絆 -キズナ-

棗颯介

絆 -キズナ-

 この世に生まれた時から、俺は不完全な人間だった。両親から期待されていたモノを持たずに生まれてきたから。

 “心”。


「……暇だな」


 今日は平日の昼過ぎ。今年で二十五歳になる俺のような人間なら、学生以外は労働に勤しんでいて然りなそんな時間。俺は自室のゲーミングチェアに背中を預けながら、ネット通販で購入したプログラミングのフレームワークに関する参考書をめくっていた。紙媒体ではなく電子書籍だから、めくっているという表現は少し違うかもしれない。スライド?スクロール?

 この春から新しい会社に転職したが、SES(システムエンジニアリングサービス)の会社に入ってしまったのはやはり間違いだったかもしれない。ITに疎い人にも分かるように端的に言うなら、現状、俺を必要としてくれる派遣先がない。客がいなければ当然仕事はない。だから俺は今もこうしてせっせと暇をつぶすために自宅待機という体で勉強に励んでいるわけだ。

 正直、自分の能力が世間一般と比べて劣っているとは全く思っていない。前の職場では年齢の割には重要なポジションを任されていたし、仕事に対する意欲も新しい技術に対する嗅覚も並みよりは上だと思う。


「……“心”ってなんだよ」


 営業担当の若い女性と共に何社か客先担当者と面談を行ったが、すべて見送り。先方の見送り理由は、俺が“心”を持っていないからだそうだ。


 俺が生まれる数十年ほど前までは、俺のように“心”を持っていない人間は当たり前のように存在していたらしい。歴史の教科書にも載っているが、“臓器としての心を持った人間”が初めて確認されたのは、六十八年前のアイルランドの小さな村だったらしい。農家を営む両親の間に生まれたその男の子の右胸の中には、心臓とも違う、他の人間にはない異物があったという。その異物には血はほとんど通っておらず、大きさは心臓と同じ程度、中身は空洞で体液や空気が詰まっているわけでもない。つまるところ、医学的に見ればただの肉の塊でしかなかった。

 それ以降、世界各地で同じように右胸に不可解な肉の塊を持って生まれてくる人間が少しずつ増えていった。当時それがさして大きなニュースにならなかったのは、それによって子供に疾患や障害が生じるわけではないというところが大きかったと言われている。生命活動において必要な何らかの役割を担っているわけではないが、存在していて何か問題が生じているわけでもない。その無意味な存在に“心”という語があてられるようになるのはそれから十数年後、今から約五十年ほど前のことになる。

 右胸に無意味な肉の塊を抱いて生まれてきた人々が成熟した頃、周囲の人々はある違和感に気付く。

 彼らあるいは彼女たちは、決して涙を流さなかった。

 転んで怪我をしようが教師から叱られようが大切な誰かを失おうが、彼らは決して涙を流さず、目を潤ませることすらしなかった。彼らが言うには悲しさや憤りを覚えていないわけではないが、涙を流したり他人や物に当たるほど激情に駆られるほど重く感じたりはしないという。

 そこで人類はようやく気付いた。彼らが異常なのではなく、自分達が異常なのだと。自分達こそが不完全な生物であり、彼らこそが完全な生物なのだと。

 それまでの人類には人の精神を支えるために必要な器官、“心”が生まれつき欠けていた。

 誰が言ったか、右胸に“心”を備えて生まれてきた人々のことを今の時代では『真人しんじん』と呼んでいる。真の人間。新しい人間。心を持った人間。

 『真人』は“心”の存在によって過剰な喜怒哀楽や欲から自身の精神を守り、保つことができた。それはつまり、精神が折れることがないということ。生きていく上で絶望することはないということ。新たに生まれてくる人間の“心”の有無については現在も明らかにされていない。“心”を持たない両親の子供が“心”を持って生まれてくることもあれば、両親が“心”を持っているにも関わらず生まれてくる子供に“心”が宿っていないこともある。後天的に“心”を臓器移植して疑似的な『真人』を生み出す研究も過去に行われたらしいが、他人の“心”を別の誰かに移植しても『真人』の持つ精神力を獲得するには至らなかった。

 つまり、“心”の有無は完全な授かり物。言い換えれば神の気まぐれだ。

 今の時代は、『真人』が優遇されることが少しずつ増えている。一番わかりやすいのは就職。『真人』は決して自己の精神が折れることはないため、仕事のストレスなどに起因する傷病にかかる心配がほぼない。


「まぁ、この業界は特にストレスが多いけども」


 IT業界の働き方の事情も過去と比べればかなり改善されてきているが、やはり未だにストレスが原因の離職者は後を絶たない。そんな業種の会社なら、『普通の人間』よりも『真人』を優先して採用したいと思うのは仕方ないと思う。

 前の職場はSESじゃなくて自社開発のところだったから入社面接をクリアしてしまえば基本仕事がなくなることはなかったけれど、転職を決めたのはやはり間違いだったかもしれない。

 

「……はぁ」


 今月に入って何度目になるか分からない溜息を吐く。

 エンジニアに必要なのは技術じゃないのか?“心”なんて———


「———必要だよな、うん」


 何を隠そう俺自身、ストレスが原因で前の職場を離れたのだ。

 別に上司と揉めたとかそういうことはないし、むしろ職場の人たちは恵まれていると思うくらい良い人たちばかりだった。

 ただ、他人の善悪は関係なしに、俺が人付き合いが苦手だったというだけ。

 とにかく自分の周りに他人がいるという環境が落ち着かなかった。オフィスに外線の電話がかかってくるたびに、自分宛の電話だったらどうしようかといつも怯えていた。自分の書いたプログラムにバグが見つかったのかと不安で、上司から届いたメールをなかなか開くことができなかった。飲み会で同僚たちと社内の人の悪口で盛り上がるたび、知らないところで自分も同じように言われていたらどうしようと気が気でなかった。

 自分で自分を勝手に追い詰めていた。

 そのたびに思った。もし自分に“心”があればと。


「あ、大くん」

「なに、姉さん」


 ノックもせずに部屋を開けて顔を出したのは、姉の唯織いおりだった。

 ちなみに、血は繋がっていない。


「ウチ、これから仕事行ってくるね。夜は遅くなるから先に食べてていいよ」

「あぁ、分かったよ」

「んじゃ、行ってきまーす」


 三つほど歳の離れた姉は美容師らしく小綺麗にまとまった衣服を身に纏い、適度に明るく染めた茶色い髪を靡かせて悠々と家を出ていった。普段から明るいというか軽いというか、大きな悩みやコンプレックスもなく生きている彼女が羨ましかった。自分にはない“心”を持っている彼女が、妬ましかった。

 父親が前妻と離婚し、今の母と再婚したのは俺が小学校を卒業した頃だった。離婚した詳しい経緯は知らないが、原因の一つに俺の存在があったのは想像に難くない。父は世間体を気にする方だったし、“心”を持たない俺を生んだ母との仲に不和が生じていたのは、幼心に俺もなんとなく察知していた。

 今の母親と一緒に連れ子の唯織と出会ってからもう十年以上経つが、やはり今の俺達は世間一般で言うところの『姉弟』からは程遠い関係のままだと思う。就職を機に上京して、経済的な事情で姉と一つ屋根の下の借家で同居してはいるが、姉弟らしい会話はあまりない。喧嘩するほど仲がいいという言葉があるが、あれは本当にその通りだと思う。本当に仲が良くない人はそもそも喧嘩自体しない。俺たちのように。ただ上っ面な言葉を口にして、必要最低限の事務的な交流しかしない。


「……俺にも“心”があったらな」


 もしかしたら、俺と姉との関係も違っていたかもしれない。


***


「———業務説明は以上となります。小山内おさないさんから何か質問はありますか?」

「一点だけ。プロジェクトのスケジュールについてですが———」


 俺は今日、ビデオ通話で五社目になる客先常駐面談を受けていた。正直、相手の業務説明を聞きながらここはないなと感じていた。こちらがビデオ通話で顔を出して丁寧に背景に名刺を表示しているのに、向こうは黒画面のままで顔さえ見せようとしない。まるで最初から貴方と契約する気はありませんと意思表示されている気分だった。


 ———“心”じゃなくてスキルシートを評価してくれよ。


 条件反射のように口から発せられる折り目正しい言葉とは裏腹にそんな苛立ちを募らせていると、いつの間にか面談は終了していた。


「はぁ……。いや、ないわ」


 だいたいうちの会社のスキルシートのフォーマットからしておかしい。どうして氏名・年齢・性別・連絡先のほかに「人間or真人」のチェック欄があるんだ。新卒採用の時もそう思ったが。

