第2話

 「はあ」とイオリはため息をついていた。


 学校が終わり、帰ってきた彼はそのまま武器屋の店番に突入していた。

 武器屋というものは魔王がいたころは儲かる商売だったが、平和になるとぱったりと客足が途絶えてしまった。

 カウンターに座るイオリの目の前には、閑散とした景色が広がっている。

 壁一面に掲げられた大小さまざまな武器はほこりをかぶり、ショーケースの中に入った魔法が施されたダガーや杖などは寂しい輝きを放っていた。


 平和になった今の世の中では、武器はあまり必要とされなくなっていた。


 ここ最近では、来たとしてもせいぜい演武用で使う刃のない剣が目的か、狩りで使うクロスボウの矢のみを求める客だけである。

 平和になったのはいいが、イオリの家の生活は厳しくなる一方だった。


 魔王がいた5年前までは、よかった。


 そこらじゅうから武器商人が訪れ、安価なものから高価なものまで買いあさっていったのだ。

戦士風の男たちもひっきりなしに現れては、値段も見ずにいろいろな武器を買ってくれたものである。

 まだ8才の少年だったイオリも、亡き母の代わりに父を手伝い、毎日売り物の武器をピカピカに磨いていた。


 しかし、魔王が倒され世界が平和になると武器はまったく売れなくなってしまった。むしろ、払い戻しが続き、支出の方が増えるほどであった。人のいい父は、どんな状態であれ武器の返品を受け付けた。


「必要のない人が持っていたら、いずれ犯罪に使うかもしれないからね」


 そんなご大層な理由で、刃こぼれのした剣ですら快く返金に応じたのである。

 結果、イオリの家は赤字続きとなった。


「はあ」


 イオリは二度目のため息をついた。

 父は外回りで武器を売りに行っている。週に2、3回はリヤカーを引いて町を練り歩いていた。それでも、売れるのはせいぜい1本か2本であった。


 別の商売を始めればいいのに。と、イオリは子供ながらに思うのだが、世の中そんなに簡単にはいかないことを彼はまだ知らなかった。


「あ、あの……ごめんください………」


 そのとき、店の入り口から客の姿が見えた。


「いらっしゃいませ!!」


 イオリは声をうわずらせながらあいさつをした。久々の客だ。

 失礼のないように、と満面の笑みを浮かべていたイオリだったが、途端に顔が曇った。店先に現れたのは、20歳くらいの気の弱そうな女性だったのだ。どう見ても武器など持ったことなどなさそうな人間だった。


 イオリは「はあ」と三度目のためいきをついた。


 女性は白い半袖のブラウスに白いスカート、その下には黒いスパッツをはいていた。とても武器屋には似つかわしくない格好をしている。

 怪訝な顔を向ける少年に、女性は余計おろおろしながら尋ねた。


「あ、あの………、レイピアって置いてありますか?」


 金色の長い髪がうっとうしいのか、前髪を手でかきわける仕草がいかにも臆病そうな性格を物語っている。

 ほっそりとした顎に、整ったきれいな眉毛。

 一見美人にも見えるが、泣きだしそうな瞳にへの字の口がそれを台無しにしていた。


「レイピアっすか? あるには、ありますけど…」


 レイピアとは、細身の長剣である。おもに攻撃は突きが基本だが、刃もあるので斬ることもできる万能の剣だ。

 とはいえ、細身といってもかなりの重量がある。

 彼女の細い腕では振るうことすらままならないだろう。


(いったい何に使うんだろう)


 不思議に思いながらもイオリは店の戸棚から一振りのレイピアを取り出した。柄に指を守る金属の棒が取り付けられた銀色の剣だ。安物、とはいかないが高価なものではない。


「五千ゼニーになるっす」


 イオリの言葉に、女性はより一層おろおろと戸惑いだした。今にも泣きだしそうで、イオリのほうがかえって不安になる。


「す、すいません……。さっきそこで昼寝しているうちに持ち物と財布を全部盗られてしまって……」


(うっそ!?)


