第11話
明るかった時間が終わり、また日が落ちて夜がやって来る。
講義を終えて、レイモンはいつものように王子のいる寮へと向かった。
昨日はこれから護衛するその王子に、理由も知らずに理不尽に尋問のような扱いを受けた。それなのにこうして守らないといけないなんて。
(王子でなけりゃ、あの腕をひねり上げたのに……)
舌打ちをして、睨みながら明かりの灯っている最上階を見えあげる。もし万が一、今日も第一位庭園に行って、会ってしまったら今度はこちらも怒鳴ってしまいそうだ。
そう思ったため、今日、レイモンは第一庭園位は近づかなかった。
だが命令は命令。任務は任務。護衛は護衛。
内心で憤りながらも、レイモンはいつものよううに木々の影にひそんだ。
(ん? あれは……)
寮の前に到着して少しすると、寮からジークハルトと同じ背丈の男が出てくるのが見えた。ダークブラウン色をしている髪は茶色になっており、眼鏡をかけてはいるものの、あきらかにジークハルトである。溢れでる魔力の色が、ジークハルトその人だと表しているからだ。
ちらりと寮の最上階を確認するも、部屋は先ほどのように明かりが灯ったままだ。
ジークハルトは帽子をかぶり、いつもは無造作に下ろしたままの髪を髪を縛っているようだ。身につけている服は制服ではないため、外出なのだとわかるが、変装しているのをみるとお忍びの外出なのだろう。
(となると、隣にいるのは護衛のランスってとこか?)
ジークハルトの隣を歩く、同じような背丈の男。彼は深めの帽子を被っているため、髪の色と顔を見ることはできないが、おそらくはそうであろう。
二人は寮から出ると、そのままレイモンがいる方向とは反対方向にある木々の中へと進んで行った。この先にある裏門の方から出て行くつもりだろう。
(お忍びで外出なんて、まためんどくせぇことしやがって……)
こっそりと跡をつけ、二人が裏門近くで乗った馬車の特徴を確認すると、即座に寮に戻った。そして部屋のドアを閉め、カーテンを締め切って、通信用の魔獣を呼び出した。特別警備隊の連絡のための魔獣だ。
それに文を持たせて、シェハルにジークハルトが学園からお忍びで出かけたことを報告した。
数分後に、寮の鏡から緑色の光がふわりと漂いはじめ、シェハルからの通信が届いた。
『レイモン! 王子サマのお忍び馬車見つけたわ。いま何人かで跡を追ってるところよ』
「そっか。もっと時間がかかるかと思ってた」
『街にいる全員で探したもの』
「なるほどな」
『それより、こっちは任せてちょうだい。街に出たからにはアタシたちが責任持って護衛するわ。レイモン、アナタは今日くらい休んでちょうだい』
レイモンはアズエルから学園で第二王子であるジークハルトを魔族から守るように言われている。学園内で、である。学園外での護衛は言われていない。だから言い方を変えれば、外に出た王子は、レイモンにとっては管轄外になる。護衛する必要はなくなるのだ。
シェハルもそれを理解していて、休みのないレイモンにこの機会にと、休むように言ったのだった。
「……ああ、任せた」
シェハルと短く通信を終えると、少しカーテンを明けてからレイモンはベッドへと腰かけた。
第二王子であるジークハルトが外に出たため、今日の護衛は不要になった。レイモンはなにをする必要もない。
「あー、清々するぜ。今日は護衛する気分じゃなかったし。久々に休みができたことだし、ゆっくり休むとするか」
ぐっと手を伸ばし、首を回して簡単に体をほぐす。そして着替えるとベッドへと横になった。開かれたカーテンから見える月をぼんやりと眺める。
(学園で、王子だとわかっててこれなら、外に出たら……いや、だけど俺は今日は違うし)
