第2話

2話:騎士団長来訪2



 「この辺なら良いでしょう」

 店外へ出た後、幾分か彼女に歩かされた。辿り着いた先は、周囲からは見えない林の中にある開けた空間だった。

 「さて、どうしますか?」

 「剣は扱えるな」

 「ええ、問題ありません」

 (確信めいた言葉ですね)

 「貸してやれ」

 団長は青年を一瞥し、自分の持つ剣を鞘から抜いた。一瞬躊躇ったのちに青年は抜刀し、細長い剣を彼女に差し出した。

 「この剣は私の誇りです」

 「ありがとうございます、蔑ろにはしません。お借りします」

 (……少し重いかな)

 彼女は受け取った剣を両手で正眼に構える。久しぶりの重さに体が余計な力を込める。それを一息で整え、脱力するが硬い。軽く振って具合を確かめる。良質な剣なのは知っていたが、やはり自分には少し重い武器であった。

――騎士団に所属すると自分用の剣が配られる。この剣は階級によって質が上がり、また上位の役職に付いていると自分用に合わせた剣を特注で作成することが可能である。青年の物は下位の役職の物で一般兵の物である。下から二番目の役職が持つ剣だったはずだ。とはいえ、共和国家騎士団の兵装は、他の独立国家に比べれば断然に質が高い。青年に借りた誇りは、普通の店であれば高級品扱いの質なのである。

離れた位置に立つ団長の片手には自前の剣が握られている。それは騎士団団長の剣ではなかった。

 (ふむ、団長の剣は持ってこなかったんですかね? 剣で身元が割れないように?)

 団長の持つ剣の刀身が、陽光で鈍色に光る。その刀身の外郭は透けているように見えた。鈍色に光ったのは刀身の内部であるのにエリーは気づく。不思議な剣だと思った直後、それが珍しい業物であると思い至り、まともに団長の剣と切り合うのは賢明ではないと判断した。そもそも、今の状態では団長に力で勝てる訳もなく、剣戟をいなしながら隙を見て反撃が妥当な戦闘方法だった。それはわかっていた。

 「始めても良いかな」

 「構いません」

 「では、私は立会人と言う事で。合図は私がしましょう。双方、私が三つ数えます。合わせて後ろに下がってください。三歩目を数え、地に足をつけた時点で開始です。数えますよ」

 1、互いに一歩後ろへ下がる。2、何気なく歩いている地面に足の裏から神経を集中させる。3、足が地に着いたのは一瞬だった。地面に弾かれる様に足は団長めがけ駆けだした。剣の切っ先は走り始めた時に地面へ向いており、駆ける身体と平行に線を引いていく。下から切り上げるのを見越している団長はゆっくりと剣を持ち上げ頭上に掲げた。三歩目で下げた足はそのままに、エリーに対して半身で構える。一太刀。この一太刀で互いの腕を図るのが目的であった。それを互いに了承し受け流すことはない。この一太刀だけは互いに正面から受ける事を認めていた。エリーが眼前に迫り、足を止めた。慣性で地面を滑りながら重心は剣の切っ先へと移していく。間合いが重なった瞬間、エリーが動いた。切っ先に重心を乗せたまま、後ろ脚に力を溜める。後ろ脚が地を蹴るのに合わせ体を捻り、重心を乗せきった剣を躊躇わずに振り切った。慣性と地面を蹴る力、体の捻りで十全地面を蹴った力を、重心を乗せた剣に伝え振り抜いた遠心力。全てをタイミング良く合わせた一撃は、凡そ一般の女性が出せる威力を遥かに凌いでいた。団長は遅れて振りかざした剣を断頭台のように叩き落とす。遅れてなおエリーを超える剣速は、互いが互いに最大の威力を発揮する位置で交差した。不思議と音は聞こえなかった。その刹那が瞼に焼き付き、時が止まっているように感じた。途端、止まっていた時を、空間を伝播する衝撃が動かした。鈍い破裂音が響き、林の木々がざわめいて鳥が飛び立つ。離れて見ていた立会人の体が、体の芯から痺れた。彼とて騎士団員であり、武芸者である。色々な場所や状況で様々な剣術を目にし、実戦を経ていた。未だに階級は燻っているが、戦闘を見る事に関しては十分に目が肥えていた。見慣れている団長に関しては、視界の端に映る動作だけで、凡そ七割程度の力だろうと無意識に判断できた。それよりも主眼に置いていた彼女が戦闘慣れしている事を、自分よりも場数を踏んでいる事を一目で理解できた。恐らく単純な力では勝てるだろうが、戦闘の技術を考えると戦えば勝てるとは言えなかった。そう思える程に彼女の放った一撃は青年にとって神憑り的な一撃であった。付け焼刃ではない、実戦に実戦を繰り返し、体に染み込んだ技術であるのを青年は感じ取っていた。交差した反動で団長の剣は僅かに弾き返され、エリーの剣は地面すれすれまで落とされる。弾かれた反動も利用して、軽い足取りで団長から距離を取ると片手を柄から離し、軽く手を振るう。剣を持ちかえて反対の手も同じように振った。打ち合った衝撃で痺れた手は、指を満足に開く事が出来ず、掌は赤くなり熱を持っていた。指が折れていない事と、手首を捻っていない事を確認して再度剣を構える。はっきり言って、打ち合った代償が痺れただけで、骨折など損傷しなかった事は運が良かったとしか言えなかった。

 (……まずいですね。怪我こそしていないようですが肘から下が痺れて感覚が鈍いです。やはり私の全力では彼に及びませんね。彼にはまだ余力がありますし)

 骨折に耐えた指が、遅れて痛みを伝えてきた。久しぶりの痛覚で視界が滲みそうになる。

 (……いたいです)

 正面を向くと団長が足を踏み出していた。



 剣を弾かれた後、団長は追撃することなく柄を握っていた手を眺めていた。指先が痺れ微かに震えている。手を抜いたわけでも、気を抜いていたわけでもない。ただ純粋に、相対する女性が自分の剣を僅かでも弾き返したことに理解が追い付いていなかった。呆けたように離れた位置にいる青年を見た後に、少し離れた位置に立つ彼女に目を向けた。指を動かし、動作確認を行っている。その冷静な行為は、さも打ち負けるのは当たり前で、どの程度の被害になったかを確認している様子であった。彼女は初めの一撃を、自分が被害を受ける事を前提に受けていたのだ。ようやく理解が現状に追いつき、自分の知らない判断材料が自分を救った事をもって、自分は初対面の彼女を知っている事の確証を得た。……甘い話だが本当は五割も出せば小手調べには充分だと判断していた。実際、彼女が走りだし眼前に来るまでは、そのつもりだった。だが、彼女が剣を下段に構えたまま足を止めた瞬間、自分の判断が誤っているのを直感したのだ。あの状態から最大限力を籠め振り下ろした剣は彼女の全力に弾き返された。あの一撃は間違いなく剣技であった。女性であり、あの体躯で、自分の剣を弾き返す威力の一振りを生み出せる技術は、奥義と呼んでも差し支えないものだった。何より、判断を誤ったままだと彼女の剣速に対応できなかった。自分の口角が吊り上るのを感じるのと同時に、足を前に踏み出した。後ろに腕を引き、肩ほどの高さまで剣を持ち上げ今度は自分が彼女に駆けだしていた。彼女は剣を正眼に構え、自分を見据えている。エリーは分が悪いと、団長は自身の予想を超える強さだと互いに認識をした。

 無骨に容赦なく切りかかる団長に対し、エリーは攻撃を捌くことを優先していた。幾度か攻撃を凌いだ時に隙を見て反撃するが、団長には届かない。反撃の隙をつき団長が切りかかると、また彼のペースで手合せは進んでいく。青年の目には彼女の動作、一挙手一投足が優雅に見えた。柳に風のように、団長の剣戟が彼女に当たらないのだ。ここまで団長の攻撃を綺麗に捌く相手を青年は今まで見た事はなかった。自分では捌けない攻撃を彼女は流れるように捌いていくのだ。青年の瞳には憧憬が滲んで見えた。同時に彼女の動作には違和感があった。互いの間合いで切りあう中、団長の剣速は彼女が避けるよりも早く、彼女に到達しているはずなのだ。それを剣でいなしながら体を捻り回避するのは納得できるが時折、彼女は団長が剣を振るよりも早く回避しているように見えた。あの至近距離で斬り合っている彼女には直感で団長の動作がわかる時があるのかもしれない。確かに自分にも似た経験がある。だが、それにしては回数が多すぎる。もしこれが直感だと言うのであれば、頻度と精度が尋常ではない。予知能力といえる程のレベルに達していた。彼女を注視して何回駄目だと思ったか、何回自分なら切られているかと思ったか。青年の届かない世界で斬り合う二人は、距離以上に遠い場所にいた。その世界に見惚れる彼は、すでに手合せの域ではない事に気づいていなかった。



 (……あぁ、これは負けますねぇ)

 手も足も止めることは出来ない。手足のどちらかが止まるだけで致命だ。重たい体を無理やり動かす。重たい腕を反射で動かす。幸いなのは足運びが読まれにくいスカートのおかげで、彼に対して自分は回避しやすい位置を陣取ることが出来た事だ。彼の横凪の一振りを、剣の側面で受け、下から掬うように持ち上げ斜め上へと流す。頭上を鋭い音が通り過ぎた。もう一つのアドバンテージは、彼の癖を知っていた事だ。これが何よりも大きい。予備動作で行動の選択を絞ることが出来る。さらに自分の立ち位置、彼の体勢、腕の位置で凡その次の行動は予測することが可能だった。以上の二点が自分が生きている理由だとエリーは理解していた。言い訳をするのであれば約1年近い運動不足に、愛刀ではない重い剣、髪と制服が斬られる事が無いように回避に気を使っている事だ。だが、もう辛い。息がもたない。息が吸えない、息が吐けない。体が彼の動きに合わせて無理をし続けたせいで、次第に重くなり反応が鈍くなる。それでも回避を優先していると呼吸をする余裕がなかった。彼の右肩が下がるのを見て、咄嗟に体を傾けた。無理に傾けたせいで体制が崩れたが、片足を軸にして半回転して体制を整える。もう一歩分、片足を軸にして半回転して団長から距離を取り呼吸を思い出した。団長は太い腕を伸ばし、自分の首を掴み投げようとしたのだった。

 「……俺の事、知ってるな」

 「それを確かめに来たのでしょう?」

 肩で息をしていたが徐々に整え、気丈に振る舞う。彼に息の乱れは一つも見えない。流石現役と素直に、感嘆の息を漏らした。

 「今、俺が腕を伸ばす前に避けたな」

 「女性に触れるには些か無遠慮に見えたもので。もっと丁寧に扱ってくださいね」

 「それは失礼。俺は君を思い出せないが、やはり君の事を知っている。いや、知らなければ手合せでここまで手加減をしないなんてありえない。俺は無意識で君なら捌くのを前提で剣を振っていた」

 「お陰様で呼吸をする余裕がありませんでした」

 (口説き文句でしょうか? 自分で死ぬ危険性を与えておいて吊り橋効果でも狙っているのでしょうか。常軌を逸した変態さんは怖いですね)

 そのままゆっくりと三歩ほど後ろに歩いた。団長も特に動きを見せず、ただ自分を見ていた。これで終わるつもりなのか、仕切り直しなのか。団長は動かない。青年が口を開く。

 「団長、充分でしょう。終わりましょう」

 返事はない。青年は困ったようにこちらを見たが、手合せが終わらない限り剣を手放す事は出来ない。団長から目を離せない。ぽつりと、団長は呟いた。――駄目だ、終われないと。片手で扱っていた剣を両手で持ち正眼に構える。前傾姿勢から、背筋を伸ばした綺麗な体制になった。片足を半歩ほど下げる。先程までの力任せで無骨な印象は、その立ち姿だけで払拭され、洗練され完成した型を団長は体現する。騎士団団長として唯一、欠けているとするのであれば、それは団長の剣だけだった。青年が焦ったように声を上げた。

 「団長、待ってください。本気ですか」

 「本気だ。そう、本気でやる。仕切り直しだ」

 「仕切り直しですね。では、もう少し距離を取ります。立会人さん、もう一度歩数を数えてください」

 (さっきまでのも自分が有利な状況でやって負ける手前だったんですがね。長期戦で体力切れは不本意でしたか? ……団長さんがちゃんと構えてるの初めて見ました。騎士団の剣術は何回か見た事ありますが、対応できるほど手の内を理解はしてないんですよねぇ)

