歳
年をとる。
息子は就職してからもう4年。
娘ももう高校生。
夫は今や、会社役員。
1年毎に、一歳ずつ。
結婚して27年。
大学卒業してから29年。
高校卒業してから-
確実に年をとってゆく。
年号も変わった。
いくつも、変わった。
年をとる。
そして私は、老いてゆく。当たり前のように。
しわが増えて、肌にハリが無くなってきた。
しみも着々とできている。
顔や腰回りに贅肉がついてきて、体のラインが崩れてくる。いわゆる中年太り。
いやだわ、年々醜くなってくる。
年をとって、もっともっと老いてきて、顔中しわくちゃになって、足腰立たなくなって、人の世話なしには生活できなくなる。
認知症になるかもしれない。そうしたら。
もしそうなってしまったら、私は。
いやだ。
そう思い続けながら、気づけば私ももう、半世紀生きて、その分年をとってしまった。
今の私は、若い頃に否定し、時には嫌悪感すら抱いた中年。
どこから見ても、どんなに若作りしても、立派なおばさん。
そして、あと何年後かには、今の私が否定している老人になる。
あぁ、いやだ。
考えただけでも、ゾッとする。
年は、とりたくない。
今年はここにしわが刻まれて、ここにしみが増えた。
来年はいったい、どこにできるの?
いやだわ。
私はこれから、どうなってしまうの?
・・・・え?
・・・・な、に・・・・どんどんしわがっ、しみが・・・・っ!
いやっ、やめてっ!
“どうして見ないの?”
な・・・・に、誰?
“せっかく自分の将来の姿が見られるというのに。”
誰なの、あなたは?
“これは失礼。俺は、ユーリ。”
ユーリ?
“そう。俺は夢と現実の間に住み、夢の方を司っている者。”
夢を、司る?
“ああ。たとえば、そう。ここはあなたの夢の中。俺はこの夢の世界を自由に操ることができる。”
夢を、操る?
“ほら、さっきのその鏡。少し驚かせてしまったけど、あなたが自分の将来を心配してたようだから、その鏡を使って見せたんだよ。”
え?じゃ、あれはあなたが?
“ああ。気分を害したんだったら、申し訳なかった。”
いいの、いいのよ。ただ、怖かっただけなの。
“怖い?”
そう。醜くなった自分の姿を見るのが、怖かったの。
“年をとる、というのは、醜いこと?”
ええ。だって、そうでしょ?しわやしみだらけになって、腰も曲がって、耳だって遠くなるかもしれない。それのどこが美しいと言えるの?
“だけど、誰でも年をとるよ?”
でも、私は年なんかとりたくない。醜くなんかなりたくない。ずっと・・・・ずっと、若く美しくいたいの。
“じゃあ、その願い、叶えてあげようか?”
・・・・え?
“ずっと若く美しくいたい、というあなたのその願いだよ。”
・・・・って、本当?そんなことできるの?!
“夢の中に限るけどね。”
夢の中・・・・じゃ、じゃあ私は、夢の中ではずっと、若く美しいまま?!
“その通り。”
嬉しい・・・・たとえ夢の中だけでも。ほんと、夢みたい。
“夢だけどね。”
そうだったわね。でも、嬉しいわ。だって私は夢の中でだって、確実に老いてゆくんですもの・・・・
「今日は機嫌いいな。何かあるのか?」
「え?そう?」
「ああ、近頃お前のそんな浮かれている姿は見たことない。」
「あら、私そんなに不機嫌だった?」
「いや、そういう意味じゃなくて。」
「まぁ、いいわ。でも、そう、そうなの。いいことあるのよ。これから毎晩。」
「毎晩?」
「眠る度に、夢の中で、ね。」
しわがない・・・・しみがない・・・・
肌にもハリがあって、みずみずしくて。私、若返ってる。
すごいわ、私、若くなってる!
これは、夢?
