第80話 夢の訪問者
ヘッドホンがない以上、飛鳥はどこにも行けない。
桃子や美咲、森本先輩など、多くの友人知人から「心配しないで」とメッセージを送ってもらった。
浪川と鈴岡という人から「俺たちに任せろ」という動画のメッセージが不動経由で届いたが、正直誰だかわからない……。
何にせよ、気にかけてくれるのはありがたいことだ。
だが今の飛鳥は激励を素直に受け取ることが出来ない。
自分がとことん惨めに思えて、気が沈んでいくだけだ。
ただ一人、ハルの長文メッセージだけがしっくり体に入ってきた。
「やることないなら寝なさい。ねむりながら戦争はできないって
こっちの心情がすべて見透かされている。
そうだ。寝よう。
明日どうなるかなんて、明日考えることにして、今はもう寝るしか無いんだ。
無駄のないアクションで寝るってのがよくわからないが。
そんなわけで空組の試合当日。
時刻はまだ朝の四時。
寝すぎたせいで朝が早くなってしまった。
二度寝、三度寝を続けていると、眠りが浅くなって夢を見るようになる。
そして、こういうときに限って、決まって悪夢を見るのだ。
しかも、まるで現実のような鮮明な夢を見る羽目になった。
今まで生きてきた中で最強に怖かったあの日。
突然祖父が部屋に入ってきたときのことだ。
忘れもしない。中学1年生の夏休み。
「起きろ」
その太い腕で足をつかまれ、ベッドから引きずり下ろされた。
アイマスクをされ、口はテープで塞がれ、桐元達に抱えられ、どこかに連れて行かれた。
あの時期から祖父に見限られていたから、いよいよ海に沈められるのかと思った。
祖父に反抗してどこかに消えていった人達を何度か目にしていたから、この時点で覚悟を決め、ジタバタするのを止めた。
だが結局消されることはなかった。
今でもどこに連れて行かれたのか詳細はわからないが、消毒液の臭いが充満した場所だった。
両手両足を拘束された状態で固いベッドに寝かされ、複数の人間に体を抑えつけられた状態で、祖父の声だけが聞こえた。
「始めろ」
その直後、耳の中に熱いのか冷たいのか、よくわからない液体を流された。
あのやけつくような痛みと、耳の中で虫が這うようなガサガサという音は一生忘れることはない。今も夢で見るくらいだし。
ぎゃーっと声が勝手に出てきて、逃げようと暴れ回ったけど、大人達に抑えられ、どうしようもない。
今度は反対側の耳にも同じことをされた。
「これで間違いないな?」
祖父の問いかけに、誰かが答える。
「はい。この霊気水がお孫さまの体に宿る悪鬼を駆逐いたします。ただ……、悪鬼がすでに体の奥底に潜んでいる可能性もありますので、もう少し体を開いた状態で処理するとさらなる効果が望めますが」
「どうすればいい?」
「簡単なことです。この小刀で耳の奥を広げて穴を大きくするのです」
「やれ」
バカか、こいつら。
飛鳥がその時感じた思いである。
詐欺師に耳を潰される寸前の飛鳥を助けたのは、駆けつけてきた両親だった。
軍隊ですらヤバすぎて使わなかったミサイルランチャー式の魔法武器を抱えた父と、当時最強の魔術師と言われていた母のふたりが祖父に迫ったため、祖父が渋々飛鳥を解放したのだ。
ただし、今日見た夢だけは展開が違った。
両親が来ない。
「ひどい奴らだ」
誰かの声がしたとき、夢が変わっていく。
拘束具が外れ、アイマスクも、口に貼られたテープも勝手に外れた。
「あれ?」
言っているうちに夢はどんどん形を変える。
祖父が手にした小刀で自分の喉をかっさばいた。
今度は桐元が、祖父の手から小刀をとって同じように自殺する。
続いて桐元の部下、さらに医者の格好をした詐欺師達が、次から次へと順番に喉を切って死んでいく。
床は血の海。
残ったのは飛鳥だけ。
「なんだこれ……」
もう夢なんか終わって、はっきり目覚めているという意識があるのに、見ている景色が変わらない。
不動達が用意してくれたあの部屋に戻らない。
「始末したから安心していい」
声のする方に体を向けると、ベリーショートの女の子がいた。
モデルのようなすらっとした体だけど、アニメキャラをでっかく描いたTシャツとショートパンツというスタイルが、その長い手足と噛みあわず、違和感が強い。
何より、その手足はガリガリに細い。
痩せすぎだ。
今にも倒れてしまいそうな病的な雰囲気なのに、異様に眼力が強い。
見る人を石化させる、魔力がこもった灰色の瞳だ。
「この前は残念だった。もう少しで会えるところだったのに、ふざけた邪魔が入ってしまった」
その言葉に飛鳥はがく然とした。
膝が震え出す。
「もしかして、樋口明菜さん……?」
ハルの親友。
ハルを救うために、虐待まがいの訓練をしていた連中を皆殺しにした。
今は少年院にいて、かつての森本のように人形になっていたという。
あの、樋口明菜……。
「さすがだ。もうわかりはじめている」
樋口明菜は満足げに頷いた。
「会いたかったよ。葛原くん」
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