きみの物語になりたい

八重垣ケイシ

きみの物語になりたい


「……ぷふっ」

「うわあ!? 読むなーッ!!」

「だったら机の上にノートを置きっぱにするなよ」

「読むな! 返せ!」

「返す、返す、ほら」

「おまえなー、親しき仲にも礼儀って言うだろ」

「悪かった。まさかここまでお前のホンネが吐露されたものだとは思わず」

「忘れろ」

「無理だな。トロットロの吐露だったな」

「うああ、ちくしょうこのやろう!」

「悪かったよ、勝手に読んで。しかし随分と読ませる文章を書くようになったな」

「ぷふっ、とか吹き出してたろうに」

「それは、お前がこれを文芸部部長に見せたときのことを想像してしまって。だが文章力が上がってると思うのは本当だ」

「そうなのか? 自分で見直してもよく分からん」

「やっぱお題に沿って毎回、起承転結を考えて短編作ってるからか。全体をまとめる構成力とかついてんだろうな。文もすんなり頭に入ってきて目が滑ることも無いし。素直に読みやすいと思うぞ」

「そっか、毎回、頭ひねってたのが身に付いてきてんのか」


「しかし、『きみの物語になりたい』か。文芸部の部長も酷なお題を出すもんだ」

「酷なお題? そうなのか? オマエがそういう風に言うのは初めてだ」

「熱ある物はやがて冷め、形在る物はいつか壊れて失われる」

「いきなりなんだ?」

「熱力学の第二法則と諸行無常。誰もがいつかは死ぬってこと」

「科学と祇園精舎? 突然に死生感?」

「生まれた者はいつか死ぬ。で、生物ってのは個体が死んでも種を残そうと子孫を作る。一体二体が死んでも種族として生き残ろうっていうのが、自然の生存戦略だ」

「上手く行かなくて絶滅するのもいるだろ。恐竜とかカンブリア期の愉快な姿形の生き物とか」

「そうだな、種族ですらもいつかは滅ぶってことでもある。太陽だってその身を燃やし尽くせば寿命だ。でも簡単に滅ばないようにと虫は卵を産んだり、植物は花粉を飛ばしたりとするわけだ」

「植物の子孫繁栄の涙ぐましい努力が、花粉症で悩む人の涙苦しいになるのか」

「花粉症は山に杉ばっかり植えた人間の自業自得でもあるけどな。話を戻して、人間というのは種族ではなく個を残そうっていう風に頭を使うようになった。これは他の生物には無い特徴になる。虎は死して皮を残し、人は死して名を遺す、とかな。有名な個人を歴史に綴り讃えるなんてのは、人間しかしない事だ」

「まあ、犬とか猫が歴史の授業したりはしないか」


「現実には不老不死なんて無い。だが死を怖れて、自我の喪失を恐怖して、人は魂とか幽霊とか天国地獄、輪廻転生なんて物語を作った。誰もが死んだらそこで終わりと納得できないから」

「まあ、自分が死ぬとか、この自分の意識が消えて無くなるとか、考えたら怖くなるもんな」

「死人に対してなにも思わない人ばかりならば、この世に葬式なんて儀式も必要無い筈だ」

「それはそれでどうなんだ? 葬式ってのは死んだ人のため、と言うよりは残された人のためのもんじゃないか?」

「そう、死人に口無し。死者の思い出を口から語るのは、残された生きている人だけだ。死んだ人は者から物へと変わる。その物について語るのは生者の領分。まさしく物語りだ」

「それが物語り、だって?」

「そして死者の生前の行いが伝記として語られている間は、その人物は生きている人の記憶の中で存在し続けている。自分の存在、個として自分が生きた証を残したい、という生物の中では人だけが持つ願望。それを誰もが持つから、死者を想い葬式をしたり墓を作ったりする。死者を完全にモノ扱いできれば、葬式なんて時間と労力の無駄でしか無いし、墓なんて土地の無駄使いでしか無い」