ばっと起き上がって、頭を振り、考えていたことを取り去る。ちょうどそのとき、テーブルに置かれたガラスの香油が目に入った。
『彼はね、留学先からこっちに戻ってくるとすぐに魔剣も魔術も手放したんだよ』
いつかのアズエルの言葉が頭の中でこだまする。
「クソ……」
頭をくしゃくしゃにすると、はあと深くため息をついた。窓辺にもう一度立って、カーテンを閉めきる。そして鏡の前に立って、シェハルを呼び出した。
『あら? レイモン、どうかした?』
「いや、……俺もそっち行く」
『そう? だけど今日ぐらい休んでもいいのよ、アタシたちに任せて』
「いや、なんつうか、まあ……」
レイモンはシェハルの言葉に気まづげに口ごもった。シェハルはそれを見ると、微笑んでから「わかったわ」と返した。
『あの二人なんだけど、どうもある男爵邸に向かっているそうよ』
「男爵邸?」
『そう。今日、フォールズ男爵って人のとこで仮面舞踏会が開かれるんですって』
「また面倒このうえねぇ場所じゃねぇか……」
『そうなの。だから正直アナタが来てくれることになって、安心よ。仮面をつけているから魔族も忍び込みやすいでしょうし……』
「……なるべく早めに向かう。場所は?」
『馬車にフォールズ男爵邸、とでも言えばいいのよ。あ、それから髪の色は戻してきてね』
「髪? なんでまた?」
『だって、万が一にでも王子サマに会っちゃったらどうするの? 念のために髪は戻して、眼鏡も外してちょうだい。元の姿になれば、アナタはそれが一種の変装になるんだから。ああ、それからもちろんドレスコードに合う服で来てちょうだいね』
「……わかった」
会場へ入るためのシェハルの指示を聞いて、レイモンはやはり寮で休んでいた方がよかったかもしれない、と思った。
後悔はしたものの、いく以上は会場に合う格好をしなければならない。
レイモンは大人しく髪の色を戻し、魔界から持ってきた服を適当に身につけると街の方まで転移をした。そしてドレスコードが通りそうな服を適当に選んでから馬車に乗り、フォールズ男爵邸に向かった。
馬車から降りると、すぐそばにシェハルが立っていた。
彼は足元を伸びた紫色のドレスを着ていた。胸元が少し空いているだけで、ドレスに飾りは一つもない。そしてその上から腰まで伸びた、上質な黒いマントを羽織っている。両はしには金色の優美な刺繍もほどこされている。
どちらも着る人を選ぶデザインであるものの、すらりとした体型で身長もあるシェハルにはひどく似合っている。
「レイモン、ちょっとその格好はないわ」
「うるせぇ。急いで着て着たんだよ」
「だからってね……」
シェハルはレイモンの側まで来ると、即座に服のダメ出しをはじめた。しばらく不満げな目で見たあと、銀色の仮面を渡してきた。
「まあいいわ。ともかく行きましょう」
「王子たちは?」
「彼らはまだきてないわ。それにそっちにも護衛がついているから大丈夫よ。彼らには王子サマたちが入場した後に、入ってきてもらう予定よ」
相槌をうちながら、レイモンは手渡された仮面を身につける。そしてシェハルと一緒にエントランスに向かって歩いた。
「ああ、これ招待状よ。レイモンの分も渡しておくわ」
「招待状……どうやってとりいったんだ?」
レイモンがそう聞くと、シェハルは頬に手をあてて悩ましげにため息をひとつついた。
「……美しいって、罪なことよね」
「……どうやって手に入れたかは聞かないでおく」
言い合いをしながらエントランスまで向かい、入り口にいる燕尾服をまとった男たちに二人して招待状を見せる。彼らは頷くと、扉を開けた。開けるとすぐに色とりどりの服をまとった人たちが見えてきた。最近ではシェハルが身につけているように、ドレス型のものをきる人も多く、会場には多種多様なドレスが見られた。