 するする、と棚から下ろしたレイピアをカウンターの下におろしていく。


「すいませんけど、お金がないんだったら売れないっす。うち、武器屋ですし」


 女性の真意はわからなかったがここは断った方が賢明だ、と思った。


「お金はあとでお返しします!! せめて、レイピアだけでも譲ってくれませんか?」


 ますますわけがわからなかった。お金を貸してくれというならまだわからなくもないが、レイピアを譲ってくれというのは理解に苦しむ。


「そもそも、なんでレイピアなんすか…?」

「そ、それは……」


 女性はモゴモゴと口を動かした。何か言いづらそうだ。

 イオリは余計気になった。


(なんだろう、すっげえワケありっぽい)


 しかし、気にはなろうが金のない者に譲ることはできない。イオリはただの店番なのだ。


「悪いっすけど、オレ、ただの店番だし…。父ちゃんの許可なく勝手なことできないし…」

「そうですか……」


 しゅんとなった女性を見てイオリは頭をかいた。

 財布も持ち物も盗まれた無一文の女性。ここで無下に断るのも気が引ける。


「ああ、そうだ!! もうすぐ父ちゃんが帰ってくるから父ちゃんにお願いしてくださいよ!! 父ちゃんなら、なんとかしてくれるかもしれないっす!!」


 その言葉に、女性は顔を輝かせてお礼を言った。


「本当ですか!? ありがとうございます!!」

(いや、誰もあげるなんて言ってないんだけど…)


 変な勘違いをされたら困ると思ったイオリだったが、彼女の喜ぶ顔が意外にきれいで、まだ少年の身としては少しドギマギしてしまった。


「父ちゃんが帰ってくるまで、ゆっくりしてってください」

「ええ、ありがとう…」


 イオリは照れながら、キッチンへ向かった。そしていつも父が入れているインスタントコーヒーの瓶を探す。毎朝父が入れているのだが、自分は飲まないのでどこにあるのかわからない。

 食器棚の奥やタンスの上を探して、ようやくコーヒー豆の入った瓶が湯飲み茶わんの横に置かれているのを見つけた。


(あったあった)


 イオリは、コーヒー豆の入った瓶のふたを開けると、コーヒーカップに大量に注ぎ込んだ。


(これくらいかな? よくわかんないや)


 コンロに火をつけ、お湯を沸かす。その間に、ミルクと砂糖を用意し、トレーに乗せる。

 正直、客をこうやってもてなすのは初めてだったが、意外と自分もやれるじゃないかと半ば満足げだった。

 沸騰したお湯を注ぎ、どす黒い液体と化したコーヒーをトレーに乗せて店内にいる女性に持って行った。こういうのも、店の従業員ぽくていいじゃないか。

 ニコヤカに店に戻ると、彼女は陳列された槍や斧を眺めては面白そうに手に取って構えていた。


「武器、好きなんすか?」


 イオリがコーヒーをカウンターの上に置きながら尋ねる。


「いえ、あんまり…」

「そっすか…」


 ちょっとがっかりしながら、イオリはカウンターに置いたコーヒーをすすめた。


「どうぞ」


 女性は金色の髪をかき分けながら「ありがとう」とお礼を言ってカップを手に取った。


「子供なのに、きちんとしてるのね。私とは大違い」


 その言葉にイオリは誇らしげな顔をして言った。


「おいら、イオリって言うんだ。この武器屋の跡取り息子さ」

「私はクレア。よろしくね」


 クレアという名前に、イオリは昼間ポポイ師が言っていた伝説の勇者の名前を思い浮かべた。



 ライトニング・クレア──。



 それが本名なのか偽名なのかはわからないが、奇しくも同じ名前だ。


(うっわ、偶然てあるんだなあ)


 今日、聞いたばかりの名前をその日のうちに再び耳にするとは。とはいえ、目の前の女性からは想像に描く伝説の勇者の要素が微塵も感じられなかった。


「同じ名前なのに、全然違うんだね…」

「ん? なあに?」


 クレアと名乗った女性の問いかけに、イオリは手を振った。


「いや、別になんでもないよ。ところで、クレア姉ちゃんて何をしてる人?」


 その言葉に彼女は困った顔を見せながら言った。


「私は、何もしてない。することがなくて、国中をさまよってるだけ」


 意外な返答に戸惑う。


(国中をさまよう? 帰る家がないってこと?)


 ますます目の前の女性がわからなくなった。彼女は恥ずかしそうな顔をしながらコーヒーを口に運ぶ。


(帰る家がないなんて、うちよりも貧乏じゃないか)


 イオリがそう思っていると、クレアは「ぶほっ」とむせながらコーヒーを吐き出した。

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