「ときどきお前のドライなとこに怖くなる」

「犬や猫の死体の扱いは廃棄物、しかし人の死体を廃棄物扱いすると問題になる。人は特別扱いしないといけない。これも考え直すとおかしなことじゃないか?」

「だからってゴミ捨て場に人の死体があったら事件だろ」

「ここに人を捨てないでください、という貼り紙があったらおもしろいかもな」


「昔と違って今は人の死体が落ちてたら大事おおごとだ」

「時代の変化というのもあるか。かつての旧ソ連では落ちてる死体は最初に見つけた人の物になる。それで拾った死体から臓器を抜き取り売買するビジネスがあったという」

「それ、残されてる写真で見たことある。拾ってきた人の死体がゴロゴロ転がってる倉庫のヤツ。たしか、他の国から非難されて法律が変わった件だろ」

「死体、と一言で言っても生物の状態で生か死か、というのは生物学では明確に区切ることはできないし。それがどこまで生きた人間扱いするか、どこから死んだということにするか、となると宗教の領分か」

「話が『きみの物語になりたい』から外れてきた」


「つまりは、人というのはいつかは死ぬ。たとえ子孫がいたとしても、おのれという個として生きた証を残そうと、何かを作ったり何事かを為し遂げたりとする。自分が死んだとしても何かを遺せるなら、死んだあとも人は忘れない。誰かの記憶の中で存在したい、忘れられたくない、憶えていて欲しい。そんな願いが『きみの物語になりたい』になる」

「そんな壮大なものを含んだタイトルだったのか?」

「この世すべての芸術家の最終目標でもあるか」

「話が大きくなってきた?」

「小説でもマンガでもゲームでも、人に影響を与えたい。その人をかたち作る何事かの一片になりたいと願うから、世に出し人に見てもらおうとするものだ。他人の人生という物語の一部になりたくないなら、世に出すこと無く隠匿すればいい」

「まあ、作って見せたい人と人が作ったものを見たい、というので成り立つもの、か? 人生の一部って言うと大げさなような」

「大げさでも無いぞ。物書きにとっては、人の人生に影響を与えるほどの作品を描くというのは至上の命題だ。これは芸術家としても芸人としても目指すところじゃないか?」

「芸術家ってそういうものか?」


「『蟹工船』を書いたプロレタリア文学の小林多喜二は、特高警察に捕まり警察署の中で拷問死した。『独裁者』、『殺人狂時代』を作った喜劇王チャップリンはアメリカへの再入国を拒否された。これらは、私の物語が人にとって大切なものである、と拷問死することになっても、追放されることになっても世に出さねばならない、とした信念だろう」

「たとえ殺されることになっても、きみの物語になりたい、っていう、人を信じた信念か。いや、娯楽を越えた娯楽作品が名作と呼ばれるってのは解るが、エンタメはそこまで思い詰めたものでも無いだろ?」


「ちょっとした娯楽にそこまで啓蒙的なものは求めないか。では『語り』を普遍的なもので例えてみるか。あるところに一組の親子がいる。母と幼い娘としようか。この娘が母親に語るわけだ」

「なんて?」

「『ママー、きょうね、ようちえんで、たっくんがね、変なことしたのー』と」

「仲のいい親子ならよくありそうだ」

「どうしてこの幼い娘は母親に体験談を語るんだろうな?」

「どうしてって、自分の感じた驚きとか、自分の知った変なことおかしなこと聞いて欲しいから、じゃないか?」

「何故、聞いて欲しいんだ?」

「そりゃまあ、身近な人に自分のことを知って欲しいっていうこと、じゃないか? 嫌いな相手、どうでもいい相手なら知って欲しくも無いだろうし」

「これも、きみの物語になりたい、と言えることじゃないか? 自分の体験を語る、感じたことを語る、考えたことを語る。おもしろいこと、楽しいことを。やがては思想を語る、主義や美学を語ることに繋がる。その根源は幼い子供でも持つ、知って欲しいという願望。誰もが持つ人類普遍の願い。その到達するところに人の心に残る物語、見た人、読んだ人の人生を形作る一片ともなる作品、となる」

「強引な気もするが、言いたいことはわかる。ツイッターとかしてる人も、だよねー、とか、それな、とか、いいね、という人がいることを確認したくてやってるのかもな」

「この世にある全ての物語、そこに潜む作者の動機。つまりは、ありとあらゆる物語には『きみの物語になりたい』という作者の想いが、隠れたタイトルとしてついてるようなものだ」


「じゃあ、小説って何を書いても『きみの物語になりたい』ってお題になるのか?」

「言ったろう、その感情が欠片も無ければ小説なんて書かないし、書いたとしても誰にも見せずに隠匿する。誰かに見せる為に書いてるんだろに」

「うわ、それ聞く前に先に書いてて良かったかも。だけど、じゃあ何が酷なんだ?」

「『きみの物語になりたい』は、芸術家にとって至上の命題だ。それを達成する物が完成したら、その先にもう作る必要が無い。目的を達成してしまったんだ。その先は空っぽだ」

「でも新しい物語は次々と産まれるぞ?」

「それは新しい人が次々と産まれるから」

「それじゃ、『きみの物語になりたい』というのは完成しないのか?」

「完結はしても永遠に完成はしないのかもな。だからこのお題は酷だと俺は思うぞ」


「じゃ、俺の書いたこの小説はこのタイトルで合ってるのか?」

「ん? オマエ、忘れろって言ってなかったか? 蒸し返すのか?」

「もういい、お前が人に話さなきゃいいんだ」

「文芸部の部長が読むのはいいのか?」

「あの人が出したお題だし、言い出した本人に読ませる為に書いたわけだし」

「だったらこのお題には、これ以上無く相応ふさわしい小説じゃないか?」

「そっか? しかし『あなたの物語になりたい』からそこまで広がるのか」

「広がる、というかあって当然のもの、なんじゃないのか? 参考になるか分からないが、アニメ監督、宮崎駿がインタビューで応えたときの話を引用をすると、


『人に楽しんでもらいたいという意識なんだよ、動機はね。

 なぜ楽しんでもらいたいかといったら、楽しんでもらえたら、自分の存在が許されるんではないかっていう。

 無用なものではなくてというふうな抑圧が自分の中にあるから。

 それは、幼児期に形成された物が何かあるんだろうと思うんだけど。

 それを別にほじくりたいとは思わない。

 僕はとにかく人に楽しんでもらうことが好きですよ』


 と、創作について語った」


「なんというか、幼児期のトラウマ? 人に楽しんでもらえないと、自分の存在が許されないって、なんか怖いぞ」

「別におかしなことでも無い。というか日本の芸人のルーツとも言える考え方だぞ」

「そうなのか?」

「かつて芸人とは、非人の職業だった。侍を支配者階級とする身分制度。その中に入れない、士農工商から外された人間以下の存在。日本古来の身分階級の最下層の為の職業だ。『芸人』ってのは芸を持つ人のことじゃ無い。『人を楽しませる芸を持つことで、初めて人間扱いされる人』のことだ。芸の無い非人は人間未満の犬畜生扱いをされる」

「うわ、でも今は時代が変わってそうでも無いだろ?」

「人権という概念が外国から輸入されるよりも前から、日本に長く根づく民族的文化とも言える。この歴史があるから、日本では芸術家、美術家は職業とみなされないほど地位が低い。芸人やアニメーターなどは給料の安さがネタにされたりもする」

