超絶お味噌汁激走伝ミソシライダー

あさぎり椋

第1話

 時は20XX年。今や日本中で、お味噌汁が街を走らない日は皆無と言って良い。

 かつてはお椀がテーブルを滑る怪現象に過ぎなかった、お味噌汁移動現象オミソライド・フェノメノン。数多の先人による研究を経て、その走行速度は今や時速三十Kmに達する。その魅力が、走汁道ミソシライドという空前のエクストリームスポーツへ昇華されるまで、長い時間はかからなかった。

 そして、お味噌汁を走らせることでしか自分を表現できない者達『操汁者ミソシライダー』の祭典――第一回・日本走汁選手権大会ジャパン・ミソシライド・トーナメントの決勝戦が、いま始まろうとしている。


 空は快晴で雲ひとつ無く、絶好の走汁日和。開けた屋外のレース場は、コースを取り囲む大勢の観客で賑わっていた。一見するとミニ四駆の大会にも酷似しているが、当たり一面に漂うお味噌のかぐわしい香りは、ここが一味も二味も違う異界であることを匂わせていた。

 耐熱合成樹脂製のコースは幾重にもカーブし、ときに仕掛けを配したアグレッシブな造りだ。加えて、潤滑剤として霧吹きでコース全体をしっかり濡らしてある。

 そのスタート地点には、細長い魔法瓶とお椀を持った、二人の熱き戦士が立っている。


 野球部を思わせる坊主頭が眩しい、ガタイの良い少年――名を、コウジ。


「この日のためにダシを徹底研究してきたぜ。オレの黄金ブレンドに隙は無ェ!」


 毎日お味噌汁に揉まれてきた白い歯が見えるほど、大胆不敵に笑うコウジ。

 相対するもう一人の少年は、儚げな印象を崩すことなく、上品に笑い返してみせた――名を、アワセ。


「勝負は汁物だ。飲んでみるまで分からないよ」


 『決勝で会おう』と決り文句で誓った二人は、同じ釜の味噌汁を飲んだこともある幼馴染。離乳食より先に味噌を口にした、天賦の才を持つ者同士。たとえ友であれど、走汁道の道は決して相容れることはない。

 丁々発止の睨み合いもそこそこに、審判員が近づいてきた。会場のざわめきも熱波のように盛り上がっていく。


操汁者ライダー各位、走汁椀ミソカーをセットしてください」


 二人は魔法瓶の蓋を開け、お椀にお味噌汁を注いでいく。とくとくとゆっくり、一滴もこぼさぬよう丁寧に。分量を一mlでも間違えば、走行性能にインスタントと老舗割烹ほどの差が出てしまう。

 コウジのメイン構成は赤・油揚げ。彩りを添えるわけぎ。アワセは調合・絹ごし豆腐。サブにしめじと麩が脇を固めている。

 立ち昇る二筋の湯気が、開戦の狼煙のごとく天へと溶けていく。


「では――位置について」


 コウジはしゃがみこみ、深く息を吸った。赤味噌を基調とした塩味の強い濃厚な香りを、胃の腑にまで満たしていく。人汁一体の極みを、その身で体現してみせる。

 アワセもまた華奢な手に細心の注意を払い、子猫にそうするよう優しく椀を持つ。そうしてひざまずく様は、貞淑な儀式を思わせる。

 両者、椀を少しだけ前に傾け、底部の縁をスタート地点に触れさせる。

 審判が右手を高々と挙げた。


「マックス・ヒート・ライド、トゥエンティ・スタンバイ、スリー・ラップ・レース!」


 規定最大温度八十度からスタート、出走姿勢は傾斜角二十度、三週を先に周りきった者が勝利。審判による、最後のレギュレーション宣言が高らかに行われる。

 そして――


「オミソ――ライド・オンッ!!」


 審判の叫声と同時、コウジとアワセはお椀から手を離した。

 椀の底がコースに接地した瞬間! 走汁椀は、それぞれのレーンを弾丸のような勢いで滑り出した。手のひらに乗る程度の小さな食器が、猛スピードで駆け抜けていく。


「行けぇ! オレのソイビーン・クリムゾンッ!」

「僕のシンシュウ・ハイブリッダ―が負けるものかッ!」


 ついに始まった、走汁道の国内最高大会。今この時、会場の全ての眼が、レーンを抜きつ抜かれつで滑走していく二つのお椀に釘付けとなっている。


 ――そも、味噌汁の椀がなぜ自動車に匹敵する高速移動を可能としたか。お椀の底部には、円筒形の『高台』が付いている。その空洞に溜まった空気が、注がれた味噌汁によって熱膨張し、椀をホバークラフトのように浮かせてしまうのだ。

 それだけではテーブルの上を僅かに滑るのが精々。椀の形状および材質、汁の温度、味噌の種類、産地、具材、分量、香り、舌触り、床のコンディション――ありとあらゆる要素を突き詰めれば、お味噌汁とて自動車に匹敵する滑走が実現できることを、日本人は見つけ出したのだ。

 物理化学の領域を極めて簡略化した部品構成で再現し、老若男女が手軽に遊べるよう昇華させた、傑作ホビースポーツ。

 それが走汁道ミソシライドだ!



