仮面都市

koumoto

仮面都市

 木曜日は猩々しょうじょう。金曜日は蝉丸せみまる。土曜日は若女わかおんな

 きょうは日曜日。般若はんにゃの面をつけて、私は家を出る。顔のない休日を祝しながら。

 図書館に向かうため、バス停で待つ。私の他にも、数人の人間がバスを待っている。般若、般若、般若。みんな般若の面をつけている。二本の角を持ち、憎悪をたぎらせる険しい顔つきをした鬼女の面。

 いや、みんなではなかった。母親らしき人間と手をつないだ子どもは、仮面をつけていない。十三歳未満の児童は、仮面の着用義務を免除されているからだ。代わりに、衛生用のマスクで口と鼻だけを覆っている。上半分だけとはいえ、素顔は新鮮な風景だった。大人はみんな仮面をつけている。子どもが振り返り、私と眼が合った。くりくりした眼をしている。仮面に囲まれても、怯えたりはしていない。泣きわめく子どもも、たまにはいるけれど。

 バスに乗る。乗客はみな、般若、般若、般若。男性らしき人間も、女性らしき人間も、老いも若きも、般若、般若、般若。私はこころに安らぎを覚えた。般若という言葉は、サンスクリット語で智慧を意味するそうだ。鬼女にあふれる日常は、存外に理性的なものなのだろう。

 席に座り、窓外の景色を眺める。通りすぎていく風景。道行く般若たちの面々が、きょうが日曜日であることを実感させる。犬の散歩をしている般若。横断歩道を渡る般若。ベンチに座っている般若。街には顔がなく、心地のいい匿名性が春の日差しにたゆたっていた。

 バスを降りて、私は図書館へ歩く。と。

「すみません。少しだけ、お時間よろしいですか?」

 ぶしつけに、見知らぬ般若から声をかけられた。男だ。余所者だろう。仮面をつけていてもわかる。この街の人間は、そんな風に声をかけたりはしない。

「観光ですか?」

 私は目の前に立ちふさがる般若に、煩わしさを覚えながらも訊ねてみた。

「え? いえ、取材をしている者ですが。……なぜ、観光客だと?」

「この街の人ではなさそうですから」

「同じ仮面をつけているのに、わかるのですか?」

「わかりますよ」

 余所者はすぐにわかる。人格を摩耗させていない、情動の悪臭がただよう挙措は、隠そうとしても隠しきれない。端的に言って、目障めざわりなのだ。

「そうですか……。いえね、実は私、雑誌に寄稿しているライターなんですけど。この街に住む人たちに、仮面を義務づけられた都市生活について、アンケートをお願いしているのですが」

「アンケート?」

「ええ、こういうものです」

 男に手渡された紙をざっと読んでみる。そこにはいくつもの質問が並べられていた。仮面をつけていて不便なことはないか、夏は暑苦しくないのか、というような穏当な質問から始まり、性交の際に仮面は外すのか、といった下世話な質問を交えつつ、あなたはなぜこの街に住んでいるのか、という、まるでそれが悪いことでもあるかのような、非難のようにもとれる質問で終わっていた。

 うんざりする。この街が仮面を選択した時から、興味本位の輩は跡を絶たない。

 感染症の蔓延や災害の頻発など、度重なる有事の際に、なんらの有効な働きも見せられなかった中央集権的統治システムが、相次ぐスキャンダルと腐敗と内紛と告発と暴動によって空中分解を遂げてから、ずいぶん経つ。地方の裁量権は爆発的に拡大し、自治体の権威はとめどなく膨らみ、そしてこの街は、仮面を選んだのだ。

「悪いんですけど、そういうのはお断りしています」

 私はアンケートを突き返した。

「そうですか……。しかし、個人的にも気になるんですよ。なぜ、仮面なのですか? こんなに不自然な生活様式を、なぜ自分から選んだのですか?」

 断ると告げたはずなのに、そのライターを名乗る般若は、口頭で質問をぶつけてくる。殊勝なことだ。うっとうしい。

「選んだというより、選ばされたというか。他に選択の余地がなかっただけです」

「どういうことですか?」

 どういうこともクソもない。

「感情に疲れたんですよ、私たちは。その表出に。貼りついているだけの笑顔には、なんの情報量も温情も含まれてはいません。だったら、仮面の方がマシですよ」

「ずいぶん極端ですね」

「外の人たちのあいだでは、相変わらず私たちは珍獣扱いですか」

「いえ、そういうわけでは……」

「この街は、あらゆるコミュニケーションを苦痛に感じる人間たちの、駆け込み寺みたいなものです。修道院かな。ベギン会とかって、ご存知ですか?」

「ベギン会?」

「知らないならいいです。私は、仮面をつけた日常に満足しています」

「だって、不便でしょう? 飲食店はどこも狭い個室だけだし、公共の場で外したら、罰則まであるのでしょう?」

「例外もありますよ。やむを得ぬ場合や、仕事に差しつかえがある場合など。たとえば、バスの運転手は、視界が制限されますから、仮面をつけてはいません。それに子どももね」

