描写されない残酷な国人への扱い

主人公は国家運営において領地保有を認めず俸禄で雇うことで集権化を進めている。物語の中では集権化は先を見据えた有効な政策で、領地を召し上げられた国人も損はしない、とのほほんと語られている。しかし俸禄化された国人は領主としての力を失ってしまう。

国人の力の源泉は軍権・徴税権・裁判権である。他の国人や集落、盗賊などから領内の集落(の生産能力)を守ることと引き換えに、領内の人を徴兵し兵力とし、軍事行動をするため徴税して軍事費とすることを認めさせている。また集落同士の諍いを軍権を背景に調停することが権利であり義務であった。ここから分かるように規模の小さな国家に類する共同体であり、大雑把な取り決めの人治によって治めていた。また領主は血縁・地縁をベースに親族を中心に家臣団を構築していた。この家臣団と徴兵した農民を兵力として戦争に参加することを上位者(寄り親・大名等の支配者・幕府などの統治機構)への「奉公」とし、領地の支配権の承認や各種褒美、他の領地の下げ渡しなどを「ご恩」としていた。そのため国人のアイデンティティは軍権であり、それを背景にした武力である。しかし主人公の施策は上記すべてを破壊する。

国人は領地を持てず織田家から俸禄を渡されると言うことは、軍権が失われることとなる。軍権があるから領内にも上位者にも影響力を行使できたのであり、軍権のない国人の言動は誰にも相手にされない。独自の軍事力を持てないので自己決定権がなく、織田家に歯向かうことも、他の家に移ることもできない。領地・財産・ノウハウ(軍事・統治)を継承をさせず、国人に奉公してもご恩は返されないので家臣団を中心とした組織も維持できない。できることは織田家のサラリーマンとして命令に従うことだけである。

主人公並びに織田家・斯波家は国人にこれを強いて家臣に一切の軍権を渡さず、国人を無力化し服従させている。そのために織田家・斯波家も領地返上し俸禄とするパフォーマンスまでしている。実質は国人から領地を奪い、織田家・斯波家の直轄領としているだけである。主人公は集権化の必要性を説いているが、これは欺瞞である。集権化する場合、君主制かどうか問わず法で治められており、情報伝達の質と速度と地方の教育が一定レベルに達していないと難しい。強引にやると秦の始皇帝のようになる。しかし当時は人治で統治され、文字の読み書きもできない人が多く、東海道など大通りを除き地域間を繋ぐ道は最低限しかなく、連絡方法が人伝か高価な手紙しかなく、それを伝える人が無事にたどり着けるかも怪しい治安である。中央から地方を統治することはかなり難しい。江戸時代でも実質的な分権であり、廃藩置県され軍事が国軍に統一された明治では大きく進んだが、それも江戸時代に徳川家が支配するために全国的に情報伝達の基礎を構築したからである。つまり時間をかけて日本全体の生産力・インフラ・技術・人材を育てる必要があり、安土桃山時代に日本国の中央集権を実践しメリットを得ることは難しい。そのため国人の俸禄化は国人の無力化と織田家の直轄領を増やすことが目的と考えられる。主人公は理解した上でのほほんと俸禄化・集権化を説いており、一方で日本に属さない久遠諸島は召し上げる対象とせず、さらに本当の領地は宇宙要塞であり地球にすら束縛されることのない立場である。私だとこの主人公に仕えるのは恐ろしく感じてしまうが、武士から農民にまで慕われているので戦国の世では頼もしく感じるのかもしれない。

国人の無力化、織田家の直轄領増加の先に主人公がなにを目指しているのかは描写されていない。天下統一、外国勢力との対決に向けた何らかの布石なのかもしれない。しかし国人は織田家・久遠家におもねることしかできず、この残酷な扱いに耐えるしかないのである。がんばれ国人衆!