第6話



切り捨てたレンキスは溶け落ちた。

手応えのない軌跡の先では刀身から液体が滴っている。

「そうやって今までも色んな人を切り捨ててきたのかな」

溶け落ちたレンキスは勇者から離れた位置に出現していた。切り捨てたのは分身。一度剣を振り刀身の水滴を払う。ここに来てから魔法を発動した素振りはない。

「準備は出来ているみたいだな」

「曲がりなりにも魔王を討伐した勇者だからね。接近戦なんて挑まな──」

言い切るよりも早く分身は溶け落ちる。

刀身の水滴を振り払うと、周囲を確認した。離れた所には新たな分身が出現しており、勇者であるエリオットは一歩で距離を詰めて障害を切り捨てる。

「別に能力が変わったわけではないのかな」

「言う必要はない」

「調べるだけの価値があるといいね」

先程までより遠くに出現したレンキスは組んでいた腕をほどき、勇者の方へと手を伸ばす。力無く伸ばした指先に光が灯った。えいっと気の抜けた声を合図に光が細く5つに分散し、同時に勇者へと飛んでいく。構えない勇者は愛刀を持つ腕とは反対の腕を持ち上げ、魔法の軌道を見切ると白銀の軌跡で切り払った。

「へぇ、色変わってるね」

「だから何だ」

「ふぅん、なるほどね」

元は金色だった魔法の刃を見つめながら、納得したように口元を歪めたレンキスは改めて指先に光を集めた。先程とは違い明らかに魔力の込められた光は渦巻き収縮し、圧縮され、一般的な魔力感知のできない勇者ですら魔力の塊があると理解できる濃度に達する。勇者は愛刀を納刀する際に僅かに指の腹を切り、血が滲む指で白銀の刀身を撫でると薄い朱が混じった。それはレンキスも知る勇者の使う魔法の強化法である。

「質は変わったけど出来ることは同じなのかな」

圧縮された魔力は指向性を持って開放される。凡そ人が放つには強大な魔力の本流が勇者を飲み込んだ。その流れの中、勇者は朱の混じった白銀の剣だけで抗う。エリオットが唯一使える魔法は、魔法を切り払う事ができる。だが溢れ続ける魔力は切り払えず、勇者を押し込んでいく。今の勇者に出来ることは、レンキスの魔法に耐えきる事だけであった。



レンキスは自身の放った魔法を漫然と視界に収めながら思考する。

勇者としての能力が変質したが、その違いは何か。先ずわかるのはエリオットの使う白刃の太刀の色が変わっている事だ。金色から銀色に変わった理由は何か。それは考えるまでもない。魔法は魔力の質や属性に左右され色が変わる事など稀にではあるが聞く話だ。与えられた勇者の能力から、エリオット自身の能力として変移した事で魔力の質が変わったのだろう。与えられた勇者の能力は人間の物とは質が違った。それは生物が持つ魔力とは隔絶された、魔力と呼称する事にも疑問を呈するような何か。その特性が魔族や魔物に対して特化した性能だと考えれば、神気とでも呼ぶのが合うのかもしれない。

初めてエリオットと出会った時を思い出す。初めは何か異質なものを持った勇者と名乗る人間だと思っていたが勇者の能力を使用した時、全身に怖気が走った。自分の人間ではない部分がざわつき殺すべきだと警鐘を鳴らした。それと同時に、彼女が言った通り勇者なのだと信じた自分がいる。だが、今のエリオットからは危機感を感じない。それは僕の中の人間ではない部分が、もう以前までの勇者とは別物だと断定したからに他ならない。では、今の勇者は一体何なのだろうか。改めて馴染みはあるが、何処か変質した魔力を探った。常に勇者の魔力を使用させれば、それだけ探りやすくなる。エリオットの勇者としての魔力は限りなく純度が高い。それこそ属性などを無視した純然たる魔力と言えた。それでも以前までの生物を圧倒する隔絶された質の魔力ではない。今の勇者の魔力は人間の持つ魔力から無駄なものを削ぎ落とし、洗練した物だと推察できる人間味のある魔力であった。ともあれば、今の勇者の魔力とは人間として持てる魔力の質としては極地なのかもしれない。

放出していた魔法を消して、勇者を見る。

魔法の射線上、抉れた地面の先では薄桃色の刃を構え自身の魔法を切り裂き続けて立つ姿があった。やはりと言うべきか、今のエリオットは以前までの勇者より性能が落ちていた。

