タイムトラベラーにはならない

新吉

第1話

 今日はいい天気。少し前まで雪だるまを作っていたけど、雪は溶けてなくなった。郵便受けを確認する。クローゼットから春色のワンピースを選んで、バッグに帽子とメガネと靴下と靴と、全身バッチリ決めてからおうちを出る。髪型をかえる日もあるけど今日はそのまま。あ、そうそう最近やっと青いバラが咲いたの!


 家の前で友だちとばったり出会った。楽しそうに笑う素敵な子だ。アイドルを目指している。あっちからは近所に住んでいる怖い顔のおじさんが歩いてくる。顔が怖いだけでとても優しい。


 可愛い双子の店員さんのお店で、お買い物して不用品を売る。服屋さんで何着も試す。お気に入りの場所でひとやすみ。日によっては貝殻を集めたり魚を釣って、虫取りして。売って、スローライフでもおうちのローンも払い終えられる。中には株で儲けている人も、タイムトラベラーもいるけどね。増築もリフォームも1日で工事が完了する。はじめは無人島にテントだけだったのに、今は立派な一軒家になった。わたしのおうちは二階建て、地下室だけまだない。


 わたしの好きなおうち時間はもようがえだ。



 セーブしてゲームは終わり、現実世界へと戻ろうか。わたしは僕で僕はわたしで、可愛いものが好きな僕は春色のワンピースや可愛い髪型を楽しんでいる。僕の代わりに思いっきり満喫してくれる。


 約一年前、僕はドラッグストアにいた…シャンプーを買おうとしたらみんなトイレットペーパーを買っていた。僕も買った。マスクも買えばよかったとあとになって思った。

 僕はおうち時間ゲームをした。僕の仕事は家ではできないから、テレワークに憧れた。家の猫をみんなに披露したかった。


 世の中一気に変わるもんだなあとのんきに思った。約十年前もそうだったけれど、世界が変わるのなんて一瞬だ。あの時、僕は。人の数ほどに物語が生まれた。

 やっと落ち着いて家がたくさん建ち並んで、お店もおしゃれなお店もできてきたのに、今度はなんだよ?たいていのことじゃ驚かないよと僕はたいして気にしていなかった。楽しみにしていたゲームの発売日、偶然にも誕生日と一緒で僕は自分の誕生日プレゼントとしてゲームを買った。とてもいい判断だったと思う。あっという間に世界は大混乱、妻は消毒の鬼になった。こどもたちは鬼退治に夢中になった。


 今年はどこにも行けなかった。僕は代わりにゲームで行った。海も山も、花火大会もお花見も、可愛い服もいっぱい着たし、もようがえもたくさんした。窓の外は寒かったり暑かったり大雨が降ったり大雪になったりした。僕は窓の中にいた。ゲームの中で傘を差した。


 もちろんゲーム以外のこともしてたよ、ちゃんと。仕事もいっていたし、家族サービスもした。むしろ普段よりも長く一緒にいた。みんなそうだったと思う。


 夏には家の庭でバーベキューをした。僕は自分から企画するバーベキューは初めてだった。インドアだから。辺りのおうちの人もしていて、どこからから音楽や花火の音、楽しそうな声が聞こえてきた。負けじと我が家もやることになった。任せとけとバーベキューグリルに火を…起こせない、着火材や新聞につけても火が炭にうつらない!息子と娘がネットで調べてアドバイスをもらい、やっとのことで火がついた。だから肉や野菜がなくなっても、なんだか名残惜しくて焼おにぎりを作った。ゲームではDIYでたき火が完成する。DIY、まあ日曜大工。僕の親父はよくしていた。火起こしもきっと上手いだろう。とても楽しくて、またやろうと言った。別人みたいねと妻は笑う。うるせえやい。


 あの日親父と眺めたキャンプファイアを思い出す。キャンプじゃなくて避難所の寒さしのぎのたき火だけれど。誰かが湿気ったたばこを入れたから臭くなった。まだ小さいこども達を連れて妻は戻っていった。

 親父も僕も何も言わなかった。火を見るといまだに思い出す。今までのことが大きすぎてこれからなんて考えられなくて。でも何かを考えないといられない。それでいてただぼーっとしているような。


 妻が始めた大掃除に参加する。片付けしているうちにたくさん発見されたホームビデオをDVDにした。今はない実家の映像がそこには映し出された。おばあちゃん家だ。こども達はそう言う。僕が過ごした家は跡形もなくなっていた。目の前が海の、オーシャンビューだったからしかたない。しかたないのか。地区ごと解体した。文字通りなくなった。妻の実家は山の方だがそもそもおんぼろで地震に耐えられなかった。


 家が流れていくのを生で見た人たちがいる。生活が暮らしが人生が流れていく。おうちで過ごしたたくさんの時間が一瞬にして崩れ落ち流れ飲み込まれ、溺れた人がいる。


 今から津波の映像が流れます

 いつかつぶれるんじゃないかな

 速報の音が怖い

 からだに染み付いてる

 あれから10年たつなんて信じられない


 時間の流れは波のよう。ゲームをしているとあっという間に過ぎていく。時間ごとにBGMが変わっていく。仕事をしていると長くて、いいや時に一瞬で。まだまだ時間が足りないよ、仕事が終わらないよ。そんな波の中揉まれて溺れてもがいていくしかない。

 勝手に過ぎてしまわないように、スケジュール帳があって印をつける。楽しみでももういくつか寝ないとやってこないその日を、その時を。旅行するなら時間でなく家族と行きたい。


 あれから1年たったんだ、はじめはトイレットペーパーとマスクがなくなった。恐怖は世界を変える。消毒のアルコールがなくなって。

 ああそうそう、おうち時間は宅飲みしてる。オンライン飲み会して、ああ居酒屋に行きたい。僕の友だちと会いに行きたい。気がねなく、お前はどうしてたかと語り合いたい。あたりまえのように体がぶつかる距離で笑いたい。


 おうちは安心できる箱。眠ったり食べたり、猫を愛でたり、可愛いものを可愛がったり。僕らの好きで溢れる場所。僕らにできるのはあたりまえの奪還のため、おうちの中でおうちを大事にすること。まだローンの残るここを。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

タイムトラベラーにはならない 新吉 @bottiti

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説