第10話


 翌日になって、レイモンは講義が終わると言われた通りに第一庭園へと向かった。奥へ進み、生徒が少なってくると反比例して木が多くなっていく。蔦に覆われたアーチをくぐると、そこから先は第一庭園になる。

 昨日の木のそばまで行くも、王子はまだ来ていないようだ。髪が引っかかって、途中までしか散策できなかったためもっと奥の方まで歩いてみたい。だが、途中で王子が来て待たせるなんてことになったら非礼にあたるだろう。

 レイモンは大人しく木のそばに立って、王子を待つことにした。



 (にしても、なんだかここは黄色の花が多いな……)



 立っている場所から周り見る。昨日は気づかなかったが、花を咲かせている木は黄色の花をつけるミモザやレンギョウ。間に植えられている花も黄色のフリージアやラナンキュラスだ。

 なにか理由でもあるのだろうか。



「来たか」



 ぼんやり花を見つめていると、ジークハルトがこっちへまっすぐ歩いてきていた。その歩く姿ですら様になっている。それにはレイモンも内心で感心をした。



 (ほんと、飛び抜けてるよな……)



 レイモンもすぐに近づいて礼をとる。



「……レ、レイモン・アスディアにございます。王子殿下、にご挨拶、申し上げます……」

「顔を上げろ」


 言われて顔を上げれば、ジークハルトがガラス瓶を渡してきた。円錐型のもので、液体が入っている部分には精緻な花の模様が描かれている。そしてキャップ部分には球型の青いガラス担っている。

 見るからに高級品である。


 (おいおい。見るからに高級品じゃねぇか……。貴族ならともかく、なんでもないただの平民に渡すものか? 懐柔させるつもりか?)



「どうした? 受け取れ」



 考えたまま中々受け取ろうとしないレイモンを、ジークハルトが促した。



「あ、あの。こ、こんな高そうなもの、俺、もらえません……」

「言っただろう。礼だと。それにさして高いものではない。安心して受け取るといい」


 (いや。嘘だろ。そこまでこっちの装飾品に詳しくねぇけど、俺でもわかるぞ)


「は、はい……寛大、なお心遣いにか、感謝いたし、ます……」



 仕方なく両手で受け取り、頭を下げる。



「使い方は知っているか?」


 

 形態は大分違うとはいえ、同じように魔界にも香油など髪や肌を美しくするものは存在する。だが、レイモンは人にされたことはあっても、自ら使ったことは一度もなかった。そのため、香油の使い方はなにも知らなかった。



 (んなもん知るかよ。つうか「使う」なんて一言も言ってねぇ)


 

 ジークハルトは黙ったままのレイモンを置いて、黒いベンチの方へと歩き出した。そこに腰掛けると、レイモンを手招きした。



「来い」



 ため息を吐きたくなりながらも、大人しく向かう。視線で隣に座るように指示され、ジークハルトが座っているベンチの隣へと腰かけた。



 (隣とか、他の人間に見られたら厄介そうだな……)



 レイモンの心の中とはお構いなしに、ジークハルトは隣で香油の説明を始めた。



「香油を貸してみろ。数滴手につけて、髪を梳かすようになじませるんだ」



 言われて先ほど受け取った香油を大人しく渡す。それを開けると、ジークハルトは手に数滴、香油をたらした。そのままレイモンの方へ体をごと向け、髪に触れた。すっと髪を持ち上げ、パサついた髪に塗り込んでいく。指が髪を往復する度に、地肌まで引っ張られる感覚がくすぐったい。

 彼は何度か髪に香油を塗り込むと、手を離していった。

 少しだけ手が離れていく感覚を惜しく感じる。


「やってみろ」


 そう言って横に置いていた香油をレイモンに渡してきた。

 髪の手入れなんてどうでもいいのに、と思いながらも、仕方ないので両手で受け取って。キャップを取って手にたらす。



「ふっ……」


 

 なにやらジークハルトが笑ったようで、訝しげに思ってレイモンはチラリと盗み見た。



「やはりお前の白い首もとには、艶のある黒髪が映えるな」

「なに、を……うわっ!」



 驚いた拍子に、手から外れた香油がジャケットにシミを作った。「香油」と呼ばれるくらいで、成分には油分を含んでいる。早くなんとかしないとシミが落としづらくなってしまう。



「これで拭うといい」



 焦っているレイモンを見てくすりと笑って、ジークハルトが白いハンカチを差し出してきた。

 シミを落とすことばかりを考えていたレイモンはハンカチをさっと取って、遠慮なくそれでジャケットを拭いた。黒いジャケットとシミが同化してわかりづらくなるまで香油を拭いて、そこでようやく王子のハンカチを遠慮なく使ってしまったことに気づいた。

 レイモンの手には香油で汚れ、シワになった白いハンカチが一枚。



 (うわ……。思わず使っちまったけど、これ、どうりゃいいんだ?)



「汚れは落とせたか?」



 声をかけられて、伺うように見る。ジークハルトは特に気にしている様子はないようだ。



「あ、あの。使ってしまい、た、大変、申し訳ありませんでした……」

「なぜ謝る。使うように渡したのだから、謝る必要はないだろう」

「い、いや、でも……」

「それもやろう」

「いや、それも……」


 (汚したのは悪かったけど、だからってうわけにもな……)


「あ、あの。あ洗って、お返し、いたします……」

「そうか。だが、持っていても私は構わないが」



 冗談じゃない。

 真っ白いハンカチはただのハンカチではない。王家の紋章が刺繍されている。その紋章を身につけられるのも、持てるのも王家に連なるものだけだ。こんな危ない危険物を持っていていいことなんてないだろう。



「い、いえ。お、俺なんかが持つのは……お、お返しいたしますので……」



 ジークハルトがそれに頷くのを見ると、レイモンは安心して少しだけ肩を下ろした。



 (あー、でもまたどっかで王子と会わなきゃいけないのかよ。はぁ……)



 今日で終わりかと思えば、面倒なことがまた生まれ、内心でうんざりした。王子に会うことなかった先週は儚い平和だったようだ。



「あの、講義がありますので、そろそろ、失礼いたします……」



 退席を言い出したレイモンに、ジークハルトは鷹揚に頷いた。



「レイモン・アスディア。明日もここに来るように」



 思わずぽかんと口を開けてしまったレイモンに、ジークハルトは楽しそうな目をした。



 (は? 明日も? ……いくらなんでもおかしくないか。ここで会うのは明日で三回目になるぞ……)



「あ、あの。お、恐れ多くも王子、殿下。り、理由を聞いても、よろしいでしょうか……?」

「きちんと香油を使えているか確認しようと思ってな」



 彼は手をあごに当て、目を細めながら言った。レイモンはそれを聞くと、メガネの下で胡乱な目を向けた。



 (香油だけで一国の王子がここまでするものか? なにか別で目的があるんじゃないか?)


「そ、そんな……お、俺なんかに……お、俺なんて……」

「なぜそのような言い方をする?」



 レイモンがそう言えば、ジークハルトは少し厳しい目を向けてきた。レイモンの発言に不満を持っていることがありありとわかる。



 (なぜ、と言われても。レイモン・アスディアはこういう人間である予定だからな……)



 潜入しているからには、元の自分と全く違う人物を演じるのが安心だろう。だからこうしている。それだけである。「なぜ」と言われても、命令のためなのだから必要なのだ。

 少し複雑に感じていると、彼は琥珀色の瞳をレイモンの瞳とまっすぐ、かちりと合わせた。

 


「自分で自分を貶めて、甘えるな。見ていてやるから、まずはやってみろ」



 その言葉に、レイモンは呆けたように彼を見た。



 (こういうところに、動かされるんだろうな……)



 こういうまっすぐな部分に、人が集まってくるのだろう。

 彼は相手が平民でも、貴族でも、特権階級でも、関係なしにこういうことを言うのだろう。打算的な言葉が飛び交う場所で、彼のような人物に出会えた人は心酔してしまうだろう。

 それにこれがたとえ偽りだったとしても、彼のこの言葉は変わらない。



「わ、わかりました……お、俺。香油は使ったこと、ないけど、やってみます。これから……」



 両手を胸元にもっていき、ぎゅっと握る。そして感動したように言う。



「楽しみにしている」








 (王子はなにを考えているんだ……)



 夜になって、護衛を終え、部屋に戻るとレイモンは昼のことを思い出していた。なんだか昨日から王子が変だ。まるで少し、心を許してくれているかのような親しさがある。

 だけど、もしそうだとしたらどうして?