「随分苦しそうだね」

勇者は答えずに魔法の刃を消すと駆け出す。

勇者としての能力自体は変わらずに身体強化なのだろう。自身の魔法を耐え切ってなお、向かってくるタフさには辟易する。眼前に迫った勇者は柄を握り愛刀を振るった、様に見えた。

ぱしゃりと、勇者の手が水を弾く。

「うーん、攻撃特性に特化させた障壁じゃ弱いなぁ」

「汎用の障壁では防げない事くらいは知っている」

殴り飛ばした分身は勇者を濡らした。レンキスは複数の魔法障壁を攻撃の種類に応じて使い分ける事で相手の攻撃に対処する。それにより各々の特性には破格の効果を発揮させる一方、合致しない場合攻撃は素通りとなる。レンキスの性格上、勇者の能力を測るために手を抜いていることはわかりきっていた。分身を何体用意しているかは不明だが、消耗品である以上限りはある。これ以上は無駄に分身を捨てないと読んだエリオットは、斬撃ではなく打撃を選択し分身を破壊した。

「汎用も便利なんだよ? 僕が切り替えないでも勝手に対応してくれるし、多少強い位な攻撃は通さないし」

やれやれと大げさに首を振りレンキスは溜息をつく。

まともに魔法を使えない勇者にはレンキスが使う魔法がどれだけ高度なものかはわからない。判断基準は自分がレンキスを倒せるかの一点のみ。高度な魔法が使えようと敵として対峙する以上、実践において使いこなせるか、その能力をもって敵を倒せるのかにしか価値はない。

「まぁ、でもこの程度なら負けようがないかな。逃げてれば勝手に体力使い切りそうだし」

「ふざけるな」

「ふざけてないよ。君が動けなくなれば労せずに欲しい物が手に入るしね。そもそもこの争いは君が折れれば必要ない物なんだよ。僕から逃げるなら、僕も君とは戦わない方法で欲しいものは奪うけど」

「逃げる必要はない」

「強がるなよ。僕との約束に乗った時点で君の負けなんだよ、エリオット」

「僕はお前の傲慢さも嫌いだ」

「自分の傲慢さを棚に上げるなよ」

エリオットはレンキスと会話する事で不快感を募らせていくが、レンキスはその感情を隠さない表情を嘲笑う。

「いやぁ、楽しいなぁ。魔王がいない今、君とは仲間じゃない。今までの鬱憤を晴らせるよ」

「それは僕も同じだ。お前みたいな危険分子を切るのも僕の役割だ」

「もう君は勇者じゃない。自分の役割と勇者の役割を混同するなよ」

「……分身が邪魔だ。この程度で僕を抑え込めると思っているなら考えが甘い。引きずり出してやる」

勇者は肩幅に足を開き腰を落とす。上体を捻り愛刀を抱えるようにレンキスの視界を遮った。前は自由に使えなかった自身の持つ勇者の魔力に浸る指先を、更に押し込む。全身が充足し感覚が鋭敏になり、異物の気配で位置を把握する。吸い込む空気が冷たい、吐く息が熱い。薄く開けた瞼から覗く金の瞳は一層強く輝いた。



レンキスの分身には弱点がある。

公言されたわけではないが、明らかな弱点。

彼の分身は常に勇者から距離をおいて出現し、行動するまでに間がある。

それを誤魔化すように間を設けて会話を始めていた。

出現から操作するまでの凡そ1秒程度の間。

分身が消される度に距離を調整していたのは勇者の間合いを測っていたからだ。

それに気づいているエリオットは勇者としての能力を調整する。

与えられた時の勇者の能力は自動で発動し、勝手に解除されるが能力強化の上限は魔王と正面から殴り合えるものに至る。今の弱体化した能力は上限が低くなったが任意で発動でき能力の調整が効く。使い勝手が圧倒的に良く、低くなった上限も制限と呼べるほど強い相手と戦うことなど想定していないエリオットには無いも等しいデメリット。

エリオットはゆっくりとレンキスを倒せる能力まで性能を上げていた。

「ふぅん、能力の調整がでーー」

先程までは間合いの外であった場所に立つレンキスが蹴り抜かれ、衝撃で水が弾け飛ぶ。同時に距離をおいた場所で異物が発生したのを感知し、分身の操作権をレンキスが得る前に愛刀で切った。魔法に疎いエリオットでも複雑な操作ができる分身には、近くに術者がいるのが大前提という知識は持っていた。分身を発現させるのにも恐らく距離の制限があるとも判断したエリオットは能力を調整し、分身には何もさせずに壊していく。無数の分身が消される度に出現していく。同時に複数出現しないのは制約かもしれないが、都合がいい。いつしか勇者は分身を構成した水に塗れていた。

無抵抗な分身を消し続けていたが、程無くして勇者の一振りを防ぐ個体が現れた。

分身を破壊する事に体力を使わない様にしていた力の抜けた一刀はレンキスの障壁に防がれる。

「思ったよりは弱くなってないみたいだね。弱い者いじめにならなくて良かったよ」

勇者は障壁に阻まれている愛刀に力を込め様子を見る。徐々に障壁に刃が食い込んでいった。

「準備していた分身は全部壊されるし、まぁまぁかな」

ギリギリと障壁が削られていく。それを見てもレンキスは気にすること無く刃を向ける勇者を嘲るように目を細めていた。

「それにしても、あのお店気に入ってるんだね。今まで他人を捨ててきた癖に。ちょっと引き合いに出すだけで釣れるなんて」

「……何が言いたい」

「君が負けたあとに本気じゃなかったなんて言われても面倒だからさ。君が負けたらついでに君の居場所も消そうかなって」

「……あ?」

一瞬だけレンキスの中の何かがざわついた。

それを理解したレンキスも口元を歪める。

「くくっ、いいね。君が向ける敵意は好きだよ」

「分身がなくなったのに余裕だな」

「あれは遊びみたいなものだよ。消された所で痛くも痒くもない」

距離を置くのは悪手だが、このまま障壁を相手にするのも無駄だとレンキスを蹴るが障壁に阻まれた。

「なっ……」

「汎用は自動で便利とは言ったけど、別に僕自身が操作できないとは言ってないよ」

ゆっくりと蹴り足に伸ばされた腕から逃げるように勇者は距離を取る。

「それに僕が分身程度で無駄に魔力を消費するわけがないだろ?」

不意に後ろから、何かがエリオットを絡め取ろうと伸びてきた。それを鋭敏になった感覚だけで把握し、反射的に銀色の刃で切り捨てる。

「分身を構成していた水は僕の魔力を変質させたものだよ。その水を介して魔法を発動するなんて造作もない」

「相変わらず気持ちが悪いな」

「君が分身を壊してくれたからね。どこからでも魔法を発動できるよ」

考えなしに破壊した分身は溶け落ちて地面を黒く染めている。そこが全て攻撃の起点になると知り、勇者は舌を鳴らした。

「ほら、早く次の手を打ってよ。君に負けを認めさせないと、欲しい物も貰えないし。約束を遵守する僕って律儀だよね」



本来魔法使いであるレンキスは前衛に立つことはない。魔王討伐までの短い間も良くて後衛、何もしないでフラフラする事が主だった。世界最高を自負する彼を本当に世界最高と知るのは魔王の前に立った人間達のみ。

魔法使いが前衛に立たないのは近接戦において不利なのが最たる理由だろう。どれだけ強力な障壁を張れても攻撃が出来ない。攻撃をしても相手がやり過ごして接近されては後手に回る。かと言って常に強力な魔法を放ち物量で勝負できるほど魔力が潤沢な人間などいるのかもわからない。何より発動に時間がかかるのがネックだ。魔力は近接戦を主とする人間の体力と同じ様なものだ。だが体力と比べると魔法でしか消費できないのは、戦闘方法こそ多様ではあるが汎用性が低い。魔法使いが近接戦を主にする相手と一対一の戦闘など、隔絶された差がない限り戦闘として成り立たない。

その一般人の考える常識など知らない顔で蹂躙するレンキスは、魔王と正面から切り合った勇者を前に引く事はない。

レンキスは唯一度、指を鳴らす。

それだけで地面に複数の魔法陣が出現し、全てが勇者を狙ったものであるのは明白。魔法に疎い勇者でも、その行為が規格外である事を理解していた。

レンキスの発動する魔法には詠唱も発動までのタイムラグも存在しない。

「まぁ、死なないでね。君の命なんて僕にとっては無価値だからさ」



勇者は自身の能力を徐々に引き上げる。これも元の能力とは違い段階的にしか上げられなくなった制限の一つだった。能力の上昇が遅い。未だに勇者を値踏みするレンキスは余裕を持って対峙している。飛んでくる魔法は密度を増していく。足元を這って伸びる蔦を飛び切り払い、着地と同時に落ちてくる火柱を体を捻り回避し、正面から迫る無数の氷片を横に大きく走り射線を切るが僅かに誘導される氷片は想定以上に勇者を走らせた。その先で足を止めた瞬間、足元で一際大きな魔法陣が展開され、勇者ごと地面を隆起させる。足を止めた事に舌を鳴らし、隆起する側面を駆け下る。更に地面から勇者に向かい伸びる土塊の針を魔法の刃で切り捨て蹴り砕いて地上へと辿り着いた。

