ユース・K・ジリノフという男
野森ちえこ
第二十二話
長い、長い旅をしてきた。
ねえ、ヘミュオン。
私はただ、もう一度あなたに会いたかっただけなのよ。
潜在意識と顕在意識の逆転現象。それをアンコック・ヘミュオン効果と名づけたのは誰なのかしらね。
少なくとも、あなたが研究していたころはまだ、その現象に名前はなかった。気づいている人間も、ほとんどいなかった。
幸か不幸か、あなたは逆転現象に気がついてしまったわけだけれど。
生きとし生けるものすべて、潜在意識のさらなる深層には、太古からの記憶と意識を共有している共有層がある――というのがあなたの持論だったわね。それが正しいのかどうか、私にはわからない。ただ、葉桜と陽炎に人生を狂わされた私のため、あなたは逆転現象の研究に自身のすべてを捧げた。
鍵がその現象にあると信じて。
人生も、命も、記憶も。
ほんとうに、すべてを。
だからこれは、あなたの研究の成果――なのかしら。
いつ、どこで、どんな世界に生まれようと、あなたは必ずヘミュオンの名をさずかる。
そして私はいつだって、すぐにあなたをみつけられた。たとえ名前が違っていたとしても、記憶を保持している私は、きっとあなたをみつけられる。その自信がある。
でも、あなたはけっして私に気づかない。
それもしかたないことなのかもしれないと思う。思うようになった。
私が宿る命は、名前はおろか性別も、種族すら一定していない。記憶を保持していないあなたの潜在意識に働きかけられるものが、私にはなにもないのだから。
ここにいるのに。
言葉をかわし、目だってあわせているのに。
会っているのに、会っていない。
そんな孤独な再会を、いったいどれほど繰り返したのかしら。
やがて私は、私のなかに複数の意識があることに気がついた。
最初からそうだったのか、それとも命を繰り返すうちにそうなったのか。
気がついたときにはそこにあった。
そして、いつしかその意識がまざりあって、だんだんと『私』が希薄になっていった。
それもいいと思った。むなしさと諦めしか残らないような、さみしい再会を繰り返しすぎたのかもしれない。
だけど――
そうして消えかけていた『私』の意識をすくいあげた人間がいる。
目を血走らせている竹上譲を横目にニヤリと口角をあげている男、ユース・K・ジリノフ。
右往左往している私たちのことを、ただおもしろがっているだけなのではないか――という気がするのだけど。むしろそんな気しかしないのだけれど。
私が、今もかろうじて『私』を認識できているのは、どうやら彼のおかげらしい。
幼女が好きなだけの陽気な男だと思ったら大間違いだ。
四方八方、天井にまで埋め込まれた無数のモニター。そのひとつに、不敵な笑みを浮かべたヤーブスが映っている。あれは、かつての私。いや、未来の私だろうか。
矢場杉が本体だったのか、それともヤーブスが本体なのか。
どちらにせよ、私とおなじように、複数の意識を持っている人間がいるらしいというのは以前から知っていた。まさか、脱皮した上に発光するとは思わなかったけれど。
視線を壁から天井のモニターに移せば、異なる次元に飛ばされたアンコックとエローナの姿が見えた。そのまえにいるのは――
ああ、もう。やっぱり終わりにしなければいけない。
もう十分だ。もう十分、振り回されてきた。もう、いいはずだ。
宇宙より飛来したデバイス。
妖刀葉桜と匣陽炎。
アンコック・ヘミュオン効果。
そして、『穴』と役者殺しの物語――
『こちら楽園の酔っ払い戦線で箏の調べと見習い
この、冗談のようなタイトルに秘められている真実。
はたしてユースと出会ったのは幸運だったのか、それとも不運だったのか。
私にとって。
この世界にとって。
その答えを出すときがきている。
ユースの目的はどこにあるのか。
私は知らなければならない。
長いあいだ、幾度となく繰り返してきた、この終わらない物語を終わらせるために。
「まさか君が来るとは思わなかったよ」
白と黒のはざまにグレーがあるように。
光と闇のはざまに日常があるように。
現実と虚構のはざまには混沌の世界がある。
わざとらしく驚いてみせたユースは、なにもかも計算のうちだというように、おおきく両手を広げて私を迎えた。
「ようこそ。はざまの世界へ」
【蜜柑桜さんの第二十三話へつづく】
https://kakuyomu.jp/works/16816452219040651607
ユース・K・ジリノフという男 野森ちえこ @nono_chie
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