2章:見知った魔法使い

第5話



食事処シャルロッテ

街を結ぶ街道の中程にある軽食店。

家までの路銀が尽きた勇者は、しばしこの店に寄生していた。



寄生してそれなりに慣れた頃、しばしば不穏さを感じる事があった。

それは魔族と対峙したときに似た不快さ。

腹の底から持ち上げられる様な気分の悪さ。

その原因に少なからず察しは付いていたが、今日ついに追いつかれた。



気分の悪さを抑えつつ、エリーは休憩の終わる時間を確認して自室から出る。階段を降りて店内へと向う道中、不安が募っていく。店内に出ると数名の客の中、ニーナが接客している相手に目が止まる。それに気付いた客はニーナに何か話しかけているようだった。小さく頭を下げたニーナは背筋を伸ばし、カウンターへ向かい注文を伝えた後にエリーに声をかけた。

「お客様が呼んでるわ。レンキスさんと知り合いなの?」

「……えぇ、まぁ」

聞きたくない名前だった。

はぐらかすような言葉と共に顔に出ていたのだろう。ニーナは眉を寄せていた。

「断る?」

「いえ、行ってきます」

ニーナの気遣いに首を振り、エリーは数歩しかない場所まで重い足取りで進む。一歩毎に不快感と嫌悪感が募る。客の前に付く頃には険しい顔をしていただろう。

「久し振りだね、エリオット」

「何故、貴方がここにいるんですか」

「何でって、君の様子を見に来たんだよ。誰が街の病院に連れてったと思ってるのさ」

少年の様な、青年の様な出で立ちの彼は薄く笑う。本意は言葉とは違うの明白であった。

「出口はあちらです」

「ひどいなぁ、久し振りなのに」

「私は会いたくなかったので。それより、何で覚えているんですか」

エリーは自分を追ってきた事よりも、自分を追えた理由を問う。

「んー、何だろうね。僕も君を運んだ後に色々会ってきたんだけどさ、みんな君の事忘れてるんだよね。王都の式典も見てきたけど、勇者を讃えても個人として名前が上がらないし」

「……まぁ、良いでしょう。理由なんて聞いた所で意味もありませんでした」

エリーと後ろから呼びかけられ、振り返る。注文を受けた商品がカウンターの上に置かれていた。幸いだったのかニーナは他の客の対応をしている。足早にカウンターで商品を取ると、ダリアが顔を覗き込んできた。

「大丈夫?」

「大丈夫です」

「ニーナちゃん呼ぶ?」

「いえ、まだ話したい事があるので。少し話してきます」

険しい顔をしたエリーは商品を見た。

季節の甘味、薄桃色の飲料。共に期間限定の甘味であった。味は前に盗み食いして確かめたが、さっぱりとした甘さに仄かな酸味が鼻を抜け後味が舌に残らない軽い食後感の甘味。その甘味を運ぶと、テーブルに置かずにレンキスの座る椅子の足を蹴る。顎で一番奥のテーブルを指し、エリーはそのまま歩いていった。椅子の置かれていない空きテーブルに音を立てて料理を置くと、彼は近場の椅子を手に取りテーブルまで運び腰を下ろした。

「それで何の御用でしょうか、御爺様」

両手を綺麗に揃え、エリーは店員として対応した。

「何の用って、約束忘れたの?」

「約束……?」

私が彼と約束を? そんな物はした覚えがない。そも極力彼を避けてきたのだ、個人的な話など記憶にない。

「覚えてないのも無理はないね。君が魔王討伐後、朦朧として倒れる直前にした約束だからね」

「……それを約束と」

「ちゃんと君を約束通り病院まで運んだんだ。君にも約束を守ってもらわないとね」

文字通り人間離れをした若作りをしていらっしゃる御爺様は背もたれに体重を預け、注文した飲み物に口を付けた。

「そんな一方的な約束、守る必要ーー」

「あの、お姉さん。ニーナさんだっけ? 良い性格してるよね。何度か足を運んだんだけど君がいない時に対応してもらってさ、結構気に入ってるんだ」

ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべるレンキスにエリーは舌を鳴らす。彼は自称、世界最高の魔法使い。その能力に関してはエリーも充分に知っていた。魔法生物である魔王相手では分が悪かったが彼曰く、準備さえ整えれば勇者にも勝てると宣う。自称世界最高を名乗るだけあり、彼の使う魔法は多岐にわたる。唯一使えないのは他人に対する回復魔法だけらしい。

