不死の体とニューロビノイド
秋村 和霞
不死の体とニューロビノイド
薄暗い監視室で、送信されてくるパラメーターが正常である事を確認する。
今日も走者の管理は行き届いているらしく、不良者や廃棄者は規定値以内に収まっている。
安堵のため息を漏らすと、背後から部下の雑談が聞こえる。
「エリア長、今日で“あがり”だってよ」
「まじかよ。随分蓄えていたんだな」
私に聞こえていないと思っているのだろうか。それとも、人間を辞め支配者層に入る私に対する当てつけだろうか。
私は今日で仕事を辞め、全身機械化手術を受ける事になっていた。
脳以外のあらゆる器官を機械へと置き換え、不良が起これば新しい物へ取り換える。そうして、実質的な不死を得る。さらに、機械化人間によって支配されるこの世界では、その手術を受ける事がそのまま支配者層となる事を意味していた。
そのため、これからは政治という今以上に煩わしい仕事をしなければならないのだが、大規模なテロリズムが引き起こらない限り、私は永遠に生きられるのだ。
私はその永遠欲しさに、この反吐が出る仕事を続けてきた。
ここはCOR型第六ニューロビノイド生成工場。私は、この広大な工場の第三エリアを担当する責任者だった。
ニューロビノイドは長い間、内因性カンナビノイドと誤認されていた脳内生成物質である。生成される要因は、食事や性行為、そして“走る”事だった。
ニューロビノイドの生成には、多様なアプローチが行われてきたが、食事では費用が掛かりすぎる、性行為では当人同士の相性に生成量が左右されてしまう等の理由により、その多くは失敗に終わっていた。
そこで最終的に確立されたのが、このコレクションオブランニング方式、通称COR型と呼ばれる方法だった。
COR型では、無作為に選ばれた人間を強制収容し、首の動脈からパイプを差し込み脳に向けて管を伸ばす。その状態で一畳ほどの広さの収容室に入れる。収容室の床はランニングマシンになっており、管制室より適切な負荷が与えられ、彼らはそこで死ぬまで走り続ける事になる。
生命維持には血管へ直接栄養を送り込まれ、通常の麻薬で精神を狂わせ永遠に走らされる彼らの事を、ここでは走者と呼んでいた。
走者は、俗にランナーズハイと呼ばれる現象を作為的に引き起こされ、そうして脳内で分泌されたニューロビノイドを動脈のパイプから収集される。
そうして集められたニューロビノイドを精製して、機械化人間へ上納するのが、この工場の役割だ。
機械化人間がニューロビノイドを欲する理由。それは、唯一彼らが生身である脳の維持の為だった。
あらゆる器官が機械化に成功している中で、唯一脳の機械化には成功していない。ニューロンと互換性のある電子信号の開発は長年進められているが、未だに実用段階にはなく、結果として脳は生身のままだった。
そして、ニューロビノイドには脳を若返らせる効力があった。
細胞分裂の一定世代毎に訪れるアポトーシスも無効にし、他人の体で作られた物質でも拒否反応が起こらない、奇跡の物質。不死である機械化人間たちの命綱。
それを得るために、この工場では何万人という人々が不条理な状況で走り続けていた。
私はこの仕事が嫌いだ。人々の犠牲の上で特権階級の人間が生き続けている社会構造も許せない。何より、定期的にあの部屋へ収容される人間は無作為に選ばれているのだから、私自身が走らされる可能性だってあるのだ。つまり、私が管理する走者たちは、あり得たかもしれない自分の姿なのだ。
その考えが私の同情心を煽る。
しかし、私は自身が永遠に生きたいが為に、彼らに犠牲を強いているのだ。
その罪の意識は決して忘れてはならない。
「あ、エリア長。定刻ッスよ」
「へへへ、自分たちもいつかそっちに行くんで、その時はまたよろしくッス」
揉み手をする部下たちから最後の挨拶を受ける。支配者層になる私に少しでも顔を売って、何かしらのおこぼれに与りたいのだろう。
私は監視室を後にし、手術室へ向かう。
一般職員の立ち入りが禁止されている区画。その入り口に身分を証明するカードをかざして、扉をくぐる。
その先に延びる長い廊下を歩き、一番奥の部屋に入る。