中まで進んでいくと、人が集まっている場所が見えた。中心には黒い髪に白髪が少しまじった男がいる。次々に挨拶を受けているところを見ると、あそこにいるのがこの舞踏会の開催者なのだろう。
見たところ、魔族の気配はしない。気配を消す道具を使っていなければ、の話ではあるが。
「一応ここからは二手に別れましょう」
シェハルの言葉に頷いて、レイモンとシェハルは別々に会場を見回ることにした。シェハルがホールにいてくれるため、レイモンはそこから離れて屋敷の内部へと進むことにした。
「……にしても、こういうのは久しぶりだな」
廊下を歩きながら、懐かしさがこみ上げてきてぼんやりと考える。二階の窓から外をのぞけば、下には庭園があるらしく、デザインされた木々や花を見ることができた。見ればちらほらと会場から抜け出してきた人たちも見える。
(庭園の方には配置したのか? そこから転移されでもしたら入って来られそうだな……)
考えながら見ていると、そのとき庭園の端にかすんだ金髪の人物が映った。
「アイツ!」
仮面をしているから表情はわからなかったが、もしかするとあの金髪の男かもしれない。下には人がいるため、窓から飛び降りられない。階段から一階に降りて庭園まで行くしかない。
内心で舌打ちをして、即座に駆け出した。
まっすぐの廊下を走って、階段のある方へと角を曲がる。
「わっ!」
曲がったところで、誰かとぶつかってしまう。ぶつかった相手が受け止めてくれたため、倒れずにすんだ。
甘やかな香りが香る。 この香り、そしてこの魔力には覚えがある。
まさか、と思って顔を上げれば、黒い仮面の下から琥珀色の瞳がのぞいていた。
(おいおい。嘘だろ……)
ジークハルトと出会ってしまったことに驚いて、レイモンは体が固まった。
シェハルに言われたときは「まさか」と思っていたが、実際にこうして会ってしまうとは。
「大丈夫ですか?」
つい昨日も聞いた声が頭の上から響く。受け止めてもらっていた手から逃れて、返事をする。
「……あ、はい。し、失礼をしました」
「ずいぶんと急いでいるようですが、危ないのでお気をつけください」
その言葉で金髪の男を追っていたことを思い出す。こうしている場合ではない。あの金髪を追いかけないと。だが、金髪を追っているのは目の前の王子を危害をくわえそうだったからだ。レイモンは彼の護衛のためにいるのだ。
だとしたら、いまは彼のそばにいるのが正解ではないか?
レイモンがどうしたものか、とジークハルトを見上げたまま立っていると、彼は翡翠の瞳を眺めはじめた。
「あなたは珍しい瞳の色をしていますね」
「瞳? 別にそうでもないだろ、……いや、ですよ……」
考え事をしていたため、素で返してしまい、慌てて言いなおす。
「いまのように砕けた言葉で構いませんよ、私は。それと、言ったようにあなたの瞳は本当に珍しい色合いをしていますよ。何人もの人に会ってきましたが、あなたのような目は見たことがない」
「別に……お、……わ、私よりあなたさまの瞳の方が珍しいかと。私のように緑色の瞳はたくさんいますけど、あなたさまのような色は、」
そこまで言いかけて、止めた。ジークハルトがこちらを見る目に険しい色が混じりはじめていたからだ。昨日の昼間のことがよみがえって、思わず口が止まった。
(またか? まさか俺が「レイモン・アスディア」だとバレたか?)
レイモンが口を閉ざしてまた黙り込んだとき、後ろからバタバタと複数の足音が聞こえてきた。足音からして4、5人はいそうだ。
魔族だろうか。
そう思って確認しようとジークハルトの後ろを見ようとすると、顔を上に向けられ、ジークハルトが口を重ねてきた。
(は?)
