第6話

 ハンスリーのいる食堂では、兵士たちの叫び声が数秒起きに聞こえてきていた。


「何をしているんだ」


 ハンスリーはイライラしながらつぶやいた。せっかくの食事がまずくなる。


「父上、ご安心ください。この屋敷には兵士はごまんといるのです。じきにこの騒ぎもおさまるでしょう」


 しかし、バースは額に汗を浮かべながらワナワナと震えていた。


(レイピアの女…。レイピアの女とは、まさか、あの……)

「父上、どうかしたのですか?」


 ハンスリーの言葉に、バースは即座に我に返った。


「ハンスリー、兵をひかせろ。おそらく、その女は……」


 言い終わらぬうちに、バタンッと食堂の扉が開かれた。

 現れたのは、真っ白いブラウスに真っ白いスカートを履いた金髪の女性だった。その純白の衣装とは対照的に、手には血で真っ赤に染まったレイピアを握っている。


「ひいいっ!!」


 思わずハンスリーが席から立ち上がり、バースの後ろに隠れる。


「ようやく、お目にかかれた。領主様」


 真っ赤に染まった瞳、悪魔のように歪めた唇、どす黒いオーラを漂わせるその姿に、バースは奈落の底に突き落とされたように目を見開いた。


「やはり、ライトニング・クレア……」


 バースの言葉に、ハンスリーが「へ?」と情けない声を出した。


「ライトニング・クレアって……あの、魔王を倒したっていう……」


 クレアはレイピアを胸に掲げて「ふふ」と不敵に笑った。


「その名を知っていながら、大層なお出迎えね。おかげで、流さなくてもいい血をたくさん流してしまったわ」


 ずいっと前に出ると、ハンスリーが「ひいいっ」と悲鳴を上げた。


「ところで領主様、私からひとつお願いがあるんだけど、聞いてくれないかしら?」

「ぶ、無礼者!! へ、平民の分際で、父上に命令するなど…」

「お前はだまっておれ」


 バースに一喝され、ハンスリーは言葉を失った。


「なんだ? 私にできることなら、なんでもしよう」

「たいしたことじゃないわ。そこのバカ息子に持っていかれたシシリ武器店の武器を、全部買い取ってほしいだけよ。もちろん、正規の値段でね」

「………ぜ、全部?」


 いったいどれほどの金額になるのか、バースには想像もつかない。相当な額になるはずだ。彼の頭の中でバラバラとお札が吹っ飛んでいく映像が浮かんだ。


「当然でしょ? そこのバカ息子が勝手に武器店の武器を持ち出したんだから。返品は受け付けないわ」


 バースは険しい顔を見せながらハンスリーを睨み付けた。


「ははは……」


 卑屈な笑いをあげながら、ハンスリーはオドオドと後ろに下がった。


「わ、わかった。全部買い取ろう」

「じゃあ、明日までにシシリ武器店に支払うこと。いいわね」

「あ、明日じゃとっ!? ちょっと待て、それは無理……」

「払えないなら、この場で死んで詫びてもらうけど?」


 ヒュン、とクレアのレイピアが空を切ると、バースは慌てて言った。


「は、払う!! もちろん、きちんと払う!! 明日までになんとかしよう」

「ほんとよ? 嘘なんてついたら……」

「ほ、ほ、ほ、本当だ。嘘はつかん」


 その答えに満足したのか、クレアはくるりと向きを変えた。


「それじゃ、邪魔したわ」


 そう言って退室しようとした瞬間、それを待っていたかのようにハンスリーが叫んだ。


「今だ、ザンギ!!」


 同時にクレアが横に飛び退く。

 重い地響きとともに、気が付けばクレアがいた場所に巨大なハンマーが投げつけられていた。


「ハンスリー!! 何をしている」

「父上、ご安心ください。この女など、すぐに始末してごらんにいれます」


 のしっと、食堂の奥から筋肉隆々の巨漢が現れた。

 つぎはぎだらけの顔をした醜い男だった。


「あまりの乱暴さで、どこにも雇ってもらえなかった用心棒です。こういう時のために、用意しておりました」

「貴様、いつの間に……」


 バースが、額に汗を浮かべてハンスリーを睨み付けた。この男は、父である自分になんの相談もなしに、好き勝手にやってくれる。


「勇者だかなんだか知りませんが、このザンギの敵ではありません」