「まだ行くよ」

今度は勇者の機動力を下げる為に地面が凍りつく。伸ばされたレンキスの指先が帯電しているのに気づいた勇者は魔法の発動よりも早く自身の魔法を発動し虚空を切った。身体強化された勇者ですら先んじて行動しなければ防げない魔法速度。切り裂かれた魔法の槍は光の粒子となって勇者を撫でた。

「お、流石に勇者は伊達じゃないね」

感心したレンキスは魔法を解くと地面の氷は溶けて消える。

「肩で息してるね。昔よりも体力落ちたのかな」

「半年は寝てたからな」

「言い訳なんて君らしくないなぁ」

レンキスは鼻で笑うと腕を組み、何かを考えるように口元を隠す。

「君は確か女神に勇者の能力を与えられた、生まれながらの勇者って宣っていたよね」

「事実だからな」

「今の所、僕以外の他人からは君に関する記憶が消えてるんだよね」

「それがどうした」

「……もしかすると、それは救いなのかなって」

「……人に忘れられる事が救いだと? ふざけるな」

「まぁ、君からすれば取るに足らない事かもね」

どうせ会った人の大半には嫌われてるだろうし、とレンキスは薄ら笑った。

見据える相手は足を止め不機嫌そうに眉を寄せている。だが、懐かしい顔に思う所もあるのか存外会話には応じてくれていた。外見にこそ変化はあるが、その立ち振る舞いは確かにレンキスの知る勇者であった。

「ねぇ、エリオット。もういいんじゃない? 魔王もいないんだし、勇者じみた事なんてしなくてもさ」

「何が言いたい」

「君の店での働きとか見てたけど、楽しそうだったよ

。今の君は何かに追われる立場でも、世界を背負う責任のある立場でもない。そう言った重責からようやっと開放されて自由なんだ。何を意地になってるは知らないけど、手に入れた自由を享受しなよ」

「……それとこれとは話が別だ」

「言葉を変えようか。僕があれを管理するよ」

「必要ない」

「そうかな。君は普通の人間として生きたいんだろ?」

「お前は違うのか」

「変なことを言うね。僕が普通の人間と違うのは知ってるだろ? 君とは違って普通の人間でいた頃よりも今のほうが長い時間を生きてるよ」

「その割には人間の姿で人間の言葉を使って人間の世界で生活しているな。確かに僕は普通の人間としていきるつもりだ。だが、お前も普通の人間としていきたいから人間社会で生活しているんじゃないのか」

勇者の言葉にレンキスは逡巡する。……僕は何故人間に固執しているのか。無意識であったにせよ、今尚人の形を保ち人の世で生きている。もしかすると僕はエリオットの言う通り人として生きたいのだろうか。

「おい」

勇者の言葉に思考を区切り、目線を向ける。

「何?」

「戦闘中に他の事を考えるなんて余裕だな」

「まぁ、今の君ならね。こうやって待ってくれるし」

「待たなければ良いんだな」

体力や能力は落ちえど腐っても勇者。レンキスの反応が遅れる速度で距離を詰め、愛刀を振るう。その剣筋に迷いはなく神速に至った。反応の遅れたレンキスの身体がぶれ、胴体を両断する未来を描いた軌跡は刃先だけで朱を引く。 障壁でも分身でもなく、勇者の刃はレンキスに届いていた。

「良く避けたな」

咄嗟に回避したレンキスは切られた部分を軽く撫でるだけで、与えられた傷を完治させた。

「……いつ振りかな、他人に怪我させられるなんて」

言葉の代わりに振り下ろされた刃を紙一重ながら回避した。それは明らかに魔法を生業にしている者の動きではない。勇者は想定していなかった結果に眉をしかめ、レンキスを見た。その瞳は伽藍洞の様に勇者を捉えるてはいるが、その姿を映すことはない。人とは思えない視線を直視した事で、勇者の血がざわついた。あぁ、やはりわかり合える存在ではなかった。諦めにも似た感情を抱くも、それはわかっていた事だと唾棄すると無意識に勇者は距離を取っていた。