「脅しでしょうか」

「さぁ? 足繁く通ったお店の給仕さんがお気に入りって話をしただけだよ」

小さなフォークで甘味をすくう。

一層目は半透明、二層目はムース状、三層目にクリームと食感の分かれる季節の甘味。二層目と三層目の甘さを一層目の酸味が洗い流す清涼感。それを楽しむように彼は口内で吟味する。

「それで、どんな約束をしたんですか」

「大した事じゃないよ。と言うよりわかってるよね。わざわざ病院に持ってってあげたし。勝手に持って行かないだけ良心的だよね」

「何の事だか」

「律儀に持ってきてる癖に。置いてったら僕が回収するのわかってたんでしょ。そうでもないなら使い物にならないのに病院から持ち出さないだろうし」

……そも誤魔化すだけ無駄なのだ。レンキスは魔力の感知ができる。ここを見つけたのも自分の魔力が捕捉されたからだろう。エリーは無意識に再度舌を鳴らした。

「行儀の悪い給仕さんだなぁ。ほら、僕も多忙だし逃げていると言えば逃げている立場だからさ。さっさと渡してくれたら退散するし、もう君に用はないよ」「……逃げるって誰から」

「僧侶ちゃん」

エリーは吹き出しそうになったのを堪える。不意の発言が様々の事を想起させ、言葉が漏れた。

「あの子に追われてるの、レンキス?」

「あ、その優しい感じで名前呼ばれたの初めてだね。変な感じ。そうなのさ、もう付き纏われてて。聖職者にあるまじき行為だよね」

呆れたようにレンキスは甘味に手を伸ばした。

僧侶と言われた彼女も魔王討伐の場にいた。あの場においてエリーと最も付き合いが長いのが彼女である。ようやく気持ちに余裕ができた今、改めて思い返すともっと優しくしたかったと後悔があった。だが、レンキスがそれ以上口にしないという事は、彼女も例外なく呪いの対象で自分の事を忘れているのだろうと察することが出来た。

「そんなに仲良かった?」

「そんな事無かったんだけどね。僕も君と話す時の便利な仲介役程度にしか思ってなかったんだけど。何か魔王討伐後に付き纏われた。病院は僧侶ちゃんの紹介ですんなり入れて助かったよ」

不思議そうに首をひねるレンキスに警戒心が薄らいでいる事を自覚して小さく咳払いをして、エリーは自分を律する。

「ほら、もう食べ終わるからさ。それまでに持ってきてくれない?」

「……私が支払いますのでお帰り願えますか?」

「別に帰ってもいいけど、また来るよ?」

「二度と来ないでください」

「冷たいなぁ。まぁ、僕も君の事好きじゃないから特段会いたいわけでもないから良いけどね」

レンキスは席を立つと銀貨5枚をテーブルに置いた。

「お客様、私の指名料に銀貨2枚足りません」

「……ここってそんな店なの? 君に払うのは癪だからニーナさんにだね」

レンキス自身、自分が嫌われてるのを自覚しているため腹いせに請求されているのはわかっていた。しかしながら何度か訪れて漸く目的を達成できそうなレンキスの財布の紐は緩い。きっちり銀貨4枚を追加で置くと、存外にすんなり店を後にする。その引き際の良さは間違いなくまた来る事を物語っていた。

取り分をニーナに渡そうとして頭を叩かれると、銀貨4枚は没収された。



その夜、エリーは寝付けずにいた。

自室の布団にくるまり寝返りを繰り返す。

女神の呪いで自分を知る人間はいなくなるはずであった。

不安と共に両親だけは自分を覚えていると希望を持って家路についている現状。

その最中、自身を覚えている存在がいた。

それは確かに希望であった。

だが、覚えているのは自分が嫌いな相手である。

嫌いな相手だけが自分を覚えている。

これも呪いの一端なのではないかと不安にもなった。

机の片隅に置かれた布に包まれた物。

レンキスの言う約束の物は間違いなくこれである。

そしてこれはレンキスに渡せる物でもないのは理解していた。

だからこそ、彼の言う通り病院から逃げる時に持ち出したのだ。

魔王を討伐し与えられた勇者の力を女神に返上した今、忘れられた勇者の最後の仕事はあれを誰にも渡さない事だとエリーは考えていた。





後日、思い出した様にニーナに聞くとレンキスはそれなりに店を訪れる常連になっていた。最初に来店したのは騎士団長が訪れた後。そこで勇者の魔力を感知されたのだろう。度々店に訪れるもエリーが休みや買出しの日と被り、その間にニーナと交流していた。ニーナ曰く人当たりの良い、いつも甘味を頼むお客様。来る度に甘味を頼むが食事は頼まず、食後にはすぐに帰る客だそうだ。そろそろ店の甘味は網羅するらしい。人の皮をかぶった御爺様は年に見合わず甘いものがお好きなようで。そんな趣向も初めて知ることであった。

