爆ぜる心臓 繋がる脳内

第79話 心の声よ

 かつて空組の生徒達がこんな遅くまで教室に残ったことがあっただろうか。


 急遽明日の試合に参加することになった空組生徒4名を鍛えるために、あの天才、衛藤遥香が2時間の特訓を行うという。

 おまけに補佐を務めるのは不動大輔。

 

 この両者を野球で例えるなら、松井とイチロー。

 バスケで言うなら、レブロンとカリー。

 卓球で言うなら、馬龍と許昕みたいなもんである。

 

 衛藤遥香と不動大輔のコーチングなら、是非見学したいと、帰っていいはずの生徒たちまでが教室に留まっていた。


 ありがたいことに空組の新教室は三階建ての倉庫である。

 特訓を行うためのスペースは十分に確保できる。


 そしてそこで行われたのは、天国と地獄のような特訓だった。


 まず地獄。

 ギャルの鈴岡と、根拠のない自信の塊、浪川。

 哀れな二人は不動から10分間の空気椅子を命じられた。


 きついトレーニングなんか絶対避けて通るタイプだから、空気椅子の最中は、きつい、しんどい、もう無理など、不平不満を撒き散らしたが、スマホをいじり続ける不動の圧が凄すぎて逃げられない。

 見た目はただのガキなのに、なんでこんなに怖いのか。

 そんな疑問と闘いながらふたりは10分の苦しみを乗り越えた。


「こ、このトレーニングに意味はあるのか……」


 立ち上がれないくらい消耗した浪川だが、


「いや、どうしても別の事件の報告書を書かなくちゃいけなくて、10分だけ時間をもらっただけだ。意味はない」


 恐ろしい一言に失神寸前になるふたりの高校生。


「よし、トレーニングを始めよう」


 床に倒れたままの浪川の体に強力なシールドコート液をぶちまける。


「2時間程度の訓練じゃ基礎体力も基礎魔力も向上しない。ひとつの武器を徹底的に磨くことだけに集中する。さあ、起きろ女子高生」


 もうダメ、死ぬ。としか呟かなくなった鈴岡を無理矢理起き上がらせる。


「いいか、お前の武器は遠距離射撃だ。徹底的に精度を上げろ。そしてお前は……」


 浪川の腕をとって強引に立ち上がらせる。


「逃げ足だ」


 さあ、やれ! と手を叩く不動。


「鈴岡は攻撃する。浪川は逃げる。シールドがあるから当たってもチクッとするくらいだ。浪川の体に攻撃が命中すれば、当たるごとにツェーマンをくれてやる」


「え、マジ」


 ツェーマン、業界用語で一万円を意味する。


「鈴岡の攻撃を避けきったら、浪川にはツェージューマンくれてやる」


「なんだって!」


 ツェージューマン、業界用語で十万円を意味する。


「1回攻撃が当たるたびにツェーマンマイナスするがな」


「むむむ!」

 どんな言葉より、どんな技術より、こいつらに限っては悲しいかな現金がガソリンになった。


「死ねぇ! クソ浪川!」

「当てられるもんなら当ててみな! このあばずれが!」


 空組教室のすべてを使ったガチの鬼ごっこがこうして幕を開けたが、ふたりはまだ知らない。これが2時間ノンストップの模擬戦だということを……。


 さて、今度は天国みたいな特訓。


「行きますよっ!」


 ハルがレガリアを使わない状態で炎の弾を投げつける。

 その相手は、試合を放棄しようと訴えていたら逆に参加することになった野々村だ。

 

 ハルは明日の試合のカギを握るのは野々村の防御力とイマジネーションだと感じており、彼を徹底的に鍛えようとしていた。


 迫ってくる炎を野々村は片手で受け止める。


「氷結、展開っ……!」


 野々村の右手から吹き上がる氷の煙が炎を包みこむ。


「巻き込んで、別物になってくれっ!」


 ハルが投げた炎の弾は、野々村の手によって氷属性の矢と化した。

 遠目から見ていた生徒がおおっと声を上げる。


「そらいけっ!」


 野々村は左手を振り下ろして氷の矢をハルに投げつける。

 ハルは片手でそれを受け止め、粉々にするが、その顔は満足げだ。


「完璧です! 凄いじゃないですか!」


 誰にでもズケズケものを言う性格のハルだが、教える立場になるとこれでもかと優しくなり、何をしても褒めてくれる。


 とてつもなく可愛い女の子にマンツーでコーチングされ、しかも徹底的に褒められるなんて経験、陰キャの野々村にはなかった。


「いやあ、はははは」


 ただただ照れるだけの男。

 それを羨ましげに見る他の男子生徒達。


「この感じでどんどん行きましょう。パイセンの覚えが早いから、予定よりも沢山教えられそうです」


「そ、そうか、頑張ろう」


 ニヤニヤが止まらない。


「盛り上がってるところ悪いんだけど……」


 美咲が口を挟んでくる。

 

