第9話


 (なんでここに……)



 早く離れようとさっきより強引に頭を引く。痛みとともに、何本かの髪を抜いた。



「待て、今とってやる。動かすな」

「王子、殿下……」



 視線だけを動かして、周りを見る。護衛らしき人物、それどころか他に人は見当たらない。どうやら一人のようだ。


 (今日は一人みたいだな……)



 ジークハルトはレイモンの側に近づくと、絡まっている髪をほどき始めた、

 髪が枝に絡まっているため、顔を少し上げるような体勢たいせいになっている。そのため目の前にきた王子を、自動的に見上げる形になった。

 今までここまで顔を見ることがなかったが、彼はやはり美しいつくりをしている。

 ダークブラウン色をした、肩まである少し長めの髪。右寄みぎよりに分けられた前髪がさらす顔は絵に出てくるように上品な顔立ちをしてる。確かに美しい顔立ちをしているものの、それだけであれば他国の王族にもいるだろう。

 だが、鋭く輝く瞳。あの目が、他と違う。あの色も、あの強さも、彼にしか見つからない。まるでほこり高きおおかみのようだ。



 (宝石みたいな目だな……)



 その瞳は、今は木の枝とレイモンの髪に向けられている。眼鏡をかけているため、直接見れないことを少し残念に思った。

 木に絡まっていた髪は少し、また少しとほどかれていき、頭をひっぱる圧迫あっぱく感が徐々じょじょに消えていった。そして最後のたばを枝からほどかれたとき、ふっと軽くなり、顔を動かせるようになった。



「……ありがとう、ございます」



 お礼を言って、頭を下げる。結果的には痛みとともに髪を抜かずに済んだのだ。



「よい。それよりなぜここにいる?」


 (は? なぜって、いたら悪いかよ? お前の庭園じゃねぇだろが)



 先ほどの感謝もうすれて、レイモンは心の中でどくづいた。



「……花を、見に、来ていただけです」

「そうか。珍しいな。ここは距離もあれば花も少ない。木が多く、道らしきものもない。庭園なら第二庭園に行く者が多いだろう。それなのにここに来たのか?」

 

 

 第一庭園と第二庭園を比べて悪くいうかのような発言に、レイモンはムッとした。確かに校舎から離れており、花より木が多く、木も切られていないため、散策さんさくには向かない。だがここでの休憩は、休みなく護衛していたときのレイモンにとっては大きないやしだった。大切な場所を悪く言われたようで、不愉快ふゆかいな気持ちになった。



「……た、確かにそうですけど、でも、お、俺はこっちの方が好き、です」

「なぜだ? 美しい花を見るなら、第二庭園の方がいいだろう」

「は、花だけが美しい、わけじゃ、ありません……そ、それに、美しいものだけが、最上なわけでは、ありません……」



 眼鏡越しで、睨みながら言う。

 なんて返してくるだろうか。そう思いながら見ていれば、彼はレイモンに向けて笑った。

 今まで何度か見たことがある笑みとは違う、自然な笑顔だった。



「そうだな。美しさにはいろいろな形が在る。それに、美しいものだけが至上しじょうのものではないな」

「……は、い」


 (笑ってる……)



 ジークハルトは、先ほどまでレイモンの髪が絡まっていた枝に手を伸ばした。


「どちらかといえば、花より木の方が好きだ。ここは落ち着く」



 枝を撫でるかのように触る彼は、優しげな表情をしている。本心からそう思っているのだろう。

 それを見たレイモンはすっかり毒気を抜かれた。だがそれならなぜここ第一庭園を悪く言うようなことを言ったのか。疑問に思った。



「……な、なら、どうして第二庭園の方が、いい、なんて言ったんですか……?」

「花を見に来たと言っていたからな。それならここより第二庭園の方が花が多いからな」



 (そーいうわけか。……まぎらわしい言い方すんじゃねぇよ)


 

 少しだけバツが悪くなり、レイモンは琥珀色の瞳から目を逸らした。



「ここにはよく来るのか?」

「え……い、いえ……あまり……」


 (まあ来る方だけど、俺がどこに行くのか知られたくもねぇしな……)


「そうか。もし時間があれば来てやってくれ。ここも、見に来てくれる者がいた方が、嬉しいだろう」



 ジークハルトはそう言って表情をゆるめた。



「……じ時間が、あったとき、には……」


 (なんだか今日はいつもと違うな……)



 この前の茶会で俺の疑いでも晴れたのだろうか。それともわざと違うように振舞って、混乱させるのが狙いか?

 どこかいつもと違うような雰囲気をしているジークハルトに、内心で警戒けいかいをする。

 そもそもはこちらはジークハルトがここにいる理由すらわからないのだから。



「あ、あの。そ、そろそろ、講義が……」

「もう時間か」

「は、はい……」



 そのまま挨拶をしようと頭を下げると、ジークハルトがそれを止めた。



「待て。顔を上げろ」



 言われた通り、顔を上げる。するとジークハルトは手を伸ばし、レイモンの髪にそっと触れた。そして髪をそっと持ち上げると、毛先を確認するかのようにでた。ふわりとあのあまやかな香りが広がった。



 (な、なんだよ……)



 染料せんりょうで黒に色づけしている髪は、薬の効果できしんでいて、つやもない。肌触りが悪く、指も通らず、すぐに引っかかってしまう。それなのに彼は優しく髪にれる。

 レイモンはわけがわからず、動揺した。



「また引っかかってしまいそうだ。香油こうゆをやろう」


 (香油こうゆ?)


香油こうゆ、ですか……?」

「ああ。明日、今日と同じようにここまで取りに来い」

「いや、あ、えっと……そ、そんな、お俺なんかに、恐れ多いです……」

 

 (なんだって香油こうゆなんて……なにか企んでるのか……?)


「ここを褒めてくれた礼だ」


 (礼って、この庭園となんかあるのか……?)


「また枝に引っかかっては髪も枝も傷むからな。それにお前は黒い髪に白い肌を持っている。知っているか? ある国で、平民から寵妃ちょうひになったものがいるが、彼は鮮やかな黒髪に白い肌をしていたそうだ。お前も手入れをすれば、より美しくなるだろう。その寵妃ちょうひのように。いや、それ以上に美しくなるやもしれん」



 目を細めて、からりと笑った。

 その笑顔を正面しょうめんから見て、レイモンはしばし固まった。



 (……こいつは無自覚なのか? それともワザとなのか? この美貌びぼうでそんなこと言ったら懸想けそうするヤツが大勢おおぜい出てくるだろ……あー、そういや俺もしたってるってことになってるんだっけな……)



 硬直からとけると、レイモンは両手を胸元むなもとで合わせて、ジークハルトを見上げながら嬉しそうな高めの声を出した。



「お、王子殿下……う、嬉しいです……!」

「では明日、取りに来い」

「は、はい……そ、それでは失礼、いたします……アスランに、繁栄はんえいがありますように……」



 ジークハルトの前で礼をとって離れ、くるりと背を向けて、森の中を歩き出す。

 その途端、しかめっ面をした。



 (めんどくせぇな……)



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