ビーフオアフィッシュ、あるいはホラーオアミステリー

柳なつき

風がびゅうびゅう吹いている

 絶望の結末は避けられたように思えた。

 この物置なら安全なはず。

 私は彼とかたく抱きしめあった。


「ねえ、リンちゃん。どうして、こんなことに、なったんだろうね」


 大好きな彼氏、ミナトが言う。


「そんなこと、言わないでよ。死にたくなる」


 言葉では、そう言ったけど。

 私の気持ちもおんなじだった――どうして、私たちがこんな目に?



 高山のリゾート地。サークルの先輩の親戚が経営していて安く借りられるという、洋館風のホテル。

 私たちはただ大学のサークルの合宿に来ていただけ。

 みんな、楽しみにしていた。私もミナトも一年生で、付き合ってから初めての合宿だし、とても楽しみにしていた。


 それなのに。

 異常なできごとが、次から次へと起こった。

 夕方、ホテルと帰り道を繋ぐ唯一のルートである吊り橋が崩壊してからだ。あのときから、おかしくなった。スマホで緊急通報しても通じない。メッセージアプリも駄目。

 そんなとき初めての悲劇が起こった。三年生の女性の先輩が死んだ――血まみれで、洋館の入り口に倒れていた。サークルメンバーはみんな、すさまじく混乱した。四年生の男性の先輩がみんなを落ち着かせて、洋館にみんなを入れてしっかりと鍵をかけて、とにかく助けを待とうとみんなを落ち着かせた。

 でもその先輩も死んだ。風がびゅうびゅうと吹いてきて洋館がガタガタ揺れて、ちょっと外が安全か様子を見てくると言って出ていったきり戻らなくて、男性のサークルメンバーが三人で連れだって様子を見に行ったら、二階の階段で死んでいた。全身を切り刻まれたような姿で。

 夜になったけど、相変わらず外部と連絡はできないし、助けの来る気配もない。テレビも映らない。固定電話すら使えない。

 みんなで、ひとかたまりになって、広間にいる。絶対にひとりにならないように。みんなでそう決めて、ペアを組んだ。なるべく信用できるひとと組みたかったから、私はミナトと組んだ。

 でもそのあとあっけなく、ふたつのペアが死んだ。ひとつのペアは屋上にある鐘にふたりとも吊るされて、もうひとつのペアは、ひとりは黒こげになって、もうひとりは冷凍庫に詰められて、死んでいた。



 私、もう、やだ――私は叫んで、ミナトの手を取って逃げた。

 リンちゃん待って。駄目だよ、広間でみんなでいなくちゃ。先輩と同級生の声が私の背中を追ってきたけれど、かまわなかった。

 なにか変なことが起きているんだ。風もびゅうびゅう、さっきから酷くなる一方だし。

 もうだれも信用できない!



 そしてふたりで辿り着いたのが、この物置だったのだ。

 洋館のはずれにあって、頑丈で。古いつくりだけれど鍵もあって、しっかりと閉じることができた。外から開けることは、できないはずだ。

 私たちだけは助かる――薄情かもしれないけれど、だってでももう、それしかない。大好きなミナトと、私と。なんとしたって、この異常な夜を生きて乗り切るんだから!



 ミナトは私を抱きしめる腕に、ぎゅっと力を込めた。


「ねえ、リンちゃん。俺、言っておきたいことがあるんだ。キミを、とても驚かせてしまうかもしれないのだけど」

「愛の告白とか、やめてよね」

「ううん。違う。リンちゃんはさ、ビーフオアフィッシュって言われたらどっちを選ぶ?」

「……は?」


 あんまりにも場違いな話題だった。

 でも、もしかしたらミナトは私を落ち着かせるためにわざと雑談をしているのかもしれない。


「それって、飛行機に乗ったときに聞かれる質問?」

「そう。どっちが好き? ちなみに俺は、ビーフが好き」

「ミナトらしい」


 私はちょっと笑ってしまった。


「私は、フィッシュ派かな」

「リンちゃんらしいね。焼き肉行ったって焼き魚頼んだくらいだもんね」

「もう、ミナトもサークルのみんなも、それ言いすぎ!」


 言ってから、ずきりと胸が痛んだ――あの先輩もあの先輩もあの同級生ももうみんなみんなみんな、……いないんだ。死んだんだ。この館で、どうしてか。


「だからねリンちゃん。そういうノリで答えてくれれば、いいんだけどね」


 ミナトは私から少し身体を離すと、私の両肩に手を載せたまま、真剣な表情をした。

 そして――言った。


「まず、ね。俺はやっぱり、この人類は駄目だと思うんだ」

「……え?」

「この星の人類の監視員になって五年。多くの人類サンプルとコミュニケーションを取ってきたけれど、ここの人類は未熟で駄目だと思う。簡単に人を疑い、自分だけ助かればいいって自己中心的な行動を起こす」


 ミナトが、なにを言っているのかわからなかった。

 いつも通りの、穏やかな様子なのに。


「だからこの惑星はディストピア化するって決めたよ。大丈夫、銀河政府の了解も得ている。この惑星の人たちのためなんだ。ディストピア化というのは懲罰と教育を兼ねている」

