彼女への憎しみ

烏丸英

彼女への憎しみ


「そ、そんな……!? う、嘘だ、嘘だ……っ!!」


 ――長い眠りから目覚めた男は、電源の入ったTVに映し出される映像を見て、愕然としながらそんな言葉を漏らした。

 その表情には絶望の色が浮かび、わなわなと唇は震え、彼が感じている恐怖と動揺がありありと表現されている。


 どうして、こんなことになった……? そう、自身の行動を悔やむようにして、男は過ちがどこにあったのかを振り返っていく。

 自分の展望と未来がガラガラと音を立てて崩れ去っていくことを感じながら、再びTVの画面へと視線を移した彼は、そこに映し出される1人の女性の顔を強く睨んだ。


 彼女に恨みはない。彼女を憎んだってどうしようもない。

 彼女だってただ、自分に与えられた役目を果たすために働いているだけなのだから。


 個人的にいえば、男は彼女のことが嫌いではなかった。

 しかし、己の役目を果たそうとして自分の前に姿を現す彼女を見ると、男は心臓をぎゅっと掴まれたような心苦しさを感じてしまう。

 今日のような日にはその感覚もひとしおで、どうしたって受け入れられない現実に男は涙を流さんばかりの絶望を感じてしまっているのだ。


「くそっ! ちくしょう……!!」


 わかっている、悪いのは彼女ではないということなど。

 むしろ悪いのは自分で、この現実は全て自業自得であることなどはわかっている。


 それでも、どうしたって……男はTVに映し出される彼女へと憎しみを募らせずにいられなかった。


 彼女はいつだってそうだ。いつも、いつも……自分の心を抉り、傷付け、絶望の縁へと叩き込んでくる。

 それでも彼女を嫌いになれないのは自分自身の甘さか、あるいは幼少期からの刷り込みによって、その好感度が絶対的なものとして植え付けられているせいなのか、男には判断がつかなかった。


 子供の頃は愛おしかった彼女が、大人になるにつれて憎悪の対象へと変わっていくことへの絶望感。

 その絶望すら塗り潰す、真の恐怖と絶望を、彼女の声と共に何度味わっただろう?


 その絶望から逃れるために、酒に走ったこともある。

 趣味に没頭し、友人と会い、時には女を抱いて……そうやって、現実から目を背けようとしたことなんて幾らでもある。

 それでも、この現実からは逃げられない。どう足掻いたって、男に絶望を叩き付けてくるのだ。


 彼女の姿を見なければいいのではないかと考えたことは幾度となくあった。

 しかし、それも無駄なのだ。やはり幼少期からの刷り込みによって、頭の中で勝手に彼女の声が再生され、それがまた男に絶望を味わわせる。


 わかっている、この現実からは逃げられない。全てを受け入れるしか道はないのだと、男も本当はわかっている。

 だがやはり、受け入れたくないという本能と……堪え切れない後悔が、彼の心を強く苛むのだ。


 あの時、もっとこうしていれば……ヤケにならず、冷静であれば……。

 近くに転がるアルミ缶を握り潰し、己の行動の1つ1つを顧みた男は、激しい後悔に胸を突かれ、むせび泣くようにして呻きを上げた。

 そして、僅かに赤くなったその瞳で、TVに映る彼女へと、怒りと絶望の籠った眼差しを向ける。


 その感情が彼女に向けられているものなのか、それとも自分自身に向けられているものなのか……今の男にはもう、判断がつかない。

 ただ、燃え滾る炎のような怒りと、凍てついた氷のような絶望が入り混じるこの胸中のざわめきを、他の何かに、誰かにぶつけたいと願っているだけなのかもしれないと、彼自身も思いながら、彼女を移すTVを睨みつける。


 画面の向こう側に立つ彼女は、色とりどりの花に囲まれながら男へと笑みを見せていた。

 まるで無様な自分を嘲笑っているようだと、今の自分の姿とは正反対の楽しそうで希望に満ち溢れた彼女の姿を見ることに耐え切れなくなった男が顔を逸らした瞬間、死刑宣告とも取れる彼女の言葉が室内に響いた。


『サ○エでございま~す!』


「う、うぅ、うあぁぁぁ……っ!!」


 ……現在時刻、午後6時30分。外は夕焼け色に染まり、人々が夕食の支度を始める時間。

 しかし、男はそんな時間に目覚めた、目覚めてしまった。昨晩、オンライン飲み会で調子に乗り、深酒をしてしまったせいで。


 絶望、恐怖、怨嗟……今日という日を無為に過ごしてしまったことを後悔する男が、様々な感情を滲ませる慟哭をあげる。


「う、うぁぁぁ……日曜日が、終わっちまうよ~~っ!!」


 貴重な休日の終わりを感じ取った男が狂乱の叫びを口にしたが、その声もすぐに室内から消え去った。

 代わりに、特徴的なヘアスタイルの女性が歌う陽気な音楽だけが、夕日の差し込む男の部屋の中に響き続けるのであった。

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彼女への憎しみ 烏丸英 @karasuma-ei

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