「レンキスさんとはいつから知り合いなの?」

勤務後、店長の作ってくれた夕食の際にニーナが口を開いた。

「んー、たぶん一年半とか二年位前から?」

「結構前からね」

「知り合ったのはね。でもあんまり話したことは無かったかな」

「そうなの? その割にはエリーに会うために何回も来てるみたいだけど」

「私じゃなくて、私の持ってるものが欲しいんだよ。私よりお兄ちゃんの方が好かれてるよ、あの人に。お気に入りだって」

冗談はやめなさいとすげなく言われる。

相変わらず表情の変わらないお兄ちゃんの感情は読めないが、何処と無く照れているように見えた。

「お兄ちゃん、趣味悪い」

「お客様の悪口は言わない」

食べ終えた食器をだ片付け始めたニーナに合わせ、エリーも食事を急ぐ。私のも洗ってと食器を滑らせて、エリーは自室へと逃げた。



カラカラと店の入口が開く。

顔なじみとなったお客様にニーナは普段どおり一人スポットライトに当たっているような出迎えをする。小さく笑う常連客は、ニーナに促され席についた。

「いらっしゃいませ、レンキスさん」

「今日は……、そうだね。まだ頼んでないの適当にお願いしようかな」

「畏まりました、少々お待ち下さい」

ニーナは恭しく頭を下げるとカウンターへ向かう。

客の少ない時間帯のため店長は奥へ下がっており、副店長のダリアだけが調理場に立っている。備え付けられているメニューに目を通すと、まだレンキスが頼んでいない甘味をダリアに伝えた。注文を聞いたダリアはスムーズに行動に移す。下準備の済んだ甘味にクリームと砕いたナッツを振りかけ、最後に薄桃色のソースを格子状にかけていく。これも季節ごとに変わるソースであり、前回レンキスが頼んだもの同様酸味のあるものだ。盛り付けを終えた甘味をカウンターへ置き、飲料を注ぐとニーナに仕事を受け渡す。それを受け、ニーナはレンキスの元へと戻った。

「お待たせしました」

「相変わらず早いね」

柔らかく眉を下げる彼は、ニーナからは好青年に見えた。

「お越しいただいて申し訳ありませんが、エリーは不在でして……」

「エリー? あぁ、そっか。まぁ構わないよ、今日はそろそろ戻ってきそうだし」

慣れた手付きで運ばれた薄緑の飲み物を嚥下する。その行為にしばし見入っていたニーナは他に客もいない店内を確認して口を開いた。

「甘いものがお好きなんですか?」

「ん? いや、そういう訳じゃないけれど、食事処に来て何も頼まないのは無作法かなって」

「そんな事気にしていただかなくても……」

「それに久し振りに食べたら存外に美味しくてね。味覚が変わったのか作る人の腕が良いのか」

そう口にしながら次いで綺麗に盛り付けられた甘味を小さなスプーンで口に運ぶ。その一口で区切りが付いたのかスプーンを手離すとニーアを見上げた。

「エリーは働いて長いの?」

「そうですね、そろそろ一年は経っているかと」

「そう、そんなに経ったのか」

言葉とは反対に、時間を感じさせないあっさりとした口調でレンキスは過去を思い出す。魔王を討伐してから既に一年以上が経過していた。魔族が消えた後の爪痕は未だ残る。それでも支配されていた街は活気を取り戻し再興の真っ只中。魔物も大分大人しくなったとはいえ、未だ昔と比べれば気性も荒い。エリオットを病院に運んでからは聖職者に付き纏われた記憶しかなかった事に苦笑する。