「……なにを、言っているの」

「でも俺は、個人的にキミのことが好きだ。なんでだろうね、この惑星の人類らしく、人を疑い、自己中心的なのに。感情のエラーだろうか――俺はもうキミのことを愛しく思わずにはいられないんだ」

「……え、なに、ミナト、なんなの」


 ミナトが、再び強く私を抱き締める――でもその体温はもう、さっきみたいにあったかいものとして感じられなかった。むしろ、背筋がぞわぞわとする。


「で、この星のディストピア化の方針は、案がふたつ出ているんだ――ホラーディストピア化か、ミステリーディストピア化だ」

「だから、なにを」

「まあとりあえずこの惑星の人類に数千年は地獄を味わわせないとね、遺伝子レベルでの生物的改善は難しいだろうってことで。まず前者は簡単だね。この世界は全部ホラーの法則、つまり不合理な恐怖が支配する構造になるんだ。優秀な個体ならば武力や知恵を使うことで逃げられるかもしれないけど、まあ少数だろうね。そういう個体がいれば、支配者として更なるホラーを産み出すことができるかもしれない」

「なに、それ、なんの話、さっきから」

「後者はね、少しだけ複雑かな。でもなんてことないよ。つまりこの世界は全部ミステリーの法則、つまり人為的な事件が次々に起こって、復讐や冤罪がいっぱい起こって、殺人事件が毎日当たり前のように身近で起こる構造になる。人類は殺人者と被害者のどちらかに分かれるんだ。ミステリーの法則の場合は、優秀な個体は探偵役になれる。そういう個体は、推理を自由自在に使い分けることによって、やっぱり支配者として美味しい思いをできるだろう。意地の悪い人物が探偵役になれば、更なるミステリーを産み出すことも期待できるね」

「さっきからミナトがなにを言ってるのかわからないってば!」

「俺、さっき言ったよね。どうして、こんなことに、なったのかなって。ごめんね、あれ実はこの星の人類全体への問いかけだったんだ。この星の人類がもっとましなら、俺だってこんな残酷な判断をしなくて済んだんだ。最終的なテストである今回のこのホテルでのできごとも、起こさなくてよかった」

「残酷って、わかってるなら、なに、なんなの、頭おかしくなっちゃったの、私もうぜんぜん何にもわかんない!」

「そうだよね。ごめんね、リンちゃん」


 ミナトは両手を広げた。するとその身体は細かい光の粒に包まれ、さっきまで普通の格好をしていたはずのミナトの服装は、宇宙服のような変な服に変わっていた。なにかを包み込むように両手を差し出すと、この惑星の模型がぼんやりと浮かぶ。数字やら難しそうなデータやらのウィンドウが、モニターもないのに光っていた。

 物置全体にその光が満ちているように見える。

 この世の法則ではありえない現象に、私は、呆然としていた。


「俺は、この惑星を維持させるかどうか、観察に来ていたんだ。こうすれば少しは信用してくれるかな。このあといっしょに宇宙船に乗せて、銀河本部に連れていくこともできるよ。――ただその前に俺の大好きなリンちゃんにはやっぱり選んでほしいんだ。さっきも言ったけど、ほんと、ビーフオアフィッシュみたいなノリでいいんだよ」


 ミナトは、いつも通りのかわいい笑顔を見せる。

 ウィンドウに映像が移った。宇宙人のような――すくなくともこの星の生命体ではない銀色の生物が、なにか、聞いたこともない言葉でミナトに話しかけている。ミナトもその言葉で返事をすると、映像を切って私のほうに向きなおった。


「アドバイスされちゃった。現地人にはもっとわかりやすく伝えろって。でもほんとうにシンプルなことだよ。つまりいまこの瞬間のこの星にはふたつの可能性が同時に存在している。ホラーか、ミステリーか。そのふたつの可能性のどちらになってもいいように、俺も頑張って今日のできごとは調整した」

「だから、だから、なんだっていうの」

「ホラーを選べば、今日のできごとはぜんぶ悪霊か幽霊かゾンビかそういうもののせいになるよ。不合理な恐怖だよね。ミステリーを選べば、今日のできごとはすべて人間が起こしたことになるよ。合理的な悲劇だよね。……ねえ、どっちのほうがこの世界にはふさわしいかな」


 ミナトは、私の大好きな彼氏は、いつも通りに穏やかなのに。


「大好きなリンちゃんに、決めてほしいんだ。ここは歴史の分岐点だよ。そんな大事なことをキミに託す――そんな俺の気持ちも少しは、汲んでほしいな」

「……みんな死んだのよ。その死因を、私が、決めろっていうの」

「違うよ」


 ミナトは、いつも通りに、いつも通りに。


「今後のこの惑星の人類すべての死因と、苦しみの原因を、決めろって言ってるんだよ。ねえ、リンちゃん」


 おどけたように、彼は。


「ホラーオアミステリー?」


 ふふっ、と私の彼氏だったはずのひとは笑った。


 ホラーか、ミステリーか。

 世界がそれだけに支配されるならば、どっちのほうがましか、私は結論をいますぐ出さなければ――このバケモノに、殺されるのかもしれない。


 風がびゅうびゅうと吹いている。

 なにもかもを、まだ信じられないのに。

 この寒気だけは、リアルだった。

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ビーフオアフィッシュ、あるいはホラーオアミステリー 柳なつき @natsuki0710

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