唯一と言える愛を貴女に

藤咲 沙久

貴女が好きです


 君は女々しい男よなぁ。音子ねね先輩はそう言って笑った。

「返す言葉もございません……」

「なに、不満があるわけでなし。我々はバランスが取れているからね。ワタシに可愛げを求められるより、余程気楽というものさ」

 他人からは敬遠されるという、耳慣れた独特な言葉遣い。先輩だけの個性が輝いていて僕にはとても好ましく思える。周りと違うと言うなら、彼女の目鼻立ちがはっきりした華やかな容姿だって同じことだ。

 そんな素敵すぎる女性の音子先輩が僕の恋人になってくれた。今なんて二人で会ってくれている。そう、初デートだ。

(だというのに、僕ときたら……)

 情けなさに肩が落ちた。まるで合わせたかのタイミングで、グラスの中の氷もカラリと音を立てる。

「格好悪いとこばかりで、恥ずかしいです」

 まず待ち合わせ。どの服を来ていこうか前日から悩み続けて結局決まらず、慌てすぎて色の違う靴下を履いた状態で遅刻した。先輩はアプリゲームのボス戦に時間を割きたかったのでちょうど良かったと慰めてくれた。

 どれを観るか散々迷って上映ギリギリに飛び込んだ恋愛映画で大号泣。隣に座っていたお姉さんに二度見された。先輩は黙ってポケットティッシュを渡してくれた。

 昼食。エッグベネディクトとハンバーグ乗せドリアを選び切れなくて涙目になった。先輩はパスタを諦めて半分こを提案してくれた。そして食後のティータイムが、今だ。

「いやぁ、むしろ見ていて面白いけれどね。彼氏にでもなった気分で楽しいよ。どうだ、ワタシはスーパーダーリン、というやつになれているかい?」

「それは僕がなりたいやつですぅ……」

 いわく、自分に似合うものを着る主義である先輩は、小柄で愛らしい見た目通りのフェミニンな格好をしていた。バルーンスカートと呼ぶのだと教えてもらったそれは、柔らかなピンクベージュ色だ。可愛くて見ているだけで胸が踊る。

 だけど中身は僕なんかよりよっぽど格好良い。ああ、そんな男前さにも惚れ直してしまう。

「なあ、織部君。織部誠人おりべまこと君よ。そう落ち込むな」

「音子先輩ぃ……」

「君という子は本当に可愛い後輩であり、サークル仲間だ。講義室の真ん中で熱烈なんだか不器用なんだかわからない愛を告げられた時は笑ったが、その頼りなさも君の魅力さ」

 褒められたとは思えない内容であるものの、悲しいかな事実だ。大変悪目立ちする間抜けな告白。先輩が応えてくれたのは単に興味本意だった可能性もあるくらい、滑稽だった。

「僕、先輩が好きです。でも、でも、こんな僕と音子先輩が付き合ってくれるなんて奇跡過ぎてぇ……うっうっ」

 そこで泣くのかい、とまた先輩が笑う。泣き真似はしたが、実際少しだけ潤んでしまった目を誤魔化すためでもあった。

 涙もろくていけない。僕の方が女の子みたいだ。

「君こそ不思議な子だよ。こんな顔しか可愛くない女のどこがよかったんだい?」

「先輩のそういう、自尊と自虐が同居した屈折率の高い性格がたまらなく好きです……。あと顔も好き」

「あっははは。君も屈折具合では負けてないな」

 これほど素直に愛を伝えているのに、なぜ僕まで屈折していると言われるのか。納得はいかないものの先輩が楽しそうなので黙っておいた。

「しかし意外だ。ワタシは口を開くと恋愛対象から外される質でね。君にとってのきっかけがあったのなら聞かせてもらいたい」

「……笑いません? もしくは引きません?」

「確約はしかねるが、話したまえよ」

 誰にも話したことのない内容なので、少し気が引けて視線がうろついた。僕が指先をさ迷わせ、唇をもにょもにょとさせている間も、先輩は根気強く待っていた。催促を止めなかった、とも言える。それに負けて、僕は小さな声で答えた。

「音子先輩を初めて見たとき。あ、僕、この人と結婚するなって。……思ったんです」

 広い、広い大学キャンパスで音子先輩と出会った。無愛想なのに人目を引く相貌と揺れるボブヘアー。差し出された勧誘チラシを受け取りながら、ときめきと言うにはあまりにも静かな、胸の音を聞いたんだ。

 確信。その表現が近い。

「……ほう、結婚」

「先輩の好きなところはたくさんあります。でも全部後付けというか、この前提のもと見つけた美点というか……」

 僕は大小問わず決断するのが苦手だ。常に迷っている。音子先輩を見た瞬間に得たあの気持ちは、決めるとか決めないとか、そういう問題ではなかったけれど。

 それでも、あんなに揺るぎなく何かを感じ取ったのは初めてだった。一生に一度の恋。そんな風に思う。

「おぉ。おー……それは、中々に」

「な、なんですか」

「いっそ気持ち悪いほど乙女だな」

「そこはせめて清々しいほどって言うところじゃないですか?!」

 僕をじっくり観察するように音子先輩が視線を寄越す。最初はやや丸くなっていた目が、徐々に細められていくのがわかった。

 優しい表情は、先輩の美人さを引き立たせた。

「優柔不断が服を着て歩いているような織部君がねぇ。そんな、一生分の勘を一点集中で使ったみたいな、ふふ……なんだい結婚って、はは」

「ぼ、僕だって、可笑しなことを言ってる自覚はあるんです。こんな直観なんて馬鹿げてる。だけど大切にしたいんですよ。現に、これほど音子先輩のこと好きになったんですから」

 同じサークルで色んな経験を共有して、たくさんの言葉を交わして、様々な一面を垣間見て。どんな要素も、先輩への好きを大きくしていく材料でしかなかった。

 確信の理由はわからない。なのに、それをきっかけに好きが止まらなくなった。音子先輩が好きなんだ。

「気持ち悪いのは本当だが、困ったことに嫌な気がしない。ワタシもそこそこ変態なんだろうか。つまり変態カップルだ」

「そこはせめて変人カップルって言ってください……」

 僕の戯言を受け止めてくれるのは嬉しい。嬉しいが、なんとも恥ずかしい。プロポーズでもしてしまった気分だ。じわりと熱を持った頬を誤魔化したくてグラスを呷ったけれど、中にはもう水しか残っていなかった。いつの間に氷が溶けきるほど経っていたのだろう。

 先輩と過ごすと、時間までが溶けていくようだ。なんて早い。もっとこうしていたいのに。

「ふふ、どうだ織部君。来週もこうして会わないか?」

 音子先輩の提案は僕の気持ちを読み取ったみたいにも思えた。先輩の言う通り、彼女はスーパーダーリンなのかもしれない。

「来週……あ、来週は彰吾君と野球観戦が、うわでも先輩とも会いたい、えーどうしたら……断る? どっちを? うわぁ……」

「あっははは! そこは迷わず先約を優先したまえ!」

 薄い腹を抱えて音子先輩が大笑いする。憚らず開けられた口から覗く、綺麗に並んだ歯と赤い舌。全部が可愛い。全部が好きだ。

 一目惚れとも少し違う、不思議な恋の始まり。馬鹿みたいな確信だった。結婚だって本当はしないかも。だけど、今こうして音子先輩は僕の恋人としてここに居る。

 少しずつ、少しずつ。あの日感じた未来に向けて、迷いながらも僕は進めている気がした。

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唯一と言える愛を貴女に 藤咲 沙久 @saku_fujisaki

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