「く、くく……。くくくっ」

人の形を形容した何かは口元を抑えながら愉悦を零す。

「そっか、そうだよね。あぁ、そうだ。それなりに生きてきたけど勇者と呼ばれる人間と立ち会うなんて初めてだ。なるほど、魔王と勇者は表裏一体。ここに来て魔王と勇者、両方を観測対象にできるなんて長生きはするもんだなぁ」

「……何を言っている」

「ごめんね、エリオット。長い間戦うような相手もいなかったから僕自身忘れていたよ。技術と知識ばかりを蒐集する事に専念しすぎていた」

「ふん、切られた事で正気が保てなくなったか」

「そうじゃない、逆だよ。君に切られて久方ぶりに正気に戻ったという方が正しい」

「僕はもうお前を捉えた。あと少し勇者としての能力を上げれば負ける事はない」

「僕自身こっちを使うのは久しぶり過ぎて加減が出来るかわからない。たぶん、今生きている人間では見た事がある人もいないだろうし光栄に思ってよ」

「……何をする気かわからないが、やはりお前はここで斬る」

「残念だけど遊びは終わりだね、エリオット。僕はそれを貰えれば君に用はない。今生の別れの餞別に君には一人の人間として、僕の魔導書を見せてあげるよ」

その言葉と同時にレンキスから、人でも魔物でもない異質な魔力が汚泥のように粘性を持って溢れ出した。溢れた魔力は互いを練り合う様にうねり、空間を侵食していく。勇者の血が否応なく認識させる異様な魔力は、感覚ではなく視覚として捉えるほどの高密度な魔力となる。まるで魔法生物の様な、魔力自体が生物として認識できる程の明確さ。尋常ではない魔力を目にしながら、エリオットは魔導書について思い至っていた。



──曰く、人間の極地

──曰く、神の領域

──曰く、魔導を探求した成れの果て



エリオットは思い出した言葉を一笑に付した。

レンキスは魔王相手に魔法で、勇者以上に損傷を与える存在なのだ。それならばレンキスが魔導書を持っていない道理はない。

エリオット自身、自分が立ち尽くしレンキスの動向を見据えている事に疑問を抱きつつも、何故だが動けずにいた。

「……思い出した。僕の魔導書、展開するのに時間かかるから使わなくなったんだ」

「そうか、魔法を使うなら致命的だな」

「そうそう、僕は誰かと組むなんて出来ない性格だからね。そこは君とも似てるかも」

「一緒にするな」

「可愛げがないなぁ。僕くらいだよ、忘れずに君を勇者として認識しているの」

「知ったことか」

「……待たせたね。もう終わるよ」

きっとこの世間話が、短期間だろうと仲間であった事を認めた会話だったのだろう。それは今更で、今日以降会うことは無いであろう最初で最後の仲間としての他愛無い世間話であった。

言葉を切った事 でエリオットは自然とレンキスの周囲を注視する。汚泥の様に粘性を持ちうねっていた魔力は鳴りを潜め、いつの間にか黒みがかった紫色の魔力に変貌し、風のように流れていた。逆巻く魔力の流れに規則性はなく乱気流のようにレンキスを覆う。だが、どの流れも他の流れを阻害せず全てが淀みなく天へと伸びていた。天へと編み込まれる魔力は次第に収縮し凝縮され、世界に一本の杖として顕現した。

枯れ木の杖にしか見えないそれは、純然たる魔力として物質化した事をエリオットは一目で理解する。ゆっくりと、緩慢な動作でレンキスは杖を掴んだ。荒廃した大地に枯れ木の杖が触れると植物が芽吹き、魔王の魔力に侵された大地が生き返った。

「……これが僕の魔導書『愚者の法(ユース・ストゥルティ)』だよ」

魔王を彷彿させる圧倒的な魔力、太陽を思わせる包容力、荒廃した大地を蘇らせる生命力。

魔導書を顕現させたレンキスと対峙する事で、エリオットは彼を世界最高の魔法使いだと自然と認めていた。

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問わず語りの勇者さん kazuki( ˘ω˘)幽霊部員 @kazuki7172

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