「レンキスさんは用事が済んだら、もう此処へは来ないんですか?」

言い終えてから失言だと後悔した。

ニーナはあくまで店員として店内に立っていた。

来る客は歓待し、帰る客を心地よく見送る。それが自身の仕事だと認識していた。決して客を呼び込んだり、次回も来るように促す客引きは自分の本意ではない。否、領分ではない。やや不安そうに眉を寄せたニーナに気付く事もなく、レンキスは背もたれに体を預け微笑んでいた。

「そのつもりだよ。僕はエリーに嫌われてるし、僕も似たようなものだからね」

「その、不躾な質問ですが……。私から見てエリーは、まぁ確かにお調子者ですが嫌いになる程の性格でもないように思えます。レンキスさんも人当たりがよく見えますし、仲が悪くなる理由がわからず……」

一度零した失言を受けてくれたレンキスの表情に、さらに失言が零れた。腕を組んだ彼は答えあぐねるように目を閉じて小さく呻く。

「そうだね、強いて言うなら過去のツケかな」

「ツケですか。過去にエリーが何か粗相を?」

「いや、それはないよ。エリーのやった事は褒められるべきことだからね」

質問に対して疑問だけが募る。続きを聞きたいという気持ちと、零し続ける失言はニーナを悩ませた。だが、他人に踏み込むのは店員のすべきことでは無いと自制した。

「失礼しました。踏み入りすぎました」

「そう? 別に気にしないけど……。丁度帰ってきたね」

言葉の後にエリーが元気に店内に入ってきた。

「ただいまー!!」

「おかえりなさい、エリーちゃん」

「エリー、静かにしなさい」

「えー、お兄ちゃんくらー……い」

彼を認識したエリーは目に見えて不快だという表情を作り、ニーナが窘める。

「お客様に向ける顔じゃないわ」

「うぅ、だってぇ」

「気にしなくて良いよ。僕ももう帰るから」

エリーを見ていた間に食べ終えたのか食器は空になっていた。すみませんと頭を下げたニーナはレンキスとエリーを見た事で、はたと思い出し前掛けのポケットから銀貨4枚を取り出した。

「レンキスさん、この前はエリーがすみませんでした。こちらお返しします」

「あぁ、いいよ別に。返されても困るし今回の支払いに使ってよ。不足分はーー」

「今回は少しばかり口が過ぎましたので、お詫びに私が補填します」

「この前のツケでエリーになら出させるけど、ニーナさんには出させたくないなぁ」

「では、エリーに払わせますので」

「ちょっとお兄ちゃん!?」

エリーの叫びを無視したレンキスは了承して席を立つ。店外へと向かうレンキスを見送るためにニーナはついて歩くが、レンキスは警戒心剥き出しのエリーの前で立ち止まった。

「ねぇ、ニーナさん。明日エリー借りてもいいかな」

「駄目です」

「エリー、貴方ね……」

幾ら知り合いとは言え、余りに対応が冷たい。人の交友関係に口を出すつもりはないが、ここは店であり店員と客である。それもエリーに用があり、何度も訪ねてくれている常連に対してだ。せめて確認はすべきだと言おうとして、後ろから声がかかった。

「連れて行って構いませんよ」

ニコニコと柔和な笑顔を浮かべた副店長が、エリーを売る。

「お姉ちゃん、待ってよ」

「だって、エリーちゃんに用事があって来てくれてるんでしょう? いい加減に応えてあげてもいいんじゃないかしら」

「うぅ、でもぅ」

「勝手に追加料金を徴収した事、お店の備品を蹴った事を店長に言おうかしら」

「やめて、それは駄目だよお姉ちゃん。うぅ、わかったからぁ……それだけは」

「平素からご愛顧頂きありがとうございます。明日は店に待機させますので都合のいい時間にお越しください」

「ありがとうございます。えっと、ダリアさん……だったかな。ご馳走様でした、美味しかったです」

小さく頭を下げ、ニーナに見送られたレンキスは店を出ていった。



翌日の昼過ぎ、レンキスは店を訪れた。

店内を覗くとまばらに客が残っており、外の荷馬車を見るに行商人など物流関係の人間が立ち寄るのに丁度いい店のようであった。少し待とうと玄関脇に立ち呆けていると、いつもと同じハキハキした言葉と動きで客を見送りにニーナが出てきた。店内に戻ろうと振り向いたニーナと目が合う。

