第43話 『サヤ』


 蒼焔が燃えさかり、魔法陣を包んでいる。


 穏やかな風が吹き、炎が消え去ったあと、魔法陣の中には一人の少女が佇んでいた。


「……お前は誰だ?」


 白い衣を纏った少女が、イルフリードの問いかけに淡く微笑む。


 そして意識を失った。



 †



 神人の襲撃から一夜空け、第七魔導研究所およびトーチ・タウンの被害状況が明らかになった。


 羅刹鬼、レーヴェ隊の機兵六機及びエンネアのノクス・メモリア、全損。


 キサラとエンネアを含む操手八名の死亡と、その他死亡者三名、重軽傷者二十名ほどの被害を出し、第七魔導研究所への脅威は去った。


 神人の粛正を恐れた皇帝は、反魂術に関するものの処分を言い渡したが、それは既にキサラによって行われており、第七魔導研究所は一時閉鎖という処置が執られた。


 イルフリードは、このときはじめて勅命に背いた。


 全損報告を出した羅刹鬼の斬り落とされた腕を提出し、処分済みであると報告したのだ。

 その後、ネブラ・ナーダの修復を口実に、長期の休暇を取り、侯爵家の輸送艇で、愛機とともに羅刹鬼をファリオン侯爵家の敷地に運び込んだ。


 屋敷で休暇を取る彼の傍らには、引き取ったばかりの少女の姿があった。


 金糸のような美しい髪を肩で揺らしながら、素足で舞う少女には、エンネアの面影がある。イルフリードは記憶をなくした十歳の孤児として、彼女に『サヤ』の名を与えた。


 キサラが消滅したあと、あの魔法陣の中に突然現れた少女だった。

 エンネアの面影はあるが、別人であることをイルフリードは理解していた。


 キサラが残した生前の最後の理論によると、三人の魂は一つになって生きるはずだった。

 皮肉にも肉体を得たのは、星の意思だろうか。


 いずれにしても、この『サヤ』には彼女たちの記憶はない。



 † 



 聖華暦825年4月



 ファリオン領・第一都市ファータガルデ。


 季節は巡り、花々が芽吹く春を迎えた領立カナルコード女学院を、イルフリードはサヤと共に訪れた。


 正式に養子縁組の手続きを終え、養女として迎えたサヤは、優秀な成績で編入試験に合格し、中等部への入学を許可されたのだ。


 理事長室で所定の手続きを終えたイルフリードが、学院内を巡るサヤを迎えに戻ると、中庭から賑やかな声が聞こえて来た。


 中庭の古木には白と薄紅の混じった淡色の花が咲き誇り、青々と茂る芝に雪のように降り積もる。

 物珍しそうに花吹雪に手を翳したサヤが、上級生と思しき学生たちと和やかに過ごしているのが見えた。


「サ――」


 呼びかけようと声を発したイルフリードは、そこで冷たい視線を感じて口を噤んだ。

 サヤとともに散りゆく古木の花を眺めていた制服姿の生徒の一人が、真っ直ぐにイルフリードを見つめている。

 彼女は無言のまま、生徒らの輪を外れ、イルフリードに近づいてきた。


「貴様……」


 女学院の制服を着ているが、イルフリードには彼女が人間ではないことを直感で悟った。


 ――神人カムト


 キサラとともにこの手で殺めた処罰に訪れたのだろうか。


 或いは――


 警戒心を隠そうともせず、イルフリードは剣の柄に手を添えた。


「……危害を加える意図はありません。剣を収めなさい、暗黒騎士」


 肩で切りそろえられた艶やかな白金色の髪を揺らしながら、少女が近づいてくる。

 その微笑みは少女のものとは思えないほど妖艶で、ぞっとするほど美しかった。


「貴様、神人カムトだな?」


神凪かんなぎ・ルシアと申します。以後お見知りおきを」


「……娘になんの用だ?」


「ムスメ? ああ、『サヤ』のことですか?」


 全てを見透かすような目で、ルシアと名乗った神人はイルフリードを見上げた。

 涼しげな表情だった。

 微笑んではいるが、その瞳には冷たい光を宿しているのをイルフリードは感じ取った。


「……あの子は何も知らない」


 神人がこの場に現れた意味を探りながら、イルフリードは呻くように訴えた。


「ええ。そうでしょう。星があの娘エンネアの身体に、新たな命を宿したのです」


「……何が言いたい?」


 訝しく片眉を上げ、問いかけるイルフリードに、ルシアは口角を上げて微笑みのかたちを買えた。


「約束を」


「約束?」


 オウム返しにその言葉を繰り返したイルフリードに、ルシアはゆっくりと頷いて見せた。


「そうです。我々が矛を収める条件を呑みなさい」


「『サヤ』を反魂術に近づけるなとでも?」


「その通り」


 幼子にでもするように、ルシアが手を合わせて優雅に叩く。

 生身の人間を前に、神人の優位を見せつけるその態度に、イルフリードの背を冷たい汗が伝った。


「もしその約束を反故にしたら?」


我々カムトは、アルカディア帝国の敵となります」


「脅しというわけか」


 憎々しげに呟き、イルフリードはルシアを見下ろす。

 ルシアは動じることなくイルフリードの目を真っ直ぐに見つめ、緩く頭を振った。


「いいえ、大切な約束です。貴方が国家を護る人間であるならば、破ることの出来ない約束でしょう?」


「…………」


 その言葉を否定することは出来なかった。

 キサラの最期の頼みである良心に従えば、神人ルシアに言われるまでもなく、サヤを反魂術に近づけるわけにはいかなかいことはわかっていた。


「その責務を全うしなさい、暗黒騎士」


「……肝に銘じよう」


 イルフリードの返答にルシアが満足げに微笑み踵を返す。


「約束が、永遠に果たされることを期待します」


 その声と同時に、強い風が吹いた。

 花吹雪が舞い、辺りを真っ白に染め上げる。


 ルシアの姿は、そのまま忽然と消えた。



 †



 ファリオンの屋敷に戻った頃には、日は沈み、細い月が昼と夜の狭間に浮かんでいた。


 薄い闇に包まれた庭園の中に、白い衣をまとったサヤの姿が見える。

 イルフリードの目には、その姿が在りし日のキサラのように映った。


 開け放たれた窓から、サヤの歌声が聞こえてくる。


 サヤは異国の古い歌を口ずさみ、白衣を翻してゆったりと踊っている。

 

 どこからともなく現れた白い季節外れの蝶が、輝き始めた星々のもと、サヤと共に舞っていた。





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読了ありがとうございます。

キサラの物語はこれで、一区切りとなります。

楽しんでいただけたなら幸いです。


需要があれば、サヤを主人公にした続編の制作も検討致します。

よければ、☆評価や応援コメントなど頂けると励みになります。

本作については進展があれば、また近況ノートにてお知らせさせて頂きます。

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