第14話

 気づけばレインは教会のような静謐な雰囲気が漂う区画へと足を踏み入れていた。

 逃げているうちにうまく誘導されていたらしい。


 舌打ちをしたい気分だった。

 目の前の重厚な扉を蹴破るようにあけて中にはいると、そこには一人の男がいた。


 初老の聖職衣に身を包んだ貴族だった。背後には巨大な十字架が聳え立っている。

 清冽なまでの清浄な空気を纏い、十二人の使徒筆頭――第一使徒アドルトゥエノフ公はレインをやさしいといってもいいほどの穏やかな目で迎えた。


「ようこそ、廃絶されし第十三使徒レイン・ジューダス」


 それに対してレインは吐き捨てるように応じた。


「お招きにあずかり光栄だな。敬虔なる第一使徒アドルトゥエノフ公」


 言葉を交わしながらも、レインは気圧されていた。まるでアドルトゥエノフ公を中心に圧倒的な聖気が渦を巻いているようだ。


 絶対的な存在である神と対峙しているかのように、喉が干上がり、背筋に嫌な汗が流れる。


 戦うか退くかを悩んだのは一瞬だった。レインは銃剣『悪魔の鉄槌』をクイックドロウ。弾倉が空になるまで撃ちまくった。


 薬莢が石畳のうえで乾いた音をたてて踊り、硝煙が視界を半ば隠す。


 その結果。


 アドルトゥエノフ公は無傷であった。

 魔の銃弾は彼の衣服さえ傷つけることなく、床に散らばっていた。


「馬鹿な……ッ」


 あまりに予想外な出来事にレインは目をむいた。殺せるとはつゆほども考えていなかったが、手傷ぐらいは負わせることができると思っていた。


 アドルトゥエノフ公が穏やかな微笑みをうかべながら口をひらく。


「聞いていますよ。その銃弾は魂の穢れ具合によって威力が異なるそうですね。悪人には抜群に効くが、善人にはまったく効果がない。だったらその弾丸が私を傷つけられるはずがない。私は――世界最なのですから」


 レインはその戯言を鼻で笑った。


「世界最善ね、笑わせるなッ! そんなやつが魂を奪って人間を傀儡人などに変えるかッッ!」


「君は勘違いをしています。これは善行――このことにより前世の罪を浄化しているのですよ」


 レインはその言葉にぶちキレた。


「ぶっ殺す!」


 レインは銃剣を振りかぶり、一気に間合いをつめる。それは常人の域をはるかにこえる踏み込みの迅さであった。アドルトゥエノフ公はまったく反応できず、夜色の刃がその首を刈りとろうとする。


 だが、アドルトゥエノフ公は指一本動かすことなく、不可視な力でレインを吹き飛ばした。彼は石畳と垂直に飛び、壁に激突。それを粉砕して外の通路まで投げだされた。

 堅牢であるはずの石壁はなかば崩壊していた。


「……がはッッ」


 血の混じった唾液が吐きだされる。レインの纏っている黒衣と外套は銃弾や刃からは守ってくれるが衝撃までは吸収してくれない。


 アドルトゥエノフ公がゆっくりと歩み寄る。


 力の次元が違った。


「ちくしょう……ッ。これがセラフ級の天使と契約を交わした者の力か……」


 レインとて悪魔との契約により超人並みの身体能力や、無機物であれば無類の切れ味を誇る銃剣、悪人以外は殺さない弾丸、銃弾を受けても傷つかない外套を手に入れたのに、それらがまるで赤子の力のように思える。


 膝が笑って、壁に手をつかないと立つことすらできない。かろうじて銃剣を手放してはいないが、照準をあわせることも撃つこともできるか怪しい。それ以前に効きはしないが、それでもレインの手は弾丸を込めなおしていた。ここまでかと半ば覚悟を決める。


