魔女狩りの笛
水原麻以
魔女狩りの笛
魔女狩りの笛が鳴った瞬間、腐肉を地で洗う死闘が始まった。時刻は草木も眠る丑三つ時。現代日本の時間に換算して午前3時ごろをさすが、ここは魔境だ。
といっても、21世紀の西洋先進文明からそれほど乖離してない世界線上にある。
グレーブヤード。カトリック教会のそばにある墓碑の列が荒波のようにうねり、土が盛り上がり、せりあがった墓石を虚空に弾き飛ばす。
一つ、また一つと小山から這い出てきたのは半ば白骨化した遺体だ。だらりと腕を垂らし、せむしの様に背中を曲げ、ガニ股でゆっくりと隊列を成す。
彼らは襤褸をまとい、身体の開口部から据えた瘴気を吐き、粘液を垂らしながら教会を目指す。
「ゾンビよ! ゾンビ来襲ーッ!」
不気味な異形の群れとは対照的にうら若き女声が彼らの頭上をよぎった。
箒にまたがり、長い髪とマントを風になびかせる少女―魔女だ。
おおよそ十騎あまりの
腐乱死体の襲撃は予測されていたらしく、伝令がすかさず司祭の耳に入る。
「わかったわ。出来るだけ引き延ばして。じきにゴーストが沸くから」
漆黒のローブを纏った中年女性が顔をあげた。
「隣教区でもゾンビの復活が観測されたと…」
修道尼が息せき切って祭壇に駆け上がってきた。女司祭は無言で両手を広げた。すると燐光が凝縮してサッカーボール大の地球儀が形づくられた。
大陸の形は違うが、広い海に覆われた美しい星だ。その夜の側に銀河のごとき灯が輝いている。その砂粒のような営みが吹き消すようになくなっていく。
「急がなきゃ!」
「落ち着いて!」
司祭はあわてふためく修道尼をぴしゃりと制した。
「だって…」
彼女はいてもたってもいられないようだ。その焦りがゾンビにつけ入る隙を与えるのだ。
司祭は静かにさとした、
「ザルトワ、ルキフ、二つの大陸でゾンビが猛威を振るっています。現地の魔道軍から救援要請が入っています」
霊界ラジオが聖堂内に厳しい状況を告げている。
続いて、切迫したやりとりが中継されている
「見殺しにする気か! ゾンビが玄関先まで迫ってるんだ。ニンニクも銀粉も効きやしねえ」
「助けたいのはやまやまなんですが、ゾンビが津波のようで」
「死ねって言うのか!」
「魔女も近づけないんです。どこか近所に清潔な場所や神聖な施設はありませんか。そこで一夜を明かしてください」
通話は大きな物音で途切れた。ニュースキャスターによれば当事者がその後ゾンビの隊列に加わっている事を親族によって確認されたという。
ゾンデミック――世界規模の蘇生。それは大小さまざまな周期で繰り返される災厄の事で、生者必滅のことわりを根底から覆すものだった。
いかなる宗教も死者の復活を認めていない。教典にはその類の奇跡が記されてはいるが、どれも聖者によるものだ。人間は例外ではない。
弔いの方法としては埋葬が主流だ。火葬は光をもてあそぶ罪であるとして許されていない。なぜなら、この世界に人の手で作り出したあかりは一切存在しないからだ。
その昔、パイロという男が神々の住む山からいかずちを盗み出した。それを地を這う獣たちに分け与えようと彼は企んだ。天から降る光の刃におびえ、傷つく生き物たちを気の毒に思ったのだ。
彼の哀れみが逃げまどうしか能のなかった動物にひらめきを与えた。すなわち、人類の誕生である。しかし、神々はパイロのほどこしを偽善だと見抜いた。
雷で彼を刺し貫き、神々の山へ釘付けにした。その一部始終を目の当たりにした人々は恐れおののき神々に帰依した。
人々の手から稲妻は奪われ、代わりに火を用いない知恵が授けられた。以後、神はいたずらに光を作り出す行為を禁じた。
町のはずれには闘技場ほどもある大きな鏡の受け皿がしつらえられた。そこから光を透す植物の根を張り巡らせ、地平線の向こうへつないだ。
こうして昼の側から夜の側へ太陽の恵みが橋渡しされている。人々は太陽と入れ替わりに寝起きする。夜の闇を光の根で照らし、昼を地下でやり過ごす。
炊事も洗濯も根の下でおこない、ものづくりも商いも夜に営まれる。
葬式もだ。地の裏で太陽が中天にさしかかる頃、亡骸を埋める。
そして人は土に還る…筈だった。聖典はいう。死者はみな肉体を離れて天の御国へ向かう。地表に残されるのは物言わぬ肉の塊である。
だが、あろうことか、よこしまなはたらきによってこの世を去った者が再び目覚める。
ゾンビだ。
抜け殻の脳はとうに死んでいるからタチが悪い。説得も叱責もまったく通じない。ただ本能のおもむくままに異性を求める。もちろん、配偶も出産も望めない。生殖機能が死んでいるのだから。