 大きなアドバンテージが消えた。手合せしたことのない剣術で、本気で来るらしい。相手は騎士団の団長で、騎士団の扱う剣術で最も腕の立つ人物なのだ。体力切れとは関係無く負けるだろう事は容易に想像できた。狼狽したのは青年だった。仕切り直しのおかげで自分が立会人なのを思い出し、状況を把握した。共和国家騎士団団長が、騎士団の剣術で相対する女性に向かおうとしている。女性に至っては、団長の腕を理解した上で仕切り直しを了承している。確かに彼女は腕の立つ女性なのはわかっている。だが、だからと言って団長と彼女の仕切り直しを認めて良いのだろうか。冷静に思い出せば、先程の手合せも手合せの域を超えていた。二人とも真剣で斬り合っているのだ。やはり仕切り直しは……。

 「早くしろ」

 「早くしてください」

 「……わかりました。ただし、本当に生死に関わると私が判断した時は魔法を使って止めます。それは譲歩できません。では、数えます」

 二人から返事が来ない事を返事とし、青年は諦めと再度手合せを見る事が出来る期待で割り切れない気持ちのまま二人を見る。1,2,3……。団長が音もなく動いた。

――騎士団の基本技術に歩法がある。緩急をつけた移動と上半身の動かし方で、対象に距離感を誤認させ、自分の踏み込める距離に来たところで敵の眼前に飛び込むものである。さすが団長と言うべきか、これが上手い。実際に対峙すると進んでいるのか下がっているのか判断が難しい。見慣れている上、技術を知っている自分でもわからなくなるのだ。それで攻めあぐねていると、気が付けば近くにいて眼前に飛び込み切り込んでくるのだ。騎士団はこの歩法を使ったヒット&アウェイが基本的な戦闘方法になる。もしかしたら彼女も見た事はあるかもしれないが、実際に相手にするのは初めてだろう。それこそどこか彼女と、違う属国の兵士として相対したことが無ければ。……それもないだろう。彼女ほどの腕であれば、噂ぐらいは聞こえるはずだ。噂話が好きな自分が聞いた事がないなら、恐らく騎士団内で立ち会った人間はいないはずだ。

 ここから見れば団長が少しずつ彼女に近づいているのがわかる。彼女は様子を見ているのか、剣を構えたまま動かない。いや、少しだが後退していた。時間のある今の内に捕縛魔法を詠唱する。対象は団長と彼女。発動の為の最終動作のみ残し、タイミングが遅れる事が無いよう二人に集中する。手合せをしている団長たちには互いを殺さない責任があるが、立会人であり仕切り直しを認めた自分には彼女たちを互いに殺させない責任があった。



 (んー、進んでるの……でしょうか? 良くわからないですね。でもこれでにじり寄ってくるとか結構怖い変態さんですねぇ)

 ほとんど足を上げずに地面をするように足を動かす団長は、足を見れば動かしているのはわかるが進んでいるのかは今一判断できなかった。僅かに後退して団長から距離を取る。自分が下がった以上に団長が遠くに見えた。目に見える対象の距離感が掴めない。前に進んで団長の間合いに入るよりは良いかと、彼を見据える。ふと違和を感じて団長を視界の端に置いたまま、目線をずらす。立会人の青年が魔法を詠唱していた。先程言っていた自分たちを制止するための魔法だろう。それを認めた時、団長は眼前にいた。

 「――っ、はやっ」

 視界の端にいた団長はもっと遠くにいたはずだ。青年に意識を向けたのを気付かれた? 眼前の彼は剣を腰の高さに据え腕を引き、切っ先を自分に向けていた。剣で受けるのは無理だと即座に判断し体を捻る。突きが私に届く前に一歩踏み出し、剣の軌道を上方へと修正。体を捻った私の頭上めがけて振り下ろされる。未だ捻った体を支える足には体重が乗っており、足を動かせない。咄嗟に剣を持つ腕をあげ、剣の側面で受ける。そのまま片手を柄から離し、剣を受けた側面とは逆の面に腕を添えつつ傾け、彼の剣速に合わせるように屈み、更にふくらはぎに剣の側面を叩きつけるように合わせ直撃を免れる。受けきれなかった衝撃で添えた腕は痺れ、横からの力に膝が痛み、剣の切っ先が地面に刺さる。受け流した方向と反対側から彼の足が風を切って迫る。剣を受けた反動で、蹴りを受ける体制になれない。そのまま剣の方へ体重をかけ、転がるようにして彼の蹴りを回避した。追撃は来ない。彼は目で、早く立てと訴えていた。立ち上がり、砂埃を軽く払う。

(制服が汚れてしまいました。後でお母さんに謝らないと。きちんと集中しなければ相手になりませんね)

 団長は正眼に構えて動かない。一方的に攻めるのではなく、斬り合いがご所望らしい。

 (待ってても二の舞になるだけでしょう。元よりこの状態では彼の剣は受けきれませんし。私から攻めてみましょうか)

体勢を低くし体を後ろに捻り、剣の切っ先は地面へ向けて大きく後方へ置く。大きく息を吸い、短く息を吐く。一歩で団長の懐へ入る。

(まずは仕返……、硬いし重いですね)

 踏み込んだ勢いを殺さずに腹部を目掛けて蹴りを突きだす。団長の構えた腕の下を潜り、鳩尾に当たるも硬く重い反動が足に帰ってくる。団長を僅かに後方へ押したが体勢は崩せなかった。緩慢に見える程、丁寧な動作で彼は剣を振りかぶる。エリーは続けざまに後ろに置いていた剣を、腹部を目掛け振り抜いた。が、届かなかった。彼は空振った所を躊躇いなく攻める。振り下ろされた剣を、振り抜いた剣の慣性を利用して地を蹴り、横へ逃れ団長に背を向けるように回転する。長くなった髪が風に舞い、スカートの裾が翻った。

 (……目測を誤りましたか?) 

振り向き様に、団長に剣を振り抜こうとして留まる。回転した勢いは軸足とは反対の足で止めた。団長はすでに攻撃範囲外へと離れていた。

 (なるほど、これは攻めにくいですね。立ち回りが早いですが、魔法でも使用してるのでしょうか? どうも彼のペースになっていますね)

後ろへ数歩歩き、団長から距離を取る。得物が剣の為、接近する必要があるが、どうにも分が悪い。

 (さて、どうしましょう?)



 自分は何をムキになっているのだろうか。何故目の前の女性に対して真面目に手合せをしているのだろうか。確かに彼女の腕は相当なものだ。騎士団内と比べても屈指の強さである。特に攻撃を捌く身のこなし、攻撃を見切る動体視力は目を見張るものがある。奥義と言える程の技術力も持ち合わせている。だが、やはり女性である。普段鍛えている訳でもない身体にしては、しっかりしている。今の蹴りも女性にしては充分な威力だ。それでも普段から鍛えている自分たちであれば充分に耐えられるものだ。この程度で行動を阻害される事はない。見られていない足元を上体はそのままに一歩下げ、そのまま水平に上体を移動させた時、腹があった部分を剣が通り過ぎた。頭上めがけて剣を振り下ろすも体を回転させ、紙一重で回避される。故意かはわからないが髪も服も剣を避けるように翻る。踏み込んでいた足に力を籠め一歩で彼女の間合いから退避する。追撃をするつもりだったらしく、剣を振り抜く動作をしたところで彼女は回転を止め、自分を見据えた。髪とスカートの裾が反動で綺麗に舞っていた。その姿に僅かに見惚れるも、この彼女は知らない。だが頭の片隅では彼女を知っているはずだと訴える。彼女も自分を知っているはずなのだ。自分の記憶と体感が齟齬を起こしている。その祖語を修正するのが勇者という単語と彼女のはずなのだ。しかし、勇者と彼女が結びつかない。その祖語が不快感を募らせ、苛立ちを助長させた。感情を抑え込み冷静に現状を把握すると馬鹿らしい状況だと捉え始め、問題なく勝てる相手だと判断を下していた。……もうこれで終わらせよう。昼飯もうまかった、食後の運動も充分だ。帰って休んでも良いだろう。頭の中の違和は思い違いだったんだ。たった一人、自分と関わった人間を思い出せないだけ。ここには腕の立つ給仕がいた。それで良いだろう。目に見えない過去を探す不毛な事は、新しい記憶で塗りつぶそう。肩の高さに腕を持ち上げて地面と水平に剣を構えると、剣先は彼女に向けた。八つ当たりなのは百も承知。それでも、この憤りを発散させる場が欲しかった。そう、彼女はただの被害者だ。