そしてぎゅっと隠すように抱きしめられる。
「なにをしていらっしゃるのです? こちらで一緒にお話しいたしましょう」
「そうです。そちらが誰かは知りませんけど、あちらでお話がしたいですわ」
「行きましょう」
顔を隠されるようにしていて、誰がいるのかは見えないが、何人かいるらしい。先ほどの足音の正体はこうしてジークハルトに話しかけている彼らだったようだ。
「見ての通り、私には愛しの恋人がいるんだが? 私たちの逢瀬を邪魔するような無粋な真似はよしてくれ」
「ですが、卿も私とお話しすればきっと、」
「よしてくれ。私は彼以外と過ごしたくないんだ」
ジークハルトが冷たくそう言えば、集まっていた彼らはジークハルトに隠されるようにしているレイモンを睨みつけて廊下を引き返していった。
彼らが離れたことを確認して、ジークハルトはレイモンから手を離した。
「突然口づけをしてすまな、」
だがジークハルトが謝罪を言い終わる前に乾いた音が響き渡った。
「てめぇ! ふざけんな! なにしやがる!」
平手打ちをした手でごしごしと力いっぱいだ口元をぬぐう。
いくら魔力をセーブしているからといっても、感情のままに叩いたせいでジークハルトの頬は赤くなり、口元は切れていた。
「なにって、口づけをしただけだろう」
「口づけをしただけだって? ふざけんな! クソ野郎!」
急に口づけをされて頭に血が上ったレイモンは感情のままに詰めよった。
「あのなぁ! こう、人が我慢してりゃいい気になりやがって! 大体いつも、いつ、」
そこでようやく慌てて口元に手をやって止めた。
違う。いや、間違ってはいないが。
「レイモン・アスディア」にされたことと、「レイモン・アスディア」が我慢していることを「レイモン」の状態で伝えそうになり、急いで止めた。
口を滑らせてしまった。
だが、ジークハルトは気が動転してしまっているのだとあたりをつけ、レイモンの言葉には特に気を払わなかった。
「すまない。あなたの気持ちを無視して口づけを落としてしまって」
丁寧に頭を下げられる。背中を曲げ、綺麗に頭を上げたままのジークハルトを見ていると、レイモンもようやく冷静になってきた。
そうなると、なにも口づけ一つで平手打ちまでしなくてもよかったのでは、と思いはじめた。
(ちょっとやりすぎたか……? いや、だけどこいつが急にしてくるのがいけないんだし…… 。だけど少し血が出てたな)
「すまなかった」
もう一度謝られると、今度は許すほかなかった。
「こっちこそ……」
(許すしかねぇじゃねぇか……)
「あなたな寛大な心に感謝を。ところで、相当急いでいたようでしたが、用事はいいのですか?」
「あー、それは、まあ……」
先ほどよりもずっと冷静な頭で考えて、レイモンはジークハルトのそばで護衛としているのがなによりの正解だと今度こそ思い直した。
(もともとは王子の護衛が仕事だからな。だったらまあ、いろいろあったけど、こうして近づけたからにはここにいるのがいいだろ……)
「そうですか。ではご一緒に庭園にでも行きませんか?」
「そうですね、ぜひ」
それはレイモンにとって願ってもないことだった。護衛対象と一緒にいつつ、気になっている庭園にも行くことができる。
レイモンが明るく返事をし、二人で一緒に降りるために階段へと向かった。
(ん? 待てよ。よく考えれば、もしあそこに金髪がいたら襲わせに行かせるようなことなんじゃ……?)
「あの、ちょっと、庭園はちょっと、」
やっぱりやめにしましょう。と言いかけたところで、奥の部屋から耳をつんざくような悲鳴が響いた。
驚いて二人で顔を見合わせる。そしてすぐ声のする方へと向かう。
「こっちだ!」
廊下の奥へと向かって、いまだに悲鳴が上がっている部屋のドアをノブを回す。だが、内側から鍵がかかっているようで扉が開かない。
「おい、どうした! 鍵開けろ!」
バンバンと、ドアを叩いて言うも、部屋の中からは返答がない。
「どいてくれ」
それに応じて扉から離れると、ジークハルトが体当たりをして扉をこじ開けた。
部屋の中には十人ほどの男たちがいた。床に倒れこんでいる者、錯乱した様子で頭を抱えてブツブツとつぶやいている者。嬌声をあげている者、自傷行為をしている人。そして悲鳴をあげ続けている人。聞こえてきた悲鳴は、彼があげていたものだ。そしてその一人の中には先ほど中央にいた男爵もいた。
