ママには絶対内緒だよ

秋色

ママには絶対内緒だよ

「ママには絶対内緒だよ」


 これは昨日、僕が叔父さんから言われた言葉。 


 叔父さんと僕とは大の仲良しだ。叔父さんはママの兄貴で、実家のある郊外に夫婦で住んでいる。田舎のばあちゃんちに行った時には、一緒に釣りに出かけたり、ファミレスに連れて行ってもらったりしている。チビの妹、弟にバレるとうるさいけど、子どもには分からない男同士の付き合いってものがあるんだ。十四才はもう子どもとは違う。

 だから叔父さんはママにも話さない初恋の女の子の話や仕事に関するボヤキも僕にはする。


 でも今日は、内緒の話をしてしまうって一体どういう心理だろうって考えてしまう。僕が聞きたがったのも事実だけど、あえて知らないふりを通してほしかった。     


 それが相手に相談とか言うんなら分かる。年下だっていいアイデアが浮かぶ事もあるかもしれないし。でもその出来事がもう変えようのない事実の場合、どうすればいい?

 単なる憂さ晴らしというのなら分かる。叔父さんは時々職場の上司の事を僕やママに話してる。「バカなヤツがいてさー」みたいに。それで気分がスッキリするならいいと思う。でも誰も悪くはないような話では? 

 ――悪者が一人も出て来ないような物語が本当は一番悲しいんです――これはいつだったかテレビのロードショーで映画評論家が言ってた言葉だ。


        ***


 そもそもの発端は、春休みになって、家族で田舎のばあちゃんちに行こうってなった事。緊急事態宣言も解かれた事だし、何か春休みらしいイベントしないとね、と。

 ママは子ども時代を思い出し、すっかりテンションが上がっていた。ばあちゃんちの家は日本家屋で趣きがあり、周りには山やら川やら自然がたくさん残ってる。だから、ママだけでなく、実は僕達兄弟もテンションは上がっていた。

 今では清潔でない場所へは行きたくないって位の潔癖症で、花火大会や野球観戦にも行きたくないっていうママが昔は野山を走り回っていたらしい。そんな思い出話に花が咲いた。

 今ではG《ゴキブリ》一匹にキャーキャー叫ぶママも、昔は動物が大好きで、山で迷ってたアライグマの子どもを拾ってきた事があるらしい。当時はアニメの影響で、アライグマを飼うのがちょっとしたブームだったそうだ。でも実際飼うと案外凶暴な生き物で手に追えなくなって捨てられてしまうんだとか。そうやって捨てられたアライグマが二匹でつがいにでもなれば、その子どもが出来て増えていく。だからその辺りに野生のアライグマが今でも生息しているんだって。そう言えば叔父さんと川釣りに出かけた時にも、葉陰から黒い毛に縁取られたかわいい眼が二つ覗いているのを見つけたっけ。

 「実はアライグマって感染のデパートって言われるくらい、細菌やらウイルスやらを人間に運ぶ危険なヤツらなんだよ。顔はかわいいクセしてさ」叔父さんはそう言って、さらに強調した。「かわいい顔したヤツは意外と危険だから気をつけろって事だ」なんて何の話だよ。恋愛相談じゃないんだから。とにかくママの拾ったアライグマは両親の説得で山に戻されたらしい。

 話題は一家が昔住んでた家の話になった。なんでも今のばあちゃんちみたいに広くなくて、本当に古い家だったらしい。廊下を歩くと軋む音がして、夜は怖かったとか。

「あと、兄さん、覚えてる? 屋根裏のネコちゃんの事を」


「ああ、覚えてるよ。屋根裏に住み着いて大変だったな」と眉をひそめる叔父さん。


「えっ? ネコって屋根裏に住み着くものなの?」僕は思わず訊いた。


「屋根裏ったって、古い家だから割に広いんだよ。ネコは寒さを凌げる場所を探すんだ。特に子ネコを生む時にはね」


「じゃあ、そのネコは子ネコを産んだの? かわいかった?」僕はママがネコを好きな事を知っている。もしかしたらその時に見た子ネコがとてもかわいかったのがきっかけかもしれない。