 くくく、とハンスリーは不敵に笑う。


「ハンズリー様、ごの女、なにしでも、いいのが?」

「ああ、ザンギ。貴様の好きなようにしろ」

「やっだ。好きなように、やる」


 巨漢は、醜い顔を大きくゆがませながらクレアを見つめた。


「あらあら、ずいぶん醜いペットを飼っていたのね。魔王の方が、まだ人間らしい顔をしていたわ」


 クレアはレイピアを突き出しながら、自分の2倍はあるであろう男に身体を向けた。


「んん? おまえ、今、わるぐぢ、言っただろ」

「悪口とわかる脳みそは持っているのね」

「ゆ、ゆるざねえ!!」


 ザンギは、大きな身体を揺らしながらクレアにタックルをかました。

 横に飛び退いて避けたクレアの背後の壁が、この巨漢のタックルにより大きく凹む。

 ザンギは、壁にめり込んだ自分の身体を引き抜くと、再びクレアと対峙した。


「ははは、ザンギを鈍重な男と思うなよ。その身体からは想像できないほど、素早い動きをするからな」


 ハンスリーが、まるで自分のことのように自慢する。

 ザンギは、最初に投げつけたハンマーを手に取ると、目にもとまらぬ速さで振り回した。

 その勢いで食堂の椅子やテーブルが粉々に砕け散る。


「わっ、や、やめろ、やめさせろハンスリー!!」


 バースが叫ぶが、ハンスリーは不敵な笑みを浮かべたまま目の前の光景に魅入っている。


「ハンスリー!!」

「すこし黙っていてください、父上。これほどのショーはなかなか見れるものではありません」


 ハンスリーの目は、異常者のそれに変わっていた。

 彼の見たいものはただ一つ。目の前の女性が粉々に砕け散る瞬間である。


「やってやれザンギ。目の前の女をミンチにしてやるのだ」

「うおおおおぉぉ」


 咆哮をあげて襲い掛かる巨漢に、クレアはレイピアを一閃させた。


「……!?」


 その瞬間、ザンギの腕がハンマーを持ったまま宙に舞っていた。 


「あ、あれ……?」


 ハンスリーが目を見張る。

 気が付けば、腕のないザンギが、それに気づくことなく腕を振るっている。


「ザ、ザンギ……?」


 ハンスリーが声をかける間もなく、クレアがレイピアをクルッと一回転させると彼は全身から血を噴き出しながら崩れ落ちていった。


「な、な、な………」


 ハンスリーは、悪い夢でも見ているかのようにその光景を眺めていた。


「遅すぎて話にならないわ」


 スッと前に出ると、ハンスリーは「ひいっ」と叫んで父の背中に隠れた。


「す、す、す、すいません、オレが悪かったです…。すいません……命だけは……」

「あなたはそうやって命乞いをする人たちに、何をしたの?」


 数々の仕打ちを思い起こして、ハンスリーは何も言えなくなった。涙を流しながら、震える手で自分の全財産を小切手に記す。


「ぶ、ぶ、ぶ、武器の代金です……。こ、こ、これで命だけは……」


 ガタガタと震える領主の息子の情けない姿に、クレアは一気に斬る気をなくした。


「とことん情けない男ね」


 言いながら、小切手を受け取る。

 そこに記された金額は、領民の平均年収の30年分は軽く超えていた。

 バースは、額の汗をぬぐいながら謝った。


「すまない、父のわたしが甘やかしすぎたせいで、このような息子に育ってしまったようだ。許してくれ」

「しつけが足りなかったようね、領主様」

「いまさらだが、今後は厳しく指導しよう」

「そう願いたいわ」


 ため息をつきながら来た道を戻るクレアだが、思い出したかのように「あ、そうそう」と言って振り向いた。


「今後、ここの領民にちょっとでも危害を加えたら、あんたら生かしちゃおかないから」


 それは、本気の目だった。

 バースとハンフリーは青ざめた表情で何度もうなずいた。

 それに満足したクレアは、レイピアを鞘に納めた。

 とたんに、どこにでもいそうな町の娘の顔へと戻っていた。


「じゃ、そういうことで」


 ペコリと頭を下げて退室するクレア。

 その姿を、まるでキツネにつままれたかのように二人は見送っていた。


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