「犯人はお前だ!」「で、それが何の役に立つんだ?」
桜木武士
神童も、十五歳を過ぎたらただの人
探偵は言った。自信満々に。
「分かった!犯人は…貴方だ!」
刑事は言った。うんざりした様子で。
「…で、それが何の役に立つんだ?」
山奥の洋館。
ここで殺人事件が起きた。その事件の概要については、
集まっていた容疑者達のうち、探偵が指差したのは被害者の兄だった。「犯人は貴方だ」と。
「な、何ですか急に…何を証拠に?」
突然指摘された被害者兄が芝居がかった口調で答える。しかし、それに対する説明は返ってこなかった。
探偵の首根っこが掴んで持ち上げられたからだ。
「うわっ」
「どこかの小学生じゃあるまいし、学生服で殺人現場をうろちょろするな」長身の刑事に持ち上げられて、比較的低身長の探偵の身体が浮く。
「あの…」その奇妙な光景に、洋館の住人の一人が口を挟んだ。被害者妻だった。
「その子は、探偵なんですか?」
「はい。中学生探偵、須藤賢一です!」
探偵もとい須藤賢一は、あどけなさがまだその多くを占める顔で、屈託なく笑った。浮いたまま。
「須藤賢一って…あの?」
「《神童》の…」
名前を聞いて、住人達がにわかにざわつく。
もっと昔から探偵のことを知っている刑事は、思わず顔を苦くした。神童か。
今となってはその名もある種の詐欺みたいなものだ。間違いではないが、正解でもない。
「とりあえず、捜査に戻りますんで」
刑事は仔猫を運ぶネコのように探偵の首根っこを掴んで、住人のいない部屋に引っ込んでいった。探偵は親猫に運ばれる仔猫のようにされるがままになっていた。
刑事は捜査のために与えられた洋館の一室で、椅子を並べて探偵と向き合った。
名探偵を自称する少年の名は、須藤賢一。この中学生にはある特殊な能力がある。…自称だが。
それは、《事件の犯人が絶対に分かる能力》である。
羨ましい、素晴らしい、と思うだろうか。しかし彼に関する説明を聞けば皆すぐに、干し草の中から干し芋を見つけ出したような、暗中模索の霧の中で靄をつかまされたような、虚脱感と疲労感を覚えることだろう。そう刑事は確信する。
「だからな、犯人しか分からないのをどうやって正しいと証明するんだ」
「そこはまあ、おいおい」
刑事の文句に、少年は何故か照れくさそうに言う。
「証拠も、動機も、アリバイトリックの説明もないんじゃ、推理じゃなくて妄言だろ」
刑事は至極正論を言った。
「でも、確かに当たっている筈なんだ」探偵も負けじと自信ありげに言った。
「根拠は?」
「今まで百発百中だから」探偵が笑う。
「そりゃ、俺が全部解いているからな…」
刑事はため息をついた。
現在中学の卒業を控えた十六歳の探偵。
彼は、中学一年生探偵ぐらいになるまでは、確かに名探偵だった。現場をさらりと見ただけで、犯人を見つけ、トリックを暴き、アリバイを崩し、世の名探偵が比較的蔑ろにしがちな犯行動機までもぴたりと当ててみせた。
しかしそれも昔の話で、今は犯人指摘以外の全ての仕事が刑事の担当だった。いや、元々それで正しいのだが。
☆
「というわけで、事件解決お疲れ様!」
例に漏れず、今日も刑事は事件を解決してみせた。
刑事は大きな出世も見込めないしがない所轄の刑事だったが、優秀ではあった。そして粘り強かった。納豆とかスッポンとか言う通り名が署内でついていて、刑事はそれを言われるたび怒った。
確かに、犯人は被害者の兄だった。今日も自称探偵の推理の正しさを証明する形になったわけだ。
が、やはり予言…もとい推理が役に立ったかと言うと微妙である。
与えられる情報が「誰が犯人か」というものだけならば、結局、容疑者の人数分の手間をかけさえすれば、刑事一人でも解けてしまうということなのだから。
「最近気付いたんだけどね、俺の推理はチョッカンなんだ」逆上した犯人との口論と取っ組み合いを終え、疲労した刑事の横で、何の苦労もしていない探偵は話し始める。
「直感?」刑事が呆れ顔で肩をすくめた。こいつとうとう当てずっぽうを認めたか、と。
「違うよ、直観」
「深い経験と理解は時に思考を飛ばして真実へ辿り着く」
「ふぅん…」
それならまあ、あり得なくもないのだろうな。役に立たないことは変わりないが。
説得力を持たせるだけの実績を、幼い時の彼は見せていた。今も幼いが、もっと幼い時だ。刑事が探偵と出会ったころ。少年が神様だったころ。
今日の屋敷の住人達しかり、彼の過去を知っている周りの人間は今の彼を見ていろいろと噂する。
「子供の頃には《神童》とか呼ばれていたのになぁ」──40代、男性。
「見る影もないんだな」──50代、男性。
「事件現場をうろついてるとただの子供だね」──20代、女性。
「アイツを倒すんは俺やと思っとった」──10代、関西人男性。