 特別なことはしていない。それとも、最初に出会ったときに警戒心を持たれてしまっただけで、王子本来はあんな風な気さくな人間だったのだろうか。



「……なんだって護衛役がこんなことまで気に病まなきゃいけねぇんだよ」



 ため息をはいてベッドへと転がる。横向きになると、ジャケットに入った香油の瓶が体に当たった。キャップ部分を右手でつかんで取り出す。


 王子はなにを考えているのやら。

 アスランでのレイモンは、「レイモン・アスディア」というただの平民だ。いくらその寵妃とやらのように黒い髪に白い肌を持っていたとしても、王子自らがそこまでする必要なんてないだろう。それなのにも関わらず、彼がこうしてレイモンを気にする理由はなんだろうか。



「まさか、バレてる……? いや、そんなまさか」


 

 自問自答をして頭を振る。

 こうして考えたところで、なにかがわかるわけでもない。もう寝てしまおう。

 そう思って香油をテーブルに置こうとして、手が止まる。



「明日、いや、今日は見せなきゃいけねぇわけだしな……」

 


 レイモンはしばらく香油を見たままだったが、やがて香油のキャップを外した。





 昨日と同じように庭園に向かうと、今日はすでに王子が先にベンチに腰掛けていた。慌てて近づいて礼をする。



「レイモン・アスディア、にございます。お王子殿下、お待たせしてしまって、大変申し訳、ありません……」

「よい。昨日は私が待たせていただろう」



 特に気にした様子がないのを見て、内心でほっとする。下げた頭を元に戻すと、ジークハルトの微笑んだ表情が目に入った。



「香油は使えたようだな?」


 (まあ、使えって言われたからな……)


「あ、は、い。あ、りがとう、ございました。……あ、あの、それから、昨日はこれも……ありがとう、ございました……」



 お礼を言いながらレイモンはジャケットからハンカチを取り出した。そのとき、一緒に眠ったままにしていた小瓶がジャケットから落ちて地面へと転がり落ちた。



 (やっべ。シェハルがよこしたやつ、入れたまま忘れてたな)



 慌てて落ちた小瓶を目で追う。急いでそちらへと近づく。



 (あーあ。王子の前でしくじったな……)


「ご、御前で、し失礼、いたしました……」



 王子のすぐ近くまで行って、瓶を取るためにかがむ。見ればもらったときは桃色だったはずの液体は、いまは薄紫色をしていた。どうやら時間とともに色が変わってしまったようだ。



 (さっさと処分しちまえばよかったぜ)



 レイモンは瓶に手を伸ばした。

 だが、掴むことができなかった。

 突然、痛いくらいに右手を掴まれ、強制的に立たせられる。



「お前、なぜそれを持っている。どこで手に入れた? 答えろ」



 低く、鋭くとがった声でジークハルトが問いかけた。

 ベンチに腰掛けていたはずのジークハルトはいつの間にかレイモンの腕をとって、縛り上げるようにしていた。

 今までの友好的な雰囲気とは打って変わり、低い声で問い詰められる。

 どんな些細なことも見逃しそうにないくらい、鋭い視線をしている。体からは熱気とも冷気ともどちらとも言えないような、見えない圧力がかかる。



「それって……」



 なにがどうなっているんだろう。

 突然一変した空気と、豹変した王子に頭が追いつかない。

 それ、とはあの小瓶のことだろうか? 



「あ、あの、こ小瓶の、ことでしょうか……?」

「そうだ。答えろ」


 掴まれた手首をぎゅっと強く握られる。寮で会ったときより強い。これだとまた赤くなっていることだろう。



 (なんなんだよ、一体。それに、どこでっつっても、シェハルからだし……)

 

「……ゆ、友人から、もらいました……」

「友人だと? 学園の者か?」



 答えるも、さらに顔を近づけられ、鋭い視線を向けられる。昨日までの瞳とはまるで違う。

 


「学園の者では、ありません……」

「そいつは一体どこにいる。言え」

 

 (そんなの言えるわけねぇ……)


 

 シェハルのことを、素直に言えるわけがない。生まれや経歴を偽装したのはレイモンだけだ。シェハルも、他の特別警備部隊の隊員も、誰一人。誰一人として人間としての書類は用意されていない。万が一にでも名前を出して、彼のことまで詳しく調べられたら魔族だというのがわかってしまうかもしれない。

 となれば、当然、なぜ魔族の者と交流があるのか。そういうことになる。



 (そもそも、なんだってこんなことを聞くんだよ?)