 すでにアドルトゥエノフ公は目の前に来ていた。

 手が振りかざされる。


 ベルがリディを助け出してくれたことを信じつつ、最後の抵抗を試みようと銃口をあげる。


 銃声。


 レインは目を見張った。

 まだ自分は引き金を引いていない。

 弾丸は、アドルトゥエノフ公に触れることもなく停止し、宙に浮いていた。


 射線をたどると、そこには銃を構えたリディエータがいた。すぐ横に青ざめた顔のベルトリアもいる。


「……なんで?」


 思わず素で呟いた。 

 それが聞こえたのか、ベルトリアが情けない声で答えた。


「ごめん。逃げようとしたのに、このウシ乳が言うことをきかなくて……!」


 自分は悪くないと主張するように、ベルトリアは首を横に振る。


 リディエータはさらに発砲しつつ、レインに近づく。


「レイン! 大丈夫なのっ?」


「リディ! なにやってるっ! 早く逃げるんだ!」


 レインは力の限り叫んだ。無駄だと知りつつ、引き金を引き、弾丸と硝煙をはきだす。


 ふたりの弾がきれたとき、リディがレインのもとにたどり着いた。彼を支えるように手をさしだす。


 レインは感情のままに手をひき、彼女を抱きしめていた。


「逃げろって言ったのに……っ」


「あなたを放っていけるわけないでしょう!」


 耳元で彼女の声がした。こんな状況であるのに吐息がこそばゆく、女性特有の甘い香りとかすかに汗の匂いが鼻腔をくすぐった。


 自分の帰る場所がここにある。きっと自分は彼女の胸で死ぬのだと漠然と思っていた。こんなにも早く現実のものになるとは思わなかったが。


 レインは硝煙のはれた場景を目にする。

 弾丸はひとつたりとも、公に届いてはいなかった。

 すべて彼に当たる直前で止まり、周囲に浮いている。手を振ると、弾が床に落ちる。


「私には天使がついている」


 その言葉を引き金にして、レインにも見えるようになった。


 彼の周囲を幾重にも翼がまもっている。六対十二枚の純白の翼。

 そこには荘厳なる天使が降臨していた。


 ベルトリアの顔色がさらに真っ青になる。彼女が怯えていたのはこれか。

 レインはあまりのことに力のない笑みさえうかべた。


「なんてことだ……」


 六対十二枚の翼をもつ天使など、レインは一人しか思いつかなかった。かつての神の右腕たる『明けの明星』。セラフ級天使の三対六枚に倍する翼をもつ『光を掲げる者』。


「大天使長――ルシフェル」


「そう、その通りです! 神は私のために、その右腕を遣わせてくれたのです!」


 レインはわらった。


 まるで壊れたかのように。その隣ではリディエータが天使を恐れながら、それでもレインを守るように抱いた腕に力を込めている。


 レインはわらいの衝動をおさめると、アドルトゥエノフ公と真っ向から対峙した。


「どうです。負けを認める気になりましたか?」


「負けを認める? どうして?」


 アドルトゥエノフ公は嘆くように言う。


「ここまできても、正義には屈しないということですか?」


 レインはその顔に嘲笑をうかべる。


「正義? 誰が? まさかお前がとか言わないよな? こんなやつを喚びだした張本人が」


「……なにを言っているのです?」


 意味がわからないというように首をかしげる。


 それに答えたのは、レインを支えながら身を震わせているリディエータであった。


「アドルトゥエノフ公こそ、なにをおっしゃっているのです。神に仕える貴方が、まさか……かの者を知らないのですか」


 大天使長ルシフェルを指さし、問いかける。


「知っていますとも。すべての天使の長にして神の右腕――明けの明星と謳われる大天使長ルシフェルです」


 リディエータは怯えるように首をふった。


「それは、……太古の話です。今現在、かの者はこう呼ばれています。悪魔王サタンにして、天界最大の反逆者――堕天使ルシファー、と」


 その言葉は、アドルトゥエノフ公に生涯最大の衝撃を与えた。


 顔からは一気に血の気が引き、戦慄くように身体を震わせる。


 それを見てレインが邪悪に微笑む。


「神に仕えるものなのに知らなかったのか。いや、忘れさせられていたのか。かつて神に背いた大天使長ルシフェル。いや悪魔王ルシファーのことを!」


「ち、違う!」


 記憶が戻りつつあるのか、それでも必死にアドルトゥエノフ公は否定する。


 レインは追求をゆるめない。勝機はここにしかないのだ。


「なにが違う? では見せてやろう。おまえの心の闇が喚んだものを!」


 ――ベル!


