第3話 3 ファーストポジッション ~First Position~
「いいよ。」
答えはあっさりと返ってきた。
(それだけかよ。)拍子抜けする程の即答に、次の言葉を探しあぐねていると、
「けど、レッスン中の写真は撮れないよ。」
「あっ、う、うん。」
「親でも撮影に関しては、事前に先生に許可を得ないといけないんだ。 それに今、発表会用の新しい振付が入っているから、撮影は特に厳しいよ。」
「そうだろうね。」
僕の頭の中が、まるで漫画の吹き出しみたいに彼に見えてしまっているようで、気恥ずかしさが目の前を真っ赤にして、すかっり意気消沈し黙り込んでしまった。
それに、蓮見の言っている発表会云々や振付がどうのなんて、さっぱり意味がわからなかった。
理解できたのは、個人情報を勝手にネットに投稿されるのは迷惑だろうし、当然ながら僕自身も全く考えていなかった。 誰かに見せびらかしたい訳ではなかったから、蓮見の言う懸念に対しては、何ら問題なく同意できる。
ただ、せっかくのクールな思い付きが一瞬で
黙って前の椅子の背もたれを見つめるしかなかった。
無駄口を言わない編入者の大人びた対応がちょっと癪に触ってもいた。
何も言わないうちに僕の自己満足の閃きや、子供じみた浮かれ具合が蓮見にはお見通しで、馬鹿にされているような気分は、筋違いとは分かっていてもなんだか、許しがたかった。
だのに蓮見は、少々不貞腐れ気味にカメラを
「義家君、発表会に来ない?」
「発表会って、バレエの?」
また、あの最終兵器の瞬きを2回した後、整った唇をキュッと結んで頷いた。
なんなんだ、この瞳は。 絶対なんか喋ってる。 瞬き一回する度に恐ろしいほど多くの事を伝えて来るって、どういう機能を持っているんだ!! だいたい、一心に相手を見つめるって、僕ら日本人にはなじまない習慣なんだよ。 それに僕はどうしてこうもドギマギしてるんだろう。
言葉に詰まったのは言うまでもない。 バレエの発表会なんて女の子が行くもんだし、正直僕は何にも知らないんだ。 バレエの事なんか。 黙ってうつむいたままでいると、蓮見は嬉しくてたまらないと言うような声で、
「あのさ、クラブ活動の一環として、発表会の取材をさせて欲しいって先生に頼んでみるのはどうかな。」
直ぐには言うべき言葉が見つからなかった。 何ていうか、自分でも信じられないほどワクワクして、凄く幸福な気持ちが湧きあがって来たんだ。 感動を処理するまでに少し時間がかかった。
「蓮見、おまえいいやつだな。」
蓮見は、ほんの少し得意げな顔をしてもう一度、瞬きをした。
それから僕は聞かれてもいないのに、カメラについて知っている限りの知識を総動員して喋った。 それは、オーバーに言えば地獄から天国へ引き上げられた喜びを、聞いて欲しかったんだと思う。 あの駅までの時間は、僕にとっては暫く忘れていた解放感というものを思い出させてくれた忘れがたい数十分だった。
「それがさ、結構面白いんだよ。下らなく見えてたものがさ、レンズを通してフレームの中に収めてみると、なんだか価値があるものみたいに見えてくるから不思議なんだ。 時間って流れ続けてるからさ、止められないけど、シャッターさえ押せば、その瞬間を留められる。」
殆どは兄からの受け売りだけど、本当にそう思っていた。 だから、これはもう僕の言葉でもあるんだ。
「僕も、写真は沢山持ってるんだ。 殆どが舞台で踊っている所だけどさ。 後は、楽屋での準備風景とか。 でも、どれも自分じゃないみたいだし、どの写真にも自分の新しいところは、見つけ出せないんだ。 何て言うか、どれも知っている自分しかいないんだよね。」
えっと…、想定外の話の流れに戸惑い、蓮見が何を言ったのかさっぱりわからなくなって、せっかく決め台詞を吐けたつもりでいたのに、全然太刀打ちできない。
明らかに彼の言葉の方が深みがあり、それが何かは説明できないけど、写真を撮る本質を突いているような気がしてならなかった。 少し間を置いた後、蓮見は僕を覗き込むようにして見ながら、
「要するに、想定内の自分しかいないんだ。そこには。」
一体、蓮見莉久ってどんな奴なんだ。 美しいだけの皆のアイドルじゃないのは良く分かったけど、今までこれ程猛烈に人に興味を抱いた経験が無かっただけに、僕は自分自身に混乱していた。
メロスの遺言 欠け月 @tajio10adonis
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