アナグマの時計屋さん

一矢射的

時計職人のカン



 皆さんが住んでいる国から海を二つ渡り、山を四つ越えた所に動物の街がありました。陽光を照り返して水面みなもが輝く湖のほとり、動物たちもまた我々と同じように街を構え、幸せに暮らしていたのでした。

 その街で暮らす動物たちはみな服を着て、靴を履き、買い物をしたり、休みの日には家族と映画に出かけたりもするのです。


 仮に街の名前をミルモハンとしておきましょうか。

 ミルモハンの存在は厳密げんみつに言うと秘密になっており、皆さんの新聞やテレビに流してはいけない約束なのです。ですが、今回は特別にミルモハンの街で起きた些細ささいな出来事をお話してみたいと思います。これは私と貴方だけの秘密です。特別ですよ?


 街の真ん中には王様が住むお城があり、そこから南北東西に四つの大通りが城下町を分断ぶんだんしていました。

 東はオスマイル通り、南はプンガプンガ通り、西はゴシクシク通り、北はワクワクン通りという名前でした。

 それぞれが賑やかな通りですが、中でもゴシクシク通りは職人さんたちが軒先のきさきを並べ生活の基盤を支える重要な場所でした。鍛冶かじ屋さんに洋服の仕立て屋さん、看板屋さんに薬師くすりしの先生、それぞれの技を収めることに生涯をかけた専門家たちが毎日職場で汗を流していました。

 これらのプロたちはみな老いてくると弟子をとり、長年の研さんで修得した技術を誰かに伝える風習でした。自分の発見は商売敵にバレないよう秘密にしておきたいのですが、秘密にしたまま墓に埋めてしまうのはもったいないと考えていました。

 師匠は弟子に修行を課し、その厳しさは思わず泣きそうになってしまうくらいなのです。それで通りの名前に「シクシク」が入っているのだとか。


 さて、そんなゴシクシク通りに一軒の時計屋さんがありました。

 ここは言わずと知れた時計職人の店です。

 そして、この店にも一組の師弟、シマリス師匠とアナグマの弟子が暮らしていました。このシマリス師匠、実は街で誰よりも優秀な時計職人でした。

 なんせ体が小さいので細かい作業はお手の物なのです。

 けれど体力にはまったく自信がなかったので、重い物を運ぶ大雑把おおざっぱな作業は弟子のアナグマに修行と称し押し付けていました。アナグマは内心それを不満に思っていました。


「ちぇ、師匠ときたら教えてくれるのは雑用ばかりじゃないか。職人ならもっと役に立つことを教えてくれないと。まったく頭に乗るくらいちっぽけなんだから、もしや体と同じくらい器も小さいんじゃないかしら」


 アナグマはいつもそんな愚痴をこぼしてばかりでした。

 なんせ同い年のイタチは向かいの鍛冶屋に弟子入りしてもう鍋や鎌が作れるというのですから、あせらずにはいられません。この時計屋では作った時計を売ったり、壊れた時計の修理を引き受けたりしているのですが、どちらもアナグマ一匹ではまだ出来なかったのです。


 それとなく師匠をせかしてみたりもしたものです。


「ねぇねぇ、師匠。時計の修理ってものはどうやるんです? なにかコツはないのですか」

「そうねぇ……時計の修理ってもんはカンでするのさ」

「カ、カン? それはいったい……?」

「慣れてくると一目見ただけでどこがおかしいのか判ってくるからね。大切なのはね、時計の声をよぉーく聴いてやることなんだよ」

「参考になります。(やれやれ、話にならないなぁ)」


 時計屋でもあり、のんびり屋でもある師匠はいつもこんな感じなのでした。

 せっかちなアナグマは気をもんでばかり。


 それでもシマリス師匠の腕前と評判は確かなので、アナグマも店を変えることを思いとどまり、どうにか修行を続けていたのでした。




 そんなある日のことです。

 その日はチラつく粉雪が降っており、朝から客足もまばらでした。

 寒さのせいか風邪をひいてしまったようで師匠もクシャミをしています。

 流石のアナグマもシマリス師匠の具合が心配になりました。


「ねぇ、師匠。もう店は早じまいして、ゆっくり休まれてはどうです? 表は雪が積もっているし、どうせお客さんなんて来やしませんよ」

「そうだねぇ、どうも頭痛がするんだ。薬でも飲んで寝た方がいいかなぁ。じゃあ後はヨロシクね~」


 いつもなら閉店時間をきっちり守るのに、今日ばかりは素直でした。師匠は後片づけを弟子に任せると屋根裏の寝室へと上がっていきました。

 余程体調が悪いのでしょう。

 アナグマも今日ばかりは不平不満をつつしむことにしました。


 ところがです。レジも閉めて残るは表の下げ札を「CLOSED」へと引っくり返すだけだというのに、ガラス戸の向こうに誰かが立っているではありませんか。


 チリチリン。扉の鈴を鳴らしてお客さんが入ってきました。


「ごめん、まだ店はやっているかね?」

「いえその、今日はもう……」

「そうかね? 看板にある閉店時間はまだのようだが。急ぎの仕事なんだ。修理をお願いできないだろうか?」


 有無を言わさぬ強い口調です。

 そのお客さんは、黒いコートを羽織り、山高帽を被ったクマの紳士でした。

 アナグマよりずっと体が大きくて、目つきも怖い客でした。


「この懐中時計をてやってはくれまいか? ネジを巻いても動かないんだ」

生憎あいにくと、今は店長が不在でして」

「君がいるじゃないか。ここの店長にはよく診てもらっているが、このくらいの故障ならすぐ直るはずだよ? 明日の朝にはこの街を出発しなければならないんだ。それまでに何とか頼むよ」