 レインは銃剣を差しだすように横に構える。いつのまにかそばに来ていたベルトリアはその闇色の刃に唇を落とした。


 悪魔の力をかりて、ルシフェルの正体を暴かんと、銃剣を振るう。


 その刃の軌跡から闇が滲みでた。まるで月食のように光を失い、さらけだされる漆黒の六対十二枚の翼。ねじれた角にひしゃげた身体。三日月のような笑みをうかべた酷薄な貌。そこにいたのはまぎれもない――悪魔であった。


「あ、あ、ああ、ち、ちがう……ッ」


 その姿から目を背け、さらに否定の声をあげるが、心の奥底では認めはじめている。


 あと一息で堕ちる。


「ここまで邪悪な悪魔を喚んだヤツを初めて見るよ。より強大な悪を目指す僕でさえ、こんな凶悪な悪魔は喚べない」


「ちがうッッ!」


「なにが違う。見てみろ、まぎれもない悪魔だ」


 必死に目をそらす。


「ちがうッッ! なにかの間違いだッッ!!」


「なにが間違いだ。現実を見ろよ、――悪党」


「ちがうッ、ちがうッ、チガウッ、チガァウッ!」


「そんなに自分が一番でないことが不満だったのか?」


 その言葉は、アドルトゥエノフ公の本質を抉った。


「そんなに『十二人の使徒』が王一人に勝てないことが許せなかったのか?」


「チガウッッ!」


「欲しかったんだろう? 王をこえる地位が――」


 レインは狂乱するアドルトゥエノフ公に囁くように告げる。


 ――お前の大事な、神に背いてまで、、、、、、、――


「チガァアアアアアアアアアアアアアアアアア――」


 それはまさしく悪魔のささやきであり、追い詰められたアドルトゥエノフ公の精神をいとも容易く破壊した。

 ルシファーの力の供給が途絶える。


 ――いまだ。


「ベル!」


 彼女に逆十字の刻んだ弾丸を渡し、退魔の力を付加させることを要求した。


「で、でも、アタシの力じゃ、ルシファー様を退けるなんて……」


「できる! これが彼のシナリオだ」


 悪魔王ルシファーは苦しみ壊れた第一使徒を見下ろし、嘲嗤っていた。自らが破滅させた神の使徒を。


「はやくしろッ!」


「でも、それだけの力を集めようとしたら、レインの命がぁ――」


 隣でリディエータの息をのむのがわかった。だが、今はあえてそれを無視した。


「心配するな! 僕はまだ死なない! さあ、はやくしろ!」


 ベルトリアは悲痛に顔をゆがめながら、弾丸に唇を落とした。


 その瞬間、レインの中からごっそりと生命の根幹が奪われた。


 魔力が付与された弾丸を受け取る。素早く弾倉に装填し、弾丸をチャンバーに叩き込む。


 照準をあわせようとして、目がかすみ、身体から力が抜けた。銃剣が異様に重たく感じて腕をあげることさえ辛かった。いっきに寿命を削りすぎたのだ。


「くそ……ッ」


 あと一歩ですべてが終わるのに、ここまできて。

 歯軋りするレインを背後から支える手があった。


 リディエータだ。彼女がレインの手に手を重ね、銃口をあげさせる。


「さあ、レイン。一緒に」


 彼女の言葉に支えられながら照準をあわせる。


「お前のシナリオ通りになるのは癪だが、すぐにこいつの魂も送ってやる。地獄で待っていろ!」


 引き金をひく。退魔の魔力を付与された弾丸は、ルシフェルを貫き、地獄へと送り返した。


 気が抜けた瞬間、レインは血反吐をはきだした。


 リディエータが背中から腕をまわし、レインの身体を支える。ベルトリアまで心配そうに手をそえていた。


 途切れそうになる意識を気合でつなぎなおし、まだ終わっていないと呟く。

 アドルトゥエノフ公が残っている。放心状態となった彼に銃口を向ける。


「だめよ、レイン!」


 その手リディエータが阻んだ。


「アドルトゥエノフ公はこの聖国の法律で裁くべきよ」


