第82話 最後の挨拶

 森本哲郎と樋口明菜がタッグを組んで、何か企んでいる。


 それを明菜自身の口から聞かされた飛鳥。

 まず手始めに生徒会長に報いを与えると暴露され、それはダメだと不動の事務所を飛び出した。


 これはひとりでどうにかなる問題ではない。

 黒川医師にはすでに動いて貰っているが、何より学園にいる仲間達にこの状況を伝えようとスマホを手に取った。


 しかし、電話が繋がらない。


 ハル、美咲、桃子、大神先輩、神武学園の窓口などなど、思いつく限りの学校関係者にかたっぱしから電話をかけても、なぜか天気予報に繋がってしまう。

 ちなみに夜から大雨になるらしい。


「なんだよ、これ……」


 スマホの故障かもしれないと電話を諦めると、あることに気づく。


 すれ違う通行人の何人かが、じっとこっちを見てくるのだ。

 お年寄りから幼稚園児まで。

 お前を見ているぞと言わんばかりの強気な顔で。


 彼らは樋口の言う「仲間」なのだろうか。

 それとも彼女に操られているだけか。


 どちらにしろ、完全に樋口の手の上で踊らされていることに間違いはない。

 飛鳥が焦り、苛立つ姿を彼女はずっと観察しているのだろう。

 

 それでも飛鳥は進まなくてはならない。

 こうしている間も時間は過ぎていくのだ。


 そう。試合が始まろうとしている。


 

 

 

 空組の教室では、樋口と森本の企みなど知るよしもない生徒達が試合に出場する5人を励ましているところだ。


 不動による地獄の模擬戦を金銭欲だけで乗り切った鈴岡と浪川は、それなりに自信がついたのか、友人達と談笑している。

 しかし盾役となる野々村は緊張のあまり真っ青になっており、美咲やハルたちが励ませば励ますほど、さらに青くなっていた。


 レガリアが故障して現在絶不調の桃子は、タオルをかぶったまま肩で息をしている状態。その痛々しい姿に皆が気を遣って距離を置いてくれるが本当は、


「お前はスラムダンクの牧紳一か」


 と突っ込んで欲しかったようだ。しかし演技がリアルすぎてしまった。

 みんな試合前に和気あいあいとやっているのに、輪の中に入れない辛さを現在味わっている。


 そして最高にリラックスしているのが、森本哲郎だった。

 壁にもたれて、ずっと携帯をいじっている。


 その顔には柔らかい微笑み。どの構図で切り取ってもはかなさを感じる絵になる男。いつも通りの森本だ。

 これから試合に出るような緊張感は欠片もない。


 騒ぎの中にも混じることはないが、離れた場所から友人達をただ見ているだけで、この上なく幸せそうなのだ。


 かつてのように動けなくなる日が来る。

 だから、動ける内にこの日常を見つめていたい。


 森本はハルにそう呟いたことがある。

 それを思い出すと、なんだかやりきれない気持ちになって、ハルは森本に近づいた。


「先輩は緊張してないんですね」


「うん。不思議と落ち着いてる。ただ母さんは全然だ」


 スマホの画面をハルにちらっと見せて森本は苦笑する。


「試合に出るって言ったら、凄く驚いちゃってね。分刻みにメッセージを送ってくるんだ。大丈夫か、怪我はないか、今からでも誰かに代わってもらえないかって。気持ちはわかるんだけど、返信するのが疲れてきた」


 肩をすくめる森本にハルも笑う。

 どちらの気持ちもわかる。


 息子はもうダメだと疲れ切った顔をしていた森本の母をハルはよく覚えている。

 息子が奇跡の復帰を遂げたときは衝撃で気を失い、その後は涙した。


 何もしていないと飛鳥が遠慮しても、せめてもの礼にと故郷の桃をたくさん買ってきて幾度も頭を下げたらしい。


 あのお母さんにとって失われていた息子との日常を過ごす日々がどれだけ幸福か。

 家族という繋がりを体験したことがないハルだからこそ、よくわかる。


「お節介だって思っても、あまり邪険にしないでくださいね」


 ハルは心から森本にお願いする。


「わかってる。今まで散々迷惑をかけてきたから、これ以上、辛い思いはさせたくないんだ……」


 その言葉にやや影があることをハルは気づかなかった。 

 まるで己の焦りを打ち消すように、森本は珍しく饒舌になる。


「単身赴任だった父が会社を辞めてこっちに戻ってくるみたいなんだ。今すぐにでも俺の顔が見たいって」


「そうなんですか」

 森本先輩が自分のことを話すなんて珍しいとハルは聞き耳を立てる。


「それを聞いてホッとしたよ。俺が動ける以上、高い医療費を払う必要はなくなったわけだから。これが最初で最後の親孝行かもしれない」


「……最後って、これからバンバン親孝行できるじゃないですか」


「そうだね」


 森本は笑いながら姿勢を正した。


「ありがとう衛藤さん。君に会えて良かった。いろいろわかったよ」


 天使のような美しい笑顔を振りまくと、森本は静かに歩いていった。


 そのうしろ姿を見ていたハルは、彼がこのままどこかに消えてしまいそうな気がして、目をこすった。


 所変わって、生徒会室。

 

 今日も今日とて会議がある。

 

 とはいえそれぞれが所属する学年、及びクラスの運営からリーグ戦の管理、挙げ句自分の勉強と、各自やることが多いので、会議で役員全員が揃うことはまずありえない。


 試合に出る長崎玲香が欠席なのは仕方なく、生徒会長と揉めた空組の美咲が姿を見せないのもしょうがない。


 ただ、生徒会長が不在というのは珍しかった。

 今日の会議を欠席するという連絡はないので、彼が来ないと始まらない。


 手持ち無沙汰になった生徒会役員は、それぞれ時間を潰すが、ほとんどの生徒が空組の試合を観戦しようとネットに繋いでいた。


 やはり、空組の試合が気になるようだ。


 前回の試合で活躍した空組2名が襲撃されるというのはとてもスキャンダラスな事件であり、その首謀者が生徒会長かもしれないというのは、もはや空組と生徒会だけの問題ではなく、学園の話題の中心になっていた。


 やはり生徒会長の仕業なのか。

 両翼をもがれた空組がどう動くのか。

 そして長崎玲香は空組相手にどう戦うのか。


 皆が今日の試合に注目していたのである。


「それにしても花岡先輩。どこで何してんのかな」


 一年学長の藤ヶ谷が首をかしげる中、試合が始まろうとしていた。

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ボクのハル - 失敗作だと一族から追放された少年。ジャンクスキルを組み合わせて最強の魔術師となる はやしはかせ @hayashihakase

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