 「しっかり見ておけよ、タイミングは逃すな。お前を信用して彼女を殺す」

 立会人は黙って二人を見据えていた。



 団長が構えた。剣の切っ先は真っ直ぐに自分を捉えている。腰を落とし足に力が入ったのが確認できた。直後、彼の持っていた剣が眼前に飛んできた。想定外の攻め方に脳の処理が遅れ、飛んできたことを理解した時、反射的に動いた身体が咄嗟に剣を回避していた。剣に気を取られている内に団長が消えていた。背筋に悪寒が走り、気味の悪い気配を剣の飛んで行った先から――、背後から感じた。手合せの中で初めて死を予感した。無意識に身体能力が上昇する。振り向き様に、片手で剣を振り切った。事もなげに手首を掴み防いだ団長は、防ぐと同時に鋭い蹴りを繰り出す。反応が出来ないままに二の腕を蹴られ、身体が横に飛んだ。受け身だけは取るが、勢いで地面を転がる。衣類や髪に付いた砂埃を気にする余裕などなく、団長を見据え即座に立ち上がる。すでに剣を投擲する体制に入っており、認識した時点で剣は投擲されていた。二度目は冷静に対応する。飛んできた剣を、下から振り上げる剣で弾く。団長から目を離すことなく投擲された剣を処理したが、団長は消えていた。大きな影が自分を覆う。命の危機を感じた恐怖に心臓を鷲掴みにされ、とにかく間合いから離れるため体制を低くして駆け出す。髪が幾ばくか散ったのを、頭の後ろの空間を切る音で理解した。振り返るように体を半身に構え、団長を補足する。目の前に団長の身体が迫っていた。反射的に後ろに飛んだ所を、深く踏み込んできた団長の体当たりで弾き飛ばされた。体制を崩されたまま足は宙に浮く。目だけは団長を捉えており、躊躇いなく追撃の為に、団長は更に踏み込んでいた。彼は上段に振り上げた剣を躊躇わず叩きつける。不安定な状況で剣を振り、直撃だけはしないよう弾いた、が、宙に浮いた不安定な状態で彼の一撃を防げるはずもなく、剣の軌道は変わらなかった。ただ宙にいたことが幸いしたのか、剣を受けた反動で身体が回転し剣の軌道から身体がずれる。バランスが崩れたまま足が地面に付き、ふらつく。剣を振れない程の至近距離で団長の右肩が下がる。回避するまもなく彼の腕が首へとと伸びた。無理矢理片腕を動かし、首を守る。首の代わりに差し込んだ腕が掴まれ、足が地面から離れる。彼の頭上を越え反対側の地面に叩きつけられると、手から誇りが落ちた。強かに背中を打ち、呼吸がつまる。懸命に呼吸をしようとする反面、冷静な頭は久しぶりの痛覚に苛立ちを覚えていた。完全に地面に倒れ安定した視界は、団長の剣の切っ先が額に当たる直前で止まっているのに遅れて気が付いた。身体が硬直するような違和感を感じた後、団長は剣を額から離す。掴まれていた手首が解放され、力なく地に落ちる。視界の下部が滲んだ。クリアな視界に映る彼は何故か泣きそうに見えた。



 「……団長、もういいでしょう」

 「……少し、……少しだけ待ってくれ」

 呼吸の整っている団長の声は、絞り出すように掠れていた。何かに葛藤する団長はその場に胡坐をかいて座り込み、顔が良く見える位置まで近づいた。やはり泣きそうに見えた。

 「流石ですね。ここまで手が出ないとは思いませんでした」

 (なんで勝った貴方は泣きそうなんでしょうかねぇ)

 肩で呼吸している自分の方が彼よりも流暢に言葉が話せた事に内心笑ってしまう。

 「俺は……。俺は勇者に勝ちたかった訳じゃないんだ。負けたかった訳じゃないんだ。……ずっと頭の中の違和感が拭えなくて、君に解決の糸口を見出したつもりになって、こうして立ち会っても違和感は残って……。この拭えない違和感の苛立ちを君で発散して。俺は、俺は何をしているんだろうな」

