこんでしまう自分には少々狭いように思っていた。学び舎がある都心に近いほどに高くなる家賃と、場所をとる冷蔵庫と洗濯機、風呂とトイレは意地で分かれている場所を選んだが、そのせいで水場が恐ろしく狭い部屋なのだ。建物に対して間取りには随分と余裕があるのに壁にはクローゼットや箪笥収納の一つも備え付けられてはいない。そういう訳でなけなしのバイト代から捻出した微々たる予算を使用して1つのカラーボックスを部屋の隅に設置している。床の上に口をぽかんと開けて横倒しにされた薄茶色いそれに、まさか某漫画の様に湯水を張ってラーメンを作ろうとするわけがないのだが、取り敢えず5日着回せるだけの服と、学業に必要な教科書やファイルなどを保管している。なんなら汗水流して働いたあげく頂いた微々たる雀の涙な
そこで、目が覚めた。欠伸をして伸びをする。妙にリアルな夢であったように思う。口に含んだ卵の味もトマトの風味も残ってはおらず鼻を抜けるように爽やかなものだ。頭痛は酷く、やはり気圧が悪いのだろう、外からは雨の匂いがした。鳴る筈だった目覚まし時計は倒れてしまっていて、どうやら布団の上に落ちたことでサイレントモードになっていたらしい。慌てて机に戻せば元通り、止められていた振り子が甲高いベル音を奏で始めた。昨夜は疲れていたからか仕事で使ったシャツとズボンをそのままに寝てしまったのだろう、その割にしっかりと毛布をかぶっていた辺り自分の根性も捨てたものではないかもしれないと思いつつ、ふらつく身体に鞭打って朝食の支度を始める。夢の中で頭痛がしていたのは現実で頭が割れる程の痛みを脳内が発していたからだった。この片頭痛の対処法は気圧の急激な変化をどうにか克服するというところに過ぎると考えられるが、気圧耳栓なんて高価なものを買うほど苦学生の財布のひもは緩くない。油をしっかり引いて焼いた卵は、何故か酷く乾いていた。夜に焚いた筈のご飯は少し食べられていて、昨日の夜多く焚き過ぎてしまったのを持ち越したんだっけか、記憶が曖昧だ。ふらつきが抑えられずに台所の床に座り込む。頭が揺れている。目眩まで来るのか、痛みだけで十分だというのに。風呂を上がる前にしっかりとトリートメントを落とさなかったのか頭皮は随分とべたついているし、手が真っ黒になってしまった。こんなに汚れるまで頭を洗っていなかっただろうか。どうにか床を這うようにして風呂場へ辿り着いたので、内側から鍵を入れて水を出した。冷やすのは逆効果かも知れないが、この鼻に衝く臭いを流すには十分じゃあなかろうか。けれども身体の震えは止まらないし、今日はどうやら学業も休んだ方が良さそうである。転寝をしながらシャワーのカランを回して、足元に注意しながら部屋に戻る。すると、びゅああああ、と風が吹き抜けた。目の前にモノクロの紙幣と小銭。舞い上がったそれらの一枚が顔に張り付く。剥がすと、少しだけ汚れてしまっていた。風が吹き抜ける原因はこのワンルームがある建物の立地もあるが、建物の正面に遮るものがないという事が理由かもしれない。そもそも夜は寝る前に窓を閉めるようにしているのだが、どうやら開けたままにしていたようだ。痛む頭を抑えながら、ようやく色づき始めた世界でカーテンを横にひく。赤い赤い光が差し込んで、自分の境界が滲んで混ざっていくように思えた。風で舞い上がったお札を集めていると、部屋の角に揃えて積まれている封筒が目に入った。どうやらこの上に積まれていた数千円と封筒に見覚えがある。何を隠そう自分が血涙を流しながら働き得た生活資金だ、しかしどうして、カラーボックスの奥に置いていたこれらが向かい側の壁に揃えて置かれているのだろうか。ぽたりと滴った水に、自分の色が混ざった。手を見てみればどういう訳か赤い。おかしい。首を傾げるとまた滴った。借りもの故に汚してはいけない床に、赤が落ちる。封筒はしっかり揃えて置かれていた。小銭は積まれている。どんどんどんどんどんどんどんどん。太鼓が心臓に響くように、目の前の壁から轟音が響いたような気がした。
そこで、目が覚めた。正確には手放した意識を取り戻した。がやがやと喧しい棺桶のような白いポッドの中で轟音を聞かされていたらしい。病院である。話を聞けば我が家は強盗に入られたらしい。外出前に鍵を開けて部屋の中に戻った自分を襲ったのだろうという事だった。つまるところぬめぬめして落ち着かなかったのは自分の頭皮についた傷口だったのである。いつの時代も人が怖いのは変わらないことだ。しかし、話を聞く限り部屋の中から盗まれた物は無く、自分の外傷も頭部を殴られた一カ所のみだった。傷は浅く、数日で退院できる旨を聞きながら、一銭も盗られず戻って来た貯金のことが気になった。気になると言えば、単位を取りそびれた自分は見事に留年することになり半年後に卒業することになるのだが、その後就職に伴って越した住居に荷物を運び終えてふと思い出したことがある。というのも、あの日見た夢やら現実やらが全て現実の出来事だとして、自分の命が助かったのは自分の部屋から聞こえた壁を叩く音に気付いた隣の部屋の住人が119番してくれたからだったのだが、前提として自分に壁を叩いた覚えがない。にも拘らず、目の前で鳴り響いた壁を叩く音は鮮明に覚えていた。だが、あの時目の前にしていた壁の向こうは路地裏に面した角部屋に相応しくペンキが剥がれた直角のコンクリート壁で、人など一人も住んではいなかったのだ。金が積まれていた方の壁は、外側から叩けなかったはずである。自分を襲った誰かの行方は未だ知れず、見つかっても捕まってもいないという話が心の中に小骨のように引っかかって、壁を強く叩く振動がまだ心臓に残っている気がしたけれども嫌な気分ではない。妙な体調になる訳でも無い。
そうして今日も目が覚める。
そうして今日も目が覚める Planet_Rana @Planet_Rana
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