レイモンが混沌とした状況に半ば呆然としている間に、ジークハルトはさっさと室内へと入っていた。彼は室内に入って真っ先にガラスで体を切りつけている男を取りおさえた。
「危ないから下がっていろ」
「……いや、俺もやる」
レイモンもそう言って部屋の中に入り、まずは自傷行為をしている者を最優先にとめた。そして次は悲鳴をあげている者の口をふさぐ。
そうしていると、廊下に声を聞きつけた人たちが集まってきた。奇行を見られるのを防ぐために、ジークハルトはここにいる者の顔を布で覆っていった。
それからすぐにフォールズ家の使用人たちが小走りにやってきた。
「これは一体!?」
中の惨状を見て、燕尾服を着た執事らしき男が言った。後ろからやってきたまだ若い男の子は中を見て、ふらついている。
「恐らく、薬でしょう。私と彼が悲鳴を聞きつけてやってきたときにはすでにこの状態でした」
「薬ですか? 一体なんの?」
「それは調べてみないことには、なんとも。それより、ともかく兵を連れてきてください」
「わ、わかりました……」
フォールズ男爵の問いに、ジークハルトが冷静に答えていった。
「ああ、それから彼に着替えを。服が汚れてしまっている」
ジークハルトにそう言われて服を見れば、服には返り血が付着していた。室内にいる男を止めるときに付着してしまったのだろう。
「どうぞこちらへ」
別の侍従の気づかわしげにレイモンに言った・
(別にこのままで問題ないんだが……)
ジークハルトをちらりと見れば、彼は執事となにやら確認をしていた。
「ここ数日でこの屋敷に入りこんでいた人物はいませんか?」
「ここ数日ですか? ……そういえば、最近、変わった二人組がよく来られていました」
「彼らの特徴は?」
「一人はこの辺では見ない褐色の肌をしていて、もう一人はくすんだような金色の髪をしていましたね」
(金髪……!)
執事に詳しく聞こうとしたとき、部屋の外から黒髪をした背の高い男が入ってきた。
「ハルトさま、兵をお連れしました」
(やっぱりランスか……)
ジークハルトと一緒にいた男だが、声を聞いてやはりランスだったと確信した。彼の後ろには何人もの兵がいる。ジークハルトはランスの側に行くと、なにやら耳打ちをした。それにランスは頷いて部屋から出て行った。
もっと詳しく執事に聞きたかったが、この状況では無理そうである。
「こんなことになった以上、今日はもうお帰りになられた方がよいでしょう。馬車まで案内いたします」
いつの間にやらレイモンに近づいてちあジークハルトがそう言った。
馬車の方まで送ってもらえれば、その間は側にいることができる。だが、送り終え、馬車に入ってしまえばそうもいかない。
自分で帰るといって遠目から護衛をする方がいいかもしれない。
「お構いなく。一人で向かえます」
軽く会釈をしてその場を立ち去ろうとする。
「そうですか、わかりました。それから、失礼ながらお名前をうかがっても?」
「……レイ、……レイシャといいます」
「私はハルト・フィナンドといいます。レイシャ、また会える日を心待ちにしています」
そう言ってジークハルトが仮面の下で、目を細めたのでレイモンも同じように微笑んだ。そして軽く会釈をしてから兵たちが囲む部屋から出て、ジークハルトと距離をとった。
だが結局、この舞踏会はそれからすぐに中止になり招待客は帰されることとなった。
仮面舞踏会からジークハルトとランスが寮に戻るころには、もう夜は明けていた。二人が寮に入るのを見届けてから、レイモンも自分の部屋へと戻っていった。
扉を開けると、部屋の中には黒いローブを身につけたシェハルが一人で椅子に座っていた。
「ひとまずはお疲れさま。とりあえず、何事もなくてよかったわ」
シェハルはそう言うも、レイモンの心は晴れなかった。
「あの金髪のことだけど、シェハルが言うみたいに匿われてるのかもしれねぇ……」
部屋に入ってきたレイモンの表情からあまりいいことではないとわかっていたが、よくない方向の予想が当たって、シェハルも厳しい顔をした。
「そう……」