「恋愛なんかは? 顔も見せずに付き合うのですか?」

「平安時代は、顔も見せずに和歌で交流したそうじゃないですか。伝統回帰も、たまにはいいものでしょう」

 そもそも、恋愛の必要を感じない人間ばかりだろうが。

「仮面の生活に、抵抗を感じることはないのですか?」

 なおも余所者の般若は、しつこく食い下がってくる。

「昔、感染症が広がり始めた時に、マスクをつける習慣が全国的にすぐさま根づいたじゃないですか。あれとほとんど同じですよ。慣れです」

「マスクと仮面では、ずいぶん違うでしょう」

「同じことです。マスクという英語は、仮面のことでしょう? ほら、やっぱり同じじゃないですか」

「しかし……」

 これ以上、余所者の戯言に付き合うつもりはなかった。わからない人間には、どれだけ説明してもわからない。

「それじゃあ、さよなら。暇じゃないので」

 私はそう言い残して、余所者の前から立ち去った。

 図書館に着き、調べものをする。それが終わると、趣味の読書に耽った。神学に関連した本をぱらぱらとめくり、春らしい眠気に時にまどろみ、司書の般若に本をリクエストしたりして、休日の午後をこころ穏やかに過ごした。

 日が傾き、私は図書館を出てからぶらぶらと歩き、古びたゲームセンターに立ち寄った。孤独に黙々と不毛な遊戯に打ち込む般若たちに交じって、私もひとりで黙々とリズムゲームに耽溺した。テレビや群衆の騒音は耐え難かったのに、ゲームセンターの騒音は、私になぜか安らぎを与えた。図書館の静寂と同じくらいに。どちらの空間にも、匿名性の歓びが潜んでいるように思われた。

 昼食は食べなかった。食事なんていくら抜いてもいい。私は食事が嫌いだった。人間の欲求のうちで、私が肯定できるのは睡眠欲だけだ。食欲も性欲も嫌いだった。

 日が落ちた。バスに乗って、帰路につく。乗客は私も含めて、般若、般若、般若。仮面のオンパレード。私が座った席から、運転手の後頭部が見える。運転手は仮面をつけていない。でも、顔を持っているとは限らない。あの運転手に、顔はあるだろうか?

 家から少し離れたバス停で降りることにした。今夜は、歩きたい気分だった。降りる時、運転手の顔を一瞥いちべつした。衛生用マスクをつけた、ありふれた顔があった。仮面よりもなにも語らない顔。予想は外れたようだった。私はバスを降りた。

 夜道を歩く。街灯の下で、ときどき仮面をつけた人間とすれ違う。闇のなかを、般若がしずしずと迫り、遠のいていく。街の外の人間なら、恐怖をおぼえる光景かもしれない。だがこの街では逆だ。素顔こそが忌むべきものなのだ。

 しかしこの街にも、夜に巣食う卑劣な暴漢は存在するらしい。仮面を剥がされ、辱しめを受けてから殺されたという、痛ましいニュースがあったばかりだ。うんざりする。他人に触れたいなんて欲望を持つ人間は、この街に来ないでほしい。なぜ、女というだけで、そんな危険と隣り合わせに生きなければならないのか。でも、この街では、少なくともひとつの義務からは解放される。感情の表出の義務。浮かべたくもない笑顔を駆逐できる安らぎ。

 夜風が快い。風に触れるためだけになら、仮面を外しても悪くないかもしれない。しかし外さない。私は仮面を外さない。もしも性交する機会があっても、私は仮面を外さないだろう。他人に顔を見せる神経が理解できない。他人と交わりたいという神経も理解できない。

 扉を開けて、私は自分のねぐらへと帰り着いた。ベッドに座る。他者のいない、私だけの空間。仮面を必要としない、私だけの領域。

 私は般若の面を外した。そのまましばらくぼんやりする。ベッドから立ち上がり、洗面所へと向かう。

 鏡を見た。私の顔。仮面の下の顔。そこには、なにもなかった。なにも映っていなかった。眼もなく、眉もなく、鼻もなく、口もない。首の上に、ぽっかりと穴があいていた。それだけ。なにもない。

 私は顔のないまま笑った。私には素顔がない。それがとてもありがたかった。なにも愛さずに、この世界と訣別けつべつできるから。愛にあたいするものは、この世界にはなにもないから。

 私が死んだら、仮面のまま荼毘だびに付してほしい。

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