「……どうして、こんなことを、聞くんですか」

 


 レイモンは、険しい表情でこちらの返答を待っているジークハルトに、問いかけた。



「どうしてだと? これがなんだか知らないわけもないだろう」 



 吐き捨てるように言われて、ますます困惑する。

 精力剤、と言われて渡されたものだが、ただの精力剤じゃなかったのだろうか?



「誰に使うつもりだった?」

「え、だ、誰にって……」



 言われて、ジークハルトを見たまま固まる。

 誰にもなにも、使うつもりなんてなかった。そもそもシェハルもレイモンが使うと思って渡してきたのではないはずだ。彼の普段の性格から考えて、たまたま持っていたものを一種の冗談として渡しただけのはずだ。



「これを私に盛るつもりだったか」



 そう言うと、ジークハルトは嘲るように笑った。



「は? そ、そんなことしてな、」



 違う、とレイモンが否定をしようとすると、それを無理やり手でふさいだ。



「嘘はいらない」



 至近距離で見つめられる。

 眼鏡をかけてる。眼鏡をかけているが、瞳の中に映った動揺も、焦燥も、困惑も。あの琥珀色の瞳になら、すべてかすめ取られてしまいそうだ。

 そんな気がする。



「レイモン・アスディア。改めて聞くとしよう。これを私に盛って、なにをしたかった?」



 手を離され、答えらるようになったが、答えられる言葉は同じだ。

 薬を盛るなんんて、冗談じゃない。そんなことしない。

 首を左右に動かす。だが彼は一切無視して応えない。



「お前の目的はなんだ?」



 疑われている。これ以上ないほどに。



 (クソ、なにが一体どうなってんだよ? ただの精力剤じゃないのかよ?)



「そうか。なら、お前にそれを使うこととしよう」

「な、にを……」


 (なに言ってんだ、こいつ。精力剤を? 正気じゃねぇ)



 薄く笑う彼は、レイモンの話に耳を傾けてはくれない。



 (何が何だかわけがわからねぇ。けど、いまこのままでいたらマズい……このまま拘置所にでも連れて行かれたら、夜の護衛にも支障が出る……なんとか誤魔化さねぇと)



 それに、まったく情報がない。情報を探すためにも、時間が欲しい。

 時間が欲しい。

 眼鏡を外し、さっと顔を両手で覆って、わっと泣くフリをする。



「……うっ、そ、そんな。王子殿下……、お俺は嘘なんて、ついてません……! 王子殿下をお慕いしています! それなのに王子殿下を害そうだなんて……! ううっ……! そんな、そんな恐ろしいこと思っていません!」



 そして声を震わせ、止めが入らないようにまくし立てるように言う。



「……お、俺は、そんな、恐ろしいこと、考えていません……」

 


 しゃがみこんで泣き出したレイモンを、ジークハルトは静かに見ていた。



「ど、どうか、信じてください……ううっ……お、俺は……うっ……そんなこと、考えたことだって、ありません……!」



 レイモンがしばらく泣き続け、すすり泣くような声になったとき、ようやくジークハルトが口を開いた。



「ならば、なぜそれを持っている?」



 涙をぬぐうフリをして、俯いたままの体制で眼鏡をかけ直す。そして肩を震わせながら、王子の方へと顔を上げて言う。



「こ、これは友人がくれたんです……。お、俺の体調が悪かったから。お、王子殿下も顔色が悪いっておっしゃっていたじゃないですか。あのころ、友人が、冗談でくれたんです。疲れてるみたいだからって……。この精力剤でも使えって。そのまま、入れたまま、忘れていたんです。本当です! 信じてください!」