かわりに彼らは仲間を増やす。ひとたびゾンビに傷つけられた者は人間であることを止め、ゾンビとなる。
連中があらわれ始めたのは近代になっての事だ。ここ百年の間におびただしい犠牲者が出たが、その数だけ事例が集まった。
有志が家族を奪われたいきどおりを生きがいに変え、熱心に研究を進めた。そしてゾンビ出現から十年も経たないうちに有効策を打ち出した。
魔女である。
よこしまの権化であるゾンビにはいくつかの弱点があるらしく、そのうちの一つである大蒜を施術に用いる魔女が抜擢された。彼女らは古くから民間医療のエキスパートとして活躍してきた。
魔女がゾンビ対策の研究に参入することで飛躍的な進歩が起こった。聖なるアイテムの導入によって圧倒的優位を保つことが出来る。
このようにして人々は墓場を封印し、清め、寺院の足元に置く事でゾンビの発生を抑えてきた。
軒先に大蒜を吊るし、玄関に銀粉を撒き、死者を聖水で清める。シンプルな方法を地道に積み重ねて死者に抗う。
真実は常に単純で力強いものだ。
安寧は魔女によって保たれていると言って過言ではない。
だが、それでもゾンデミックは起きてしまう。
神の御業は万能ではないのだ。
「いい気になるのも今夜限りよ」
司祭が属する教区は蘇りが比較的少ない地域として知られてきた。残念ながらそれも現在進行中のゾンデミックによって貶められた。
今回の集団蘇生は半世紀の周期でおきる大規模な現象で、何年も前から備えがされてきた。
とはいっても、ゾンビを物理的に抑止したり破壊できるわけではない。いわば対症療法だ。ゾンビに塩の雪を降らせ、聖水の雨を浴びせ、もろもろの神聖を真っ向からぶつける。
それでゾンビが浄化されて塵と化す。
だが、ゾンビどもも清められるままに朽ち果てていてはレーゾンデートルを失う。じょじょに耐性を獲得していった
最初は塩が人体に必要欠くべからず要素である事に気づき、無効化した。次に聖水も所詮はただの水であることを悟った。両者を血潮の原材料として取り込むことで完全無効化した。
魔女たちも防御魔法陣、眷属召喚などの超人力を発揮できるようになり、これを魔術とした。
それでも、ゾンビの襲撃を阻む延命措置であることに変わりはない。いずれ人類はゾンビの餌になる。
「と、悲観論者は言うけどね」
司祭アリエッタは満面の笑みを浮かべてガラス窓を睨んだ。光の根がぼうっと照らす教会周辺。目を凝らせばそこかしこにゾンビが潜んでいる。
「まさか?!」
修道尼はただならぬ気配に気づいた。司祭の様子が変だ。いや、彼女は幾度となく来るべき日について教えられていた。心配をかけぬよう故意に断片化された情報が、つながった。
「せんせい、バカな事はやめて」
「シモーヌ、ありがとう。元気でね。さようなら」
アリエッタは短い言葉をのこすと、出窓に駆け寄った。両手両足を広げて虚空へ身を投じる。さあっと風がそよぎ、木々が嵐のように揺れる。
教会を取り囲んだゾンビどもがいっせいに色めき立った。
「キシャアアア!」
鼓膜をつんざく奇声、罵声、怒声。魔女狩りの笛とよばれる独特のかちどきだ。
「せんせぇー」
シモーヌの叫びもむなしく、アリエッタの肢体はゾンビどもの歯牙にかかる。
泣き崩れる彼女をぐいっと担ぎ上げる者がいた。涙で曇った視界の隅に箒が見えた。
魔女だ。あれよあれよというまに後席に乗せられ、気づくと町の灯りが見えなくなっていた。
雲ひとつない闇。カッ、と閃光がきらめく。
「しっかり、捕まって」
背中ごしにいわれるまま、シモーヌは柄を握りしめた。強烈な光が瞼を透かす。上下左右に翻弄され、強烈な吐き気をもよおした。
「あと少しです。頑張って!」
やがて地平線が白みはじめた。日の出だ。昼の世界では魔女もゾンビも生きられない。光をもてあそぼうとした罪びとへの報いだ。
薄れていく意識のなかで彼女は気がかりな単語を耳にした。
「しっかり、司祭」
いったい誰の事だろう。ここにいるはずのないアリエッタの名前。それとも彼女は無事だったのだろうか。
そこまで考えて、シモーヌは意識を手放した。
◇ ◇ ◇ ◇
まどろみの中でシモーヌは激しく揺り起こされた。
「シモーヌ! シモーヌ司祭。ご気分は?」
白衣の看護婦が心配そうに見つめている。
「えっ? わたし」
司祭という肩書に戸惑いつつ、身を起こした。視線を巡らせると消毒薬の臭いがツンと鼻につく。一目で病院だとわかるが、問題は居場所と理由だ。
「シモーヌ司祭」
見知らぬ少女がベッドサイドにかしずいた。シモーヌは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