 苛立ちが収まらず、面談前まで手を付けていた電子書籍の参考書の勉強に戻る気にもなれずにいた時、ふとパソコン横に置いていた携帯が鳴った。

 着信相手は、大学の同期の矢田部やたべだった。


「よう、大輔だいすけ

「矢田部か。どうしたんだいきなり」

「いや、特に用事があるわけでもないんだけどさ。最近どうしてる?」

「最近?あぁ、転職した」

「マジで?俺初耳だけど」

「言ってないからね」

「つれないなー、俺とお前の仲じゃん。同じパンツを履いてる仲じゃん」

「間違ってないけど誤解を招く言い方するのやめて。同じブランドのって意味な?」

「いや、そういう意味で言ったんだけど」


 矢田部は大学時代一番仲が良かったヤツだ。学力的にも俺とほぼ同じ学部トップレベルで、学籍番号も近かったから自然と仲良くなった。お互い“心”を持っていなくて、『真人』の兄弟がいるっていう共通点もあったのも大きい。


「んで、今は何の仕事してんの?前と同じIT系?」

「まぁそうだね。前は自社開発だったから今回はSESのところにしてみた」

「SES?客先に常駐する系っしょ?ちゃんとやれてるの?」

「……うん、なんとかね」


 嘘だ。でも、変に心配されたり気を遣われるのが嫌で。昔から、相手の顔色を窺って嘘をつく癖がある。癖というよりここまでくると習性にも近いかもしれない。そのせいで要らない気苦労を勝手に背負いこんで自分を追い込んでしまうっていうことは自分でも分かっているのに。


「……ふーん。ならよかった」


 矢田部と一時間も他愛もない話をしているうちに、いつの間にか面談で抱いた苛立ちはどこかに消え失せていた。

 後日、その日に受けた会社の面談も落ちたという連絡が営業担当から届いた。


***


「やばいな……」


 転職してから今日で一ヵ月。相変わらず俺の契約先の会社は見つかっていない。SESという業務形態の企業において、会社がその社員を切り始める期限は約一ヵ月とされている。採用したのはそっちだろと言いたくなるが、現状会社に対して利益を出せていないのも事実だ。

 営業担当の話によれば、どの企業も俺が『真人』ではないことを理由に採用を見送っているらしい。


「なんなんだよ、どいつもこいつも」


 親からも会社からも、どうして俺は必要とされない?

 “心”を持っていないから?


「———“心”って何だよッ!!!」


 俺は怒りに任せてパソコンを置いたデスクを殴りつけた。痛い。全力で拳を振り下ろしたんだから当たり前だ。でも、怒りのやり場が見つからない。もし俺に“心”があれば、こんな時でも物に当たったりなんてしないんだろう。そもそも俺が『真人』なら働き口に困ることなんてきっとないだろう。でもあいにく俺は普通の人間で。

 

———普通の人間。

———違う。

———出来損ないの人間だ。

———“心”がないんだから。


「大くん、どうしたん?大きな音したけど」


 先程の物音を聞いて、姉の唯織が部屋に入ってきた。風呂上りなのかラフなタンクトップとショートパンツを着ていて、長い髪はまだしっとりと濡れている。口元にはアイスを咥えていて、どこか魅惑的にすら見えた。


「……なんでもない」

「いや、なんでもないことないでしょ?大くん、何かあるならおねーちゃんに話してよ。私達家族じゃん」


 ———家族?

 ———俺と、姉さんが?

 ———血も繋がっていないのに。

 ———……俺にはない“心”を、この人は持っているのに。


「———るさい」

「え?なに?ちょ今聞こえな———」

「五月蠅いッ!!!」


 俺は勢いよくゲーミングチェアから立ち上がる。唯織は、唖然とした表情で俺を見ていた。


「え、ちょ、大くん。どしたの?」

「……その“大くん”って呼び方やめてよ。馴れ馴れしい」

「え?」

「…………」


 俺は立ち尽くす姉を捨て置いて玄関から外に出た。

 夕闇に閉ざされていく街をただ歩く。外に出て五分も経たないうちに、後悔の念が俺の心を支配し始めた。“心”がないのに心と表現するのもおかしいかもしれない。“心”を持っているのに心が決して折れない姉たちも同じようなものかもしれないけども。

 そうだ、“心”を持っている姉は俺の言葉で心が折れたりなんてしない。きっと、俺の言ったことなんて気にも留めていないだろう。

 そう、思いたかった。

 特に行く宛てもなく歩いていたが、自然と足はこの場所に向いていた。街のターミナル駅からほど近い、駅から延びる電車の路線を見下ろせる大きな橋。この街に引っ越してきてから、行き詰ったときや気晴らしがしたくて外に出たときは決まってこの場所に来ていた。駅前に乱立する高いビル群と、その隙間から覗く空がある種芸術的で。


「はぁ……」


 橋の手すりに背中を預け、ぼんやりと空を見上げた。もう、夕焼け色はすっかり消え去って夜の帳が降りている。


「———何言ってんだ、俺」


 時々思う。俺は“心”がないから弱いんじゃなくて、自分の弱さを“心”がないせいにしているだけなんじゃないか。“心”が無くてもメンタルが強い人なんて世の中にはごまんといる。それこそ『真人』が現れる前の時代は人が“心”を持っていないことが普通だった。

 どうして、いつから、俺はこんな人間になってしまったんだろう。

 他人を恐れて、甘えて、知らないふりして。

 

 ———俺は……。


「大輔!」

「……姉さん?」

 

 突然の呼び声に思わず視線を向けると、そこには僅かに息を切らして佇む唯織の姿があった。髪は、まだ少し濡れている。服装もさっき見たときと変わらない。もう冬は過ぎているけれど、春の夜はまだ寒いはずだろうに。