「精力剤だと?」



 おうむ返しに繰り返すと、彼は落ちた小瓶のそばまでいって、それを拾い上げた。

 それを流しながら、今度は鼻から息を吸い込むと同時に肩を上げる。しゃっくりをあげるようなフリをしながら王子を見れば、彼は瓶の中身を確かめるように見ていた。



「色が、ーー」



 彼はなにやら呟いたようだが、小さな声で、それはレイモンの耳に入る前に消えてしまった。

 


「これは……」



 瓶を開けて、中の香りを確認し終えると、彼は再びレイモンの方へと歩いてきた。



「これは私が回収する。異論はないな?」


 

 先ほどより声は落ち着いていたものの、それでもまだ冷えた声をしている。



「は、い……」



 レイモンは小さく、震えるようにして答えた。だが、彼は答えを聞く前に、温室から離れていった。

 彼が立ち去ったのを見届けてから立ち上がると、ぱんぱんと叩きながら土埃を落としていく。



 (一体なんだったんだよ……)



 黒いベンチのそばに置き去りにされたレイモンは、立ち上がった後、ジークハルトが去った方向を見ながらしばらく立ちすくんでいた。





 


 どんなことがあっても日は回る。数時間もすると、また今日の夜が訪れた。



 (なんだったんだよ、今日はよ)



 いつものように暗い森の隙間から王子のいる寮へと視線を向ける。部屋の中には灯りがついており、中にいることがわかる。



 (あの瓶一つで急に腕を掴まれたのもわかんねぇし、あのまま持っていったのも意味わかんねぇ……クソ。どうなってんだよ)



 昨日の髪を優しく撫でてきた人物と、数時間前の無情な表情の人物。二人の王子が頭の中に浮かんでは消え、また浮かんでは消えていった。



 (だいたい、精力剤を渡されるぐらい休む時間がなかったのだってアイツのせいだ。なのになんだって俺があんな風に責め立てられなきゃいけねぇんだよ……) 



 夜が更けてくると、レイモンはだんだんと苛つきはじめた。



 (そもそも、アイツ(魔王)からの命令じゃなけりゃいまごろ……)



 そしてかなり不機嫌なまま護衛を終えると、そのまま寮へと戻った。寮の中だけは静かに入り、部屋の中に入ると、乱雑にジャケットを脱ぎ捨てた。



「ハァイ、レイモン」



 部屋の奥、窓の方から声が届いた。シェハルだ。ジャケットを脱ぎ捨てたまま窓の方へと進む。



「あら。えらくご機嫌斜めね?」



 窓枠に腰掛けたシェハルはカーテンを締め切った部屋の中でフードを下ろし、珍しく長い金色の髪をたらしていた。



「……なんの用だよ」


 

 それにレイモンは不機嫌な声で答えながら、眼鏡を外してテーブルに置いた。

 シェハルもそのままテーブルに視線を向ける。すると、テーブルの上に置かれた美しいガラスに気づいた。精緻な模様がほどこされたガラスに入れるものは限られてくる。



「あら? レイモンったら、ついに学園の生徒に手を出したわけ?」

「おい、ふざけんな。お前と一緒にすんじゃねぇ」



 シェハルが楽しげに言うと、レイモンは即座に強く否定をした。



「ならどうして香油なんて持ってるわけ?」

「……もらったんだよ。これで髪を手入れしろって言われて」



 そっぽを向きながら答えたレイモンに、シェハルは驚きながらも感心をした。


「へぇ。相当気に入られているのね。見るからに一級品だもの」



 髪や肌の手入れに一切興味がなかったレイモンが、もらったからといって香油を持っていることは驚きで、そしてその送られたことがかなりの高級品ということに感心をした。これを贈れるのはかなりの上位貴族か特権階級者だろう。そしてよほどレイモンを大切に想っているのだろう。

 だがそう言うと、レイモンはひどく気落ちしたように言った。



「……そんなんじゃねぇよ」



 そう言うと、レイモンは今度こそシェハルの視線から外れるように一脚だけある椅子を引き寄せて座った。



 (気に入ってたら今日みたいに問い詰めるかよ……)



