おうち時間は読書が捗る。

酒井カサ

第『独』話 おうち時間は読書が捗る。

 ――人生が四畳半で完結するようになって久しい。


 講義はすべてオンデマンド配信で、メールでレポートを提出するだけ。

 アルバイトは試験の採点なので、そもそも職場が存在しない。

 外出するのはせいぜい食料調達のときぐらいだが、それも近所のスーパーでまとめ買いをするので、月に二回いけば問題ない。


 そんな生活を送っていると、当然ながら曜日感覚が欠如する。最後に入浴したのが三日前なのか一週間前なのか、本気で分からなくなることがある。それも少なくない頻度で。気分はさながら潜水艦の乗員だ。


『ちなみに海上自衛隊では毎週金曜日にカレーを食べる習慣があるらしいわ』

「曜日感覚を失わないように、ですか?」

『諸説あるみたいね。ただ、海軍カレーが美味しいのは事実よ。イチオシはよこすか海軍カレーっ! とろみが強いのが美味しさの秘訣だと思うの』


 あずさ先輩はカメラ越しにもわかる熱量で海軍カレーを語る。身振り手振りを使い、キラキラと目を輝かせながら、僕ひとりのためにプレゼンしてくれている。へえ、よこすか海軍カレーって、レトルト食品になっているんだ。しかも、意外とリーズナブルだ。せっかくだからポチっちゃうか。


『……っていけない、いけない。また本筋から脱線しちゃった。週に一度しかないサークル活動の真っ最中なのに』

「我々、呉海軍カレー研究会にとって、よこすか海軍カレーは邪道ですよね」

『ええ……、そんなサークル知らないんだけど……』


 露骨に眉をひそめる先輩。我がアパートの弱小回線からでもくっきりとわかる。ボケを天然で潰されると反応に困る。まあ、悪い気はしないけど。


『うちは読書研究会。みんなでいろんな本を読んで、感想文を書いたりするサークルよ。……ちゃんと覚えている?』

「もちろんですとも。受験期よりも鬱屈とした大学生活のなかで唯一の癒しなんですから。だからこうしてちゃんと出席しているじゃないですか」


 多少、虚言癖がある僕だけど、この想いは噓じゃない。もしこのサークル活動が存在しなければ、未曾有の一年間を乗り切ることはできなかったと思う。


 きっと四月中旬に【大学、もう辞めたい。辞めさせてよ。陰気な自分が嫌いで、変えたくて、頑張って勉強して上京したのに。四畳半で完結する大学生活って変じゃないですか。授業もオンデマンドだから知り合いのひとりもできないし。僕に居場所なんてないのに。……誰でもいいから助けてよ、独りはもうごめんだ】みたいな病みツイートを遺して、大学を去っていただろう。


 その点、大学生として、サークル活動に従事する楽しみをあたえてくれた梓先輩には返しきれない恩がある。


「しかし、部員が僕と梓先輩しかいないのに『みんなでいろんな本を読むサークル』とか言われても……」

『し、仕方なかったんだもん。去年の四月なんて勧誘自体ができなかったんだから。それに今年は最初からオンライン中心で勧誘活動をするつもりなんだから。君みたいに曜日感覚すら失われるほど暇してる部員を確保しまくっちゃうんだからねっ!』


 ふんっと鼻息を荒くして、先輩は腕まくりをする。なぜ漁師っぽくなるんだ。僕のような学生をいわしかなにかと勘違いしているのだろうか。まあ、全体的に貧弱という点では間違っていないのだけど。


「部員を集めたかったら、バニーガールのコスプレとかどうです? TwitterにUPすすれば、すぐに食いつきますよ」

『それは名案かも……って、なんで私がバニーガールのコスプレをしなきゃいけないのよ。しかも、そういう勧誘は【涼宮ハルヒの憂鬱】でやってたけど、成果はなかったでしょっ!』

「というか、先輩が【涼宮ハルヒの憂鬱】を読んでいたことのほうが意外なんですけど」


 その実、僕は【青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない】に登場する桜島麻衣を思い浮かべていたのだけど。しかし、先輩の挙げたシチュエーションのほうが適切だったのでお口チャック。オグリキャップ。


