ミギニコロン

来冬 邦子

はじまりは悪夢

「ミギニコロン。ミギニコロン」


 しゃがれた声が耳元で、何度も何度も繰り返す。


「ミギニコロン。ミギニコロン」


 え、なあに? なまあたたかい息が耳朶にかかって気持ち悪い。


「ミギニコロン。ミギニコロン」


 急に怖くなった。あたしの上に屈みこんでいるのは、誰?


「ミギニコロン。ミギニコロン」


「いやああああ!」


 自分の悲鳴で目が覚めた。部屋の中は真っ暗だ。

 枕元に置いたスマホで時間を確かめる。午前二時ちょうど。草木も眠る丑三うしみつつ時だっけ? 背筋を怖気おぞけが駆けあがる。

 イヤな夢見ちゃったー。同じ部屋にはあたしを含めて一年生七人が七通りの寝相で雑魚寝している。窓は開けてあるのに蒸し暑い。昨日から卓球部は夏休み合宿だ。

 ここは高校の合宿所。男女部員二十六人が四室に分かれて雑魚寝している。あたしはかなり大声で叫んだのに誰一人起きてこない。切ない。そして、こんなときに限ってトイレに行きたくなる。あたしは隣で寝ている真由まゆを揺さぶった。


「うう~ん。なあに? もう朝練?」


「ごめん。まだ夜中」


「ええ~。ひどくな~い?」


「トイレ付き合って!」


「ええ~。腹ペコぷんぷん丸~」


「真由、激おこぷんぷん丸でしょ?」


 それでも真由はうとうとしながらついてきてくれた。

 心底恐かったトイレでは何事も起こらず、部屋に戻ったあたしたちは(あたしの希望で)手をつないで寝た。真由はほとんど意識がないのでされるがままだった。



 朝練は六時からだ。爽やかな夏の朝が昨夜の怪異のお陰で、ものすごく眠い。

 軽く柔軟体操をしたら次は走る。高校から1km程先の熊野神社まで走って、高い石段を登って降りて、また走って学校に帰ってくるという過酷なものだった。少なくともあたしには。あたしは走るのが苦手なんだ。涙目で最後尾を走るが、ときどき振り向いて励ましてくれていた仲間たちが一人減り二人減り、ついには誰もいなくなった、と思ったら折り返してきた人たちが口々にあたしを励まして通過してゆく。憧れの男子チーム部長、熊埜御堂くまのみどう先輩も笑ってハイタッチしてくれた。

 でへへへへ。あたしはスキップで石段を上がろうとして転んだ。


 力尽きてヘロヘロと学校に戻ると、みんなもう筋トレに入っていた。


瑞希みずき、大丈夫か?」


 顧問の小出こいで先生が心配顔で迎えてくれた。優しいよう。怒られると思ってたから涙で潤む。朝練の後はお待ちかねの朝ご飯。マネージャーがほとんど支度してくれた。納豆と卵とハムサラダと佃煮と味噌汁と湯気の上がる白米ご飯。白米がこんな旨いなんて、と感動する。

 その後は午前中は卓球。昼食をはさんで午後も卓球。夕ご飯食べたら、やっと自由時間。男子部員と合同で肝試しをすることになった。

 ちょっと冗談キツすぎるよ。肝試しなら昨日やったばっかりだよって口走ったら、みんなが聞かせろと周囲に集まる。聞かない方がいいと思うよと言いつつ、奴らに逃げる暇を与えずに昨日の怪異を多少盛って語ってやった。全員顔色が変わる。ざまあ。ふっふっふ。肝試しは急きょ花火大会に変更になった。どれだけ肝が小さいんだ卓球部。


 三泊四日の合宿が終わり解散したとたんに全員のテンションが上がる。どういう流れなんだか熊野神社に大会の戦勝祈願に行こうぜってことになり、あたしたちは呑気にしゃべりながら歩き出す。

 合宿の三日間はこの石段が憎かったが、のんびり登ってみると風情があって素敵な石段に思える。左右から深い木立に包まれ、見上げる青空が狭い。秘境にきた感じ。

 石段を登りつつ、ふと脇を見ると、切り株の上に小さい素焼きのがちょこんと乗っていた。ちゃんと屋根には千木ちぎがある神明造しんめいづくりのおやしろだった。


「なにこれ、可愛い!」


 たちまち女子がしゃがんで周りを囲む。


御稲荷おいなりさんだね。狐さんがいるよ」


 真由が指差した。たしかにおやしろの前には二つの台座があって、左にはあたしの人差し指くらいの大きさの陶器の白い狐がのっている。


「片っぽしかいないのね」


「片方、どこに行っちゃったんだろう?」


「誰かが持って行っちゃったとか?」


「それは許せない」


「……あのう」


 女子の後ろから手を挙げて発言の許可を求めたのは、一年男子の野蒜のびる君だった。


「どした? 野蒜?」


 三年の玲奈れいな先輩が振り向く。


「スイマセン。合宿初日なんスけど、そこにいた狐、よく見ようと思って……」


 言葉が先細って途切れる。


「それで?」


「つまみ上げたら、落っことしちゃったんス。スイマセン」


「お前かよ!」


 女子全員の声が揃った。


「どこに落としたんだよ?」


「その辺の草むらッス。でも捜したんスけど、見つからなくて……」


「使えない男ー」


「反省しろよ」


「スイマセン。スイマセン」


「それで。野蒜。なんで片目腫れてるの?」


「さっきサッカー部に踏まれました」


「腕の包帯は?」


「陸上部に踏まれました」


 よく見ると野蒜君はあちこち怪我して、かわいそうな状況だった。


「お前、呪われてね?」


 熊埜御堂先輩がつぶやくと、みんなが野蒜君を避けて身を引いた。


 「いやッスー」

 

 人の輪の真ん中で野蒜君が膝から崩れおちた。

 そのとき、あたしの頭の中で閃く光があった。 


 ――右にコロン。


 あたしはお社の右側の草むらをかき分けた。


「どうした? 瑞希」


 熊埜御堂先輩が寄ってきた。


「一昨日の夢で、右にコロンって言われたの、このことじゃないかと思って」


「なるほど、そうか。でもそれなら反対側だろ」


「え? なんで?」


 あたしは先輩の顔を見上げる。   


「そっちは、お前から見たら右だけど、神様から見たら左だろうよ」


「あ、そうか」


 卓球部は切り株の右側(おやしろから見て)の草むらを徹底的に捜した。


「あった!」


 花盛りのタンポポの葉の下に、泥に汚れた狛狐が倒れていた。あたしはタオルで狐をきれいに拭いて台座に乗せた。拍手が起こる。涙目の野蒜君に拝まれた。


 「いいこと、したな。瑞希」


 熊埜御堂先輩の手があたしの頭をポンポンした。

 おおっと。この展開はもしや?

                              <了>

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ミギニコロン 来冬 邦子 @pippiteepa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説