「えっ? わたしが……司祭?」
きょとんとする彼女に少女は淡々と告げた。
「アリエッタ司祭はあなた様を後継者に任命なされました。ご指示を」
「ちょ、ちょっと待って! わたしが後継? では、アリエッタ司祭は?」
少女が言うには、アリエッタは自らを犠牲にして教区の危機を救った。
正確に言えば、自爆したのだ。祭壇の奥にしつらえた特別な儀式――それが具体的に何であるかはシモーヌも知らなかった――を介して、尋常ならざる力を導き、教会ごとゾンビ集団を祓い清めたのだと。
「おお! うそよ。そんなことって……そんな」
シモーヌの脳裏に走馬灯がぐるぐると回転した。出会いは嵐の夜だった。母親はゾンビに喰われ、幼子を持て余した父は酒におぼれる代わりに新しい恋人に身を捧げた。
そして、新生活の障害となるシモーヌを雨の中に放り出したのだ。お腹をすかせ、凍えていた彼女に救いの手をさしのべてくれたのはアリエッタだった。
フケとシラミにまみれたシモーヌの髪を解きほぐし、垢にまみれた身体を湯船で洗い、暖かいスープと毛布、そして抱擁で温めてくれた。
そんな何物にも代えがたい母の様な存在が、急にいなくなってしまった。昨日まで元気だった人間が死んだといわれて、額面通り受け取れる者がどれぐらいいるだろうか。
「まだ、あてどない旅に出たとか、異国の蛮族にさらわれたとかいう方が信じられる」
「司祭がお望みなら、私たちはそのように……」
修道女はモウンと名乗った。そして、教区の信徒たちにその様に計らうよう周囲の女たちに命じた。
「ちょ、ちょ、ちょっと待って」
シモーヌは手にした権限の大きさに戸惑いながらも、あわてて措置を撤回した。
「別にわたしはそんなウソは望んでいないのよ。アリエッタは死んだわ。これは神様でも動かしようのない事実」
「では、何をお望みで? 何なりと」
「モウン、と言ったわね。アリエッタはどうして犠牲にならなくちゃいけなかったのかしら?」
グイッと思わず身を乗り出した。人はこの世に生を受ける。その意味や理由は不明だし、誰にも定義する事ができない。本人ですら存在意義を見失う。
すると言いにくそうに後ずさりするモウンに代わって黒縁眼鏡の女があらわれた。歳の頃は十代後半と言ったところか。
「ゴーストです。前司祭はゴーストを解き放ったのです」
「幽霊?」
ふたたびシモーヌはきつねにつままれたような顔をした。
眼鏡女は武器商人の娘でハルと言った。彼女によればアリエッタは形而上の食物連鎖を発見したのだという。
つまり、人間がゾンビに捕食されるならば、人もまた霊的な何かを摂取できるだろう。それが自然の摂理だ。
「そうです。ゴースト、つまり幽霊に身を委ねたのです。人は肉と魂でできており、ゴーストは女性の胎内に魂となって宿ります」
「身ごもったの? じゃあ、無事なのね!」
色めき立つシモーヌをハルが制した。
「最後まで聞いてください、前司祭は自らゴーストを招き寄せたんです。それも無限に」
「ちょっと、何を言っているのか……」
シモーヌはそこまで考えて、はたと思い当たった。
私だ。アリエッタが産んだのは、いや換言すれば産んでくれたのは「今、ここに生きているシモーヌ」そのものなのだ。
彼女はシモーヌと本人に付き従う教区の人々を「生み出す」ためにゴーストを大量に招き入れた。その結果がゾンビ集団を消し飛ばす大爆発。
「捨て身の攻撃でゴーストのゾンビに対する優位性が証明されました」
ハルは羊皮紙に羽根ペンでさらさらと三角関係を描いて見せた。ゾンビ→魔女→ゴースト→ゾンビの三すくみが完成する。
「そういえば……」
ふとアリエッタの講義を思い出した。
”私達は神から授かりし神の子を失うという【よろこび】を与えられました”
救世主をはりつけにされて何が嬉しいのだろうか。この女は頭が沸いてるんじゃないか、とシモーヌは腹の内で笑っていた。
ところが、ようやく気付かされたのだ。
失うよろこび……人は何か大切な物を失ってこそ幸福になれる。それは、自分を誰かのために捧げる事だ。何も命を投げ出さなくてもいい。
自分の時間、お金、体力、ちょっとした何かを費やして誰かの役に立てるよろこび。
それがアリエッタの遺したものであり、人間の命を奪うばかりのゾンビに欠けたものだろう。
「わたしは貴女たちになにをしてあげられるのかしら」
シモーヌは部屋を満たすゴーストたちに問いかけた。
魔女狩りの笛 水原麻以 @maimizuhara
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