第2話  プレパラシオン 2 ~Preparation 2 ~



 中等科の校舎は、昨年から新しくなり、それまでの旧校舎は殆どが壊されてしまっていたが、化学室とデジタルシステム情報室だけは、後から校長の肝いりで設備投資をしたこともあり、増設もされ、新たに廊下を作って新校舎とつながっていた。 

僕は他にこれと言って興味も無かったし、川瀬の様に小さい頃からサッカークラブに入って情熱を傾けられるものも探せなかった。 ただ、映像の編集が面白そうだと、漠然とした理由でデジタル放映に入部だけはしていた。


 デジ放は実際は文化祭で流す映像を撮ったり、年間行事の記録編集をしたりする事が主なクラブ活動だった。 当時片思いの後、打ち明ける前に即効でフラれ、失恋にも満たないような状態で、ささくれ立った気持ちを抱えていた僕には、さほど使命感もないクラブの活動がむしろ魅力的に見えた。


 それに、5つ違いの兄が大学に入ってから映像と音楽に懲りはじめ、勉強そっちのけで毎週末どこかに出かけて行っては、風景を撮り溜めして編集をしているのを傍らで見ているのは、楽しかった。 大体において、自己主張の苦手な僕は小さい頃から兄の後を追いかけながら、遊びも勉強もただひたすら兄の真似をするのが当たり前のようにして育ってきた。 考えてみれば自分で決断したことなど、無かったのかもしれない。 それに、僕が知る限りでは「義家よしいえ太一」と言う人物は兄としても、男としても客観的に見て十分に信頼できる人間だった。 

だから、優秀な兄と比べられても苦々しい思いも、劣等感を刺激される痛みもなかった。


 兄は「和希かずき、お前は性格いいよな。 お前といるのが一番楽だ。」と言ってくれていたのは、多少の思いやりもあったのかもしれないが、大方は嘘じゃなく本当にそう感じていたんだと思う。

なぜなら、僕自身も小さい頃から兄といる時が一番気楽だったから。 

だから、兄の意見は僕にとっては間違いのない助言であり、一番身近な先輩として、あるいは教師として信頼していたのは、至極当然だった。 


 デジタル放映部、デジ放に入部したのを知ると、兄は早速先生の役割を果たそうと、自分の持っている機材の説明をし始めた。 一番使いやすいからと、C社の60Dを貸してくれた。 何の投資も苦労もせずに、明日からでも被写体を追える幸運が、多少なりともワクワクする緊張感と期待感を希薄にはしたが、そんなことを差し引いても、十分な未知への楽しみを与えてくれた。


 兄に借りた次の日から、僕は早速カメラを携帯し、手に馴染むまで所かまわず撮り続けた。 動画も静止画も、ちょっとでも面白そうなものは、1日中食事を与えられていなかった犬みたいに、ガツガツとシャッターを切り、SDカードに見慣れた風景や友達を落とし込んで行った。 クラス10のカードは初心者の僕がどんなに無駄撮りをしても十分に応えてくれたし、一年間は毎日撮り続けようと決めていたので、学校の行き帰りを利用しては被写体を探していた。 最初は遠慮せずに撮れると言う理由から、放課後は川瀬ばかりを狙って映し続けていた。

変顔をして見せたり、ズボンを半分までおろして、可笑しな模様のパンツを引っ張り出したり、どれもこれも平穏でくだらない、僕らの日常そのものだった。

サッカーの練習風景を動画に収めて、川瀬のPVを作ってみたりもした。 これは意外に好評で後からは、俺のも作ってくれとあまり交流の無かったサッカー部の部長からも依頼を受け、ちょっと良い気分だった。 退屈しのぎのつもりだったのに、60Dはすっかり僕の相棒になっていった。


 メモリーカードの残量が少なくなり、撮りためた映像の整理も間に合わなくなってきていたある日、僕は母さんから小遣いの前借をして、学校の帰りに駅前の電気店へ寄る事にした。

ついでに新しく出たレンズのチェックも入れておきたかった。 めったに乗らない、学校の一番バスに慌てて乗り込むと、一番後ろの席の左端に、長い首をゆっくりと傾けながらバスの小窓の方に顔を近づけ、何かを見るともなく見つめている端正な被写体を見つけた。


 編入以来、彼は内気なよそ者の様にクラスの中での自分の立ち位置を探していたが、程なくしてクラス内の派閥が理解できたらしい。

その時々に応じて、卒なく無難にそれぞれのリーダーに対応していた。 この柔軟さは、小さい頃から海外への留学を繰り返してきた彼の処世術であろう。 案外、周りが案じるほど困難ではなかったのかもしれない。そう納得したのは少し後で、その時は、世渡り上手とも言えるスマートさが意外で、僕などは多少の幻滅さえ感じたくらいだった。 


 おかしな話だが、あんな綺麗な子は少し不器用で、何でもかんでも信じてしまって、皆に遊ばれている方がよほど可愛いし、美しい子の役割とはそんなものだと思っていたのだろう。 

か弱い姫だと期待したら、以外にも世故せこに長けていて、人あしらいが上手く、用心深い事を知ってしまい、がっかりしたというような、理不尽極まりない不満だった。

しかしそんな身勝手な不満もあっさりと忘れさせるくらいに、蓮見莉久は誰もが触れてみたいと思うような、儚げで匂い立つような高貴さをその存在から放っていた。


 彼の隣が空いているのを確認して、出来るだけ自然に声を掛けた。

「蓮見。帰り? 早いな。」

びっしりと生えた長い睫毛に縁どられた大きな目を一層見開いて、その黒目がちの二重瞼は二度ほど瞬きを繰り返した。

眼の大きな奴はこれだから困る。 二度の瞬きに、人の2倍は時間がかかるのだ。 その間にこっちは、馬鹿みたいに口を開けてしまったじゃないか。


 女子達が、息をひそめてバスの席に深く腰掛け、彼が一体何と言うのか待っているのが、失恋男の僕には嫌になるほど良くわかる。 そうだよな、美少年の言葉はどんな事でも「キャー、可愛い!!」「きゅんきゅんしちゃう.。」

って大騒ぎされるんだろうよ、どうせ。 


 美を前にすると、男も女も皆これまで見せたことのない笑顔で全てを受け入れるからな。

でも、蓮見に関してはむしろ僕だって、すすんで笑顔で受け入れたい思いで一杯だ。 女子に知られたら気持ち悪がられて、思いっきり引かれるかもしれないが、彼ほどの中性の魅力を持ち続けている人種となれば、大概は歓迎され好意的な受け入れられ方をするものだと思う。 

特に大人になりきれていない幼稚性こそがウリのこの年代の男子にとっては、美少年とは是非とも親交を深めたいと思っているのだ。


「蓮見っていつもこのバスなの?」

「うん、習い事があるから、一番バスで帰ってもギリギリなんだ。」  

「そうなんだ。 習い事ってバレエだろ?」

「そう。11月に発表会があるから、今が一番厳しいんだ。」


「お前の習ってる所って、駅から近いの?」

「うん。走れば15分で着く」


 そう聞いた瞬間、電光が走り僕は自分でもびっくりする程の名案を思い付いた。

一瞬でそのアイディアに夢中になり、興奮してしまった。 


「あのさ、僕も蓮見の練習について行っていいかな?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る