平成後期に拘らず准看護師が正看護師を苛め、支配する病院は存在している
これは京都の西にある病院の中で起こった現実。
人は一体どの様にして追い詰められれば自我が崩壊されていくのか。
壊れた心、眠れなくなってしまった日々の中で食事も出来ずにただただ泣いて『死にたい、ごめんなさい』と言葉として発する裏では『助かりたい!!』『助けて欲しい!!』と出口のない白い闇の中を長い時間を掛けて彷徨う。
何もわからない状況下で初めて自分が鬱だと診断された時の安堵感。
そうしてこれからどう生きていけばいいのかわからない不安な日々。
家族と、自分自身とどう向き合えばわからない。
鬱はある日突然私の前へとその姿を現しました。
またこれは今より約八年前実際私の身の上に起こったリアルなお話です。
今でこそですが当時は現実と向き合えるようになるまで、とても長い年月がかかりました。
そしてこれは誰しも起こる得る可能性がある病なのです。
職場鬱は私の心だけでなく社会からも私個人と言う存在がある意味抹消されてしまうのです。
加害者となる者達や監督不行き届きであった病院の冷酷なまでの対応。
これが人の命を救う――――なんて信じられない現実なのです。
全ての病院がこうだとは言いませんし思いたくはありません。
でも実際に私の場合はそうだったのですから……。
私の体験を基に医療従事者、特に看護をする皆さん、コロナで戦う日々の中本当に大変だと思います。
そんな医療従事者達は病気だけでなく人間関係でも日々闘っているのです。
その精神の負担は言葉では語り尽くせなくとても計り知れないでしょう。
命の危険と精神的な負担……使命感だけでどうか自分を追い詰めないで下さい。
確かに看護とは生きている患者さんを対象とする仕事であり、私達Nsの何気ないミスが直接患者さんの生命を脅かしかねないのも事実です。
私達はその事を学校で、卒業し資格を得て初めてスタートラインに立ち毎日が学びの日々でもあります。
上司や先輩NSは時に厳しい事を強いそして多くを求めるでしょう。
求められればそれに応えなければいけない。
毎日激務の中夜勤明けや夜勤入りの前、また休日であろうとも仕事とは関係なく委員会や研修に時間を奪われそしてそれが当然とされる世界が私達Nsの生きる世界なのです。
しかしでもそれで心と身体が追い詰められれば本末転倒です。
看護師だって人間なのです。
生きて血の通った一人の人間。
決してロボットではない事をわかって下さい。
当時鬱となった私には家族……実の母が誰よりもこんな私へ寄り添ってくれました。
とても大切な存在でしたが今年……1月20日の明け方に、三人の子供の見守る中安らかに旅立っていきました。
このお話を亡くなりし母へと捧げます。
そしてかなり内容はえぐいです。
胸糞警報発令です。