「この国が貴族を裁けるのか? 結局なにも変わらないだけじゃないのか?」


「いいえ、変えるためにも、彼はこの国の法律で裁かなければいけないの。そうしなければ、それこそ、なにも変わらないじゃない!」


 真摯な光を宿した瞳がレインの心をつらぬいた。昔からこうと決めたことは決してまげなかった。自らの心に従ってまっすぐに生きている。そんな彼女にレインは恋をしたのだ。魂を奪われるほどに。


 銃口をおろした。


「……わかったよ。僕の負けだ」


 ため息をひとつ。


「今日のところは、ここまでだね」


 レインは言い残して去ろうとした。


 だが――


「そうね、ここまでよ」


 いつの間にかレインの両手首には『手錠』がされていた。

 さすがに唖然とした。


「……あのね、いくらなんでも、これはないんじゃないかな?」


「ダメよ。これ以あなたに罪は重ねさせないわ」


「いや……」


「これ以上! 絶対に命を削らせたりしない!」


 反論は、悲しみに割れた声にさえぎられた。

 先ほどの反応から知っているとは思っていた。ベルトリアが教えたのか、それとも聡い娘であるから、彼女とのやり取りでそう悟ったのか。

 リディエータは泣きそうに顔をゆがめていた。


「そんなの、わたしはイヤだよ」


 レインはそれでも顔に笑みをうかべてみせた。


「でも、僕はそうせずにはいられないんだ」


「そんなことはさせない! きっとわたしがこの国を変えてみせる! あなたが悪をおこなわなくても、罪を重ねなくてもいいようにしてみせる! ――だからっ」


 リディエータはすがりつくように襟首をつかみ、レインの見上げた。


「――だから、もうやめて。ずっとわたしのそばにいてよ……っ」


 それもいいかもしれない。彼女だったら、この国を変えられるかもしれない。彼女とともに過ごす日々はどんなに幸せなことだろう。


 ――しかし。


「ごめんね……」


 レインは気づかれないように、そっと手錠の戒めを解いた。やさしく彼女の手をふりほき、その場から離れようとする。


「イヤよ……っ」


 消え入りそうな声で彼女を手をのばす。


 レインは笑みを深くすると、その手をやさしく拒絶した。


「わが一族の掟はただひとつ――悪を滅する大悪であれ――。言ったよね、僕の一族はさらなる悪で、悪を滅すことを選んだ一族なんだよ」


 そんな幸せな夢を見るのには自分は罪を犯しすぎていた。もうレインに引き返す道は存在しないのだ。


 それでも――


「悪はしょせん悪。正義によって討たれなければならない。僕の父が君の父に捕まったようにね」


 リディエータの顔が悲痛にゆがむ。泣きくずれるように膝をつく。


 それでも――、僕の魂はすでに君に捕まってる。


「だから僕も約束するよ。決して君以外には捕まらないと、これは絶対だよ」


 彼女に送るのは、とびきりの夜の微笑み。それは悪に許されるたったひとつの告白だった。


 リディエータの目が驚きに見開かれる。意思が通じたのだと思った。続いてうかべられたのは泣き笑いのような微笑み。


「絶対っ、わたしはあきらめないわ。すぐに捕まえてやるんだから……っ。そうしたら、もう離してなんかあげないんだからね……っ!」


 レインは闇色の外套を翻し、悪魔少女ベルトリアとともに姿を消した。




 聖国には、夜の支配者がいた。かの者は、夜の仮面を名乗り、悪をもって悪を滅した。


 だが、それもむかしの話。

 いまはもう、夜の仮面はいない。


 人は人の手によって、罪を裁き、生きている。

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夜の仮面 宮原陽暉 @miya0123456

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