「何故冴えなくなってしまったんだろうな」──20代、男性。
「フッ、あいつは神童四天王の中でも最弱」──10代、男性。
「やっぱアレだろ。天才も二十歳過ぎればなんとやらって」──30代、男性。
「まだ十六なのになあ」──20歳、男性。
等々。
人はたいてい天才が落ちぶれるのが好きである。
そしてもし、須藤賢一が自身の没落に落ち込んでいたなら、痛々しくて見ていられなかったのかもしれないが、須藤賢一に卑屈なところはなかったので(鈍感なだけかもしれない)、大体の人は事件の解けない凡人である中学生探偵を好意的に見ていた。
「で、お前結局、探偵始めるまでは何してたんだよ」
刑事は気まぐれに長年の疑問をぶつけてみたが、
「ふふ、秘密だよ」と、探偵は笑って答えなかった。
☆
こういう話がある。
ある国の地下施設で、諜報員になるべく、多くの子供が育てられていた。子供たちは洗脳に近いやり方であらゆる言語を修得させられ、極限まで知能を高められ、あらゆる知識を叩き込まれた。否、刻み込まれた。時には薬品を投与し、時には機械を埋め込まれた。子供たちの人権は塵芥ほども存在しなかった。
ところがある日、施設は国の動乱により、あっさり上部機関からの支援を失ってしまった。少年達への訓練と実験は中止された。
敵国の軍隊はやがて、施設の存在を見つけて踏み込んだ。制圧という名の皆殺しが目的だった。反抗の若い芽は摘んでおこうと思ったからだ。
たちまち扉は破られ、並んだ銃口によって全ての通路が塞がれる。
しかしそこには逃げ損ねて慌てふためく大人の職員たちがいるだけで、子供は一人もいなかった。
それぞれがそれぞれに有能だった子供たちは、施設が襲われることを察知していた。明晰な頭脳と類い稀なるチームワークによってすぐさま愚鈍な組織から逃げ出し、各地に潜んだのだ。彼らにとっては互いだけが頼りだった。
その点、施設の大人たちにも子供を教えるだけの優れた頭脳はある筈だったのだが、彼らは土壇場で、全くといっていいほど協力ができなかった。
既に持っている財や権利を守ろうとする考えが、彼らを酷く愚かにしていた。
かくして子供達は世界中に散った。そのうちの一人は日系だったので、日本国家に助けを求めた。そして探偵を名乗ることにした。
彼はたちまち《神童》と呼ばれるようになった。
☆
「ああもう、本当に全く嫌になるよ」
中学生探偵は、この世の理不尽を味わい尽くしたような顔をしてため息をついた。刑事は思った。齢十六にしてお前が一体何を分かっているというのか。
「だいたいさぁ、」探偵が不満げに言う。
「あんたが俺に、この神童に、子供は普通に育てろとか言って、六畳一間でありきたりな人生を送らせたから腑抜けちゃったんだよ、須藤刑事」
「ありきたり…ってことはないだろ」須藤刑事は反論した。
「いいや。欠伸が出るほど凡庸だったよ」
賢一は、親代わりである刑事にこれまで言われた言葉を繰り返した。
アニメは見ろ、でも見すぎるな。七時には家に帰り、九時には寝ろ。肉を食え、野菜を食べろ。風邪を引いたら寝ていろ、ちゃんと薬は飲め、辛くなったら言え。
普通だ。呆れるほどに普通だった。
…その普通が、賢一には嬉しかった。
神童ははじめから須藤賢一だった訳ではない。名前を貰ったのは、後からだった。
「俺は放任な方だ」
「でも子供を育てるからって、キャリアまで捨てるかなぁ、普通!?」
「普通の親は夜には家にいるもんだ」
刑事は煙草を深く吸い込んだ。
「…そう思ったんだが、結局仕事ばかりで構ってやれなくて済まなかったな」
刑事が煙草の煙を上向きに吐き出した。夕方の風に吹かれてすぐにふわりと消えた。
「…そういうところだよ、本当」
夕焼けに照らされた刑事の顔は、賢一の言いたいことを分かっているんだか分かっていないんだか、判別がつかなかった。
「…そろそろ帰るか」
刑事が、煙草を捨てて、ぐい、と伸びをする。
「今日は麻婆豆腐がいいな」
中学生探偵は、人懐こい笑みでその後ろをついていった。
☆
さて、逃げた天才児に話を戻そう。
子供のうちの一人は日系だったから、日本国家に助けを求めることにした。そして、探偵を名乗った。自らの情報と頭脳を売り物にして、大人になるまで命を繋ごう、と考えたのである。
案の定、彼はすぐに「神童」と呼ばれるようになり──
そしてそのうち、呼ばれなくなった。
彼は成長につれ、天才ではなくなった。天才である必要がなくなったからだ。
神童でなくなった彼のその後を、知るものはもう殆どいない。
天才も十五歳を過ぎれば、ただの少年なのだから。
「犯人はお前だ!」「で、それが何の役に立つんだ?」 桜木武士 @Hasu39
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