 シャアアアアッ――と、わずかに濡れたコースを滑走する、椀の走行音が静かに響き渡っている。

 コウジの真っ赤な椀はパワフルな走りで、アワセの黒い椀を引き離していく。まるで減速する気配は無い。具材の油揚げが既定重量を満たしつつ、ふんわりと空気抵抗を和らげているようだ。四角四面の豆腐では、こうはいかない。

 幾度目かのコーナーを曲がり、しかしアワセは焦らない。


「相変わらずスロースターターだな」

「大事なのは、熱しやすく冷めやすい味噌をいかに御すかだ。初速の勢いなど何の意味も無いよ」

「言ってろ。汁は熱い内に飲め、だ。先手必勝あるのみ!」


 二椀身、三椀身、と徐々に差が開いていく。ゆるやかな坂道に突入、その先の途切れた道を勢いでジャンプ。湧き上がる熱狂的な歓声を背に、味噌汁は疾走する。

 その先に待つは三十度の傾斜角のあるバンクだ。U字コーナーに猛スピードで入り、二杯の椀は右斜めに傾きつつも難なく突き抜ける。

 が、アクシデント――コウジのクリムゾンから、汁がわずかにこぼれた。


「あぁっ!!」


 表面張力まで計算してギリギリの量を注いでいたはずが、痛恨のミス。アワセの口角の端が、僅かに上がった。


「ハイブリッダーの本領はここからさ」


 意志あるが如く、一周目最後のストレートでアワセのハイブリッダーが加速した。いや、違う――コウジのクリムゾンが少しずつ遅くなっているのだ。

 ハイブリッド――調合味噌の意を冠したアワセの走汁椀ミソカーは、どんなコースにも柔軟に対応するのがコンセプト。どっしり構えた賽の目切りの豆腐がそれを補強する。カーブには逆らわず、ストレートで伸び行く。パワーで強引にねじ伏せるコウジの『力の赤味噌』とは、このような場面で差がつく。


「逃げ切れるか? ご自慢のコクと塩味で」

「……逃げ切る?」


 挑発に、コウジはニヤリと笑った。

 二週目。再び両者は横並びとなる。味噌汁を容れた椀はなおも爆走を続ける。

 しかしそこは味噌汁、ジャンプ地点前のS字カーブを曲がったところで、さすがに減速の色が見て取れた。風を受ければ汁は冷え、熱膨張の圧力は弱まっていく。初心者ライダーは、まず三周走らせることも難しい。

 二度目の傾斜バンカーをくぐり抜ける。パワーで押し切るか、柔が剛を制すか。

 三週目に突入。観衆のボルテージも最高潮だ。

 走汁道ミソシライドの格言には『しじみの一粒』とある。飲み干す最後、食べ尽くしたと思っていたしじみが、一粒残っている幸福――最後まで勝負は分からない。

 アワセはあくまでクールだ。走りは安定している、負けはない――が、そこで気付いた。


「コウジ、ダシに自信があるって……!?」

「あぁ、北陸のさる水産問屋が卸している秘中の煮干し。それと羅臼昆布ダシの混合さ」


 アワセの表情が蒼白に染まる。

 クリムゾンが。風を受け続けて滞留した赤味噌が、調合したダシのうま味と混ぜ合わさり、走行中にさらなる味を引き出したのだ。


「安定志向のお前に、これ以上の加速はありえねぇよなぁ!」


 ――味変加速アジヘン・ジェネレーション。パワー一辺倒で上り詰めてきたコウジが、ここに来て小技を用いた。風を受けるジャンプポイントを持つ今回の変則コースだからこその、最後の切り札。

 二つの椀が走る、走る。

 最終コーナーを抜け、最後の直線。わずかにハイブリッダーが先行、クリムゾンが一気に差を縮める展開。


「追い抜けぇ!!」

「逃げ切れぇ!!」


 二人の叫びがシンクロする。最後のデッドヒート。

 疾走は止まらない。味噌が波打つ、具が踊る。もはや結果は神のみぞ知る。

 冷めゆく車体に熱い魂を載せ、浴びせかかる会場中の大歓声を受け。


 チェッカーが振られたその時、ゴールラインをまたいだ椀は――


「いよっしゃぁぁぁぁ!!」

「くぅっ……!!」


 真紅のお椀。濃い味が舌を唸らせる、大豆仕立てのカラいヤツ――コウジの走汁椀ミソカー、ソイビーン・クリムゾンだ。

 惜しくも敗れ去ったアワセのシンシュウ・ハイブリッダーにも、惜しみない賞賛の拍手が送られている。彼のモットーとする柔らかい味わいに惹かれたファンは、こんな時も慈愛の心を忘れないのだろう。

 割れんばかりの大歓声の中、大会は終わった。



 表彰式が始まる。初代チャンピオンの誕生である。

 名工の手による黒漆塗りのお椀がはめ込まれたトロフィーを片手に、コウジは満面の笑みで観衆に応えた。

 インタビュアーが近づき、彼に様々な質問をしていく。


「今後も走汁道ミソシライドが盛り上がるといいですね!」


 ――が、しかし。

 傍らに立つアワセに目配せしてから、コウジは首を横に振った。

 

「いや。この場を借りて言わせて頂きます。あのですね、冷静に考えてください」


 会場が、水を打ったように静まり返る。


「味噌汁は飲むものです。――走らせるものじゃあない!」


 彼とアワセは初めから、それを世間に分からせるためにこの場に立ったのだ。そりゃそうだろ、なんで味噌汁走らせて喜んでるんだこの国。

 初代チャンピオンの言葉は、その場に集った観客達の目を覚まさせるのに十分だった。


 なんでオレ達、こんな必死になって味噌汁走らせてたんだろ?


 あまりのバカバカしさを自覚した人々は、味噌汁なんてダッセーよな帰ってコーンスープ飲もうぜなどと口々に言い合いながら、会場を後にしていくのだった。


 まぁ――後年、この経験が日本をリニアモーターカーによる移動技術超大国へとのし上がらせたのは、また別のお話。



 良い子のみんな。

 食べ物で遊ぶのは、やめようね。

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超絶お味噌汁激走伝ミソシライダー あさぎり椋 @amado64

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