 肩を落として謝るように独白する。

 「君が勇者であれば、手合せをすれば思い出せると思ったんだ。自分が強いと認める相手なら、たとえ名前を忘れたとしても身体は覚えていると思ったんだ。でも駄目だった。確かに君は強かった。それでも自分が勇者だと認められるほどの強さだとは感じられなかった。勝手に期待して、無理に手合せさせて、勝手に失望して、本当に済まなかった」

 団長は寝たままの自分に深々と頭を下げた。

 「……出来れば、私は私として覚えていて欲しかったんですがねぇ。杜撰な神様もいたものです」

 (やはり私も責任を負うべきですかね。杜撰な神様に借り一つ、ですね)

 自然と溜息が出た。彼が苦悩する責任の一端は自分が担っているのを再認識したからだ。身体を起こし、立ち上がる。体中が鈍く痛い。恐らく久しぶりに体を動かした疲労感で痛覚が鈍くなっているのだろう。砂埃だらけの制服を軽く払う。乱れてしまった髪を梳いて、汚れを落とす。まばらに長さが違う髪を確認し、改めて制服を確認する。スカートの後ろ側の裾が、膝辺りまで縦に切られていた。直接受けたダメージ以上に精神的なショックで一瞬体の倦怠感、鈍い痛みが消えた。呻き声と同時に肩を落とす。

 「……スカートがぁ、制服がぁ……」

 「す、すまない。それは弁償させてもらう」

 泣きそうな顔は何処へやら。団長は焦ったように口ごもる。

 「いえ、気を付けてはいたんですが回避できなかった自分のミスです。……うぅ、お母さんに謝らないと」

 落してしまった誇りを拾い、重い足取りで立会人の青年の元へ歩く。彼の近くまで行き、誇りが汚れでくすんでいるのに気付く。無意識でスカートにかかるブラウスの裾で、丁寧に汚れをふき取る。日に翳すと光沢が映えた。よほど普段の手入れが行き届いていたようだ。何度も切り結んだが刃こぼれもなく、すんなりと汚れは落ちていた。綺麗になったのを確認してから青年の前へ行き、柄と剣の側面に手を添えるように乗せ一度頭を下げる。

 「ありがとうございました。それとすみませんでした。最後に手から落としてしまいました」

 青年も同じように剣を手に乗せると、納刀せずに自分を見据えていた。

 「いえ、気にしないでください。私の誇りが一つ増えました」

 青年は優しく微笑む。

 「貴女ほどの剣士に私の剣を使っていただけたのです。貴女の最初の一振りは忘れません。何より、一つの到達点として貴女の剣技、目標とさせていただきます」

 確かな声が耳に届く。言葉を届けて、ようやく丁寧な動作で納刀した。その物腰の柔らかさは騎士団の教えなのか、そもそも彼の性格なのかは判断できない。ただ、その一つの動作だけで彼は騎士団の一員なのだと納得することが出来た。

 (……団長にせよ彼にせよ、やっぱり類友ですねぇ)

 「そこで一つお話があるんですが……」

 「はい、何でしょう?」

 後ろから団長の足音が近づいてきているのが聞こえた。

 「私と結婚しませんか?」

 「やめい」

 私達の隣まで着た団長はそのまま彼の頭を叩くと、そのまま頭を掴み一緒に頭を下げる

 「すみません、こいつは人との距離感が上手く取れない奴で」

 「嫉妬ですか、醜いですね」

 「お前は人に対する感情の振れ幅が極端すぎるんだよ。今のは聞かなかった事にしてくれ」

 「……ん、あ、はい。突飛な話に頭がついていけませんでした。今のは聞かなかった事にしますね」

 (男性に求婚されたのは初めて……、ですね。うん、私は初めてですねー。類友ですねー)

 「貴方方はまだ、お時間はありますか?」

 「もちろんです、デートですか? では、私と二人で行きましょう」

 団長の手を頭から外すと勢いよく顔を上げる。外された手は彼の頭を殴ると、力なく落ちる。団長の溜息が聞こえた。

 「夜までに帰るから、まだ問題ないな」

 「では、こちらでしばしお待ちを」



 エリーは二人に微笑むと責任を果たそうと、林の中へと小走りで駆けて行った。

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