馴れたイケてる先輩と不慣れな可愛い後輩
加瀬優妃
バイトの面接
もう夕方の5時過ぎだというのに、7月の太陽の日差しはまだまだ強い。やや長くなった自分の影を追いかけるように、ユキは早足で歩いていた。
黒のブラックレトロワンピースに朱色のヒールサンダル、チラチラと揺れる星形のイヤリング、と完全に今どき女子のゆるふわスタイル。
そうして辿り着いたのは、大きな窓が特徴的なレンガ造りの店。『PETITE★PAUSE』という名前で、この辺の大学生は『PP』と呼んでいるらしい。朝7時から夕方5時まではカフェ、夜の7時から深夜3時まではバーとなっている。
大学と家の往復で見かける、このカフェの『夏季限定アルバイト募集』の張り紙を見つけたとき、ユキは決めた。
この夏このカフェでアルバイトをしてみよう、と。
そして電話で問い合わせたところ、今日の昼の部が終わる5時過ぎに面接に来てほしい、と言われたのだ。
このカフェはテラス席があり、お洒落な制服を着たイケメン店員が、これまたオシャレな女の子を案内しているのを見かけた。
そういう店ならやはり客層に寄せないと雇ってもらえないだろう、とユキは髪を染めて巻き、メイクも派手過ぎない程度に整え、普段は絶対に着ないようなワンピースを着てやってきたのだ。
扉の前で立ち止まり、ガラス窓に映った自分の姿を一度チェック。よし、と一つ頷き、思い切って扉を押す。
カランコロン、と涼やかな音が鳴り響いた。
「あ、ごめーん! 営業時間外なんだよねー!」
急に元気なタメ口が飛んできて、ユキは一瞬ひるんだ。
見ると、カウンター席に座っていたと思われる制服姿の男が振り返り、苦笑いをしている。
ヒク、とユキの口元が少し歪んだ。
「あの、バイトの面接の約束をしていたのですが」
「ええ!? 聞いてないけどなぁ」
男性はオーバー気味に首を傾げると、ポケットからスマホを取り出し、どこかに電話をし始めた。
「あ、店長? バイトの面接って人が来てるんですけど……そうですよ、女の子です。結構可愛いですよ。……あ、戻ります? はい、じゃあ」
どうやら店長はユキが面接に来ることを忘れて外出してしまったらしい。
しばらくここで待ってて、と言い、男性はカウンター席の自分の隣を勧めた。
しかし素直に腰かける気にはなれず、ユキはギュッと鞄を両手で握って立ったままだった。
すると男性は
「あれ、警戒してる?」
と再び困ったような笑顔を見せる。
時々見かけたあの店員だ、と分かったが、ユキにとっては知らない男性であることに変わりない。
「俺、ミナミコウジって言うんだ。ほら、これ」
そう言って彼が制服のポケットから出したのは、大学の学生証。どうやらバイトだったらしい。
差し出された学生証を覗き込むと、左上に『T大』と書いてある。誰もが知っている、超難関大学だ。
え、T大なんだ、とユキが思ったのはすぐ察したようで
「そ、T大。ね、ちゃんとしてるでしょ?」
と得意げにニッコリと微笑んだ。
「だからそんな警戒しなくていいからさ」
と言って、コウジは再びユキに隣の席を勧めた。仕方なく、ユキは彼に勧められた隣の席……ではなく、一つ空けたさらに隣の席に座った。
コウジの眉が一瞬ピクリとしたが、彼はユキを咎めることもなく、そのまま気さくに話し始めた。
* * *
昼の部が終わり、店のアイスコーヒーを飲みながら一息ついていたコウジは、「面倒だな」と思いながらもユキに店の説明をした。
この『PP』は店長が一人でやっているお店だということ。他は自分を含め、バイトは男性三人だということ。
いま自分一人しかいないのはたまたまで、いつもはこうではない、ということ。
「だけど俺としてはラッキーだったかな」
と気を引くことも忘れない。
そして、夏休みだけ手伝ってくれるはずだった人間が駄目になってしまい、急遽バイト募集をしたということを説明した。
「だからてっきり、男が来るもんだと思ったけどね」
「……そうですか」
「ねえ、君の名前は?」
「……佐藤です」
「佐藤さんか。このカフェ、よく来るの?」
「いいえ」
「そうなんだ。そう言えば見覚えは無いな。これだけ可愛いんだもん、客で来てたら絶対に覚えてるはずだし」
「……」
「あ、テキトー言ってると思ってる? 本心だよ。ワンピース可愛いね。カフェの面接だから頑張ったとか?」
「……」
「あ、驚いた? 俺、わりと直観力には自信があるんだよね。人を見る目って言うかさ。ちなみにあてずっぽうの直感じゃなくて、視覚分析の方の直観ね。……と言っても、よくわかんないか」
「……」
一方的に喋るコウジに対し、ユキはほぼだんまりだ。
女の子にそんな対応をされたことのないコウジは、やや苛立ちを覚えた。
店長が引き留めておけっていうから、俺がこんなに気を使って話しかけてやってるのに、と。
「佐藤さん、いくつ? 大学生……だよね、夏季限定バイトに来たんだしね。どこの大学?」
「……」
「あ、そうだ。バイトの面接っていうことは履歴書あるでしょ?」
「……雇用主に見せるものですから」
意外なことに、今度はきっぱりと断った。
ますますコウジは、ユキがどういう子なのかわからなくなった。そして腹の底から何かメラメラしたものが湧き出てくるのを感じた。
