第81話 私の翼を使うがいいわ
「樋口さんは今、どこにいるの? これは……なんなの?」
自然に沸いた疑問に、樋口明菜は静かに答える。
「これはね。君と私の間にある壁をすべてを取り払った、ふたりだけの空間だよ。夢のようでもあり、幻のようでもあり、現実であり、空想でもある」
「ああ、うん」
ちょっと、なに言ってるかわからない。
ほんとにわからない。
「君は探偵の事務所にいる。私はずっとあの少年院にいる。君には不思議に思える現象かもしれないけれど、もう私には場所も距離も関係ないんだ。繋がろうと思えば、いつでも誰かと繋がることができるから」
「そっか、凄いね……」
そう言いながら、飛鳥はここから逃げるすべを考えていた。
だってすぐにわかった。
この子は、ヤバイって。
今すぐ背中を向けて逃げ去りたいが、体が動かない。
蛇に睨まれた蛙ってこういうことか……。
そんな飛鳥の焦りを知ってか知らずか、樋口は穏やかに語る。
「いろんな子から君のことを教えてもらっていた。僕らと同じなのに、手足を自由に動かせる不思議な人。そのせいで僕ら以上の苦しみを味わっていた人。いつか話したいと思っていた」
「いろんな子……?」
「私の仲間は日本中、いや、世界中にいる。他のヤツが見れば人形のように見えるだけだが、そんなことはない。私たちは繋がっていて、見たものを共有できる」
樋口明菜は自分が始末したという祖父達の死体を浮かすと、それを束ねて小さな山にして、その上にあぐらをかいた。
「君を助けた医者が言っていたように、レガリアができてから人の進化の速度は増していくばかりだ。わかるだろ? 私たちは他の人間より一段高い場所にいる。これはうぬぼれじゃなく、事実を言っているだけだ」
「いやあ……」
正直、そんなことどうでもいいのだが、樋口は違うらしい。
「テレパシーと表現して差し支えない力に、ひとりで百人を一瞬で殺せる強さ。これほどまでの能力を持ちながら、私たちはずっと疎外され続けている。いい加減に飽き飽きだ。だからみんなと一緒に出かけることにした」
「出かける……?」
意味深な言葉に飛鳥の心はざわつき始める。
「ふふ。ようやく興味を持ってくれたね。そう、君も来てほしいんだ。それを伝えに来た」
「……どこに行くつもりなの?」
「場所は言えない。その場所に辿り着くまではね」
ゆっくりと近づいてくる樋口明菜。
「一緒に行こう。私といれば、そんな部屋で退屈を味わう必要はないし、邪魔な耳当てもいらない。君をさげすむ無能達もこんな風になる」
こんな風。
自分を無能と言っていた連中が血を流して死んでいる。
そうか。
してあげるってことは、これはまだ夢を見ているようなもので、祖父もその部下も実際には生きているってことか。
良かった、ホッとした。
そう思う自分がいる以上、彼女とは合わない。
「ごめん。一緒には行けない」
すると樋口明菜は笑った。
その答えを待っていたと言わんばかりに。
「やはり遥香といると勘違いが多くなるね。だから君に見せたかった」
「何を……?」
嫌な予感がした。
「力だ。手始めに、君と私の出会いを邪魔したあの生徒会長に報いを受けさせる」
ぞっとした。
「やっぱり妨害をしたのは花岡さん……?」
しかし樋口は首を横に振る。
「証拠はつかんでいない。彼はとても用心深い。彼の身内ですら確証を持っていないという。だけど、どう考えたって彼だろ?」
「あの人だと決まったわけじゃない!」
それに問題は、やった、やらない、ではないのだ。
「花岡先輩が犯人だったとしても、殺していいわけがないだろ!」
しかし樋口明菜は苦笑しつつ飛鳥の言葉を否定する。
「殺すなんて一言も口にしてないじゃないか」
「だけど……」
その時、飛鳥の頭の中で点と線が繋がった。
樋口明菜の言う、仲間達の存在……。
一見すると人形のようにしか見えないと樋口は口にした……。
つい最近まで、人形のようだった男の存在を知っている。
親からもうダメだと言われていたほどの……。
彼との出会いはとても奇妙だった。
「まさか、僕と会うために森本先輩を使ったの……?」
その反応に樋口明菜はとても驚いたようだ。
「君は本当に勘がいいね。確かに哲朗は私が一番信頼している同士だよ。お互い暗闇にいたときからずっとずっと話をしていた。彼に色んな魔法を教えたよ。君をこちらに迎え入れたくて、無理を言って彼に一足早く目を覚ましてもらった」
「ああ、なんてこと……」
森本先輩が樋口明菜と繋がりがあったなんて。
とんでもなく危険な組み合わせに思える。
「だけど葛原くん。ひとつだけ間違いがある。私が彼を使ったんじゃない。私と彼で話しあって決めたことだ。今日、すべてを始めるためにね」
「……!」
まずい。
何かとんでもないことが起きようとしている。
「ひとつ言い忘れていた。過去のことで哲朗は花岡を憎んでいる。だから花岡についてはどういうことをしてもいいと伝えている。殺せとは言わなかったけど、哲朗の気持ち次第で殺す可能性はある。君が倒れたことを哲朗はとても悲しがっていたから、なおさら気持ちが高ぶっているだろう。花岡の妹も兄のことに関してはもうどうしようもないと認めてくれたしね」
「いや、ダメだって!」
ひとつだけあるドアを開けようと力を込めるが、びくともしない。
覚めてくれ、頼むから現実に戻してくれ。
必死でドアを引っ張る飛鳥の背後に樋口明菜が迫る。
「葛原くん、今日1日だけ、私の翼を使っていい」
樋口の人差し指が飛鳥の耳の穴に入った。
生ぬるい水が全身を巡る感覚。
そして樋口は飛鳥に耳打ちする。
「これから起きることをすべて目にしてから、どうするか決めてほしい。今日の夜8時までに。待ってるよ」
そして、ようやく景色が変わった。
ベッドから転がり落ちて目が覚める。
時刻はなんと17時半。
空組の試合は18時からだ。確かその試合には森本が参加するはず。
「くそ、寝過ぎた!」
急いで部屋を出て、黒川医師のもとへ駆け込んだ。
ヘッドホンがなくても問題ない。
これが樋口明菜の力なのだ。
今、飛鳥の耳は完全に普通の人と同じになっていた。
ヘッドホン無しでやって来た飛鳥の姿に黒川は目を丸くする。
「ええっ、なんで?」
そんなことはどうでもいいと、飛鳥は黒川に叫ぶ。
「神武学園の森本哲朗って人と同じ症状の人が今どうしているか、医者のコネでも何でも使って可能な限り調べて下さい!」
「だから、なんで!?」
当然の如く驚く黒川に飛鳥は詰め寄る。
「樋口明菜ってヤバイ魔術師が、ヤバいこと企んでます!」
「やばいって、何がやばいの?」
「それを確かめてきます!」
飛鳥はそう叫ぶと、事務所を出て行く。
もちろん場所は神武学園である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます