「ただいま」と言ってはいけない
井上みなと
第1話 “ただいま”と言ってはいけない
「聞いた? 下の学年の子が“ただいま”言っちゃって、行方知れずになったんだって」
耳の早い権蔵が、真琴と誠一にそう話を切り出した。
しかし、誠一は半信半疑で問い返した。
「行方知れずになったとしても、それが“おかえりおばけ”のところに行ったって、なんでわかるのさ」
「同じ学年の子が聞いていたんだよ。帰りに“おかえりおばけ”を試してみようって話していたの」
「でも、帰りに違うところで行方不明になったのかもしれないじゃない?」
「一緒に行った子が見たんだって。“ただいま”って言った瞬間、消えたのを」
最初はただの噂話かと思って聞いていた真琴だったが、権蔵の話には妙に信憑性があった。
家に帰って師匠である北星に話してみると、北星はその“噂”の基本を確認した。
「“おかえりおばけ”か。“おかえり”という声が聞こえた時に“ただいま”と答えてしまうと、あの世に連れていかれてしまうと」
「みんなはそう言っています。僕の学校の子だけじゃなくて、他の学校の子も行方知れずになってるんですよ」
真琴は話しながらも半信半疑だったが、北星は興味を持った。
「そうか。では、その“おかえりおばけ”が出るという場所に行ってみるとしよう。場所を教えてくれるかい?」
「先生が行っても出てこないですよ」
「なんでだい? 何か出る条件でもあるとか?」
「子供じゃないと“おかえりおばけ”は出てこないそうです。他の組の子の年の離れたお兄さんが、仲間たちと行ってみたけど、出てこなかったとか」
「そうなると……小学生くらいまでの子供が条件か」
翌日。
夕暮れ前の街を歩きながら、北星はぼやいた。
「真琴を連れて来たくはなかったんだが……」
「でも、僕がいないと出ないかもしれないでしょう?」
真琴の見解は多分正確で、北星も反論が出来ない。
仕方なく、連れ立って現場に向かう。
「この柳のあたりだそうです。“おかえり”という声が聞こえるのは」
「柳の下というのは、そういうのがよく出るところだからなぁ」
北星が柳に触れてみる。
「特に柳自体に怪しい気配はないが……」
風に揺れる柳を北星が見ていると、ゆらっとそばにいる真琴が動く気配がした。
「真琴、そばを離れると危ないから」
北星が制止の声をかけるが、真琴は動くのをやめない。
走り出すのではなく、何かをよく見ようとして、近づいていっている感じだった。
「真琴」
もう一度、北星が呼びかける。
真琴の口がゆっくりと開くが、北星の方は見ていない。
「……ァ……ォ」
北星の赤みがかった黒の瞳に警戒の色が浮かぶ。
それは真琴の声ではなかった。
誰もいないはずの場所から、微かに声らしきものがする。
「……ォ……ェ」
(あれは……)
赤くなった北星の眼が、その姿をとらえた。
だが、真琴の口から出たのはまったく違う言葉だった。
「お母さん……?」
「……ォ……ェ」
「うん、た……」
真琴が淡い笑みを浮かべて言いかけた言葉を、北星は口を塞いで防いだ。
「真琴、何をやっている!」
「でも、あれは……」
「よく見なさい。ああ、おまえには見えないか。待ちなさい、見えるようにしてあげるから」
口の中で北星が何かを唱える。
すると、髪をなぜか長く前に垂らした女の人が浮かび上がった。
肌には何かがボコボコしたものがいくつも浮かんでおり、音か言葉かもわからないような微かな声と共にゴリゴリという歯ぎしりの音がした。
「おが……ェ……リ」
それまで真琴には綺麗に聞こえた声が、喉を痛めて枯らしたような男のような気味の悪い声になる。
ただ、真琴はその姿に哀しさを覚えた。
「先生……あの人、自分の子供を探してるのではないでしょうか」
「子供?」
「そうです。それで、もしかして、小学生くらいの子に“おかえり”って言ってるのかも……」
真琴にはその女の人が何かを探しているように見えた。
「話してみれば分かるかもしれません。だから……」
「……」