「知ってたのか?」
「予想は、ね。でも杞憂であってほしかったわ。……アナタが調べて欲しいって言ってた薄紫色の液体だけど。たまたま聞いたのよ。褐色の男と、金髪の男からもらえる薄紫色の秘薬を飲めば、天国を味わえるって。バカバカしい話だとは思っていたんだけどね……」
「秘薬……」
「ええ。「リラの熱」って呼ばれているらしいわ。……この件に関わっている、その金髪が例の魔族だったなんて……」
「ひとまずは魔王にも報告を入れよう」
外には朝日が差し込む中で、二人の表情は明るいとは言い難いものだった。
「それからね、今回はよかったけど、ああいう貴族の集まりには内部にまで入れないこともあると思うのよね」
次々と頭が痛くなるような問題が出てきて、レイモンもシェハルもため息をついた。
「……ちょっと、駆け引きをしてみる」
「駆け引き?」
「ああ。そのためにも、ーー」
週末をはさんで、また新しい週が始まる。
「点や直線などがどのような公理に従うかということのみに、ーー」
講義室に行くと、いつも通り講師がいて、いつものように講義が始まった。先週の男爵邸でのことは秘密裏に処理されたらしい。見物していた人物たちにはなんといったのかは知らないが、学園に届くほどの事態にはなっていない。もっとも、時間次第かもしれないが。
「このように図形のもつ性質を座標のあいだに、ーー」
今後の算段について考えていると、あっという間に講義が終わる。午前の講義をどちらも終えれば、レイモンは教室を抜け出した。そして今日は第一庭園に向かった。否、向かおうとした。
「レイモン・アスディア。殿下がお呼びだ」
(この展開、前にもあったな……)
近道を通ろうとすると、反対方向から深緑色の髪を持つランスがやってきた。
いつもだったら鬱陶しく感じる用事だが、今日は手間が省けたとレイモンは喜んだ。もともと、王子殿下に会おうとしていたのだから。
「わかりました」
以前と同じようにランスの後をついていく。第一庭園とは違い、ランスの後を追っていくたびに生徒が増えていく。向かう先は、第二庭園のようだ。
となれば、また以前のように温室だろう。だがそれもいまは都合がいい。
そして第二庭園まで向かい、本当にあのガラス張りの温室に行き、ランスが扉をあけてくれるとにやりと口角が上がった。
温室の中に入り、ジークハルトを見つけると即座に挨拶をする。
「……レイモン・アスディアにございます。王子殿下にご挨拶申し上げます。お呼びとあり、参りました」
「ああ」
レイモンが挨拶をすると、ジークハルトは彼の向かい側に腰かけるように言った。
「失礼いたします」と言って、腰かけてジークハルトと向きなおる。
(さてと、どうきり出すかな……)
「先日はすまなかった」
レイモンが話のきり出し方に悩んでいると、ジークハルトが謝罪をしてきた。だが、なんのことだかわからず戸惑う。
「言っていたように、あれはただの精力剤だった。だが疑ってひどい態度をとった」
そこでようやくジークハルトが謝罪をしている内容がわかった。
シェハルからもらった精力剤を、王子に問い詰められたことだ。
(そういや、忘れてたな……)
内心で納得していると、黙ったままのレイモンにジークハルトがもう一度謝罪をした。
「すまなかった」
なんだか先日の仮面舞踏会からジークハルトはレイモンに謝ってばかりいる。笑いが漏れそうになるも、下を向いて必死に止めた。
本来であれば、謝るような位の人物ではないはずなのに。本当に彼のそういうところは美徳だと思う。
そして、ちょうど話をきり出すきっかけも手に入った。
「いえ、わかってもらえたのならいいんです。……王子殿下は、アレを「リラの熱」と間違えたんですよね?」
「……なぜそれを知っている」
わかってはいたが、ジークハルトは即座に警戒するような顔つきをした。
「王子さま。取り引き、しませんか?」
「取り引き、だと?」
レイモンはにっこりと笑いながら、「はい」と言った。
「俺は平民なので、王子と違って自由が利きます。でも、俺は王子と違って平民なので特権階級の場所に出入りすることはできません。だからそこに同行させてください、侍従として」
