出ノ前館殺人事件

名取

出ノ前館殺人事件



 名探偵は悪食である。この世の遍く謎を食らい、しかし自ら作り出すことはない。後片付けもしない。安楽椅子探偵であれば尚更だ。今日も我らが探偵は、椅子にゆったりと腰かけて、料理なぞが届くのを待っている。


「しかし、退屈な世の中だな」


 探偵は言い、一つ大きな欠伸をする。

「事件は山ほど起こっているが、僕のところに来るまでに、少し時間がかかりすぎる。警察にも事情があるのはわかっているが、さっさとこっちへ寄越してくれればいいのにと思ってしまうな」

「だったらいい手がある。時に君は、いでまえ便利よしのりという男を知っているかい?」

「知らないな。誰なんだ」

 私はタブレットで写真を表示して見せた。

「とある産業で一財産築いた大富豪だよ。彼はかなりのミステリーマニアで、自身のミステリー動画チャンネルを立ち上げ、毎日謎解き配信を行うほどなのだ」

「急に話が現代っぽくなったな」

「我儘言うな。何しろ尺が4,000字しかないんだ、私など名乗りすらしてない。でもミステリーで大事なのは語り手の名前なんかじゃない。そうだろ?」

 ともかく、と私は言う。

「このチャンネルの動画でも見て、退屈を紛らわしたらどうだい?」

「動画ねえ」

「最近私もこのチャンネルを見始めてね。暇つぶしくらいにはなるぞ。それに、部屋にいながらにして生きた謎が届けられるというのは、なかなかどうして面白いじゃないか」

 タブレットで『出ノ前の館』という名前のチャンネルを開くと、ちょうど生配信の途中だった。アンティーク調の書斎をバックに、探偵風の出でたちの紳士・出ノ前氏がニコニコと両手を広げている。


『では諸君、シンキングタイムだ! 今日の推理のお供には、米川珈琲の宅配限定ケーキセットを頼んであるので、リミットはそれが届くまでとしよう!』


 すると、画面の奥でガタンと物音がした。それと同時に、画面が一気に暗くなり、音声のみが聞こえるようになる。

『な、誰だ君は! や、やめろ! 来るな! 来るんじゃない!』

 やがて、誰かが倒れるような音がして、それきり何も聞こえなくなり、配信はぶつりと切れた。

「そんな! なんてことだ。これは……彼は死んでしまったのか?」

「推理するまでもない」

 口元を手で覆う私に、探偵はただ気怠げに、動画を巻き戻すよう促した。

「冒頭の書斎の映像……特に本棚付近だな。家族写真を含めて、娘の写真は数多く飾られているのに、一つも笑顔のものがない。しかも、中学高校までの写真しか見当たらない。この親子の年齢差なら、今頃娘はとっくに成人している頃だし、親が富豪ということは大学に入った可能性も高い。なら入学時の記念写真があってもいいところだ」

「つまり……父を嫌う娘の犯行だと? しかしそれだけじゃ証拠にはならない。感情が表情に出にくいタイプもいるし、憎み合う親子の全てが殺し合うわけじゃない」

 探偵は画面の端を指差す。

「いや違う。一番古い写真には母親が写っていた。なのにそれ以外は父娘だけ。だが指には結婚指輪。そして配信時の服装は、家族写真のものと色合いが酷似している。おそらく彼は妻と娘を愛していたが、娘との関係はうまくいっていなかった。何も虐待をしていたからというわけじゃなく、至極愛のある真っ当な子育てをしていたとしても、年頃の娘を持つ男親にはよくあることだ。そしてそれで脅された。『他殺に見せかけた自殺配信をしなければ、代わりに娘を殺す』という風に」

「脅された? いったい誰に?」

「そこまで言わせる気なのか。尺がないと言ったのは君じゃないか」

「ああ……そうだったね」

 私はため息をついて、動画の画面を閉じる。タブレットの画面一面に、探偵の苦渋の表情が映った。

「なあ——やっぱり事件なぞというのは、お手製に限ると思わないか? 熱も悪意も冷め切った謎なんてのは、凡人共にはいいかもしれないが、君にはとても食わせられるもんじゃない」

「人の命をなんだと思ってるんだ」

「毎度言ってることだが、私にとっては人なんて全部素材なんだよ。君以外はね。君が探偵役をしてくれるなら、誰でも、いくらでも使い続けるさ。警察の奴らによろしく。今回は少しは逆探知が進んだか。次はもっと字数を増やしてもいいぞ。地面に額擦り付けて頼むならな」

 私は椅子に深くもたれた。

 名探偵を光とするなら、私はそこに付き従う影だ。たとえ彼が警察と手を組んで、私の居所を探っているのだとしても、私は謎を届けるのをやめられない。たとえ簡素に成り果てたとしても。利便性に淘汰され、質が粗悪になったとしても。

「もし僕が、このゲームをやめると言ったら?」

「君はやめられないさ。これはそういうゲームだ。私たちの意思なんかでは到底どうすることもできない。起こるべくして事件なぞは起き、解かれるべくして解決する。我々は歯車の一つに過ぎない」

「そんなことはない。やめようと思えば、君はいつでも降りられるはずだ」

「そろそろわかってくれ。君が探偵でい続けるためにこそ、私は存在するんだ」

 通話終了のボタンを押す。探偵と私を繋ぐものはなくなり、部屋は静寂に包まれる。人が死に、それを楽しんだあと、全てが忘れられるのと同じように。私は夕食を作ることにした。古い記憶が確かなら、彼の書いたレシピの本が、棚のどこかにあるはずだった。

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