「あー、日本で評価される芸術家って、先ず海外で何かの賞を取ってたりとかになるのもそういうことか?」

「だからこそ日本がアニメとマンガの国になったのかもな。人を楽しませるものを作ってやっと人間扱いされる。この切実さは他の国には無い」


「『きみの物語になりたい』に人の尊厳が懸かってるのか。でも今は時代が違うよな。インターネットも発達して、小説投稿サイトとかに誰でも書いたものが投稿できて」

「そうでも無いぞ。小説投稿サイトから賞に応募して書籍化した人がいるんだが」

「お、それはスゴイ。けど、何があった?」

「書籍化したことで勤めている会社に小説を書いていることがバレた。で、会社からは小説を書くのをやめるか、会社を辞めるかの選択を迫られた」

「なんだそれ? そんな会社があるのか?」

「副業を認めない企業はけっこうあるぞ。で、その作家は仕事を続ける為に執筆活動をやめた。おもしろいものを書く人だったのに残念だ」

「酷くないかその会社?」

「今でも日本はそういう国だし、出版不況の中で作家では食って行けない、と判断したのかもな」

「就職したら好きに小説を書くこともできなくなったりすんのか」

「それでも明治よりはマシになったんじゃないか? 『小説ヲ蔵スルノ四害』では、小説を読む婦女子は結核で死ぬ、小説を読む子供は早死にするか破滅する、小説を読むような人はもとから悪い病気にかかっている、と書かれている」

「酷いな明治時代の小説の扱い。小説は毒か麻薬か病原菌か?」

「それが今では学校の部活で生徒が小説を書けるようにもなった。小説は一定の市民権は得たが、今も毒か麻薬扱いする人もいるってのは知っておいた方がいいかもな」

「そんな偏見を持った奴とはかかわり合いになりたく無いぞ」


「で、その書いた小説、文芸部の部長には見せるのに俺には見せたく無い、と」

「いや、そんなに見たかったら見せてもいいけど、まだ未完成だし」

「確かに、結末のごちゃっとしたとこは整理した方がいいか」

「やっぱそこか」

「あぁ、プロットからまだ小説に成りきれてない感じだ。しかし、ずいぶんと続いてるな、その文芸部の活動」

「あぁ、俺もこんなに毎月のように短編を書くとは思わなかった」

「毎月毎月、どうすりゃいいんだ? という相談にのってたなあ」

「助かってるよ。またラーメン奢るから」

「お、じゃ今から行くか? いつものラーメン屋」

「わりい、今日はこいつを仕上げたい。いつもと違ってなんだかスラスラ書けるんだ」

「そっか。じゃノッてるうちに書いてしまえ」

「これが、降りてくるってヤツなのかな?」

「まるで作家みたいなことを言う。ま、そういう風に書けないときは、眉間に皺寄せて『なあ、ちょっといいか?』と言い出すんだが」

「それはお前の発想と知識で、話してるといろいろとインスパイアされるから。というか、俺はお前が書いたものとか読んでみたいんだが」

「俺は戯言ざれごとでまぜっ返してるだけで、一本筋の通った話を作るのに向いて無い。そういうのはオマエに任せた。なのでそのうち無人島の話を書いてくれ」

「俺はそんなに無人島に執着して無いんだけど、シチュエーションを考えてみるには面白いよな、無人島。じゃあな、また明日」

「おう、また明日」


◇◇◇◇◇


「……文章書くのが苦手で、読書感想文がキライと言ってたアイツが小説を書くようになるとはね。文芸部の部長はリャナンシーか? アイツは詩作の妖精にでも捕まったのか? 

 ……『きみの物語になりたい』か。きみの物語がその人の人生を指すなら、それになりたいというのは愛か恋か思慕か。そんなタイトルの小説を書いて、読ませる相手が決まってて、その相手以外には見せるのが恥ずかしいときたか。あれじゃまるで文芸部部長へのラブレターじゃないか。アイツ解って書いてるのか? それともまさか自覚が無いのか?    あれを読んだ文芸部部長の顔が見てみたい。

 そんなものをスラスラと書けるっていうのは、オマエの本心はもう迷って無いってことなんだが。いいかげんくっついてしまえ、まったく……、

 まあ、あの二人がくっついたら、もうアイツがお題に悩んで相談して来ることも無くなるか……」


◇◇◇◇◇


 ――数日後


「なあ、ちょっといいか?」

「どうした? 眉間に皺寄せて」

「また部長がわけわからんお題を出してきて」

「?……あぁ、プレイはプレイでまだ続けるのか」

「だからプレイって言うな。これは文芸部の活動だ」


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