博士とラジコン・ヴァーチャルトゥラン
人生
被験者募集中
――何かに追われている。
振り返ることは出来ない。少しでも予断を許せば追いつかれる。足を前に、常に走り続けるほかない。そうさせる気配がそこにあるのだ。
背後から迫るその気配だけを感じながら、街のなかを疾走する。
腕を振れ、少しでも足を身体を前に進めろ。
「はあ、はあ、はあ……!」
息が切れる。脳に酸素が届かない。助けを求めるような電気信号はしかし、「走れ」と筋肉を焚きつける――生存本能を駆り立てる。
背後に感じる息遣い。いったい後ろに何がいるのか。想像が心臓を圧迫する。背筋に悪寒が走る。
突風が吹いた。何かの紙切れが顔面に飛び込んでくる。首を動かしそれを避ける一瞬に、背後の気配がぐっと近づく。
視界の隅を流れる紙切れ。ついそれを追った視線は、路傍で肩を組む男女を捉えた。長い髪の女――昔の彼女が脳裏をよぎる。
陸上競技に打ち込み、しかし芽が出ない俺を応援してくれた彼女。走馬灯のように後悔が押し寄せ流れ消え失せて行く。
現実逃避かもしれない。でもそうやって走ってきた。前を、今を見据え、ただゴールを目指して走っていれば全てを肯定できるのだ。
しかし、この逃走のゴールはどこにある? 追跡を振り切ればいいのか? それともどこかに逃げ込めばいいのか?
俺はどこへ向かえばいいのか――
走ることは人生だ。どこまでも続くこの光景は、いつまでも続く現実と相違ない。
たとえこれが夢のなかでも、ゴールを迎えるまでこの足を止めることは出来ない。
いつか、辿り着けるのだろうか?
走り続けたその先、足を止めてもいいと思える瞬間に。
置き去りにしてきた過去を振り返ることが出来る、そんな自分がそこにいると信じたい。
■
『運動不足になりがちなこのご時世、おうち時間にランニングはいかがでしょう? 現実のランニングマシンでの運動が、VRヘッドマウントディスプレイに表示された映像と連動します』
陸上競技の金メダリストを招いたオーバーザイン社の新製品発表会は、概ね盛況のようだ。現役選手の鬼気迫る走りが、VR映像のリアリティを物語っている。
実はこの製品、秘密裏に使用者の脳波を走査し、運動時に想起される記憶や思考を読み取り、収集、オーバーザイン社のデータベースへと蓄積しているのだが、それは一般人には知らされていない企業秘密だ。
製品の発表と同時に、ついに計画が動き出した。走り出してしまえばもう、それは一開発者である博士には止められない。
「…………」
自宅のリビングでネット配信されている発表会の様子を――檻のなかの
博士は半身麻痺のため、車いす生活を送っているのだ。そんな自分が、自宅で暇を持て余した健常者のための製品開発に携わっている……。
だがこれは、博士の真の研究のために必要な工程だ。
オーバーザイン社からの出資を得る為でもあるし、健常者の運動データを収集し、それをVR技術を用いて疑似体験する――歩けない博士が、走る人間の見る世界を感じるための、下準備だ。
……それも所詮は、現実逃避だが。
運動するイメージを見てそれを疑似体験することは一種のリハビリになるだろうが、博士のそれは回復が絶望的だ。
もう一度自分の足で立ち上がり歩きたいと思うなら――オーバーザイン社の計画する人工身体計画……ゲームのキャラクターをコントロールするように、現実の身体から意識を「義体」に移すというプロジェクトの成功を祈るほかない――
新製品の実演を終えた陸上選手が額の汗を拭っている。走り、思考し、何かを想ったのだろう彼の、その表情。ただ停滞し、車椅子の上で頭を働かせるだけの博士には得られない何かを彼を感じているのだろう。舞台上にいながら長距離マラソンを完走したばかりのような彼を見て、不意に、
「――――!」
博士の脳裏にある閃きが訪れた。それは雷に打たれたような衝撃、電流が全身を走り抜け、そのショックで思わず立ち上がることが出来そうなほどのアイディアだった。
義体の完成を待つよりも――この選手の身体を乗っ取ることが出来たなら。
まるで夢のような話で、良識ある科学者なら冗談で済ませてしまうのだろうが――博士の研究と、オーバーザイン社の技術力があれば、それは夢物語では終わるまい。
博士の、自分の足で歩きたいという執念が彼を人の道から踏み外す。その行為に走らせる。
気持ちが先走り、ついてこない体にやきもきしながら車椅子を動かし、博士はパソコンに向かう。キーボードに指を走らせる。
そして博士は、出来上がったプログラムを走らせた。
博士とラジコン・ヴァーチャルトゥラン 人生 @hitoiki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます