問わず語りの勇者さん

kazuki( ˘ω˘)幽霊部員

1章:騎士団長来訪

第1話

 1話:騎士団長来訪1



 ――ダグラス共和国家・ダグラス城執務室

 石造りで出来た城内の一室。机を挟み、椅子に腰を下ろして様々な資料に目を通していく二人の人影があった。一人は大人びてはいるが、まだどこか幼さの残る顔立ちの青年。もう一人は貫禄こそあるが、どこか尾籠さを帯びた壮年の男性。世間話の話題に青年は、団長と声をかけた後に町で聞いた噂話を口にする。

 「腕の立つ給仕がいる店?」

 いきなりの話に頭がついていかず、団長と呼ばれた男は同じ言葉を繰り返す。

 「そうです。その給仕が強いとの噂が街でありまして」

 「用心棒も兼ねているんだろう。以前よりも平和にはなったが治安は悪い」

 「どうもその給仕は魔物討伐の依頼も一人で完遂したとか」

 「噂に尾ひれがついてそうだな」

 眺めていた書類を横に放ると団長は一息つく。用心棒が強いのは当たり前だ、それを生業にしているのだから。それなら魔物を討伐して報奨金をもらっていても可笑しくはない。しかし強いのは給仕だという。用心棒を雇う必要がないというのであれば強いのは給仕なのだろう。だが、もし本当に給仕が強いのであれば何故そこにいるのだろうか。聞いた限り街中で噂になったのは最近のような口ぶりだ。そうなるとどこからか来て、その店で働く事になったのだろう。魔物を討伐できる程の腕であれば、腕を活かして用心棒や国家に使える騎士という道もあったはずだ。にも関わらず、給仕。どこか頭の片隅に引っかかるものを感じた。最近、物忘れが酷くなったのかもしれない。正確には昔からなのだが、何か腑に落ちない感覚をこの前も感じたのを思い出す。話したことあったかな、と団長は青年に語りかける。

 「俺は人や物の名前覚えるの苦手で、日記には固有名詞を明記するようにしているんだ」

 「日記書いてるんですか、毎日」

 「一日の出来事を簡易的に」

 「日記ですね、似合いません」

 「初めて話したみたいだな」

 青年も資料を手放すと背もたれに体重を預ける。

「それで日記がどうしたんですか」

「自分が忘れているだけかもしれないが、日記に変な部分があってな。言った通り、固有名詞は明記するんだ。でも一部だけ、一人だけ名前が明記されていない人がいるんだ」

「書き忘れではなく?」

「その名前の代わりに書かれている単語はあるんだ。だが名前が書かれていない。前後を読み返しても同じ単語は目につくが、やはり人の名前は書かれていない」

「そうなると意図的に書いたとしか思えませんね。なんて単語で人の名前を代用したんですか」

「勇者」

「……勇者?」

「名前はわからないが、俺は勇者に会ったらしい。正確には会ったことがあって、何度も顔をあわせていたようだ。だが、名前がわからない。それどころか顔さえ思いだせない。いや、それ以前に日記を読み返さなければ勇者に会ったことを知らなかった」

「ちょっと待ってください、勇者に会ったんですか」

「日記によればそうらしい」

「勇者に会ったなら流石に名前を忘れる事はないと思うんですが」

「そう思うよな。勇者が魔王を倒したと報告があったのは、いつか覚えているか」

「正確には覚えていません、凡そ1年程前。そろそろ2回目の祭典ですね」

「そうだな。勇者を招く予定だったが連絡がつかなかった」

「あちこち探しましたが、今回も見つからないんでしょうね」

青年は一回目の祭典を思い出す。開催1週間前には勇者を見つけた相手には報奨金さえ懸けられていた。勇者と名乗り出るもの、連れてくるものは何人もいたが、本物かを確かめる為に騎士団と腕試しをすると誰一人騎士団に勝てるものはいなかった。