「そうなのよ。でもね、子ネコの姿は見てないの。もう引っ越してたから」


「引っ越したってどこへ?」


「さあ、たぶん子どもを産むためだけに屋根裏に住み着いたんじゃないかしらね。梅雨の頃だったし、雨露をしのげる所を探して迷い込んだのよ」


「引っ越したのに、なんで子ネコを産んだって分かったんだろ。鳴き声がしたとか? それとも見た人がいるの?」


「兄さんが子ネコを連れたお母さんネコの後ろ姿を見たの」


「はぁ? でも勝手に引っ越していったんなら、何が大変だったんだよ?」


「んー、色々あったのよ。まずは足音がするようになって、ネコかネズミか?……ってとこから始まったよね」


 ――なんだ、そりゃ。トムジェリか……――


        ***


「ある日を堺に天井裏からパタパタという足音が聞こえ始めたの。小動物の、それも一匹だけでなく、何匹も走っている足音。それも部屋の端から端まで走る音。そりゃ騒音よ」


「ん。兄さんと俺なんかはけっこう楽しんでたけどね。亡くなった父さんは結構寝れんとかこぼしてたよ」


「ばあちゃんは?」


「農家の強い嫁だったからね。あまりうるさい時には天井に向かってハタキをポンって叩いて脅してたよ」


「ばあちゃん、つえー。じいちゃん繊細」


「だろ? 父さんは農家の方じゃなくて会社勤めだったからね。農業のような肉体労働だと疲れて夜は多少うるさくても寝れるんだ」


「一日中うるさかったの?」


「ううん。夜だけ。それでネコかネズミかって話になったんだよ。どちらも夜行性。足音からするとどちらも考えられた」


「でもネコかネズミかって、その差は結構大きいよね。ネコならママ大丈夫だけど、ネズミならそんなたくさんいたら、ママ卒倒するんじゃない?」


「どうかしら? 今ならね。その頃はねー、どうだったと思う? ネコでもネズミでもかわいかったと思うんだ」


「それ、絶対ウソだよね!」


「本当よ」とママ。


「でもママ、G《ゴキブリ》なんて死ぬ程キライじゃん」


「そりゃ今はね。あの頃も初めのうちはすごくヤだった。でもね、私あの当時は、中学受験を目指す小学六年生でね、毎晩一人で起きて受験勉強してたの。そしたら天井裏を走り回る足音が聞こえてくるでしょ?」


「勉強の邪魔になるよね、普通」


「それがだんだん親しみを感じるようになってきたの。夜中にパタパタ走る音が聞こえてくると、今起きているのは私と天上裏を走り回ってるあの子らだけなんだーってね」


「あの子ら(笑)。中学受験なんてしたんだ」


「そう、県庁近くにある教育大の附属中学校を先生に勧められてね。でもこの田舎じゃ中学受験するのはママくらいでしょ。だからクラスメートや仲の良い友達なんかにも中学受験の勉強してるなんて言えなかった」


「おしゃべりなママが?」


「そう、普段はおしゃべりなのにね」と叔父さん。


「だからこそ、夜中に走り回る足音が聞こえてくると、あの子らも昼間は小さくなって我慢しているんだなって」


「そうなんだ。でも夜行性ってだけだね、多分」


「でもその頃はそう思ったの! だからさっき言ってたのは本心。ネコでもネズミでもどっちでもかわいかったって」


「寂しさって人を変えるんだね」


「変えるんだよ」と叔父さん。


「だから駆除してほしいって父さん、つまりキミたち兄弟のじいちゃんが近所の知り合いに頼んだ時、殺すのだけは止めてってお願いしたのよ、父さんに」


「ちょっと待って! 頼んだって何を」 


「そりゃもう『駆除』」


「駆除で殺さないってあり?」という言葉を僕は飲み込んだ。叔父さんがまるで

「もういいやん」って感じで目配せしてるように見えたからだ。


「今ならそういう会社あるよね」


「昔だってあったさ。でも駆除ってのはお金かかるんだよ。そういうの出来る人が近所にいてさ。昔、そういう仕事してたらしい。作業着着てる人らがわが家に集まって来た時、その様子が怖かったよ。ホースとか持って来ててさ。最後はちゃーんとキレイにしてよね、なんて母さんは脅すようにその人達に言ってたっけ」


「ばあちゃん、やっぱつえー!」


「私、作業着を着た大人達が集まった所までで、無理やり、親戚の家に連れていかれたのよね。女の子がショック受けたらいけないって。家に帰ったらもうキレイになってて、その夜から足音は聞こえなくなった」


「じゃ孤独な受験勉強の始まり?」


「そうね。真夜中の友達はいなくなったから」


「で、おじさんは見たんだ。ネコの後ろ姿を」


「ああ。屋根裏に行った大人達がそこらじゅうにネコの毛見つけてさ、でもネコは、そこからドロンしてた。そして俺は家の前で見たんだ。お母さんネコが子ネコ達を連れて夕焼けの中、遠ざかっていく姿を」


「童話みたいな話だね」


「でしょ? 私は兄さんからその話を聞いて、ネコ好きになったのよ」


「そっか。それでわが家にはミュウがいるんだね」


 ミュウは家で飼ってるカフェラテみたいな色のネコ。今は隣の家に預けてる。


        ***


 そんな会話のあった夜、ばあちゃんちの庭先で煙草をくゆらせている叔父さんを見かけ、僕は話しかけた。


「叔父さん、今日のあの屋根裏の足音の話だけど、あれ最後の方、絶対ウソだよね?」


「はぁ? どこが?」


「とりあえずネコの毛とネコの後ろ姿はウソ」


「バレたか」


「バレるよ。で、屋根裏にいたのは何だったの? ネズミ? それともママが可愛がってたもの?」


 叔父さんはその言葉にドキッとした様子だった。


「えっ! じゃあやっぱりアライグマ?」


「違うよ。何も動物らしい気配はなかった」


「じゃあ何だったの?」


「あったのは、昔からあるおひなさまの箱だけ。箱の蓋は開いてたけどね。その日、大人達がどこかへ運んでいったよ」と言い、叔父さんは慌てて付け足した。「あ、これママには絶対内緒だよ」


 それなら何で言ったんだよ。いっそ聞きたくなかったよ。


(終)





















 

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