「取り引きを結んでくれるのであれば、俺がどうして「リラの熱」について知っているのかもお教えしましょう。今までに調べた情報も」
明るかった時間が終わり、また日が落ちて夜がやって来る。
講義を終えて、レイモンはいつものように王子のいる寮へと向かった。
昨日はこれから護衛するその王子に、理由も知らずに理不尽に尋問のような扱いを受けた。それなのにこうして守らないといけないなんて。
(王子でなけりゃ、あの腕をひねり上げたのに……)
舌打ちをして、睨みながら明かりの灯っている最上階を見えあげる。もし万が一、今日も第一位庭園に行って、会ってしまったら今度はこちらも怒鳴ってしまいそうだ。
そう思ったため、今日、レイモンは第一庭園位は近づかなかった。
だが命令は命令。任務は任務。護衛は護衛。
内心で憤りながらも、レイモンはいつものよううに木々の影にひそんだ。
(ん? あれは……)
寮の前に到着して少しすると、寮からジークハルトと同じ背丈の男が出てくるのが見えた。ダークブラウン色をしている髪は茶色になっており、眼鏡をかけてはいるものの、あきらかにジークハルトである。溢れでる魔力の色が、ジークハルトその人だと表しているからだ。
ちらりと寮の最上階を確認するも、部屋は先ほどのように明かりが灯ったままだ。
ジークハルトは帽子をかぶり、いつもは無造作に下ろしたままの髪を髪を縛っているようだ。身につけている服は制服ではないため、外出なのだとわかるが、変装しているのをみるとお忍びの外出なのだろう。
(となると、隣にいるのは護衛のランスってとこか?)
ジークハルトの隣を歩く、同じような背丈の男。彼は深めの帽子を被っているため、髪の色と顔を見ることはできないが、おそらくはそうであろう。
二人は寮から出ると、そのままレイモンがいる方向とは反対方向にある木々の中へと進んで行った。この先にある裏門の方から出て行くつもりだろう。
(お忍びで外出なんて、まためんどくせぇことしやがって……)
こっそりと跡をつけ、二人が裏門近くで乗った馬車の特徴を確認すると、即座に寮に戻った。そして部屋のドアを閉め、カーテンを締め切って、通信用の魔獣を呼び出した。特別警備隊の連絡のための魔獣だ。
それに文を持たせて、シェハルにジークハルトが学園からお忍びで出かけたことを報告した。
数分後に、寮の鏡から緑色の光がふわりと漂いはじめ、シェハルからの通信が届いた。
『レイモン! 王子サマのお忍び馬車見つけたわ。いま何人かで跡を追ってるところよ』
「そっか。もっと時間がかかるかと思ってた」
『街にいる全員で探したもの』
「なるほどな」
『それより、こっちは任せてちょうだい。街に出たからにはアタシたちが責任持って護衛するわ。レイモン、アナタは今日くらい休んでちょうだい』
レイモンはアズエルから学園で第二王子であるジークハルトを魔族から守るように言われている。学園内で、である。学園外での護衛は言われていない。だから言い方を変えれば、外に出た王子は、レイモンにとっては管轄外になる。護衛する必要はなくなるのだ。
シェハルもそれを理解していて、休みのないレイモンにこの機会にと、休むように言ったのだった。
「……ああ、任せた」
シェハルと短く通信を終えると、少しカーテンを明けてからレイモンはベッドへと腰かけた。
第二王子であるジークハルトが外に出たため、今日の護衛は不要になった。レイモンはなにをする必要もない。
「あー、清々するぜ。今日は護衛する気分じゃなかったし。久々に休みができたことだし、ゆっくり休むとするか」
ぐっと手を伸ばし、首を回して簡単に体をほぐす。そして着替えるとベッドへと横になった。開かれたカーテンから見える月をぼんやりと眺める。
(学園で、王子だとわかっててこれなら、外に出たら……いや、だけど俺は今日は違うし)
ばっと起き上がって、頭を振り、考えていたことを取り去る。ちょうどそのとき、テーブルに置かれたガラスの香油が目に入った。
『彼はね、留学先からこっちに戻ってくるとすぐに魔剣も魔術も手放したんだよ』
いつかのアズエルの言葉が頭の中でこだまする。
「クソ……」
頭をくしゃくしゃにすると、はあと深くため息をついた。窓辺にもう一度立って、カーテンを閉めきる。そして鏡の前に立って、シェハルを呼び出した。