そこが手術室だった。
部屋の中には誰も居ず、白い部屋の中央には重工な手術台が鎮座している。
電子音で私の名前が読み上げられ、続いて指示が飛ばされる。
私はその指示に従い、服を脱いで手術台の上に寝転ぶ。
それと同時に背中から麻酔を打たれ、私の意識は一瞬で途絶える。
目を覚ますと、目の前に女が居た。
年は私と同じくらいだろうか。白衣を身にまとい両手をポケットに入れた長身の女性。
「おはよう。永遠の命を得た気分は如何だろうか?」
私は自分の体に触れる。何かが変わった感覚は無い。
「あなたは?」
「私かい? 君の先輩であり、医者であり研究者さ。非機械人間との接触は原則禁止なので、姿は見せられなかったけれど、君の手術の立ち会いも務めさせてもらったよ。もっとも、全身の機械化は全自動の医療ロボットにより行われるから、本当に見ていただけだけどね」
「手術は成功したのですか?」
「ああ、もちろんだとも。私も初めは実感が無かったが、時間が経てば実感が沸くさ。どれだけ経っても年を取らないんだからね。これだって、いくらでも楽しめるよ」
彼女はポケットから煙草を取り出し口にくわえる。火を点け紫煙をくゆらせると、部屋に不快な臭いが充満した。
「それって、旧世代に禁止された危険薬物ですよね?」
「特権階級には許されているのだよ。そんな事よりも、君はこれをあげよう」
彼女は一粒の錠剤を手渡した。何の変哲もない、白い錠剤。
「これは?」
「ニューロビノイドの錠剤さ。飲んでみなさい」
私は渡された錠剤を唾液に絡めて飲む。口内の感覚も人間だった頃と何ら変わりない。
しかし、その錠剤を飲みこんだ瞬間、頭に割れるような痛みが走り吐き気を催す。
「こ、これは本当にニューロビノイドなのですか?」
「ああ、間違いなくニューロビノイドの錠剤さ。ただ、少し刺激が強かった様だね。次は口直しにこれを飲むといい」
そう言って、次は薄黄色い錠剤を取り出す。
「これは何ですか?」
「飲んでから説明するよ」
私は訝しく思いながらもその錠剤を口に入れ飲み込む。
今度は頭痛が取り除かれ、幸福感に包まれる。吐き気も止まり、体が軽くなったように感じる。
「気分はどうだい?」
「はい、すっかり良くなりました。これは何だったのですか?」
「それも、ニューロビノイドだよ」
「これも? 先ほどのとは何が違うのですか?」
私の問いに、白衣の女は頬を吊り上げる。
「実はだね、ニューロビノイドの人口生成には成功しているのだよ」
「何と! それなら、これ以上工場での犠牲は必要なくなったって事ですか?」
「残念ながら、工場での生産は止められないよ。人口生成したニューロビノイドには欠点があってね。身をもってその欠点を味わった君には説明は不要だろう?」
「……ああ、そういう事ですか。つまり、先に飲んだ錠剤が人工物。後に飲んだ錠剤が、工場で生成された物。そういう事ですね」
「流石、ここまでたどり着いた人間なだけはある。さて、君にはこれから政に関わってもらう訳だが、それはつまりCOR型工場で走り続けている走者を救う事も可能だ、という事だ。さて、君はどうする?」
「そんな事決まってるじゃないですか。人工物を飲んだ時のような、苦しい思いをして生き続けるなんて御免です。走者の連中は、私の楽の為に走ってればいいんです」
白衣の女は膝を叩いて笑った。
「いや、失礼。合格だよ。君には政治は向いていると思う。さあ、これからの生活について説明するから、こんな辛気臭い部屋からはとっととおさらばしよう」
彼女に連れられて、部屋を後にする。
そう。私はあの仕事が嫌いだった。人々の犠牲の上で特権階級の人間が生き続けている社会構造も許せなかった。しかし、それは私が走者となって、狭い部屋で永遠に走らさせられる可能性があったからだ。
もう恐れる必要は無いのだ。
私は人間の体と共に、罪の意識をこの場所に捨て去り、白い部屋を後にした。
不死の体とニューロビノイド 秋村 和霞 @nodoka_akimura
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