間の世界を救う者

蜜柑桜

第二十三話

 間口にいたのは、見るものが我知らず目を奪われる美しさを持った女性——野々原チエコだった。竹上が今しがた見ていたモニターに映ったままの姿で、すっと背筋を伸ばしてそこに立ち、ユースをひたと見つめている。


ここはざまにやって来るとは、覚醒したのか」


 ユースが喜色を浮かべて相手を見返す。チエコの唇が室内を照らす白々しい照明を返して艶めく。


「私の中に意識が複数あるのは前から薄々、気がついていたわ。おかげで何人か、あなたと関わった人たちと意識上で交信もできた。ただ悪いけれど、演劇をやってるとね、他者の意識と融合しながら客観性を保つのもある程度可能なのよ」


 チエコの瞳にはもはや、自我を失ったヤーブスが矢場杉を乗っ取った時に彼女が見せた慄きはない。どこまでも静かであり、それでいて強い。


「でも矢場杉栄吉とヤーブスの誤融合から衝撃を受けたおかげかしらね。葉桜の主彼女の意識が私の中で声を上げた。だから彼女の言葉を伝えにきた。彼女と意識を交わしたら、もうここに来ていた」

「なるほど、さすがだ。で、彼女はなんと言っている?」

「正しい器を求めている。あなたが望む解決へ至るための道。あなたが知る通りの過去から繋がる道を作るために。あなたの心にある、あのくノ一の少女を継ぐべき者を」


 カツ、と黒曜石の床に靴音を立て、チエコがユースに一歩近づいた。するとユースはチエコに向き合ったまま、竹上に指示を出す。


「どうやら彼女と話さなければならないようだ。席を外してくれ。それから」


 目の前のモニターをスワイプし、ユースは口の端を上げて含みのある笑いを浮かべた。


「あれから連絡が来るだろう」



***


 退室を促され、竹上は渋々タブレット・デバイスを取り上げて廊下に出た。自動扉が閉まり切るのも待たず、すっかり人気のなくなった廊下にヒールを響かせる。静まり返った研究所の階段を降りていく途中で、タイト・スカートのポケットでデバイスが振動する。取り出して見れば、画面が薄紅色に明滅していた。発信者名に出ているのは、柑橘系の果物。

 先のユースの言葉を思い出し、なるほど、と竹上は画面をタップする。


『良かった、繋がった。そちらは?』


 画面が『通話中』に変わると、すぐに無線で忙しない声が耳に飛び込んできた。


「いま何故か野々原チエコが来て、ユースと話し始めたところなんだけど……あなたがチエコと別々に話しているってことは、チエコと同一人物ではなくて交信した相手の一人なのね」

『アンコック・へミュオン効果の応用理論で顕在意識上の交錯が可能になるのよ。彼女のように他者の意識を自意識的に取り込むのに慣れているとやりやすい』


 返事を聞きながら、竹上はこの受信に驚いていないことに気がついた。仮想世界と現実世界の全てを俯瞰することは無理でも、日がな一日中、データ処理や状況観察を任されている身として、おそらく無意識にユースの思惑の一端を推測していたのだろう。


『初めはこんなに多くの人を巻き込んで長く続くなんて思ってなかったわ。二千光年後を考えるより難儀な分野になってるし。というわけで急ぐから手短に』

「なに?」

『さっきのヤーブスは見たでしょう?』

「仮想世界と現実世界の擦り合わせの失敗?」


 仮想世界と現実世界——葉桜と陽炎を巡るこの問題を解決に導くためには、平行で進む両者の世界を交錯させる必要がある、とユースは言っていた。しかしいまのところ、まだ完全な成功には至っていない。歪みや亀裂が甚だしい。妖刀は現実界の矢場杉を害し、仮想世界のヤーブスの意識を蝕んで、両者が衝突した。 


『もともとこの件をどうにかするためにヤーブスが介入したでしょう。でもそれだけでは解決できなかったから、現実界の矢場杉栄吉が巻き込まれたわけだけれど』

「それは知ってる。でも狂戦士化は想定外だわ。善良な一般市民をはざまの問題に巻き込んだ以上は無事に日常へ帰すのが絶対の掟でしょう。研究所ラボの仕事は倍増してるわ」

『そう、それを破れば何が起こるか知れたものじゃないから調べてたんだけど……「こちら楽園の酔っ払い戦線で箏の調べと見習い勇者のうきんのはなうたを捨てていく金糸雀カナリヤ」で妖刀に害されるのは女優だから、といって矢場杉にあんな格好をさせる指令が下ったのに、失敗した。それで原因を突き止めたわ。矢場杉のポテンシャルはそれじゃ引き出せない』