「こんにちわ」

一瞬、驚いたニーナは返事が僅かに遅れた。

「……こんにちわ、いらっしゃいませ。そんな所に立たずに中へ」

「いや、今日は遠慮するよ」

「そうですか。ではエリーを呼んできます。少々お待ちを」

客が減ってからで良いと言うよりも早くニーナは店内へと戻って行った。

なんの気無しに青空を眺めていると、見慣れた格好のエリーが出てきた。髪が伸びた以外は記憶と合致する出で立ちに懐かしさを覚え、手に持つ愛刀と布にくるまれた物を見て安堵した。抵抗の意思はあっても約束の品さえあれば大した問題ではない。言葉を交わすことなく差し伸べたレンキスの手を、エリーは嫌そうに指先で触れる。

途端景色が一変した。


一変した景色の先は瓦解した魔王城の見える荒原であった。

以前の様な重々しさがないのは、空を覆う暗雲立ち込める天蓋はなく青空が広がっているからだろう。

エリオットは触れていた手を早々に引くと、手に持っていた布にくるまれた物を地面に置いた。レンキスはその行為でその行為を見つつ、魔王城を眺めていた。

「もう一年以上前なんだね」

感慨深そうに彼は呟く。追ってエリオットも魔王城を見た。瓦解した魔王城は城として未だ形を残しているが、その最上階は既に存在しない。魔王の片腕と共にレンキスが吹き飛ばしたのだ。

本来魔法生物でも最上位の存在である魔王に魔法など効かない。それでも尚片腕を吹き飛ばしたのを見れば自称最高の魔法使いも納得ができるものであった。

「ねぇ、レンキス」

「何?」

「何で最強じゃなくて最高を名乗ってるの?」

思い立った疑問を口にすると、一度だけエリーの目を見て再度魔王城を見やる。

「最強って強いだけでしょ。僕が知りたいのは世界の理であって、それを紐解くのに魔法を修めただけ。結果として最強は副事的な物に過ぎないよ」

そんな物は僕の後からついてくる。

興味がないとレンキスは唾棄した。

「何にせよ、君が約束を守る気があって良かったよ」

「そうでもしないと店を追い出されかねないので」

「その手に持ってるのは何だろうね」

エリーが手に持つのは長らく愛用した直刀。刃渡り60cm程度の刀であり黒い鞘に納められている。愛刀自体に特別な能力がある訳ではないが、エリオットの魔力が染み込んだ事で魔法生物に特攻がある業物となっていた。

今後の展開を理解しているであろうレンキスは戦闘の意思を見せない。

「僕は君が嫌いだよ」

「知っていますよ。私も貴方が嫌いです」

「知ってるよ。でも私怨で戦闘する間柄でもない」

短期間とは言え、共に行動していた仲間とも呼べる関係ではあった。きっとレンキスはそれを指して言っている。互いの行動原理は違えど、共に魔王を討伐するために行動し、目的を果たした。命を互いに預けた間柄において、今更理由もなく互いの命を狙うような行為には躊躇いが生まれるのだろう。

「とは言え、僕はそれが欲しい」

「私の勇者としての最後の仕事は、これを誰にも渡さない事だと考えています」

特にレンキスには。

彼はいつの時代の人間かわからない。世界の理を紐解くために人間を逸脱してからの方が長い人生を歩んでいた。それが勇者であるエリオットからすれば、限りなく気持ちの悪い生命体に見えていた。人間の形をしてはいるが、中身は完全に別物である。魔物や固形化した魔力、精霊や魔族に近しい存在。それらを混在させ、人としての形を保つレンキスは凡そ人間と呼べる存在とは程遠いものであった。そのレンキスに勇者と魔王の魔力が残存する品を渡すなど、何が起こるかわかったものではない。

「もういいんじゃない? 君からは与えられていた勇者の力は感じない。魔王を討伐した時点で君の役目は終わってるよね」

「例え与えられた能力を返上したとしても、勇者として行動していた責任は消えません」

「ふーん、その割には早く責任を放棄したくて街の人間は無視して行ったよね」

「あれは……」

少しでも早く魔王を討伐した方が世界の為になる。そう考えた合理的な行動であった。だが、だからこそ振り返れば切り捨てたものが多かったと実感する。反論しようとしてエリオットは口籠る。しかし、どう言い繕おうともレンキスの言う通りであった。