北星は話し合おうとする真琴を見守った。
汚れた髪を長く垂らした女の人はふらついた足取りで真琴の方に近づいてくる。
「あ、あの……。もしかしてお子さんをお探しなのですか?」
「ォ……」
女の人は一瞬足を止める。
「もし、それなら、あの……何かわかれば、僕、探します」
「ォ……ォ……」
「そうなんですか! もしかして、お子さんって、僕らと同じくらいの年なんですか?」
真琴の問いかけに、女の人がこたえるようにしわがれた手を伸ばし、そして、逆の手をぶんと振り上げた。
「!」
その振り上げた手に鈍く光る刃があると真琴が気づいた時にはもう、北星が真琴を後ろから抱いて、飛びのいていた。
「先生!」
「わかったろう、真琴。ああいう物の怪はおまえのような子供の同情を買おうとする。ほら、避けてなければ、体の一部が胴体とお別れしていたぞ」
鈍く光る刃は、鉈だった。
なぜ、霊に見えるものが鉈を持てるのかよくわからない。
そもそもあれは霊体なのか。
気味の悪い人間なのか。
震える真琴を片腕に抱きながら、北星が突き刺すような視線で、女を見つめた。
「祓え給い、清め給え。神かむながら悪しきより我らを守り給え」
北星が唱えると、女はギィ……っと声を上げた。
「効いているということは物の怪だ。真琴、私の傍を離れるのではないよ」
真琴は真剣な顔で頷き、北星にくっついた。
街中のはずなのに、気づくと誰の気配もない。
なぜか誰も歩いてこない。
異様な状況で頼りは北星のぬくもりだけだった。
「ギィ……ェアアア!!!」
近づけない不満をぶつけるように、女が怒りの声を上げた。
その唇から出る声はもはや人の声ではない。
北星は耳障りな声に眉を顰めながら、手に持った金色の鈴を鳴らした。
「禊ぎ祓い給え、禍事有らむをば、祓へ給え」
鈴の音と共に、北星の透き通った声が周りを浄化するように響く。
「祓え給い。子供を惑わし、くらます、この者を清め給え。暗き闇よりこの者を救い、清め給えと白す事を、聞こしめせと恐み恐みも白す」
最後に鈴を大きく鳴らす。
その途端、女は耳を塞いで、頭を抱え込み、そして……。
「消え……た……」
真琴は何もいなくなった場所を見つめた。
急に周囲が賑やかになった。
橋の向こうからは賑やかな学生の一団が歩いてくる。
後ろからは親と一緒に歩く子供たちの声がした。
「意外にあっさり消えたな。どうやら、大したことのない霊だったようだ」
「あの、先生。行方不明になった子たちは……」
先ほどの鉈を思い出し、真琴が震える。
「あの霊の様子から察するに、子供は捕まえて、霊力にしようとしていたのだと思う。殺したら霊力の元にはならないから、どこかにまとめて隠されているのかもしれない。霊的におかしなところがないか、探してみよう」
真琴と北星は柳のそばにある橋の下に、霊的におかしな部分を見つけ、そこを北星がこじ開けた。
すると、そこには複数の子たちが眠っていた。
北星はその子たちを起こし、歩けることを確認して、家に一人ずつ帰らせた。
次の日。
新聞には『神隠しの子供ら、家に戻る』という文字が載った。
「良かったですね。きちんと帰ることが出来て」
新聞を見てほっとする真琴に、北星は軽くうなずいた。
「親も心配していたことだろうから、無事に帰ることが出来て良かった」
「今回は先生がやる気を出してくれて良かったです」
報酬が出るわけでもなく、普段は怠けることを優先する北星が、今回は興味を持って動いたことを、真琴は意外に思っていた。
北星は新聞の文字に視線を落として言った。
「おまえが連れていかれてしまったら困るからな」
神隠しの話は文明開化の明治の後も、各地で起きている。
神隠しには様々な理由が挙げられるが、その一つにはあやかしの仕業もあったかもしれない。
「ただいま」と言ってはいけない 井上みなと @inoueminato
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