 黙ったままのレイモンに、それ以上質問を投げかけることなく、シェハルも静かに待っていた。



「……それよりなんの用だよ? 例の金髪は見つかったのかよ?」



 少しして、レイモンがシェハルに口を開く。だが、シェハルは聞かれた内容にはゆるゆると頭を振った。



「そのことなんだけど、あれからこっちに来たりしていないわよね?」

「ああ。見つけたら真っ先に捕まえてるぜ」

「そう……。私たちも、金色の子がいたら最優先で捕らえるようにしてるけど、まだ見つかってすらいないのよ」



 シェハルは困ったように顔を歪めた。そこには捕まえられないことへの不甲斐なさと、手がかりがなにもないことへの困惑が見えた。



「それでね、ちょっと妙だと思わない?」

「妙?」


 

 その言葉にレイモンも眉を寄せて、歪めた。



「ええ。だって、アナタほどではないしても、アタシたち全員で探して一週間以上よ。魔界にも当てはまりそうな魔族はチェックしてもらってるけど、いまのところアスランから魔界に戻ったって反応はないみたいだし」



 確かに、一週間以上も探して見つからないというのはおかしい。特別警備部隊の隊員は、アスランの国中に散らばっている。そして魔力反応があればすぐに反応場所に向かう。



「王子を狙っているのなら、まだアスランの中にいるはずよ。でも魔力反応のあった場所に行っても、金髪の子なんていないし。でももし、その子がまだアスランの中に残っていて、反応にならないのだったら、魔力を使っていないことになるわ。だけどそんな状態でいるなんて、難しいわ。人間みたいに暮らさなきゃいけないんですもの」



 魔人基本締結条約によって魔族が人間に魔力を使うことも、逆も認められていない。そんな状況であるため、ここに留まる魔族はほとんどいない。また、ここに長期間留まるためには、書類が必要になってくる。手続きが面倒なため、そうまでしてここに留まろうとする魔族はほとんど皆無だ。それこそ違法者くらいのものだ。



「……だとしたら、人間側に匿われているんじゃないかしら?」

「匿われている、か……」

「ええ。でもまあ、あくまで可能性の話なんだけどね……」

「これ、アイツ、魔王には報告したか?」

「いいえ、まだよ。あくまでアタシの推測だし。証拠があるわけでもないから」



 シェハルは憂鬱げに言って、曖昧に笑った。



「まあ、考え過ぎなだけかもしれないし。もうしばらく探してみるわ」

「わかった……」

「人間を襲おうとさえしなければ、別に誰といてもいいんだけどね……」



 魔人基本締結条約を結んで50年。この50年間で、アスランと魔族の表立った対立はない。だが、内部ではいまだにお互いで条約に不満を持っている者が多いのが実情だ。条約にヒビを入れる危険を回避するのが任務であるが、違反さえしなければ、なにをしてもいいのだ。違反しようとしなければ、捕らえる必要はないのだから。



「それじゃ、そろそろ行くわ。今日はその金髪の子がこっちに来ていないか、念の為確認しに来ただけだから。休憩時間を短くしちゃって悪いわね」



 暗くなってしまった空気を変えるようにシェハルが明るい声を出した。そう言って立ち去ろうとする彼を、レイモンがを止める。



「その前に聞きたいことがある。前によこしたアレだけど……」

「前によこした……ああ、精力剤? どう、疲れとれた? とれたならまた持ってくるわよ」

「ちげぇ!」



 にんまり笑ったシェハルに、顔をしかめて即座に否定をする。



「……そうじゃなくて、あの精力剤。どこで手にしたんだ?」

「え? どこって、普通に売られてるわよ。ああ、もちろんそういうお店でだけど。ここだと一般的みたいよ」



 シェハルの答えに、レイモンはますます顔をしかめた。

 シェハルの言葉を聞く限りなら、あの精力剤は一般的なもので、そう特別なものではない。それなのに、あんなに反応をしたのだろうか?



 (ただの精力剤にあれほど反応するか? ……いや、あの精力剤じゃねぇ。落ちたばかりの瓶に反応してた。色が元のピンクに戻ったのを見たら、少し静かになってたし。ってことは、問題は薄い紫色の液体ってことか……)


「……シェハル、調べてもらいたいことがある」



 なぜあのとき王子があの小瓶。正確には薄紫色をした液体にあれほど反応したのか、さっぱりわからない。なにひとつ、わからない。だが、彼からそれについて説明してくれる、なんてことはないだろう。

 ならば、調べればいいのだ。



 (俺の方から調べてやる……)

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