メロスの遺言
欠け月
第1話 プレパラシオン 1 ~Preparation 1~
僕には隠している棘があるんだ。
その告白は実に唐突だった。
僕たちは暗闇に息をひそめ、じっとしていた。
彼はずっとその時を待っていたように、コクリと小さく唾を飲み込むと、決心し、痛みをこらえるかのように絞り出したその声は、いつもとはまるで違っていた。
本人の気持ちとは裏腹に、その囁きはまるでオオルリの囀りのように僕の耳を愛撫し、鼓膜を揺らしていった。
ただ、僕はその言葉の意味を計りかねて、黙って暗闇に目を凝らしているしかなかった。
やっと闇に慣れた目にも明らかに、豊かなそのまつ毛と、うつむいている首筋はほのかな青白い明かりを放つように、暗闇をぼんやりと照らしていた。
僕は、もう言葉よりもその美しさが間近にある事に、小さな驚きと幸福を感じて、あの日、無防備さの誘惑に負けてしまいそうだった。
僕らが出会ったのは、10年以上も前になる。
9月とはいえ爽やかさとは程遠く、ぬるい温度設定のクーラーと何ら変わり映えの無いクラスメイトの馬鹿話に、薄く笑いながらも、一体何日同じ相槌をを繰り返しているんだろうと得体のしれないイライラと、ときおり爆発しそうな自分自身を持て余していた。
中等科4年に進級してから半年が過ぎて、クラス内の力関係や経済的ヒエラルキーが暗黙の内に理解され、のんびりしていられるのはせいぜい後半年。
5年からは進学の為だけの勉強になり、駆り立てられる思いと反発したい気持ちとの狭間で焦燥感が拭えずにいた時期でもあった。
ホームルームも終わりかけに、担任が「みんな、ちょっと静かにしてくれ。これから、新しいクラスメイトを紹介するから。」とまるで、ついでの連絡事項みたいに言うと、廊下側のドアを開けて一言二言待たしておいたらしい人物と話した。
予想もしなかった事態に、ほんの少しクラスがざわめいたが、理系の特進クラスに女子が来るはずがないと諦めていた僕は、何の期待も抱けず突然の「転校生」と言う魅力的な言葉にさえ、何ら甘い感情は湧かなかった。
担任の後から招き入れられ、ゆっくりと歩いてくる様子にクラスの中にさざ波が立ち、小さな驚きが投げ入れられるのを感じたのは、僕だけではなかった。
「あの時は、ちょっと衝撃的だったな。 女子以外で上から下まで眺めたの初めてだったよ。 へーって感嘆符付きでさ。」
後に、小学校からの腐れ縁の川瀬が僕に打ち明けたからだ。
15歳と言うのは厄介な年齢らしい。
当事者にとっては、肉体と精神の発達バランスがどうにもコントロールし辛いし、そのくせ自意識だけは過剰だから、生意気に恰好だけはつけたい。
本当は女子とスマートに自然に話したいし付き合いたいのだけれど、経験不足の上にこの自意識過剰が邪魔をして、見せかけのクールか、もしくはそっけない態度しか取れないのだ。 まして、理系と文系に分かれてしまうと女子の数は圧倒的に少なくなった。 隣の2組にはかろうじて数人いたのだが、医歯薬系の僕らのクラスにはその年は内進も含め、外部から入学する女子もゼロだった。
中高一貫になってから初めての事態らしいが、経済的理由もあるのかもしれない。 とにかく、これで僕らのクラスには何ら甘やかな楽しみは皆無というわけだ。
だから、編入者は夏休みを終えて怠惰な生活に慣れ切っていた僕たちには、恰好の餌食であり、野蛮と秩序の中で荒狂うようなエネルギーを持て余していた僕らの好奇心を尚一層増長させたのだ。
2学期からの編入という特殊さもあったが、何をおいてもその容貌が放つ独特の引力が、僕らを戸惑わせた。
敵とも味方とも付かない視線を一身に受けて、真っ直ぐに伸びた、しかし華奢なその体は身の置き場が無いように、一層心細げに見えた。
莉久の途中からの編入は、バレエの短期留学から帰ってきたばかりだったからで、私立の一貫校に席を置いたのも、元々それが許されるのが条件だったからだ。
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