 いつの間にかもう研究所ラボの渡り廊下まで来ていた。頭上高くに昇った月がデバイスの画面上に映り、白く美しい光が反射する。

 間の世界にも宇宙は存在する。思わず首を回らし、この混乱しきった状態を忘れて見惚れた。しかし、状況はそんなに甘くなかった。竹上は頭を振って現実に思考を引き戻す。


「矢場杉栄吉のポテンシャル……一市民であれど、印刷業を務めながらにして筆力のある物書き。この能力がユースの目に止まったと聞いているわ。あら、でも確かそれだけじゃなかったはず」


 竹上は反射的にタブレット・デバイスを立ち上げ、データ・ボードを起動する。司令により徹底的に解析した矢場杉栄吉の詳細記録と解析結果。情報量が多すぎてまとめるのを後回しにした膨大な記録ログを遡り、「見つけた」と、竹上は目当ての情報を記載したタブを最前面に表示した。


「これが要だったってわけ? 本人が言うにはユースとの共通点……」


 呼び起こした情報は、初めて聞いた時の印象が強くてよく覚えている。


「これは本当の話だったのね。なんて、生物学的に信じがたかったけれど、間の世界に選ばれたということなら納得もできるわ」


 画面上で赤字の記録ログが明滅する。司令を受けて以来、最初期の記録。矢場杉の特異な身体的徴候。


 ——三十五歳になった時点から、歳を重ねないエターナル三十五歳


 竹上がその文字を、確認するように口の中で転がしたのに対し、モバイル・デバイスの相手が首肯した。


『でも矢場杉栄吉本人は、まだその能力を自覚していない。彼の本能で核になるそこに気がついていない状態だったからヤーブスの暴走が起こってしまった』

「本能を自覚させるために必要だったのは、女装ではなかった、ということね」

『そう、そこで調べがついたから作って欲しいものがあるのよ』

「作る?」


 また新たな司令か——もはや目が眠気で霞むのを感じながらも、竹上はタブレットの画面を操作し、計算式と設計図を格納したフォルダを呼び起こす。無数に並ぶファイルはいずれも、これまで成功してきた機械メカのデータだ。

 渡り廊下に吹く涼やかな夜風が髪をすり抜ける。その音が耳元を去ったとき、無線の声が響いた。


『250TR・LAWASAKI。ただしこれこのバイクを攻撃には使えないらしいから、防護服も合わせて必要になる。私が受け取っているデータだとライダース・ジャケットDRESDA ORIONが効果的』

「ああ、それなら」


 竹上は画面をスワイプし、つい先頃解析したデータを取り出した。


「防護力は十五プラスになるはずだわ。でも攻撃が不可能なのは難点ね。守るばかりで今の現状、解決に向かうのかしら」

『それは司令ユースなら多分、知っているわ。ことを始めた本人と請け負った人たちだし、精鋭が控えてる。やってくれるはず』


 デバイスのモニターが、薄い桜色の明滅を繰り返した。


『もともとあの超有能なAILAGERを作り出した貴女だわ』


 発光するモニターの向こうで、トットットッ……とワインの注がれる音がする。

 竹上はタブレットのデータを一瞥し、夜空を見上げた。

 無数の星々が燦然としてこちらを見下ろしている。手の届かない宇宙の神秘に比べれば、実態のある現実世界はもちろん、視覚に入るだけ仮想世界もまだ介入が可能だ。


 ——野々原チエコがとやらを繋ぐのに成功したという。ならばこちらは、をどうにか繋がなければならない。それには矢場杉とヤーブスが鍵になる。


 ここ私の頭にある情報データから、矢場杉栄吉エターナル三十五歳にマッチする機械メカの理論計算式がもう浮かび上がってくる。


『250TRはわけないでしょう?』


 夜空の下で、人工的なモニターの光は目に眩しいほど明るい。ヒトの計算から生まれる光だ。

 そこに視線を戻し、竹上はふっと笑った。


「——もちろんよ」








《ごめんなさいーまとまらなかったです!

あとよろしく)








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