「勇者がいたことは認識できるんだ。ただ勇者を個人として特定できない。名前は出てくるか?」

「勇者のですか。そりゃあ……、あれ?」

「そもそも式典を催しているにも関わらず、勇者と掲げておいて名前が明示されなかったんだ。性別はわかるか?」

「男じゃないんですか」

「根拠は? 見た記憶があるならそれでいい」

「いえ、根拠は……ないですね。何となく勇者は男な気がして」

 青年の表情が僅かに陰る。団長は一拍をおいて口を開いた。

「聞き方を変えよう。勇者に関して何を知っている」

「……魔王を討伐して魔族を滅ぼしたとしか」

「俺もだ。どうやら物忘れが酷くなったわけではないみたいだな」

日記に関する違和が、今街中に流れる噂と関係があるかはわからない。しかし、ただの噂と頭が処理をしない。虫の知らせというべきか、急に気になりだして仕方がない。

「何て名前の店だっけ、噂の給仕がいるのは」

 「確か、食事処シャルロッテだったかと」

 「そうか。よし、昼飯に行くか」

 団長は資料を無視して立ち上がる。青年も追う様に席を立った。立ち上がった団長が素直に椅子に座り直し、書類を片づけるなんてことは限りなくゼロに近いことを経験が知っていたからだ。









 ――食事処シャルロッテ

 席数の少ない店内は、まばらながらに空席はあるものの、それなりの客入りだった。店長のシャルロッテ、副店長のダリアはカウンターに立ち調理をし、接客担当のニーナとエリーは完成した料理を客席へと運んでいく。一番新入りのエリーも半年程居座ったお蔭で一通りの仕事は満足にできるようになっていた。店長の快活な声が飛ぶ。

 「3番テーブル、お願い」

 「はーい、行きまーす」

 エリーも元気に答えると、パタパタとカウンターに料理を回収しに向かう。その手には空いた食器が持たれており、完成した料理と交換してカウンターを離れていく。向かう先は常連客のいるテーブルだった。

 「エリーちゃん、ありがとう」

 「どういたしまして」

 「もう料理持っていくテーブル間違ってない?」

 「もちろんです。最後に間違えたのは一週間くらい前のはずです」

 ふふんと胸を張るエリーの横をニーアが通る。通り際に明るく丁寧な声を置いて行った。

 「三日前、お客様に出す飲み物を間違えましたね」

 「料理ではないのでセーフです」

 返事を聞かずに通り過ぎたニーアの代わりに常連さんが、そりゃ駄目だとエリーを窘めた。当のエリーは聞いているのかいないのか、えへへと常連さんに微笑むと会釈して3番テーブルを後にする。周囲を一瞥し、片づける物がないのを確認するとカウンターで洗い物をしているダリアの所へと、とととっと駆け寄った。

 「お姉ちゃん、聞いて。お兄ちゃんにいじめられたの」

 「そうなの? 酷いお兄ちゃんね」

 優しく同意する副店長は楽しそうに洗い物を続ける。

 「お兄ちゃんは私にもっと優しくするべきだと思うの」

 「あら、優しくないの?」

 「ダリアさん、エリーの話に付き合わないでください」

 ニーアも一通りの仕事が無くなったのを確認し、カウンターへ戻ると話に割って入る。丁寧な口調の言葉に力強さを加え、エリーを制する。

 「エリー、その呼び方はやめなさい」

 「その呼び方ってなぁに、お兄ちゃん?」

 感情のない瞳でエリーを見るニーナは一言も発することなく、両手でエリーの両頬を抓むと、ぐにぐにと動かす。その手を離そうとニーナの両手首を掴むがエリーの力では離せない。

 「いちゃい、おにーひゃんはなひて」

 「やめろ」

 ドスの利いた声のニーナに対して、頑なに呼び方を変えず涙目になるエリーは一種の習慣になっていた。

 「一時期、本当にニーナが男なのかって常連さんたちも聞いてきたからなぁ」

 裏に行ってくると言い残し店長は立ち去って行った。それはつまりサボるから後は私にやれって事なのねと悲観的に捉えたダリアは反射的にわかったわと了承する。

 「お兄ちゃんも可愛いのに性別間違われるなんて嫌よね?」

 「……ダリアさん、やめてください」

 一瞬緩んだ手元を見逃すことなく、エリーはニーナの手から機敏な動作で逃れた。

 「お兄ちゃん、可愛いって言われて照れてるの? かーわーいーふぐぅっ!!」

 ニーナの手にはカウンター脇に立てかけてあった箒がいつのまにか握られており、箒の柄をエリーの腹部からゆっくりと引き抜いていた。エリーは体をくの字に曲げ腹部を手で押させるも耐えられなくなり、膝から崩れ落ちた。縋るように天板に手をかけながらカウンターにもたれかる。

 「エリーちゃん、女の子の出す声じゃないわよ?」

 「……あれ、私が責められるところなの?」

 「いい加減、懲りろ」

 「敵はお兄ちゃんだけじゃなかった……」

 カウンターにもたれかかるエリーは力なく床に座り込む。お腹を撫でていると次第に痛みが和らいできているのを感じ、実は人をいたぶるのが得意なのかとニーナを見やると相変わらず感情の読めない瞳で自分を見下ろしていた。うん、これは坦々といたぶるだけいたぶって簡単に人を捨てる人だ。いたぶる理由も楽しいとかじゃない、やりたかったからっていう一番危ない種類の人だ。そう実感したエリーはニーアから視線を逸らした。

 「……大丈夫?」

 ニーアの心配そうな声が耳に届き、背筋に衝撃が走る。飴と鞭、ここに来ての飴と鞭。これはもうプロの犯行だ。自分の判断が甘かった。ただ捨てるだけでは飽き足らず、捨てるまでに自分に依存させる気なのだ。そして依存したところを見計らって捨てるのが常套手段なんだ。そして今、私も依存させるための段階の一つとして優しくされているんだ。依存したら捨てられる。エリーは目に見えてたじろいだ。

 「お兄ちゃん、私を捨てる気なんでいだい!!」

 「ダリアさん、手に負えません」

 「私の手にも余るわねぇ」

ほぼノーモーションで頭上に箒の柄が落ちてきた。二人がエリーの扱いに困窮したころ、店の扉が開いた。箒をエリーに立てかけたニーアは真っ直ぐに帯刀した二人の来訪者の前まで行くと、いつも通り片手を大きく上げ、片手を胸元に置き満面の笑顔を浮かべる。

 「いらっしゃいませ、お客様」

 まるでニーアの周りにだけ照明が当てられているかのような存在感に来訪者が怯んだ。初めてのお客様だった。お、おうと押され気味に返事をするとニーアに促されて客席へと案内される。箒立ても立ち上がり、箒をカウンター脇に戻す。床に触れた部分を軽く払い背筋を伸ばし、行儀よく両手を体の前で合わせて軽いお辞儀をする。楚楚とした態度が接客の基本であると、店長に教えられた挨拶である。決してお兄ちゃんのやり方が当たり前ではない。自分も同じ挨拶をするのか確認すると、気が付いたら勝手にやっていたとのことだ。客前との差がありすぎて怖いときがある。お客様から注文を聞き出したニーアは注文を副店長に伝え、返す手で水を注ぎ再度お客様のテーブルへと向かっていった。青年と壮年の男性のいる席に着くと飲み物をテーブルに置く。

 「お食事はもう少々お待ちください」

 「ありがとう。御嬢さん、聞きたい事があるんだが良いかな」

 「はい、何でしょうか」

 「この店は従業員が三人しかいないのかい?」

 「四人ですね。店長は裏で作業しています」

 「給仕係は君と彼女だけ?」

 「基本的にはそうですね」

 なるほどと一人納得してから言葉を続けた。

 「近くの町で噂を聞いたんだけど、ここの給仕さんは凄く強いんだとか。つい昼御飯がてら見てみたいなぁって思ってさ」

 「所詮、噂でしょう。私は存じません」

 「団長、店を間違えたのかもしれません」

 「この店に来たかっただけかよ、お前」

 青年は記憶違いだったかと首をひねると、団長と呼ばれた男は呆れたように溜息をついて飲み物に口をつけた。では、これで。一言残してニーアは二人のいる席から離れた。団長はそれを認めた後に、去っていく彼女の後ろ姿を眺めたが、特に気になる所はなかった。もう一人の給仕に目をやると腰まである長髪をはためかせながら、他の客の所へと向かっていた。その姿が何となく頭の奥で引っかかった。だが初めて見るのは確かで違和感の理由を探るが、判然としない。細かな動作に覚えがある気はするが、やっぱり知らないような気もする。釈然としない気持ちで向かいに座る青年を見ると、丁度青年が呟いた。

 「制服は店長の趣味らしいですよ」

 「いつ調べたんだよ」

 「街で噂について聞いたときに。店長も女性らしいです」

 「ここも治安が良いとは言えないのに、女4人の店ね。やっぱり用心棒が別にいるのかね」

 「さっきの方が嘘をついただけで、給仕兼用心棒が正しい可能性はありますよ」

 「その御嬢さんはどうだと思う」

 「自分はカウンター裏にいる柔らかい雰囲気の方が好みですね」

 「誰もてめぇの好みなんて聞いてねぇよ」

 「完璧主義者ですかね。役に徹しているときは状況に応じて役通りの行動をする人に見えます」

 「給仕の時は給仕って事か。もう一人は?」

 「まだ見てないので何とも」

 「お待たせしましたー」

 パタパタともう一人の給仕が両手に食事を持って席へ来ると、二人の前に完成した料理を丁寧に置いていく。

 「日替わり定食2つですね。本日は焼肉定食です」

 一口大に切られた肉の断面は、中央が仄かに赤い。香ばしい匂いが鼻腔をくすぐった。肉を置いた皿の脇には小皿が2つあり、一つは粉状の物。もう一つは液体であった。団長はあくまで自然に長髪の給仕に目をやる。

 「ありがとう。この肉は何の肉なのかな?」

 「リベラウルフのお肉です。小皿の塩かソースをお好みでお使いください。そのままでも下味は付いていますので味の確認をした後に調味料のご使用をお勧めします」

 (んー。何でデリト団長がいるんでしょう? ダグラス共和国家からは結構離れているはずなんですけどねぇ)

 心の声が聞こえる訳もないが、団長は何かを確認するようにじっとエリーを見て目を離さない。エリー自身、自分の事を彼が覚えている訳もないのを理解しているため堂々と立ってはいるが、内心は他人の空似だと思っていたので頭の中では現状の理解で精いっぱいになっていた。見つめあう二人に青年が横槍をさす。

 「団長、給仕さんが困っていますよ」

 「あぁ、すまない。知り合いに似ていたものだからつい」

 「気になさらないでください。それではお食事を……」

 「ところで誰がこの魔物を討伐してきたんだい?」

 「私です。なんせ私は給仕兼用心棒なのですから」

 ふふんと胸を張り、人差し指をくるくると回しながら「魔物なんてちょちょいのちょいです」と微笑んだ。続けてお食事をお楽しみくださいと頭を下げると、席を離れていった。嘘か真かわからない軽い発言に団長は頬杖をついた。切り分けられた肉を口に運び、言葉を漏らす。

 「どう思う?」

 「明るくて可愛い方ですね、好みです」

 「お前、マジで来たかっただけじゃねぇの?」

 「団長が彼女と見つめ合っているのを見て、無性に腹が立ちました」

 「意味の分からん嫉妬をするなよ」

 「彼女が言うことが本当なら、本当に腕の立つ用心棒ですね。リベラウルフは単体では低レベルの魔物扱いですが、彼らは群れで生活しますからね。群れの単位によってリーダーの強さも変わります。騎士団の規定レベルに達している群れを討伐しているのであれば看過し難い腕前ですね」

 「一人目の御嬢さんが知らないと言ったのは彼女を庇う嘘なのか、本当に知らなかったのか。はたまた、長髪の御嬢さんが一人目を庇うために嘘をついているのか」

 「クエストとして公募はしていなかったので本当に彼女が討伐したかはわかりませんし、個人で討伐したとも言い切れませんがね」

 「試した方が早いかぁ」

 「……本気で言ってたんですか」

 青年は道中、団長が言っていた事を思い出した。直接見ても記憶がはっきりしないなら、体で覚えていないか試すと口にしたことを。もちろん、本気ではないと思っていた。彼は曲がりなりにもダグラス共和国家騎士団の団長なのだ。そもダグラス共和国家とは一つの国ではない。複数の国をまとめて呼ぶときに使われる名称であり、共和国家を名乗る騎士団は、複数の国からの選りすぐりである。その複数の国から募った精鋭のトップが彼なのだ。共和国家属国最強の騎士なのだ。その彼が本気で相手の腕を確かめるつもりというのは尋常ではない事だった。

 「たぶん、長髪の給仕が当たりだと思う」

 「何か思い出せました?」

 「いや、思い出したわけではない。ただ、日記の記述を見ると勇者は自分の行動を隠すような性格では無かったみたいだ」

 「なるほど。しかし、本当にやるんですか? 相手は女性ですよ」

 「フェミニストが。俺は勇者が誰なのか。俺の記憶や記録が改竄されているのか。それが知りたいだけなんだ。性別は関係ない。それに彼女が勇者なら嫌でも理解できるはずだ」

 「彼女が勇者だとわかる根拠が?」

 「勇者と言われる事はある。この俺が自分より強いと日記で絶賛していたからな」

 「彼女が勇者なら自分は負けると?」

 「そこまでは言わないが、手ごたえは感じる事が出来るはずだ」

 いつの間にか食事を終えた団長は片手を挙げた。青年も残りを平らげ食器を空ける。

 「おーい、長髪の給仕さーん」

 はーい、と指名された給仕は小走りで駆け寄ってくる。

 「何でしょうか?」

 「用心棒兼給仕ってことは強いんだよね?」

 「ちょっとした小悪党であれば、この店に来たことを後悔させてあげますよ」

 「じゃあ、ちょっとで良いからさ。おじさんと手合せしない? おじさん達は御嬢さんみたいに用心棒したりしてお金を稼ぎながら旅をしているんだ。だから、強いって聞くと好奇心が抑えられなくてさ」

 はにかんだ様に、歳に見合わない笑顔を団長は浮かべた。長髪の給仕は困ったように腕を組み、片手を口元に添えると人差し指で唇に触れ小首を傾げた。

 「んー、どうしましょう。まだお仕事中ですし」

 (団長は嘘つきさんですねー。……記憶が戻ってるわけじゃないよね?)

 「終わるまで待つよ?」

 「……立場を弁えた発言をしてくださいよ。周りに知り合いがいたらどうするんですか。そんなおじさんより私と遊びませんか?」

 「お前良い度胸だよな、本当に」

「お誘いは嬉しいのですが……、困りましたね」

 (ここに一方的な知り合いならいますよー。団長が変態さんなのは知ってましたー。一緒にいるって事は部下の方でしょうか。類友ですねー)

 「お客様方、申し訳ありませんが店員を唆さないでください。如何せん、彼女は世間知らずなものでして、冗談を冗談と捉えない節があります」

 (え、お兄ちゃんが優しい……?)

 後にエリーは語る。食事処シャルロッテで働いた期間で、この瞬間が一番ときめいたと。同時に恐怖した。すでに依存し始めているのではないかという懸念に。そんな事は露も知らないニーナは微笑みながらエリーを腕で制し、一歩後ろに下がらせる。両手を体の前で合わせ楚楚とした態度でニーナに従い後ろに控えた。

 「あー、それはすまなかった」

 「お食事はお済でしたね、食器を片づけさせていただきます。エリー、お願いします」

 「はい、わかりました」

 失礼しますと声をかけ、食器をまとめエリーは席を離れる。この場に残るニーナは変わらずに笑顔のままだ。

 「食後に何か甘いものは如何ですか?」

 「ありがとう、何かお勧めを2つ頼むよ。後、適当な飲み物も」

 「畏まりました。少々お待ちください」

 何事もないように彼女は立ち去って行った。青年が一息つく。

 「ふむ、大人の対応ですね」

 「引き際は肝心だからな」

 「いえ、割って入ってくれた給仕さんです。初見の御嬢さんに手合せしようなんて言い出す不審者に対して大人の対応をしているとは言いません」

 「まず、お前から手合せしようか。体を動かせば何か思い出せるかもしれないな」

 「いやー、あの役に成り切る給仕さんも可愛いですね。ここに通おうか悩みます」

 「……お前がここまで女好きとは思わなかったわ」

 「それはきっと共和国家から、ここまで来る価値を従業員に見出したせいですよ」

 「往復考えたら結構良い価値だな」

 「それでどうするんですか、おとなしく帰るんですか?」

 「どうにかしたいが、同じ事したら次は彼女に追いだされかねん」

 団長の視線の先には新しく入ってきた客に、片手を高く上げ出迎えている給仕がいた。客も慣れたものなのか、片手を挙げ軽く挨拶をして席へと案内されていた。

 「まぁ、そうですね。それと……」

 青年はカウンター裏で調理する従業員に目を向ける。

「地味にあの人も怖いですね」

「素人なのは丸わかりなんだが、器用に敵意だけ向けてくるな」

「最初、どっかの刺客でもいるのかと思いましたもん」

「敵意以外、一連の行動に淀みが無さすぎるな。毎日誰かに敵意を向けながら仕事してるんじゃないか?」

「今、調理は彼女がやってますけど毒とか盛られませんよね?」

「……怖い事言うなよ。俺は昼飯食いに来ただけなんだから。盛られるなら一人で死ね」

「団長って私には辛辣ですよね。愛情の裏返しですか?」

「お前、団員内で何て言われてるかわかってる? 愛に飢えた獣だぞ」

「何だかかっこいい響きですね。これからは飢えた獣のように積極的に行くべきですか」

「その日、名前を呼ばれた数だけ包んだ花束を渡してくる奴が、これ以上積極的になってどうするつもりだ」

「困りましたね。何か思いを綴った手紙も付けましょうか?」

「やめてくれ。そんなんだから誰もお前の名前を呼ばなくなるんだよ。もっと消極的になってくれよ」

団長は両手で頭を抱えて溜息をつく。この悪癖さえなければ歪んだ性格も許容できるが、名前を呼べないのは不便で仕方ない。そのせいで最近は本人がいない所では愛に飢えた獣呼ばわりだ。最近は寂しいと死ぬっていう俗説が横行するウサギ呼びが定着してきている。なんでそこで可愛い動物を選んだんだよ、定着してきてるんだよ。青年の事を考えると団長は一層肩を落とした。

「……愛に満たされた紳士?」

「それはただの幸せな男性だよ……」

団長の口調は諦めからか、子供を諭すような優しい声色になっていた。二人の間に流れる淀んだ空気を飛ばすように明るい声が足音が近づいてきた。

「お待たせしました。焼き菓子と果物を絞った飲み物です」

「これは西の地方で作るお菓子ですね。飲み物は初めて見ました」

「店長の親族が西の方にいるみたいでして。飲み物は当店自慢の独自商品です」

自分の成果のように胸を張り長髪の給仕さんは説明する。果物をすりつぶし、細かい果肉にした物をなんやかんや混ぜて作っているらしい。さも自慢げに話す彼女の言葉には説得力が微塵もなかった。と、そこで彼女は思い出したように話を戻した。

「あ、さっきの話ですが仕事が終わるのは夜になってしまいまして……」

 言葉を一度区切った後、改めて言葉を繋げた。その瞳は先ほどまでの純真無垢な物とは違い、透き通った水のような清らかさを映し出していた。

 「……本当に興味本位で手合せしたかったんですか?」

 感情の読めない澄んだ声に団長は息をのむ。一瞬だけ頭の中のひっかかりが取れかけた気がした。

 「すまない、君に嘘をついた」

 青年は団長の雰囲気の変化を見逃さなかった。普段尾籠な雰囲気を醸す胡散臭いおじさんではあるが、これでも騎士団長。騎士を統べる長なのだ。騎士とは国家の剣であり楯であり、そして礼節である。どれだけ優秀な人材がいようとも無法者しかいないのであれば、それは腕の立つ荒くれ者の集まりでしかない。騎士が騎士たるために最も必要なのは礼節である。これは騎士団に入団する時、最初に教わる事である。そして新人に最初に教える事である。騎士団を統べる者は騎士団で最も礼節を重んじる事が出来る人物である必要があるのだ。今眼前にいる壮年の男性は紛れもなくダグラス共和国家騎士団団長、その人であった。

 「まずは謝罪させてほしい。嘘をついて済まなかった」

 席に着いたままではあるが深く頭を下げ、ゆっくりと顔を上げる。

 「実はここ半年近く前の話になるんだが、どうも自分の周囲のことで違和感があり、それに関して納得がしたい為、ここへ足を運んだ」

 「違和感ですか」

 団長は青年に話した事を長髪の給仕に隠すことなく伝えた。記憶の祖語なのか記述に意図があるのか、その不透明な部分を解明したく勘に従い、この店に辿り着いたと言う事を。

 「今、君の問いを聞いたとき一瞬ではあるが頭の中の霧が晴れた気がしたんだ。もちろん勘違いかもしれない。未だに違和感はなくならないし、君を見ても頭の霧は晴れない。どんな形かはわからないが、君は俺の違和感を解決するのに関与している気がするんだ。俺はその勇者とも手合せをしたらしい。だから、君とも手合せをすれば」

 「体が覚えているかもしれないと」

 (神様は随分と杜撰な改竄をしたものですね。私以外にも概念化の弊害が出ていますよー)

 彼女は彼に同情した。彼が一般人であれば記憶違いなどで誤魔化す事も出来ただろう。しかし彼は騎士団の長。礼節以前に自分に関わる行動に対して全責任を全うする潔癖な男性。それは彼女の知る団長であり、彼と会った時の彼女と重なる完璧主義者。そんな彼には、自分の記憶が自分の記録と噛み合わず、自分と関わった人を完全に忘れているという異常事態を看過できずに苦しんでいる。彼女に彼を救う手だては思い至らない。

 「不躾な対応しか出来なくて済まなかった。だから……、これを最後のお願いにする。断られても引き下がる。私と手合せをして頂けないか」

 「……わかりました。少し待ってください」

 (何だか初めて話した時を思い出しますねぇ)

  彼女は二人の席を離れるとカウンターの裏に消えていった。しばし経った頃、姿を現し調理をしている御嬢さんに頭を下げ、給仕をしている御嬢さんに頭を下げ、二人の席へ戻ってきた。片方からは暗く淀んだ敵意を、片方からは能面の様な無表情を向けられる。心地悪さを誤魔化すために団長と青年は飲み物を飲みきった。

 「お待たせしました。お二人を不審者と言う事で、用心棒として追い払うことにします」

 「手間を取らせて済まない」

 不審者は布の袋から硬貨を数枚取り出してテーブルに置く。

 「足りるかい」

 「不審者を追い払うには充分な報酬ですね。とりあえず、外に出ましょうか」

 普段とは一変し落ち着いた給仕を先頭に3人は外へと出て行った。店内に異様な雰囲気を残して。

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