『あら? レイモン、どうかした?』
「いや、……俺もそっち行く」
『そう? だけど今日ぐらい休んでもいいのよ、アタシたちに任せて』
「いや、なんつうか、まあ……」
レイモンはシェハルの言葉に気まづげに口ごもった。シェハルはそれを見ると、微笑んでから「わかったわ」と返した。
『あの二人なんだけど、どうもある男爵邸に向かっているそうよ』
「男爵邸?」
『そう。今日、フォールズ男爵って人のとこで仮面舞踏会が開かれるんですって』
「また面倒このうえねぇ場所じゃねぇか……」
『そうなの。だから正直アナタが来てくれることになって、安心よ。仮面をつけているから魔族も忍び込みやすいでしょうし……』
「……なるべく早めに向かう。場所は?」
『馬車にフォールズ男爵邸、とでも言えばいいのよ。あ、それから髪の色は戻してきてね』
「髪? なんでまた?」
『だって、万が一にでも王子サマに会っちゃったらどうするの? 念のために髪は戻して、眼鏡も外してちょうだい。元の姿になれば、アナタはそれが一種の変装になるんだから。ああ、それからもちろんドレスコードに合う服で来てちょうだいね』
「……わかった」
会場へ入るためのシェハルの指示を聞いて、レイモンはやはり寮で休んでいた方がよかったかもしれない、と思った。
後悔はしたものの、いく以上は会場に合う格好をしなければならない。
レイモンは大人しく髪の色を戻し、魔界から持ってきた服を適当に身につけると街の方まで転移をした。そしてドレスコードが通りそうな服を適当に選んでから馬車に乗り、フォールズ男爵邸に向かった。
馬車から降りると、すぐそばにシェハルが立っていた。
彼は足元を伸びた紫色のドレスを着ていた。胸元が少し空いているだけで、ドレスに飾りは一つもない。そしてその上から腰まで伸びた、上質な黒いマントを羽織っている。両はしには金色の優美な刺繍もほどこされている。
どちらも着る人を選ぶデザインであるものの、すらりとした体型で身長もあるシェハルにはひどく似合っている。
「レイモン、ちょっとその格好はないわ」
「うるせぇ。急いで着て着たんだよ」
「だからってね……」
シェハルはレイモンの側まで来ると、即座に服のダメ出しをはじめた。しばらく不満げな目で見たあと、銀色の仮面を渡してきた。
「まあいいわ。ともかく行きましょう」
「王子たちは?」
「彼らはまだきてないわ。それにそっちにも護衛がついているから大丈夫よ。彼らには王子サマたちが入場した後に、入ってきてもらう予定よ」
相槌をうちながら、レイモンは手渡された仮面を身につける。そしてシェハルと一緒にエントランスに向かって歩いた。
「ああ、これ招待状よ。レイモンの分も渡しておくわ」
「招待状……どうやってとりいったんだ?」
レイモンがそう聞くと、シェハルは頬に手をあてて悩ましげにため息をひとつついた。
「……美しいって、罪なことよね」
「……どうやって手に入れたかは聞かないでおく」
言い合いをしながらエントランスまで向かい、入り口にいる燕尾服をまとった男たちに二人して招待状を見せる。彼らは頷くと、扉を開けた。開けるとすぐに色とりどりの服をまとった人たちが見えてきた。最近ではシェハルが身につけているように、ドレス型のものをきる人も多く、会場には多種多様なドレスが見られた。
中まで進んでいくと、人が集まっている場所が見えた。中心には黒い髪に白髪が少しまじった男がいる。次々に挨拶を受けているところを見ると、あそこにいるのがこの舞踏会の開催者なのだろう。
見たところ、魔族の気配はしない。気配を消す道具を使っていなければ、の話ではあるが。
「一応ここからは二手に別れましょう」
シェハルの言葉に頷いて、レイモンとシェハルは別々に会場を見回ることにした。シェハルがホールにいてくれるため、レイモンはそこから離れて屋敷の内部へと進むことにした。
「……にしても、こういうのは久しぶりだな」
学園の根暗が魔王の側近なんて、誰が予想できる?まあ俺なんだけどさ。 reyon @reyon08
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