 クマはドンドンと手にしたステッキで床を突きました。

 何やら切羽詰せっぱつまった様子です。それに師匠はアナグマに「任せる」と言ったではありませんか。不肖ふしょうの弟子だってそれなりのプライドがあります。

 アナグマは思い切って引き受けることにしました。


「わ、わかりました。明日の朝までには何とか」

「うむ、頼むよ。今から旅行の準備があるんでね、ではまた明朝みょうちょうに」


 お客さんが帰った後で、夕立の黒雲みたいにジワジワと不安が広がっていきます。

 勝手に仕事を受けてしまうなんて、もし出来なかったらどうするのでしょう?

 師匠は何にも知らずに薬を飲んで寝ています。たたき起こすなんてとても出来ません。


「いいや、こんなんだから僕はいつまで経っても半人前なんだ! しっかりしろ!」


 勇気を持って引き受けた懐中時計を作業台へと置きました。

 そうそう、一応は師匠の教えを守り時計の声に耳を傾けてみます。


「もしもし、時計さん? いったいどこの具合が悪いって言うんです?」


 耳をすませた所で、もちろん答えはありません。

 我ながら馬鹿な事をしたなぁ。そう溜息をつくと、アナグマは時計職人専用の拡大片眼鏡を装着して時計の裏蓋うらぶたを開いてみました。


 中にはギッシリ歯車が詰まっています。師匠の本を盗み読んで得た知識によると、故障の原因は大抵たいていが歯車関連なのだそうです。カラクリを動かすのに必要不可欠なグリスが切れていたり、じくの棒が折れて歯車が嚙み合っていなかったり、あるいは歯車がすり減って役割を果たしていなかったり……時計が動かなく理由はおおかたそこなのです。

 ならば歯車を一つずつチェックしてそこを見つけ出せば良いだけのはず。

 時間はたっぷりあるのです。徹夜をすれば何とかなるでしょう。


 ところが、店の柱時計が午前二時を過ぎても故障個所かしょは見つかりませんでした。

 いい加減に目が疲れてきたし、眠くてたまりません。


「ヘンだなぁ、歯車におかしい所はないぞ? いったいどうしたら……」


 時計の声が聴ける師匠なら一目見ただけでどこがおかしいのか見抜いたでしょう。

 でもアナグマだと何時間もかけたのに壊れた所が見つからなかったのです。

 だんだんイライラしてきました。


「あーもう! 何が時計の声を聴くだよ! 時計がしゃべるわけないだろ」


 そう怒鳴って工具を投げ出した時でした。

 脱力して頭が冷えたのでしょう。ふとお客さんの言葉が耳に蘇ったのです。


 「ネジを巻いても動かない」クマはそう言っていました。

 思い込みから歯車が原因だと決めつけていましたが、もしかすると……。

 試しにアナグマは懐中時計のネジを巻いてみました。


 ゼンマイ式の懐中時計には渦巻き状のグルグルになった金属板が入っています。それをゼンマイバネというのです。外部のネジを巻くと、時計の内側でゼンマイバネが巻かれ、弾力性の高い金属板が元に戻ろうと強く反発します。この反発する力を突起でひっかけて歯車を回すのです。

 皆さんがよく知っているオルゴールなんかと同じ仕掛けなのです。


 実際に懐中時計のネジを巻いてみると、ゼンマイバネの出力が弱くカラクリを動かすだけのパワーが不足している事が判りました。

 古くなった金属は弾性だんせいを失い、反発力も弱まってしまうのです。

 ゼンマイバネと歯車の接続部分が、上手く回らずにカチッカチッと音を立てていました。


「成程、これが時計の声かぁ。僕にもようやく聞こえたぞ」


 古くなったゼンマイバネを新しい物に取り換えてやると、懐中時計は元通りに時を刻みだしました。


「ブラボォ!」


 判ってしまえば簡単な修理でしたが、結局徹夜の作業になってしまいました。

 翌朝、あんなに怖かったクマの紳士は優しい笑みを浮かべて御礼を言いました。


「ありがとう、これで心置きなく旅行が楽しめるよ」


 お客さんが店を出ていき、安堵したアナグマは眠い目を擦りながら欠伸あくびをしました。それを階段からのぞいていたシマリス師匠は、何もお説教をせず、ただ嬉しそうにうなずくのでした。











 そして数年後。

 アナグマも独立して店を持ち、弟子を持つまでになりました。

 コイツがまたせっかちな奴で、ろくな経験もないくせに技術ばかりを教えてくれと五月蠅うるさくせがむ弟子だったのです。まったく、一番足りないのは場数だというのに。


「ねぇ師匠、時計の修理ってどうやるんです? 簡単に出来るコツがあるんでしょう?」

「そうだなぁ……」


 ニヤニヤと笑いながらアナグマは若者に言ってやりました。


「カンだね。時計の修理はカンでするのさ」


 ただし、当て推量すいりょうのヤマカンではなく、豊富な経験に基づく直観ちょっかんだがね。

 アナグマは心の中でそう付け足すのでした。




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アナグマの時計屋さん 一矢射的 @taitan2345

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