「やっぱり、ここにいた」

「やっぱり?」

「大輔、いつもここに来てるもんね」

「……なんで知ってるの?」

「そりゃあ、おねーちゃんだし」


 説明になってない。

 姉はいつものハイヒールで走ってきたせいか、少し覚束なくなった足取りでこちらに歩み寄ってくる。


「大輔、ごめん」

「ッ、何で姉さんが謝るの」

「うまく言えないんだけどさ、あたし、大輔がいろいろ思うところがあったっていうのはなんとなく前から気付いてたよ」


 まぁ、十年以上一緒にいて姉弟らしい付き合いをほとんどしてこなかったんだから当然と言えば当然かもしれないけど。


「それなのにあたし、あんたのこと、なんていうか……分かってあげられなくて、ごめん」


 そう言って姉はしおらしく頭を下げる。

 正直、言葉に詰まった。そんな姉はこの十年のうちで初めて見たから。多分、必要以上に関わろうとしなかったからだろう。

 “分かってあげられなくて”?そりゃ、そうだろう。

 目の前にいる姉は、自分にない“心”を持っているんだから。“心”を持たない、不安定で望まれない人間の気持ちなんて分からないだろう。


「———別に、分かってもらいたいわけじゃないけど」

「あたしは大輔と家族になった日から、あんたのこと分かりたいって思ってたよ?」

「…………」


 分かってる。本当は分かってるんだ。

 分かっていないのは、分かろうとしていないのは、自分だっていうこと。

 “心”がないから、本当の母親がいなくなって自分には価値がないと思った。

 “心”がないから、他人が怖くなってなかなか周りに溶け込めなくなった。

 “心”がないから、“心”がある姉に嫉妬した。

 “心”がないから———。


「大輔」

「ッ……」


 気付くと、目と鼻の先に姉の顔があった。


「やっとあたしの顔、ちゃんと見てくれた」

「え?」

「大輔、あたしが声かけてもいっつも目ぇ合わせてくんないし」


 そうだったのか。自覚がなかった。


「大輔、“心”ってなんなんだろうね」

「そんなの、姉さんだって知ってるだろ。姉さんは“心”があるんだから」

「まーね。でもさ、“心”って中身が空っぽだって言うじゃん?」

「……らしいけど」

「あたしさ、思うんだ。難しいことはよく分かんないけど、“心”って生まれつき元々あるものじゃなくて、もっとこう、育てていくものなんじゃないかって」

「育てる?」

「楽しいこと、悲しいこと、嬉しいこと、辛いこと。そういうのをいろいろ経験して育っていくものなんだよきっと」

「……」

「んでさ、そういうのって、自分一人だけじゃなかなか経験できないと思う。誰かと関わり合って、“繋がり”を持って初めて得られると思うんだ。絆っていうのかな」

「そんなの、関係ないでしょ。繋がりを持ってようがなかろうが“心”を持ってる人は強いんだから」

「そう言われてるし、実際あたしも本気で泣いたり怒ったりしたことは今までないよ?でもね、強いって言っても何も感じないわけじゃないよ?」


 そう言われて、気付いた。

 そうだ。いくら“心”を持っている『真人』のメンタルがずば抜けていると言っても、何も感じないわけじゃない。心ない言葉を吐かれて、傷つかないわけがないじゃないか。


「だからさ、その……心が読めるわけじゃないし、大輔が何に悩んでいるかとかはあたしには分からないけど、あたしはさ、あんたと家族になりたい。本当の意味で」


 姉は、そう言うとニカっと笑った。子供っぽい、悪戯っぽい笑み。年上とは思えないくらい、唯織は若々しく無邪気だった。根暗な自分にはそれが相容れなくて、それと同時に、眩しかった。ずっと。

 

「……くしゅんっ」


 直後、姉は勢いよくくしゃみをした。


「……ふふっ」

「ちょ、笑わないでよ。というかマジ寒いんだけど」

「そりゃ夜にそんな恰好で外に出たら寒いに決まってるじゃん。髪もまだ濡れてるし」

「だってぇ~」

「………もう帰ろうか、姉さん」


 俺は、姉を追い越して歩き出す。

 姉は少し遅れて後ろから慌てて駆け寄ってきた。


「あっ、待ってよ大輔!」

「“大くん”でいいよ」

「え?」

「……なんでもない!」

「へへっ。今夜の晩飯は大くんが作れよ~?」


 俺達は、肩を並べて笑い合いながら家路についた。

 その姿は、きっと道行く人たちからは仲の良い姉弟に見えていたのだと、そう思いたい。


***


「ふぅう~~~…………ッ、しゃあ!!!」


 数日後、転職してから苦節一か月半。ようやく俺の最初の契約先が決まった。住んでいるマンションから少々遠い会社なのが玉に瑕だが、在宅ワークがメインなのでそう苦労することもないだろう。

 自社の営業担当から契約受理の連絡が届いた数分後、机に置いていた携帯が振動した。


「よう、小山内」

「矢田部?どうしたんだこんな真昼間に。仕事は?」

「もちろん今も仕事中だぜ。ビジネスでお前に電話してんの」

「え?」

「あ?もしかしてまだお前んとこに話通ってないのか?」

「え、うん、多分」

「俺達、今度から一緒の職場で働くことになったから」

「は?」

「お前が前に面談受けた会社、俺の勤め先」

「え、そうだったの?」

「おうよ、うちの部長が今度のプロジェクトに外部社員を一人雇うって言うもんだから何の気なしに聞いてみたら名前が『小山内大輔』だって言うじゃん。履歴書とかスキルシート見せてもらったらドンピシャでお前だったわけ。いやぁ人生何が起こるか分かんねえもんだねぇ」

「マジか、そうだったのか」


 俺自身驚きを隠せなかった。俺と矢田部は同じエンジニアとして働いていたが、星の数ほどある会社の中で矢田部が働いている会社と契約する確率なんて、天文学的数値に等しいだろうに。何か、運命的なものが働いたのだろうか。


「だもんで、来月から俺もお前と一緒のチームで開発やっていくんで、うちの会社に来る時の手続きとか連絡担当が俺になった。今日はその連絡」

「そっか、ありがとう」

「ここだけの話、ウチの部長も最初はお前を採用するかどうか迷ってたらしいんだけど、俺が推薦したんだぜ?“人間性はともかく腕はピカイチですからこいつなら大丈夫です”ってな」

「……ぷっ、ひでぇ!」

「今度飯でも奢れよ?」

「あぁ、好きなものなんでも奢ってやんよ」


 人の“心”は、繋がり。

 確かに、そうなのかもしれないな。姉さん。

 その日の夕食は、契約先決定を祝して姉さんがパエリアを作ってくれた。作り方が分からなくて結局俺も手伝う羽目になったけど、不格好だったその食事は、いつもよりも美味しく感じた。

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