真夏の夜の後日談

和辻義一

真夏の夜の後日談

 これは、とある人から聞いた話である。


 ある夏の日の夜、その人は田舎の漁港で釣りをしていたそうだ。月明かりが海の水面に反射して、なかなか綺麗だったらしい。


 夏の海は日中だと気温・水温共に高すぎて、魚釣りをするにはあまり適さないらしくて、夕涼みを兼ねて夕方から夜の間に、「電気ウキ釣り」または「ぶっ込み釣り」という釣りをするそうだ。前者は小さくて細長い電池を使って光る「電気ウキ」を使った釣りで、後者は投げ釣りとほぼ同じ仕掛けを使った釣りである。


 かくいう僕も海釣りをたしなむが、僕は電気ウキ釣りが好きだ。夜の闇の中で海面に揺れる小さな光を眺めながら、辺りに響く潮騒の音を聞くのは何とも風情があって良い。ぶっ込み釣りとの違いはこの光の有無だと思うが、まるで初夏の蛍のような光が海面で揺れる様は、一種の幻想的な雰囲気さえ漂わせる。


 話を戻そう。その日の晩、その人がどちらの釣りをしていたのかまでは聞きそびれた。ただ、ある時、幸運にもその人の竿が大きく曲がり、非常に重くて強い手ごたえが釣り竿を通じて感じられたという。


 その人は喜び勇んでぐいと竿をあおってを入れ、必死になってリールのハンドルを回したという。だが、何かの生き物が針にかかった手ごたえは感じられていたのだが、どれだけハンドルを回しても、一向に魚が浮き上がってくる気配がなかったという。


 さすがに何かがおかしいとその人は感じたそうだが、次の瞬間、針が結ばれていた糸がぷつんと切れてしまった。


 どれだけ大きな魚が掛かっていたのだろうか、あるいは掛かったのは大きなエイだったのだろうか……がっかりしながらその人がリールのハンドルを巻いて仕掛けを回収していると、突如として月明かりに照らし出された水面がざわめき、何者かがぬっと姿を現したという。


 それは大きな頭で、ぬらりとした見た目の肌をしていて、大きなよく光る眼をしていたらしい。無表情なその眼がじっとこちらを見つめていて、その人は余りにも突然の出来事にとても恐ろしくなり、仕掛けの回収もそこそこにして辺りにあった釣り道具一式を抱えて、大慌てで釣り場からクルマを停めていた駐車場まで逃げ出したそうだ。


 その人が後で思い返すと、それは人魚のようにも見えたし、半漁人のようにも見えたそうだ。あるいは、全く別の何かの生き物のようにも。


 だが、その人が後日、他の釣り仲間から聞いたところによると、それはおそらく夜の海に出没する密猟者だろうという話になった。伊勢海老やアワビ、ウニ、サザエ、ナマコなどの海産物を、闇夜に紛れて密漁するという話は、特段珍しい話でもないらしい。


 その釣り仲間が言うには、おおむね針に掛かった大物の魚というのも、密猟者の身体のどこかに針が引っかかり、怒った密猟者が自ら糸を切った後で海面に浮上してきたのだろう、という話だった。なるほど、世の中はそういうものなのだろうかと、その話を聞いた時には僕も何となく納得した。


 だが、後日になって僕は別の筋から、興味深いニュースの記事を見つけてしまった。曰く、くだんの人が夜釣りをしていた漁港で、その年の夏に成人男性のものと思われる手首が発見されたという内容だった。


 発見された手首の断面は、まるで何かに食いちぎられたかのようにずたずたになっていたそうで、そのニュース記事においても、被害者は夜間に海産物を密漁していた密猟者ではないかという憶測がなされていたが、不可解だったのはその辺り一帯は比較的水深が浅い海域で、ということだった。


 ちなみに、手を食いちぎられた被害者に関するニュース記事などについては、何も見つからなかった。その被害者が一体どのような目に遭い、どのような結末に至ったのかも、依然として謎のままである。

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