 そういえば青春ブタ野郎シリーズも大学生編に突入していたっけな。……胸が苦しくなるからまだ読んでいないけど。ぼんやりと考え事をしていると、先輩はドヤ顔のまま、言葉を続ける。


『ふふん、こう見えても本の守備範囲はけっこう広いのよ。なんたって読書研究会の長なのですから。さて、今週のオンライン読書会を始めましょ』


 オンライン読書会。それはWEBミーティングをつなぎながら、先輩が決めた一冊を互いに読書する時間を指す。曜日感覚が失われた僕のために、毎週月曜日に開催される。お互いに読み終えた際には感想を語らったりするけど、読書中はただただ無言で本を読む。


 これのどこが面白いのか、そう思うかもしれないが、案外これが悪くないのだ。画面の向こう側から、ページをめくる音が聞こえたとき、言いようのない安心感を覚える。それに読書を楽しむ梓先輩の横顔はとても、美しい。本人にはけっして言えないけど。


「それで、今日はどんな本を選んだんですか?」

『なんだかんだ3月になったじゃない? 来月からは大学がまた始まるわけだけど、オンデマンド授業とはいえ、いきなり始まったら心臓に悪いと思うの。だから、準備運動として最適な一冊を選びましたっ!』

「げっ、まさか、大学生モノじゃないですよね……?」

『そのまさかよ。今日は【四畳半神話大系】を読みます』

「ぎゃああああああああああああああっ!」


 悲鳴をあげて卒倒する。よりによって、大学生モノの金字塔を選んでくるとは。大学生モノはアレルギー気味なのである。


 というのも、これらの本を読むと胸が締め付けられるみたいに苦しくなるのだ。【不幸そうな顔をしていても、こいつらは大学のキャンパスに通うことが出来ているんだもんな……】と思うと、自分が惨めに感じられる。つらい、つらすぎる……。


 朝井リョウの【何物】でなかったことが唯一の救いだ。いま、就活について考えたら、いよいよ自殺しかねない。


「……先輩はつらくならないんです? いまこの状況で【普通の大学生活】が描かれた作品を読むのは」

『創作物と現実は分けて考える派だから、なんとも。それに私は一年間は【普通の大学生活】をおくっていたわけだし』

「う、裏切り者っ! 先輩だけは僕に寄り添ってくれると思ったのに。どうしてそんなこと言うんですかっ!」

『まあまあ、そんなに嘆くことないでしょ。それにいま、こんな状況だからこそ、四畳半神話大系のラストは胸に響くと思うの。とりあえず読んでみてよ』

「まあ、梓先輩がそこまで薦めるのなら、読みますとも」


 小さく嘆息して、僕は読書用のタブレットを取り出す。アプリを開くと先輩から【四畳半神話大系】がギフトで送られてきていた。

 なんでもサークル活動費が余っているようで、そこからオンライン読書会で読む本を買い与えてくれるのだ。ゆえに食わず嫌いなどすべきじゃない。買い置きの缶コーヒーを片手に、僕は表紙をめくった。


 ――3時間後、心地の良い読後感に浸っている僕がいた。


「……めっちゃよかったです。梓先輩の言う通りでした」

『だから言ったでしょ? 読んだほうがいいって』


 首を縦に振る。ネタバレになるので詳しい感想はここでは述べないけれど、ワンルームですべてが完結するような生活をしている、今の大学生にこそ胸に刺さる作品であった。

 中盤までは主人公に共感しかねていたが、後半のあのシーンでは首が千切れるほど同調した。君の苦しみは痛いほどよくわかる。ああ、いい話だった。


『気に入ってくれたようでうれしいわ。君は考えが表情に出やすいからね。とても良い顔をして読んでいたね。薦めた私も鼻が高いよ』


 腕を組んで、自慢げに語る梓先輩。あなたのその充足した表情を見ることで、一年間なんとか生きてこれたんですよ。……なんて、言わないけれど。


『来週もとっておきの本を薦めてあげるから、それまでちゃんと生きているんだよ。後輩くん』

「もちろんですとも。梓先輩」


 こうして、代わり映えのない一週間が始まる。

 今週もなんとか生きていけそうだ。


 ――小説と、梓先輩がいるならば。

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おうち時間は読書が捗る。 酒井カサ @sakai-p

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