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あれから一週間が経過した。在宅ワークの間、当番で会社に出社しなくてはいけない日が訪れたが、僕は到底自宅を離れるわけにはいかなかった。
この一週間、僕は寝る間も惜しんで、詳細に隣人のことを調べ、そして監視を継続した。
「平日の日中なのに、どうしたんです?」
呼び鈴が鳴ったので外に出ていくと、大家が立っていた。僕が失業でもしたのかと思ったのだろう。入居者が失業したのでは、家賃の回収に不安が出てくる。それで確認しにきたのだろうという予測はすぐに立った。
「在宅ワーク中なんですよ」
「そうだったのね。てっきり——」
「失業したと思いました?」
はっきりと言ってやると、「あらやだ。そうじゃないの。体調でも悪いのかと思って」と彼女は取ってつけたように言った。アパートの大家は道路を挟んで斜め前の家だ。僕は思い切って『日波家』のことを尋ねてみた。
「日波さん? ああ。日波さんは立派な方ですよ。会社の経営されていて、今は息子さんに譲っているから悠々自適な生活をしているようですよ。奥さんはあの通り、とっても気さくな方でしょう? 公園の花壇の手入れもしてくれて……。え? 娘さん? ああ、確かに。娘さんは——ねえ」
大家は言葉を濁して帰っていった。やはりあの家には何かがある。僕は散歩に行く風体で隣の家をまじまじと見つめた。先日同様、奥さんが庭で花いじりをしているところだった。彼女は陰鬱とした視線を僕に向ける。明らかに警戒していうような視線だ。大家が言うように人のいいようには見えなかった。
***
僕はそれからも隣の家を注視していた。時々、二階の窓からあの女性が顔を出して「助けて」と何度も訴えてきた。僕はどうしたらいいものか思案に思案を重ねた。人の命がかかっているのだ。仕事なんて取り組んでいる場合ではない。僕は思い切って隣の家を訪ねてみることにした。
「ごめんください」
チャイムを鳴らすと象牙色の不健康そうな顔色の初老の男が顔を出した。彼は豊な白髪。気品のある風貌で、とても暴力を働くような男には見えないが、人は見かけによらないのだ。僕は騙されない。
「隣のアパートの三津田と申します。不躾に押しかけてすみませんでした。しかし、あの——。娘さんが、僕に救いを求めてくるんです。それで、僕は彼女をどうにかしたいと思いまして……」
「三津田さん。それはそれは。しかし、心配ご無用ですよ。娘は病気なのです。あなたになんとお話しているのかは分かりませんが、赤の他人様にご心配をおかけするようなことではございませんので、どうぞお引き取りください」
玄関の扉は僕の鼻の先で閉められた。僕は、これはますます怪しいという疑念を深めた。僕を彼女に会わせようともしないのだ。僕は決心した。やはりこれは、計画を決行するしかないのだ。僕はトイレの窓から彼女に見えるようにメッセージを送った。
『今晩、助けるからね』
***
僕はかねてから考えていた作戦を決行することにした。近所が寝静まるのを待つ。隣の家の電灯が消えた後、一時間後に作戦を開始するのだ。時計の針は深夜一時。とうとう、隣の家の電灯がすっかり消えた。僕は黒っぽい服装に帽子をかぶり、隣の家の敷地内に侵入した。勝手口付近にあるダストボックスに登り、それから屋根に駆けあがる。もともと山岳部だったおかげで、体は思うように動いてくれるのだ。物音を立てないように、そっと登り切って、いつも彼女が顔を出す窓を叩いた。
「僕だよ。キミを助けに来た。ねえ、起きている? 開けてよ」
屋根から窓越しに女性に会うなんて、なんだかロミオとジュリエットチックで心臓が高鳴った。その時の僕は自分に酔っていたんだ。彼女を助けるということよりもなによりも、ヒーローになった気分に浸る僕は自分に酔っていたんだ。
しかし——。
暗闇の中、不意に視界が開けた。真昼のようにぱっと明るくなった。僕はそこで自分の仕出かしたことに気が付いた。僕は一体、何を——……。
大柄な男たちに囲まれて屋根から引きずり降ろされた。それから庭先に四つ這いにされて、取り押さえられたんだ。
「ち、違うんだ。僕は、ただ——彼女を、彼女を助けないと!」
人だかりができている。白髪の日波氏。それから眉間に皺を寄せて不安げに寄り添っているその奥さん。そして——二人の後ろに立っている女性——。
彼女は笑っていた。その伽藍堂な瞳は何も映さない。ただ警察官に取り押さえられている僕を憐れむことも、嘲ることもなく見つめているのだった。色の悪い唇は角がきゅっとあがり微笑みを浮かべているようだった。
——ああ、僕は。騙されたのだ。彼女に……。
「ストーカーしていたんですって。三津田さん。人は見かけによらないわよね」
パトカーに乗せられる際、大家のそんな囁きが耳に入った。
(了)
おうち時間「隣人の事情」 雪うさこ @yuki_usako
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