「野々村先輩の魔法で相手の攻撃を跳ね返すって作戦自体はドンピシャだと思うけど、相手は長崎先輩よ。今からカーブ投げるって言って、そのままカーブ投げるような人じゃないでしょ?」


 確かに美咲の言うとおりだ。

 ハルは攻撃を仕掛ける前に、どの魔法を使うか野々村に申告してから攻撃を繰り出している。


 しかし実戦になれば、自分がどんな攻撃を仕掛けるか宣言するような馬鹿はいない。おまけに相手は長崎玲香とその仲間達である。


「葛原くんがいれば相手の考えは筒抜けかもしれないけどそれはできないし、星野さんはあんなだし……」


 現在、桃子はジャージに着替え、ヘルメットをかぶったままの状態で座禅を組んでいた。異様な雰囲気に圧倒され、近づく人間はいない。


「あのまま空に飛んでいったら面白そうねえ」


 ハルは他人事のように呟くと、そばにいた森本に声をかけた。


「先輩、どうですか?」


 森本は、コロコロコミックをふたつ重ねたような分厚い書類を熟読していたが、ハルに声をかけられると笑顔になる。


「うん。全部、頭に入ったよ」


 その書類に記された情報こそ、明日の試合のもうひとつのカギだ。

 長崎玲香とその仲間達が今までの試合で使用した魔法の種類や、彼女たちのクセ、戦法などが詳細に書かれている。


 これは前回の対戦相手である野球部が作成していたものだ。


 野球部は空組にコテンパンにされたが、歌川美咲個人に関しては綿密な下調べをした上での戦いをしようとしていたことをハルは見抜いており、試合が終わったあと、個人的に近づいて、色々聞いていた。


 どうやら野球部は誰に頼まれたわけでもなく、好きだからという理由でリーグ戦のスタッツを収集、分析していたらしい。


 長崎玲香に関するデータがあれば教えてくれと頼み込んだら、彼らは喜んで情報を提供してくれた。

 自分たちが必要とされたことが嬉しかったようだ。


 そして森本はわずかな時間で膨大な情報をインプットした。


「衛藤さんに歌川さん。ふたりで野々村さんに仕掛けてくれないか。ほぼ全力で、死なない程度に」


「え、ちょっと待て!」


 しかし野々村に動揺する余裕は許されない。


 ハルはベルエヴァーを立ち上げると、すぐさま車椅子から立ち上がり、さっきとは比べものにならない炎弾を投げつけた。


 突然の暴挙に見学者が悲鳴を上げるが、野々村はすぐにその弾を受け止め、両手でバンッと押し潰してしまった。


 高校生の域を超えた凄まじい防御に皆が絶句する。

 命がけの鬼ごっこをしていた鈴岡と浪川、両者を激励していた不動までもが、その光景を見て動きを止めたほどだった。


「なんだこれ……?」


 自分のしたことが信じられず、自分の両手をガン見する野々村。

 

 制止した時間を打ち破ったのは歌川美咲が放った七つの氷の矢だ。


「うおっと!」


 しかし七本の矢も野々村はすべて受け止め、最後のひとつに至っては風属性に変換させて、突っ立っていた浪川に命中させるほどだった。


「これは俺の力じゃない……」


 戸惑う野々村の視線の先には森本がいる。


「頭の中でカゲロウの声がした。何をすればいいか、お前が教えてくれた。その通りに動けばいいだけだった……」


 しかし森本は首を振る。


「これが先輩の本当の力なんですよ」


 見つめ合う森本と野々村を見て、美咲はその手にぐっと力を込めた。


「イケる……!」


 勝てる。

 どんな仕組みか知らないが、森本と野々村で繰り出す鉄壁の防御さえあれば、間違いなく勝てる。

 ざまあみろ、くそ生徒会長が。


 心の中で狂喜乱舞するが、横にいたハルの冴えない顔に気づいて、冷静さを取り戻した。


「どしたの? まだ何か不安?」


「違うわ。明日は勝てる。だけど……」


 ハルは森本を悲しそうに見つめている。


「あのレベルまで森本先輩を高めていいのか、正直、そこが不安なの」


「え……?」


 美咲はハルの言葉の真意をつかみ取れず、ただ戸惑うだけだった。

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