キセキのチャンスは一度だけ
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第1話 キセキのチャンスは一度だけ
宮下えりかは、この春無事に第一志望の高校に合格した。
地域随一の難関校で、えりかには手が届かないと思われていたが、両親がえりかにささやいた一言が、えりかに力を与えた。
『もしえりかが合格したら、スマホを買ってあげるからね』
高校合格を果たした翌日、えりかは早速母親とともに携帯ショップを訪れ、ショーケースに並んだ色とりどりのスマホをじっくりと見定めた。
「ねえお母さん、私、この機種がいいな」
「え?どれどれ?」
えりかが指さしたのは、ショーケースの片隅に置かれた紫色のダイヤ柄のスマホで、女子高生には似合わない大人っぽいデザインだった。
「え?これ?あんたには似合わないんじゃない?」
「いいの!だって私の合格祝いなんでしょ?店員さん、私、この機種にします」
すると、店員はにこやかな顔で機種を手に取り、使い方について説明を始めた。
「あ、そうそう、当社製品ではこの機種だけにしか付いていないアプリ「キセキ」があるんです。もし良かったら使ってみてくださいね」
そう言うと、店員は数字の「3」「6」「9」「6」を押した。
「この番号は、あなただけのシークレットナンバーです。このアプリは、この機種1台につき1回しか使えません。アプリを立ち上げたら、この番号を入力し、その後にあなたの電話番号、そして奇跡を起こして欲しい人の電話番号を押して、その後でメッセージを録音します。すると、あなたとその人の間にあっと驚く奇跡がおこります」
そういうと、店員はにこやかな顔でスマホを丁寧に箱の中に入れ、えりかに手渡した。
「このスマホを持っている間、あなたに素敵な奇跡がおこりますように」
「は、はあ……」
えりかと母親は、お互いに顔を見合わせながら店員の謎めいた言葉に首を傾げていた。
自宅に帰ると、えりかは早速スマホを使いこなしていた。
食事中も、箸を動かしながら片手でスマホを見続け、居間で家族と一緒にテレビを見ている時も、時々スマホに目を移してはLINEや動画サイトをチェックしていた。
その様子を見た両親は、半ば呆れつつも、楽しそうに指を動かしているえりかを温かい目で見守っていた。
「あなた、えりかがすごく楽しそうね」
「ああ、スマホが欲しい一心でここまで必死に受験勉強してきたんだからな。問題は、スマホに嵌りすぎて高校に入ってから勉強しなくなるかもしれない所だな」
「それよ。私もそれを心配してるのよ」
案の定、両親の悪い予感は当たってしまった。
高校に通い始め、クラスの友達とLINEのアドレスを教え合い、暇さえあればLINEでトークをしていた。
そして迎えた最初の中間試験、えりかはどの教科も思うように点を取れず、クラスはおろか学年でも最下位に近い結果となった。
「ごめんね、お母さん」
家に帰って早々、えりかは両親の前で申し訳なさそうに頭を下げると、母親は突然鬼のような形相で、えりかの額に指を突き立てた。
「今度の期末試験、もし今回と同じかそれ以下の成績だったら、スマホは没収するからね。その後は高校三年間、ガラケーで我慢しなさい」
最後通牒とも言える母親の言葉に、えりかは何も言い返せなかった。
成績が悪いのはほかならぬ自分の責任だし、それを覆すには、自分の力で見返すしか方法が無かった。
翌日から、えりかは人が変わったかのように勉強を始めた。
授業が終わると学校の図書館に入り、夕焼けで西の空が染まる頃までずっと勉強を続けた。その間にLINEのメッセージが届いても、全く見向きもしなかった。
一学期も後半に入ると、部活を引退した三年生が続々と図書館に集まり始めた。
えりかが授業を終えて図書館に来る頃には、三年生は既に机を占拠していた。
勉強したくても、席が見つからず困惑し、諦めて図書館から出て行こうとしていたその時、後ろからえりかの肩を叩き、呼び止める男子生徒の声が聞こえた。
「どうしたの?席、見つからないの?」
えりかが後ろを振り向くと、そこには坊主頭でニキビ面の男子学生が立っていた。
「そう……ですけど」
「俺の席、使いなよ。俺はこれからまた部活に行かなくちゃいけないんだ」
「そ、そんな!折角確保した席なんですから、使ってくださいよ」
「いや、良いんだ、さ、今片付けも終わったし、どうぞ使ってくれ。じゃあな!」
そう言うと、男子学生は手を振って図書室を出て行った。
えりかは空いた席に腰を掛け、参考書を広げた。
「いいのかな?あの人」
その時、窓の外からは野球部が大きな掛け声を上げながら守備練習をしていた。
そこには、ついさっきえりかに席を譲ってくれた男子生徒の姿があった。
「あの人、野球部だったんだ」
さっきまで静かに勉強していた同一人物とは思えない位、大声を出して全力疾走でボールを追いかけていた。
翌日も、男子生徒は図書館に来ていた。
そして、えりかの姿を見ると、手招きして席を譲ってくれた。
その次の日も、その次の週も。
そんなことが続くうちに、えりかは、次第に男子生徒の存在が気になるようになった。
期末試験を目前に控えた日、いつものように図書館に入ろうとしたえりかの前に、男子生徒がにこやかに手を振って立っていた。
「よう、これから勉強か?明日試験だもんな。がんばれよ。あ、席は空いてるから、大丈夫だぞ」
そう言い残してそそくさとグラウンドに向かおうとする男子生徒の背中を、えりかは大声で呼び止めた。
「あの……どうして、私なんかのために席を!?」
しかし男子生徒はえりかの問いかけには答えず、半分だけえりかの方を向くと、照れ臭そうに答えた。
「これから俺、野球の県大会で図書館にあまり来れなくなるからさ。友達に話して、君のために席を確保するよう話しとくから。これ、俺のスマホの電話番号とLINEアドレスだけど、君が図書館に行く前に、メッセージを送ってほしい」
そう言うと、男子生徒は鞄からノートを取り出し、電話番号とアドレスを書きなぐると、ちぎってえりかに渡した、
「あ、ありがとうございます」
「じゃあな。俺も甲子園目指して頑張るから、君も試験、がんばるんだぞ」
男子生徒は片手を握りしめガッツポーズを見せると、その場を去っていった。
電話番号とアドレスの書かれたノートの切れ端には、走り書きで「下島哲平」という名前が書かれていた。
その時えりかは、スマホに搭載されたアプリ「キセキ」を使って、願い事をしようと心に決めた。
えりかはスマホを取り出すと、「キセキ」を立ち上げ、店員から教わった番号、自分の電話番号、そして哲平の電話番号を入れた。
すると、スマホから女性の声でアナウンスが流れた。
「これから、入力した電話番号の相手の方に向けたメッセージを、1分以内でお話ください」
えりかは、これでせっかく与えられたチャンスを使い果たすことにとまどいを感じながらも、ゆっくりとした口調でメッセージを吹き込んだ。
「下島哲平さんの夢が、叶いますように」
■■■■
期末試験期間が終わったえりかは、結果表を手に、急ぎ足で自宅へと戻った。
「あら、えりか。どうしたの?気持ち悪いぐらいに顔がニヤけてるけど」
えりかはニヤリと笑うと、母親にそっと結果表を見せた。
「すごい!どうしたのあんた?学年15位って……」
「でしょ?こないだは限りなく最下位に近かったけど、一気に200位もジャンプアップしちゃった」
「まあ、あとはこれを維持できるかだね。とりあえず、今回はスマホ没収、無しってことで」
「ありがと!お母さん、大好き!」
えりかは母親の前で両手でVサインを出すと、スマホを片手に学校の野球部グラウンドに向かった。
今日は高校野球の県大会決勝が行われ、哲平のいる野球部は、無事に決勝まで駒を進めてきた。
グラウンドにはすでに部員を送迎するバスが到着し、部員たちが大きなバッグを片手に続々と帰宅している様子であった。
部員たちの表情には一様に険しく、勝利に興奮している様子は見られなかった。
その時、哲平が一人ぽつんと、バッグを背負って部室から出てきた。
「哲平さん!」
えりかが大きな声を上げると、哲平は振り向いた。
その顔には、思い切り泣きはらした後のような涙の跡が残っていた。
「ああ、君か……」
「お疲れ様でした!今日が決勝だったんですよね?」
「まあな。あと1点差まで詰め寄ったんだけど、そのままゲームセット。残念だけど、俺の夢は終わっちゃったよ」
えりかは、哲平の言葉に呆然とした。
「キセキ」に込めたメッセージは、叶うことなく終わってしまった。
えりかは悔しさのあまり、握ったこぶしが震えていた。
「でもさ、俺の夢って、これだけじゃないんだよね」
「はあ?」
「俺、ずっと好きだった人がいてさ。その人といつか一緒になりたいっていう夢があるんだ」
「ど、どういうこと……ですか?」
「俺の好きな人は、君なんだよ。君が図書館に現れた時から君のことが気になっていたんだ」
えりかは突然の告白にたじろいだが、あの時「キセキ」に吹き込んだメッセージのことを思い返した。
「あの時私、「キセキ」に夢の内容をきちんと言わなかったんだ!」
「どうかしたの?」
「いや……」
えりかにとって、哲平はいつの間にか気になる存在になっていた。
ずっと図書館で右往左往していた時、そっと席を空けてくれた時の哲平の優しさ、甲子園出場に向けて精いっぱい努力する雄太の姿は、いつの間にかえりかの心をつかんで離さなかった。
「年下ですけど……こんな私で良かったら」
「あ、ありがとう!俺、すげえ嬉しいよ!ひとつの夢はダメだったけど、もうひとつの夢が叶ってさ」
子どものように喜びを爆発させる哲平を見て、えりかはリスのように口に手を当てて笑った。
そしてえりかは、哲平の手をそっと握りしめた。
「ありがとう。あなたのお蔭で私たちに本当に奇跡が起こったよ」
えりかは小声で、二人の間に奇跡を起こしたスマホを見つめながら、そっとささやいた。
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