「僕はさ、君よりもクゥの方が勇者らしかったと思うよ。君が無視していった人達の為に尽力してさ」

エリオットの幼馴染であるクゥ。彼とは幾度となく剣を交えていた。先を急ごうとしたエリオットに対して、再興を優先したクゥ。いつもクゥがエリオットに負け、一人街に残ると復興の手伝いをしていた。そして一頻りの目処が立つと追いかけ、エリオット達と合流を繰り返す。僧侶よりも付き合いの長い彼ではあるが、ついぞ魔王城に来ることはなかった。今のエリオットに彼の所在を知る術もない。

「他の人もさ。みんな魔王を討伐するために集まったけど、それでも最優先は人だったよ。でも君は違う。君はただ魔王を倒すのが目的で、世界を救うなんておまけでしかなかった」

何も言い返せないエリオットは歯噛みする。

勇者として呪われたエリオットは常に魔王を討伐することを最優先に、常に勇者の能力を与えた女神から追い詰められていた。女神に追われた先に魔王。目に見えない何かから開放されるためには、魔王を討伐する以外に方法がなかったのだ。

「君は君自身を救うために何人もの人間を無視して、今を生きている。その積み重ねが気に食わない」

ーー何より

「君は人間の癖に、まるで自分は人間では無いように他人を切り捨てる。僕が君を嫌いな理由だよ」

つまらなさげに吐き捨てたレンキスは、漸くエリオットに向き直り、腕を組む。

「せっかくだからさ。僕の嫌いな所も聞かせてよ」

「……私は勇者の能力を与えられた事で魔力に関しては鋭敏になりました。同時に無意識ではありますが、相手が人間かどうかも見分ける事ができるようになりました。貴方を見ると人間社会に溶け込んでいる異物にしか見えなくて気持ち悪い。生理的な嫌悪感を抱きます。見た目は人間ですが、中身が人間ではない。それが何を目的としているのかがわからず怖い。どうしても受け入れられないのです」

なるほど。納得できたのか一人呟くとくつくつと口角を歪めた。視線を落とし布にくるまれたものを見る。

「僕はそれが欲しい。君はそれを僕に渡したくない。僕はね、エリオット。君を見つけるまで、君と戦う為の大義名分を探していたんだ」

それはつまり、レンキスの我欲を満たすための都合の良い理由。

「僕は君が切り捨ててきた人の為に、君を忘れて恨みを晴らせない人の為に、此処に立っている」

「……人間の代表面しないでください」

「仕方無いだろう? もう君のことを覚えている人が居るかも怪しいんだ。それなら覚えている僕が代弁者になるしかない」

何故レンキスは自分の事を覚えているのだろう。

純粋に人間ではない逸脱者に女神の能力が及ばなかったと言う事か。

「僕は世界に興味はないけれど、何だったら世界征服の為に魔王と勇者の魔力が欲しいと言おうか? それなら君も世界を守る為って大義名分を持てるだろう?」

自身の腹の中を体現するような気持ちの悪い笑みを浮かべるレンキスに吐き気を覚え、愛刀の柄に手を乗せた。

「能力は変わったみたいだけど、今も君は勇者の能力が使えるんだろう? 僕が嫌いなのは今の君ではなく勇者としての君だよ。出し惜しみは必要ない」

エリオットは深く息を吐いて瞼を閉じる。エリオット自身、任意で勇者としての能力を使える様になったのは魔王を討伐する瞬間であり、その瞬間に借り物としての勇者ではなく世界に勇者として認められた。意識を向けた体内が熱く活性化していく。人間の魔力ではなく、勇者の魔力が体を巡り充実させる。その高揚感と充実感は勇者として視野の狭い行動をしていた頃を追想し、口調は自然に勇者のものへと変わっていく。持ち上げた瞼の奥、金に輝く瞳がレンキスを捉えた。

「僕も世界の為にお前を切ろう」

「主語が大きいよ、エリオット。そんなに一人で戦うのが怖いのかな」

ぞわりとした悪寒が勇者の背筋を走る。怪しく光る瞳に射抜かれ、威圧感こそ少ないが魔王を彷彿させるような異質さ。エリオットは改めてレンキスの危険さを認識した。

「準備さえあれば勇者も倒せるの意味、体現してあげるよ」

ドロリとした魔力が溢れ始めた。

人間が孕むにはあまりに禍々しい魔力は、勇者から見れば澱んだ汚泥にしか見えない。こんなものが人間であるわけがない。やはり目の前の男は世界の為に討伐しなければならない存在。エリオットは柄を握ると迷う事なく眼前の敵を、一筋の軌跡を持って切り払った。

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