女の子にキャーキャー言われることに慣れていた彼は、闘争本能を刺激された。是が非でも彼女をオトしたくなったのだ。
まぁ見た目はかなり可愛いし、多少性格がヘンでもお釣りがくるな、などと考えながら、コウジはクシャッと顔を崩し、淋しそうな表情を浮かべた。オーバー気味に左手を自分の左胸にやる。
「あ、バイトには見せられないって? 傷つくー」
「個人情報ですし」
「まぁ、そうだけど。じゃ、誕生日……は、個人情報か。何月生まれ? それぐらいならいいでしょ」
こっちは労力を使ってお前の相手をしてやってんだよ、と思いながらも、コウジは得意の少し甘えたような表情を浮かべ、頬杖をついてユキをじっと見つめる。
その効果があったのか、ユキは少し考え込んだあと、
「……12月です」
と答えた。
「おお、12月! 俺も12月なんだよ! これって運命?」
必要以上に喜んで見せると、ユキが意外そうな顔をした。ようやくまともに目が合ったな、とコウジはほくそ笑む。
「店長が8月でバイト二人は5月と9月。そんな中、同じ誕生月とかさ。結構な確率じゃない!?」
「……ぷっ」
初めてユキが笑った。ずっと頑なだった彼女が見せる笑顔は、それこそ花がほころぶように愛らしくて、コウジは自分の気持ちが舞い上がるのを感じた。
俺が笑わせた、やっと心を掴んだ、という達成感もあるのだろう。
「え、オーバーじゃないよ? あー、そうか、佐藤さんには分からないか。5人の中で同じ誕生月になる確率ってのはさ、12分の11の4乗を1から引くから、3割にも満たないんだよね」
手に持っていたスマホの電卓でパパパ、と計算したコウジが、得意気にユキに見せる。そこには、『0.293933』という数字が。確かに3割にも満たない。
しかし、それを見たユキのリアクションは、コウジの予想とは全く違ったものだった。
「くくっ、あは! あははは!」
堪えきれなくなったらしいユキが、左手で自分のお腹を抱え、豪快に笑い始めた。右手で口元を押さえてはいるが、これは大笑いと言っていい。
笑ってくれたのは嬉しいが、そういうのじゃない、とコウジが憮然とする。
これは笑わせたんじゃない、笑われている、とさすがに気づいた。
「あー、もう我慢できない。ぷふふ、コウジ先輩、計算が間違ってますよ」
「え?」
ユキが口の端で笑いながらスマホを――いや、コウジを指差す。
「まぁ、あなたみたいな人ならその計算で正しいのかもしれませんけど」
とやや嫌味な口調で呟き、自分のスマホを取り出したユキは目にも止まらないスピードで操作し始めた。
「5人の中で、同じ誕生月の人間がいる確率は、12の5乗分の12P5を1から引くんです。こうですね」
さっと、コウジに見せる。
その数値は、『0.618056』。6割だ。
「これ、誕生日のパラドックスっていう、すごく有名な問題ですよ」
「なっ……」
「普段ならこんなこと絶対に言わないんですけど、あまりにも馬鹿にされるから我慢できなくなっちゃった」
そう言いながらカウンター席の足の長い椅子から降りたユキは、さっさとスマホを鞄にしまい、扉へと歩きだした。
「え、ちょっと待てよ。面接……」
「もういいです。というより、最初の先輩の一言でもう働く気はなくなりました」
「えっ!?」
時間外だと言った、アレ? なぜ?
コウジにはユキが言っている意味が全く解らなかった。
「何で……」
「まぁ、それこそ直観力なんですけど。考察をつけるなら……そうですね、面接に行くといっているのに店長がいない時点でおかしいし、店員が客にタメ口。そしてバイトが我が物顔で店の売り物のアイスコーヒーを飲んでいて、妙にエラそう。少なくとも、積極的に働きたい職場ではないですね」
ズバズバと歯に衣着せずに指摘するユキに、コウジは何も言い返せなかった。代わりにカラン、というアイスコーヒーの氷が溶けた音が小さく響く。
ユキはコウジを一瞥すると、ふいっと背中を向けた。スタスタと扉へ向かって歩きだす。
しかしノブに手をかけたところで、ユキは不意に振り返った。
「あ、先輩」
「えっ」
振り返るとは思わなかったのか、コウジの肩が小さく揺れる。
まだ何を言う気だ、帰るならさっさと帰ってくれ、という動揺が体に出たのかもしれない。
「先輩の誕生月が12月なのは知ってましたよ」
「え……」
「自分の学生証を私に見せたじゃないですか」
「……ああ」
言われてみればそうだが、そうなると運命だとかオーバーなことを言った自分がどうしようもなく恥ずかしくなる。
しかしユキは、そんなコウジの様子にはお構いなしだ。まったくもって、追撃の手を緩めない。
「どういう反応をするか見たかったので、合わせてみました。だけど学生証をそういうナンパの道具にするの、やめた方がいいです。手っ取り早く『すごーい』と言われて気持ちいいんでしょうけど、みっともないですし。後輩としては恥ずかしいです」
そう言うと、ユキは今度こそ扉のノブを引き、さっさと出て行ってしまった。
独り店内に残されたコウジは呆然としてしまい、その言葉の意味にも気づかず、しばらくは立ち上がる事すらできなかった。
馴れたイケてる先輩と不慣れな可愛い後輩 加瀬優妃 @kaseyou
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