第17話

 結局一睡もすることなく朝を迎えた。

 あれほど吹雪いていた外の景色は、既に雪が止んで雲の隙間から太陽が顔を覗かせていた。

 部屋の隅で光が点滅している携帯を手にすると何件も着信履歴が残されていた。全て和美からだ。

 ついでにメールも届いていた。


「なんなんだ……こんなに寄越して」

 普段そこまで頻繁に連絡を取り合う仲ではなかったが、履歴に残された彼女の名前の羅列を目にすると、なんとも言えない嫌な予感が頭をよぎった。

 気持ちを紛らわすように身支度を整えていると、姿見に映る肩越しに女の顔が見えた。


「よく寝れたかしら?」

 全てを見透かしたうえで尋ねてくる女はやはりこの世ならざるものだった。

 そう考えると呪いというのも納得はできる。この呪いは人を狂わす呪いだったのだ。

「寝れるわけないだろ……あんな話聞かされてはな。だけど今は冴えてるよ」

「そう。それでどうするつもりなのかしら?」

 またもやわかっているくせに尋ねてくる女にハッキリと告げた。

「もう呪いなんてこりごりだ。ここで血の呪いは終わらせる」


 ――そう。昨日告げられた真実を聞いて、支倉家がいかに狂っていたのかを理解した。

 女は淡々と語っていた。己が支倉家の男の手によって惨殺され、椿の樹の下に埋められたことを。

 誰にも見つけられることなく、今でも冷たい土の下に埋まっているらしい。女の血と養分を吸って育った椿は女そのものとなり、支倉家の男は代々その椿に魅了され、呪われてきたという。

 たびたび感じていた女の抗いがたい魅力というのが正に呪いの正体であり、飲み込まれたなれの果てがあの父の末路だったのだ。


「親父は……いや、祖父と親父はとうに狂っていたんだな」

「和夫も、いずれはそうなるわよ。誰にも抗えないのが私の呪いだもの。終わらせる手段はただ一つ――」

 そういうと女は姿を消した。


 あの日、父は確かに死んだ。あの庭で。

 窓越しに庭を眺めながら思う。黒焦げになって生き絶えた父のすぐ近く――椿の樹の下には数えきれない呪いの犠牲者が埋められていたのだ。祖父に命じられて父が殺した朋子先生の亡骸も。


 俺が納屋で一晩明かしていた間に、祖父は父に命じて朋子先生を自宅に呼び出した。

 恐らく庭に何が埋められているのか白状するとでも伝えたのだろう。

 素直に訪れた先生は、祖父達が予め用意していたスコップで頭をかち割られ絶命した。そのスコップは先生が探していた父親を殺した凶器でもあった。


 では何故祖父は先生を消す必要があったのか――それは先生の父親と祖父が、いわゆるそういった関係にあったからだ。

 女の呪いは、支倉の男を愛に狂わす呪い。行き着く先は破滅。

 祖父は長い間関係を持っていた先生の父親の他にも同時に関係を持っていた人間が何人もいた。それを知って椿御殿くんだりまで訪れた男と激しい口論となり、思わず殺してしまった。