そう、夢だわ。でも、夢でも嬉しい。こんな夢、見たこと無いもの。
“喜んでくれて、俺も嬉しいよ。”
まぁ、ユーリ。あなたの言葉、本当だったのね。
“俺は嘘はつかないよ。”
ええ。でも、やっぱり少し疑ってたみたい。ごめんなさい。
“いや。夢の中での約束だからね。仕方ないさ。”
でも本当に素晴らしいわ。夢のよう・・・・いえ、夢だということはわかっているの。だけど、この言葉がぴったりなのよ。本当に、こんな夢ならずっと見続けていたい。目覚めたあとの現実が怖いわ。
“喜んでくれるのはいいんだけど、これはあくまでも、夢だ。そしてあなたは現実の世界の人間。現実の世界こそあなたの生きる世界であり、また現実の世界のあなたこそ、真実のあなたである、ということをお忘れなく。”
やっぱりそうよね。これが本当なんだもの。
しわだらけでしみだらけで、この鏡の中の中年の女が、本当の私。
いやだわ。夢の中なら、あんなに若くて美しい私でいられるのに。
夢の中の私の方がずっと、私の心に近いのに。
・・・・眠っちゃおうか。
夫は会社、息子も会社、娘は学校。
家の中には私だけ。
そして、この時間こそ、私だけの時間。
それをどう使おうが、私の自由。
ならば・・・・夢の中で楽しく過ごしましょ・・・・
眠れない、眠れないわ。
昼寝したからかしら?
早く寝たい、夢を見たい。若く美しい私になりたい!
「どうしたんだ?眠れないのか?」
「ごめんなさい。起こしちゃった?」
「いや、たまたま目が覚めたんだ。眠れないのか?」
「え、ええ。」
「だったら、睡眠薬があるぞ。俺が昔に不眠症になったときの。もう使わないから、飲んで見ろ。よく効くぞ。」
嬉しい・・・・素晴らしいわ。
ずっと夢の中にいられる。
これさえ飲めば、現実の世界に戻る時間が少なくてすむ。
本当はずっと、このままここにいたい。
この、夢の世界にずっと。
“忘れてないだろうね?”
ユーリ・・・・
“あなたはあくまで、現実世界の人間なんだよ。”
わかってる。忘れてないわ、でも・・・・
“だめだよ、この世界に居続けようなんて。”
でも私、もう現実の世界は嫌なの。年老いてゆく自分を見るのは、醜くなってゆく自分を見るのは、耐えられないのよ。だから・・・・
“忠告はしたからね。どうなっても、知らないよ。”
「あ・・・・目、覚めた・・・・気づいたぞっ、おいっ!」
「お母さん・・・・お母さんっ!」
・・・・もう、せっかく楽しい夢を見てたのに・・・・え?
ここ、どこ?
「お気づきになりましたか・・・・ご気分は?」
・・・・病院?
「心配なさることはありませんよ。あなたは長い間眠っていたのです。でも、目覚めたからには、もう大丈夫でしょう。脳波にもどこにも、以上はありませんから。」
眠っていた・・・・長い間?
ここは、病院?
「さ、お母さん。リンゴむけたよ。私、お花の水取り替えてくるから。1人になっちゃうけど、大丈夫だよね?すぐ戻ってくるから。」
あら、1人じゃないじゃない。あの人が、ほら。
でも・・・・誰かしら?
「あの。失礼ですけど、どちらの・・・・?!」
鏡っ?!
じゃ、じゃああれは・・・・私っ?!
「い・・・・いやっ・・・・いやぁぁぁぁっ!!!」
「どうしましたっっ!」
「お母さん、どうした・・・・!!!!お母さんっ!!」
「残念ですが、出血がひどく・・・・手遅れでした。ちょうど頸動脈が・・・・。」
「私が、あんな所にナイフなんて置いておいたから・・・・。」
「どうして・・・・何でだよ、母さん!10年も待ったのに、せっかく目、覚ましてくれたのに・・・・なんで死んじゃうんだよぉっ!」
“だから忠告したんだ。現実の世界の人間は現実に生きるべきなんだ。夢の世界が素晴らしいければ素晴らしいほど、そのギャップの大きさに苦しむのは、自分なんだから。それにしても、なんであんなに年をとることを否定していたんだろうな。素敵な年を重ねて、美しく年をとっていく人だって、世の中にはたくさんいるのにさ。”
ナイト・メア 平 遊 @taira_yuu
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