 そして祖父の手にかかった人間は一人ではなかった。

父は祖父の凶行を知り、また自らの手で愛した女性を殺してしまった自責の念に駆られて焼身自殺をしてしまったのだ。


「そうね。息子を蔑みながらも一番狂っていたのはお祖父ちゃんだったのかもしれないわね。誰にも見つからないように入院すら拒んでこの椿御殿に執着した」

 父の後を追うように亡くなった祖父は、身体中を病魔に蝕まれて苦しみ抜いた末に亡くなったという。

 母が愉快そうに話していたのを覚えている。


 身支度を終えて部屋の外に出ると、辺りに珈琲の香りが漂っていた。

 カフェスペースに顔を出すと、刑部が慣れた手つきで目覚めの一杯を淹れているところだった。

 俺が起きてきたことに気づいた刑部は、いささか大袈裟な笑顔を見せる。


「おはようございます。昨夜はよく寝れましたか?」

「いえ、枕が変わると寝れない性質タチなもので」

「それならちょうどブラックの珈琲をを淹れてるので一杯どうぞ」


 目の前でカップに珈琲を注ぐ刑部の姿を眺めながら、また昨夜の話を思い出した。

「あの刑部という男も支倉の血を引いているのよ」

「もしかしかしてこの椿御殿を選んだのもその血のせいか」

「そのようね。写真に写っていた椿を見たときに私の魅力に引っ張られたんでしょうね。少くともそれ以前から

「どういうことだ」

「それはね――」


「刑部さん。尋ねたいことがあるんですが」

「なんですか?」

 カップに注ぎ終えてテーブルまで運んできた男に思いきって尋ねてみた。

「いつから殺人を犯すようになったんですか」

 少しでも動揺を見せるか――そう思ったが、何事もないようにカップを置くと、惚けた顔で返してきた。

「朝から物騒なことを仰いますね。そういう夢でもみたんですか?」

 おかしそうに笑うので夢であればどれだけ良かったかと吐いてやると、それまでの無邪気な笑顔が嘘のように消え、代わりに能面のように冷たい笑みを浮かべた。


「……おかしいですね。全て証拠は消してここに越してきましたし、ここでも下手は打ってないはずですが……どうやら事実を把握してるようですね」

「お前、連続殺人の犯人なんだろ。それで警察に追われて姿も変えてここに辿り着いた。そしてカフェで提供してる肉は……被害者の、なんだろ」

 警察でもつかめなかった事実を突きつけられた刑部は、余裕な態度を隠そうともしないでキッチンに向かうと牛刀を手にして再び戻ってくる。


「ははは。まさか支倉さんが名探偵だなんて思いもしませんでしたよ。こんなことなら雪囲いなんて頼むんじゃなかった」

 一歩一歩近づいてくる。牛刀を俺に向けながら。

「ですがね。それを知る者は支倉さん。あなたしかいないんですよ。そして誰もいなくなる」

 あなたを殺してね。そういうと手にした牛刀を振りかぶって振り下ろそうとしていた。

「まさか連続殺人者シリアルキラー人肉喰いカニバリズムだとはな」

「あなたの肉は不味そうなので庭にでも埋めますよ」

 さて――このままでは俺も被害者の一人になってしまう。どう切り抜けるか。


 そのとき女がキッチンに立っているのが見えた。

 うっすらと嗤っている。



「椿の樹が残っている限り、呪いは続く。だから止めたいのならこの世からあの樹を消すしかないの」

 昨夜女は話の最後にそう語っていた。

 まるで自らそれを望んでいるような言い方だった。

「お前は支倉家の男を許さないんじゃないのか?」

「それは……もう呪い続けるのも疲れたというのもあるけど――」

 それから少し間隔を空けて続けた。

「あなたは呪いに屈しなかったから」

「俺が?」

「そう。私はね、支倉の男は何処で何をしてるのか手に取るようにわかるの。和夫のことも見ていた。あなたは彼女さんに辛く当たってたわよね」

 そんなことろを見られていたのかと、とことん人外の存在に呆れるしかなかった。

「でもね、実は無意識のうちに彼女への想いに蓋をしようとしてたの。なんでかわかるかしら」

「……さぁな」

「お父さんのようになるのが怖かったんじゃないの?だから自分の手で関係を終わらせようとした。違う?」

 まったくもって忌々しい女だ。好き勝手言いやがって――

「でも安心して。私が消えれば呪いも消えるから――」


 女は初めて見せる真面目な顔で俺に頼んできた。

「だから私をあなたの手で葬ってちょうだい」




 黙っていれば殺されてしまう。

 振り下ろされた包丁の軌道を読んで皮一枚のところで避けると、再び包丁を振りかざしてきた刑部は突如動きを止めた。

「……なんだ、助けてくれたのか」

「さぁ?支倉の血が許せなかっただけよ」

 いつの間にか刑部の首筋に手を添えていた女は、そ知らぬ顔で言い退けた。

「なんだ!?なんだこの感覚は!」

「ふふふ……抗えないでしょ。悪い男ほどハマっちゃうからねぇ」

 刑部が身動きをとれない快楽に襲われている間に外からはサイレンの音が聴こえてきた。

 呼んでおいたパトカーがやっと到着したようだ。


 それから雪崩れ込んできた警官達に牛刀を手にしたままの刑部は取り抑えられ、椿御殿は徹底的に調べられた。

 後日、事前に伝えていた通りに庭からは恐ろしい数の人骨が発掘された。刑部も犯行を自供したようで、素直に取り調べを受けているという。

 掘り起こされた人骨の年代を鑑定すると、数百年前から数ヵ月前までのものまでと幅広かったらしい。




 数ヵ月後、俺と和美はサンバーで春の陽光が降り注ぐ山道を走っていた。

 和美のお腹はやや張っている。今では妊娠四ヶ月に差し掛かる身重の体だ。

 あの日、家を出ようとする俺を和美が引き留めようとしていたのは、妊娠が上手くいったことを伝えようとしていたのだ。そうとも知らずに俺は愚かなことを考えていた。

 その事は無事帰宅してから土下座して謝罪したが、こんな俺を和美は泣いて抱き締め赦してくれた。



 今では主のいなくなった椿御殿に到着すると、開花期を過ぎて花が落ちきった椿の樹がそこに変わらず立っていた。


「ここであんな事件があったなんてね……」

 おぞましい事件は全国放送のワイドショーで何度も流されたが、呪いについて取り上げている局はなく、オカルト雑誌がそれっぽい特集をしていただけだった。

 しばらくはそのセンセーショナルな内容に椿村に訪れる者も多く、再びこの地に来るにはほとぼりが冷めるのに時間がかかった。


「私……和夫のこと何もわかってあげられてなかったね」

「いや、悪かったのは俺だ。俺は呪いを言い訳にしてお前と別れようとしていた」


 事前に用意していた灯油を椿にかけてライターの火をつけた。勢いよく燃える椿の樹は、枝葉をぱちぱちと燃やしながら天へと昇ってゆく。


「これで椿さんもゆっくり休めるかな」

「椿さんてなんだよ」

「椿の花とそっくりな綺麗な女性だったんでしょ?」


 綺麗だったか――うん。綺麗だったな。


 そんなとき、ふと視線を感じた。どこからかはわからない。もう姿は見せないようだ。

 だけど――はっきりと声は聴こえた。



 <私より良い女だなんて嫉妬しちゃうわ>



「最後の言葉がそれかよ」

「どうしたの?」

 不思議そうに顔を覗いてくる和美が無性に愛おしくなった。

 立ち昇る煙を青空の向こうに見送ると、子供がお腹を蹴ったと隣で和美がはしゃいでいた。

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血と花椿 きょんきょん @kyosuke11920212

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